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ポリティカル・コレクトネスな浦島太郎

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ある所に太郎という、ポリティカル・コレクトネス精神を持ち合わせた男がおりました。幼い頃に両親を亡くしてはいましたが、人一倍の正義心をもって強く一人暮らしておりました。そんな彼への人望は厚く、それによってさらに、彼の正義は存分に発揮されるのでした。東に不正あれば行って全てを公にしてやり、西にいじめあれば行っていじめっ子を成敗し、南に……といった具合に、強きをくじき弱きを助くために東奔西走の日々。そういう彼みたいなものに私はなりなたいと、憧れる者もしばしばいました。

ある日、太郎が海岸沿いを散歩していると、三人の子供たちが何やら棒切れを持って集まっています。不審に思った太郎が近づいてみると、どうやら子供たちは亀らしき生き物をいじめているようです。当の亀は、頭と手足を引っ込めて、甲羅ひとつを三匹の鬼の如き子らの前に晒しています。

ピシピシと、亀を鞭打つように棒切れを振るう子供らに堪忍袋の緒が切れた太郎は、ついにかけ出しました。

「やい、お前たち、弱者をいじめるのではない」

すると、だんまりを決め込んでいた亀が、頭を甲羅から出して太郎を見上げました。その瞳に太郎への感謝や、憧憬の色は見えず、寧ろ、ほんの少し迷惑そうに亀は言うのでした。

「あなたの好意には感謝します。しかし、余計なお世話というものです。私の甲羅は大変に硬いものですし、子供らもやがては飽きましょう。今あなたが関わったことで事が大きくなると面倒です。私には騒ぎになると困る事情があるのです。どうか、ここは放っておいてくださいませ」

亀は再び頭を引っ込めました。

「ううむ」と、太郎は唸りました。確かに、一理あるやもしれぬ。しかし、ここで見て見ぬふりをすることは、例え被害者が赦しているとは言え、子供らに「いじめをしてもいい」という誤解を与えかねぬ。

「いや、見て見ぬふりは出来ない。それに、亀よ、お前も被害者だからといって黙っては良くない。毅然と悪へ抵抗する事は、義務なのだ」

そう太郎は言って、子供たちに正義の鉄拳をお見舞いしました。子供たちは涙を浮かべて、すたこらと逃げ出しました。

亀と太郎、二人、いや、二匹だけになった砂場で亀はやっと頭と手足を出して、その姿を日の元に晒しました。

「何がともあれ、ありがとうございました」

亀は、ぎこちないながらも礼を述べます。それでは…と、海へ帰ろうとした亀を、太郎は呼び止めました。

「亀よ。昔の物語に、亀を助けた男が竜宮城とかいう城で接待を受けるというものがある。お前は、違うのか」

亀はしばらく黙っていましたが、太郎の眼力に参ってしまい、ついにはボソボソと語り始めます。

「ああ、それは本当の話です。随分前のことですが──しかし、先程言ったように、私たちのことはあまり大事にしたくないのです。あそこへ連れてゆくのはもう懲り懲りなのです」

しかし、亀が言い終わらぬ間に、太郎は亀をガッチリと捉えました。「何をするんですか」抵抗する亀を意に介さず、太郎は言いました。

「俺は、恩人だぞ。竜宮城へ連れてゆけ。昔は連れて行って、今は駄目というのは差別ではないのか」

言い忘れておりましたが、感謝と憧れの雨あられに打たれ続けた太郎は、少々傲慢になっていました。そして、自分は正しいと、理由なく思い込んでいました。それは太郎の不徳の致す所であると同時に、ある種人として避けられぬ真理でありました。浴びんばかりの憧憬の眼差しは驕りを産み、そして、正義であったはずのそれがそうでなくなっている、そのようなことは往々にしてあるのです。

当然、亀は太郎の要求を拒みました。勿論、善意の押し付けは時に迷惑なもので、更に見返りを要求するなんて事は迷惑千万。しかし、太郎の押しは非常に強く、しつこい。その押出しを持ってすれば相撲界すらその手中に収められそうな程。ついに亀は音を上げ、ついでに太郎を己の甲羅に上げ、竜宮城へと太郎を連れてゆくことになりました。

さて、竜宮城に到着すると、早速乙姫とやらが太郎を迎えてくれました。太郎は、乙姫の美貌に目を奪われました。地上ではまるで見たことの無い、派手さと朴訥さ、エロスと清純、凛々しさと儚さ、それら全てを併せ持った、まさに絶世の美女ここに極まれり、羞花閉月の言葉はこの方のために!そう思わせる美しさです。それもそのはず、実は乙姫は人間ではないのでした。例の亀を含めた彼女らは、地球の遥か遠くからやってきた異星人であり、遡ること数百年前より地球の海の底で人知れず暮らしていたのでした。

敬虔なポリティカル・コレクトネス信者たる太郎は、当然色に耽け身を滅ぼすような男ではありませんでしたが、人間でない乙姫には彼の色欲センサーは反応しなかったようです。太郎は時を忘れて、乙姫や踊る魚達と遊び興じました。

