お江戸物語 藤恋歌

らんふぁ

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二十四話

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番屋には四人の浪人達の死体が並べられ、菰がかけられていた。


“いわきやの親分”と呼ばれる才蔵が、菰をめくって、彼に手札を与えている南町奉行所同心、神野に見せた。


才蔵は三十がらみ。背が高く、日に焼けて浅黒い肌、引き締まった身体付きをした男前の十手持ちだ。


“いわきやの親分”と呼ばれている訳は、彼の恋女房のお艶が“いわきや”と名付けた評判の一膳飯屋を営んでいるからである。


当時、十手持ちには、まとまった給金はなく、同心の旦那からの手当てのみだった。


その為、脅しまがいに出入りの商家から袖の下を取る者もいたのである。


真っ当な十手持ちは、生活資金として女房が仕立て屋をしたり、飲み屋を営むのが常だった。



一方、死体を検分する神野は、やや小柄ながら、がっちりした身体付きの五十を過ぎた老練な同心で、丸い鼻にどことなく愛嬌がある。


才蔵の父親も彼の下にいた岡っ引きで、長い付き合いの為、お互い気心が知れた仲だった。


「…おっそろしい腕だ。才蔵、見ろ、この斬り口を。こいつは袈裟掛けにバッサリ」

奉行所の同心の中でも腕利きの神野は浪人達を斬った者の技量をおよそ察した。


次の死体。「こっちは首の急所を跳ね切ってるな」


その次。「…まだこの男は腕が良かったようだ。少しは抵抗出来たんだろう。幾つかの浅い傷に……だが、やはり太股の急所への一太刀で致命傷、か……」


最後の死体。「……幹竹割りで即死……間違っても奴さんとは戦いたくないな」

4人との乱闘の中で、急所を的確に斬ったその腕を思い浮かべ、ため息混じりに慨嘆する神野。


才蔵は首を傾げた。

仕事柄名の通った武芸者や道場はそれなりに把握していたが、これだけの腕の持ち主の噂はトンと耳に入ってはいなかった。「いってぇ何モンなんでしょうね」


「そうだな……ところで奴さんは?」


「まだ長崎屋に。四人を相手に戦ったんで、さすがに無傷と言うワケには……清左衛門旦那が傷の手当てが先だ、取り調べは後にしろの一点張りで……」


神野は苦笑した。「……まあ、長崎屋にしてみれば、命の恩人だしな。疎略には扱えまいよ」


「ええ。それに、昨日の昼間も助けて貰ったらしいですよ。長崎屋の命を狙った連中……あの浪人がいたのが不運でしたね」


「長崎屋には幸運だったがな」



お江戸日本橋……老舗が建ち並ぶ賑やかな表通りに、間口が広い長崎屋の店がある。


神野と才蔵が訪れると、気付いた番頭が帳場から立ち上がって出迎えた。


「これは神野様、才蔵親分」


「清左衛門旦那はいるかい?あと例の侍」神野が彼に聞いた。


「はい、お役人様が見えたら、 奥にお通しするように申しつかっております」


南蛮渡来の高そうな壺やら大皿やらが飾られ、変わった模様の反物、煙草入れ等の小物数が並べられた店はどことなく異国風である。


番頭に案内された二人は店の奥へ。


ピカピカに磨き上げられた回り廊下を通り、手入れされた坪庭を横目で眺めた。


植えられた紅葉の、赤ん坊の手のような葉が赤く染まっていた。


才蔵が呟く「……全く広い店だぜ」



番頭が奥まった部屋の前で立ち上まり、襖の外から声をかける。

「旦那様、同心の神野様と才蔵親分がお見えです」


『おお、お通ししておくれ』


襖を番頭が開けると、ちょうど、清左衛門と右京が朝食を取り終わったところだった。


右京は軽く長崎屋へ一礼した。「馳走になり申した」


そのたたずまいは、きちんとして、威厳さえある。


....…一介の浪人とはとても思えんな。


神野は心の中で思ったが口にはせず「早速で悪いが、夕べの話を伺えまいか。長崎屋」

とりあえず来た用向きを伝える。


「はい」清左衛門は頷いた。



