お江戸物語 藤恋歌

らんふぁ

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ー話

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恋ひしけば 形見にせむと

吾が屋戸に 植えし藤波 今さきにけり


 山部赤人







シャン……!


花魁道中の露払いを意味する金棒引きの音が辺りに響いた。

花魁道中とは、吉原において廓から揚屋や引手茶屋まで花魁自ら上客を迎えに行く儀式である。


シャン……!


まるで昼間のごとく提灯で照らされた、男の夢の国……その吉原に花魁道中の始まりを告げる音が響く。


「おっ!来たぜ!」

「よっ!白雪太夫、日本一!」

沿道に居並ぶ男達から声がかかった。



シャン……!


先導する高張提灯に照らされた花のかんばせ

あでやかな立ち姿はまるで一幅の絵の様で、そのまま切り取り己の胸に仕舞い込みたいと願う男も多かった。


男衆の肩に手を添え、会得するには三年かかると謂われる外八文字を黒塗りの高下駄で優雅に描きながら花魁道中はゆっくりと進む。


15の若さで花魁を名乗った白雪は、その美貌も然ることながら、音曲を始め書や茶道、文学にも明るく遊女としては最高位の松の位を頂き、当代―の太夫としてその名を江戸中に轟かせていた。


「見ろよ、あの女っぷり!さすが吉原一の白雪太夫だぜ…」

「おいら『ぬしさん、わちきは恋しくありんす~』って言って貰いてぇ!」

「おきゃぁがれ!鏡見ろ、鏡!」


吉原でも大手の廓、不二楼の前に道中が差し掛かった。

この見世の入口の横には藤棚があり、その下に縁台をしつらえて、花の時期には遊女と客が酒を楽しむ趣向を売りの一つにしていた。

花の盛りの今、薄紫の花房から何とも言えない甘い芳香が放たれている。


その香りに惹かれてか……白雪太夫の歩みが止まった。


ふと頭を巡らした彼女が見つめる先に、高嶺の花に騒ぐ男達とは少し離れて道中を見ていた着流しの待がいた。

年の頃は20代半ばから後半と言った所か。

すらりと背が高く、月代や髭はきちんと剃り、尾羽うち枯らした浪人とは一線を画していた。

濃い眉に涼やかな目、高い鼻は形良く、引き締まった口元……美男と言って良いだろう。


目を見張った太夫は次いで艶然と微笑むと、手を伸ばして藤の花を一房を採り、側にいる禿かむろの少女に手渡して何事か囁いた。


キョロキョロと禿は何かを捜す仕草をしたが、パッと笑顔を浮かべたと見るや侍に駆け寄り、花を両手で差し出す。


「お?見ねぇ、あの侍に太夫が花を!」

「ち!羨ましいぜ!どこのどいつだ、べらぼうめ!」



侍は太夫を見て軽く頷き、藤の花を懐にしまい立ち去った。


それからは何事も無かったかのように花魁道中は続いた。


侍は口元に笑みを浮かべ「覚えていたか……美しい太夫になったものよ……」そう呟いた。

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