人間の感覚で言えば一週間程の時間がたった頃でしょうか。太郎はふいに、かつて竜宮城へ行ったという男が地上へ帰ると大層な年月が過ぎ去っていたという話を思い出しました。そして、慌てて、地上へ帰りたい旨を乙姫に告げました。

乙姫は、事を荒立てたくないために、太郎の事など誰も覚えていない程の期間竜宮城に彼を拘束しておこうと考えていました。しかし、やはり太郎の押しの強さは宇宙人にすら勝る。宇宙一と言っても過言ではない太郎の押出しに、為す術なく破れた乙姫は、渋々太郎を地上へ返す事にしました。

いざ帰還せんと太郎が亀に跨った時、乙姫が漆塗りの小箱を持ってきました。それを目にした太郎は勘づいて言いました。

「それは、玉手箱というやつか」

「左様でございます」

乙姫は言いました。

「では、それを開けてしまうと俺は老人になってしまうわけだ」

太郎は昔話を思い出し、決して開けるまいと警戒しました。しかし、乙姫はそのような太郎を笑って、「いいえ」と首を振りました。

「昔から技術は進歩しましたので、もう地上との時差を詰め込む必要は無くなったのです。これは、言わば地上との知識差、つまり貴方が竜宮城に来た頃から現在に至るまでに地上で起こった出来事や出来た常識などの知識を詰め込んでいるのです」

「ほう」と、感心して太郎は言いました。「だが、そんなものは要らん」

「しかし、地上では貴方の来訪から既に六十余年が経っております故、その時代にあった知識がないと忌み嫌われてしまいます」

「ああ、分かった、分かった」

面倒になった太郎は渋々玉手箱を受け取り、亀の背中に乗って地上へと帰ってゆきました。

さて、久方ぶりに地上へ戻った太郎は、うんと驚きました。かつては何も無い砂浜が、何やら硬い石材のようなもので舗装され、見たことの無い大きな船が沢山海に浮かんでいたからです。

近くに男がいるのを見つけた太郎は、ひとまず彼に声をかけました。

「おおい」

しかし、その声は彼に届かず、男は俯きがちに去っていきました。

無視をされた太郎は気を悪くして、吐き捨てました。

「なんだってんだ。耳に豆を突っ込んで、ちっちゃい箱なんかを食い入るように見やがって」

しばらく歩いてゆくと、巨大な建物が森のようにそびえ立っているでは無いですか!太郎は仰天しました。石の木々の間を蟻のように進む人々を不思議に思いつつ太郎は歩きます。彼らは皆一様に耳に豆を詰め箱を見つめていたからです。

ふと、目前の女の鞄から手ぬぐいが落ちたのを太郎は目撃しました。太郎はそれを広い、女に声をかけました。

「おい、手ぬぐいを落としたぞ」

しかし、女はまるで気が付かず、歩みを止めることはありません。そこで太郎は女の肩を掴みました。すると、女はびくりと肩を震わせて、恐怖の眼差しを太郎に向けました。それはやがて気味の悪いものを見る目に変わります。太郎の格好は、当時から見ると異様だったからです。太郎は手ぬぐいを差し出し「落としたぞ」と言いました。

すると女はそれを受け取り、会釈もせず歩き去っていきました。太郎はその女の不遜な態度に腹を立て、再び女の肩を掴みました。

「お前、礼も言えないのか」

すると女は嫌そうな顔をして、しかしそれでも無視をして去ろうとします。だが太郎は譲らない。遂には腕を掴み、強引に引っ張りました。

流石に女も無視しかねて、言いました。

「セクハラで訴えますよ」

しかし、セクハラという言葉を知らない太郎には何が何だかわかりません。そこで太郎は近くの者を捕まえて、尋ねました。

「おい、お前、セクハラたあ何だ」

偶然通りかかっただけの男は、やはり迷惑そうな顔をしました。

「ようは、あんたが変態だってことだよ」

その言葉に当然太郎は激怒しました。

「お前、助けてくれた者を変態呼ばわりとは何たることだ。なあ、お前もそう思うだろ」

太郎は道行く者たちに同意を求めました。しかし、当然、誰も反応しません。遂に、太郎は憤懣やるかたないといった様子で叫びました。

「まったく、俺の時代では……」

気が付けば女はいなくなっていました。
道行く人は太郎を避け、そこだけ円のように人がいません。ただ一人、太郎を除いて。太郎は急に玉手箱の存在を思い出しました。そして、衝動的にそれを開きました。

もわわんと煙が太郎を取り巻き、同時に太郎の頭に大量の情報が流れ込みました。

あまりに多くの情報に太郎は身動きが取れなくなりました。「老害」という言葉が太郎の頭に現れた刹那、彼の脳は許容を超えた情報量からその動きを止めました。

道行く誰も太郎の事など見向きもしません。寄せては返す人の波に打ち上げられたように太郎は倒れています。




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