清左衛門は吉原からの帰り道、駕籠をつける足音に右京が気づいて、自分を先に逃がし、後に残った彼が1人で戦った事を話した。


「駕籠屋が店に一気に戻りまして、すぐに店の若い者が親分さんにお知らせに」


ですから知ってますよね、と長崎屋が水を向け、才蔵は肯定した。「ええ。知らせを聞いてスッ飛んでったら、そこの……お侍さんが、四人の侍を既に倒してたトコで……」


右京は淹れて貰った茶を喫しながら口を挟んだ。「長崎屋殿を狙ったのは間違いない。駕籠屋を逃がした時、『長崎屋を逃がすな!』と叫んだ奴がおる」


神野と才蔵は顔を見合わせた。


長崎屋暗殺未遂?


右京は神野に軽く頭を下げた。「すまぬの。奴ら、なかなかの腕で手加減ができなんだ。どうにか口を割らせたかったのだが……。ただあ奴らは、金で殺しを請け負う連中だと思う。襲撃の仕方がどことなく手馴れていた感じがしたでの」


それを一太刀で仕留める腕か……


「長崎屋、お主の方に狙われる覚えは?」神野は向き直って尋ねた。


夕べと同じように長崎屋は全く動じない。「無いと言えば、無い。あると言えばありまする。……商売敵は多うございまして……。手前が死ねば喜ぶ者は確かにおりましょうな」


「……長崎屋は諸国物産の他にも手広くやっているからな」同心は納得の体で呟いた。


「手前は真っ当にやっております。客に良い品物をなるべく安い値で。……商売は信用が第一。信用を積み上げるのには、長い時間と血の滲むような地道な努力がいりまする。ごまかして利益を得ても、一時的な事。それで失う信用の方がよほど怖い。手前の考えを理解して下さるお客様がこの長崎屋を選んで下さります。手前は恥じる事などしておりませぬ。」長崎屋はキッパリ言った。


確かに固い商売をしていると評判の店である。


「分かっておりますよ」才蔵は口を添えた。


実は長崎屋は袖の下は使わない。


真面目に勤めている神野や才蔵に却って失礼になるとの考えからだ。


ただ、盆暮れに南北の奉行所に『探索の費用の足しにしてくれ』とかなりの金を置いて行くと言う。

つまり大口寄付をしているのだ。


奉行所の与力は、それを給料が殆ど貰えないような、才蔵のような親分達に回している。


探索に金が必要なのは確かで、町奉行や勘定奉行も承知のこの金は、才蔵のような性格の人間には、堂々と使えて気分が良い。


そんな長崎屋だが、妬み恨みをどこからか買っているかも知れぬ。

だからこその逆恨みなのだ。


右京の左腕から真新しいサラシが覗いている。

彼の傷こそ、金を払って人を雇ってでも、長崎屋を始末したい人間がいると言う事の証しなのである。


ハッとしたような才蔵が「そうだ、吉原からの帰りだったと仰いましたね?旦那が吉原に行く時はいつもおんなじなんで?」そう尋ねた。


同じなら、それを知っている人間が怪しい。


「いいえ」


右京が捕捉説明を加える。「いや、あの時は某が大門が閉まる前に、帰ると言い出したのだ。長崎屋殿はそれに付きおうてくれた、いわば偶発的な事。その長崎屋殿の動きを知っていた事を踏まえると……」


神野は腕を組んで考え込んだ。「……狙った人間は吉原から情報を得ている、か……」


「それも鈴代屋に出入り出来るか、内部の人間があやしいの」と右京が続けた。


当然、老練な同心の神野は、彼に言われるまでもなく、その可能性には気づいている。


彼は右京に頷いてみせ、配下の岡っ引きを見やった。「……早速、鈴代屋に聞き込みをして見よう。才蔵、いいな?」


「へい」


これ以上は新しい情報は聞けそうにない。


そこで神野は右京の身元を尋ねた。


「某は、小網神社近くの金太郎長屋に住む一介の浪人に過ぎぬ」彼は笑って答えた。


とても、そうは見えないから聞いているのだが……


謎めいた男、松永右京……


才蔵は彼も調べて見る事にした。興味が湧いたのである。




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