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第6章 現実の世界 ~カミナギ ふたつ~

第225話 閉じる魔境

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 追っ手の猟鳥と猟犬は相当の怪物で、今の三月には手に負える相手ではない。
 太陽の加護の欠片、日和の仮初かりそめの力、擬似的なシキの力。
 それらを総動員しても歯が立たず、らちが明かなかった。

──せっかくアイアノアと日和が力を貸してくれてるってのに、地平の加護の全力が出せないっ! シキの力だけじゃ駄目だ、決め手に欠ける!

「……やっぱり、こいつらに勝つのは無理か。明確な敵の刺客、倒せるならここで倒しておきたかったんだけどな……!」

 刹那の思考の末、三月は早々に結論に至った。

 異界の神獣は敵の中でも別格だ。
 可能なら撃破して戦力を削ぎたかったが。
 当初の目的のため、熱い闘争心と欲を冷静な心でいさめる。

「──そうならっ! 雛月ッ!」

「うんっ、いつでもいけるよっ!」

 三月は後方で、変わらずに跪いて祈っている雛月に声を投げた。
 顔を上げて髪の毛を揺らし、雛月は大きく頷いて叫ぶ。

 すると、三月を中心として光の波動が放射状に広がっていった。
 光は道路を伝い、周囲の山へと衝撃波のようにざあっと伝播でんぱしていく。

 三月と雛月は地平の加護の力をすでに発動させていた。
 魔物の討伐が困難な場合を想定して、先手を打っておいたのだ。

 ざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわ……!

 肌で感じるほどに、辺りを取り囲む自然の様子が豹変していた。
 山肌に茂る木々の森、それらは静かに佇んでいるだけだったのに。
 明らかな敵愾心てきがいしんがそこら中から溢れかえり、山を侵す異物に厳しく向けられた。
 風もないのに枝葉を揺らし、地に下ろした動くはずのない根を持ち上げる。

 グリフォンとヘルハウンドは驚愕していた。
 いつの間にか、あっという間に取り囲まれている。
 山に生える無数の木たちが変じた、背高せいたかで手足が長い植物の巨人たちによって。
 しいかしぶなならといった広葉樹に、松、杉が代表的な針葉樹。

 和木の樹人、トレントたちが道路沿いの山から、所狭しと次々と下りてきた。
 それらは新手の魔物の出現ではない。
 三月、雛月の呼びかけに応じた、頼りになる大勢の味方であった。

「対象選択・《故郷の和木》・効験付与・《樹人族トレントの護り》」

 雛月の復唱のもと、和木のトレントたちは一斉に異界の神獣に襲い掛かった。

 樫の木トレントが長大な腕を振り回して、グリフォンの頭部を殴りつける。
 橅の木トレントは巨体をそのまま突進させ、ヘルハウンドにぶちかます。
 椎の木も楢の木も枝葉を鞭のようにしならせて、異様に長い射程距離から魔物を打って打って打ちまくった。

 今まで二対一で三月を攻めていたのに、唐突に多勢に無勢の形勢へ入れ替わり、グリフォンもヘルハウンドも浮き足立ってしまう。

「この場所は、小さい頃から過ごした大地。三月との親和性は極めて高い。生まれ育った故郷が、今でも三月のことを守ってくれる」

 壮絶な自然の驚異による助力を眺め、雛月は立ち上がって言った。
 幼少の時分に、この辺りの山を走り回って遊んだ記憶は遠い。
 悠久の時を生きる山の木々は、もしかしたら三月を覚えていたのかもしれない。
 久しく帰ってきた人の子を悪しき怪物から守るため、呼びかけに応じた。

 ただしかし、大自然の猛攻にさらされても魔物はおとなしくはしない。
 ごうごうと、ヘルハウンドは得意の炎で杉の木トレントの腹を焼く。
 鋭利な鉤爪の一撃で、グリフォンは松の木トレントの表皮を切り裂いた。

 樹木は炎に弱く、斧を初めとする刃物にも弱い。
 物語や創作物でのトレントの認識として、それはある意味で正しい。
 しかし。
 本物の成熟した樹木が変じたトレントは、そんな甘い代物では決してない。

 ヘルハウンドの炎をまともに受けた杉の木トレントだったが、表皮が焦げた程度でまったく燃えていない。
 グリフォンの爪を受けた松の木トレントも、引っ掻き傷が表面に走っただけだ。

「目には目、歯には歯、ファンタジーにはファンタジーだ。だけれど、事実は小説より奇なりだね」

 三月の思い起こしたイメージを形にし、満足のいく結果に雛月は頷いた。

 原典となった樹の巨人エントを模した樹木の精霊、動く大木のトレント。
 本当にそんなものを相手にすることになったならば。

 生木が含む水分のお陰で多少の炎をものともせず、分厚い丸太の身体はちょっとやそっとの刃物はまるで通さない。
 数百キログラムないし数トンを超える重量から繰り出される猛撃は、大型の動物に匹敵するか凌駕する。
 見上げるばかりの背丈な木々が繰り出す打撃は、三月の太刀の斬撃よりも遙かに重く威力は高いのである。

「馴染みの深いこの土地は、地平の加護を通して俺の味方をしてくれるんだっ! どうだ、参ったかよ! 俺の故郷を舐めるんじゃないッ!」

 三月は故郷の山を誇り、感謝をした。
 効験のほとんどを自然に委ねられるなら、地平の加護の負担は最小限で済む。
 これも三月が想像し、雛月が空想を実現した結果である。

 大勢のトレントに翻弄ほんろうされ、グリフォンもヘルハウンドも三月を追うどころではなくなっていた。
 巨獣たちは巨木の群れにもみくちゃにされている。
 畳み掛けるのは今しかない。

「とどめだっ! 雛月、頼むっ!」

「いけっ、これで終わりだよ!」

 三月の号令に従い、雛月は勢いよく手をさらに山へとかざした。
 和木トレントたちに動きを封じてもらい、とどめの大打撃を大自然に求める。
 それは怒濤の流れとなって魔物たちを打ち払うのである。

「対象選択・《故郷の山々》・効験付与・《局所的土砂崩きょくしょてきどしゃくずれ》!」

 途端、道路脇の擁壁ようへき一面に亀裂が走った。
 山の内側から溢れ出そうとする力は圧倒的だった。
 暴走とも言えるだろう。
 人間のつくった壁など全く構わず、凄まじい勢力をもって流れ出す。

 爆発したかと思うほどに擁壁が砕け散り、魔物たち一点に狙いを絞った局所的な土砂崩れが巻き起こった。
 膨大な量の土と岩石が、水が流れるのと同様にすべてを巻き込み、押し流す。
 山の木々が味方なら、大地そのものさえ三月の味方をしてくれるのだ。

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ……!!

 それは一瞬の間であった。
 三月と雛月の見守る先で、真っ黒な土砂が二体の巨獣をさらっていく。

 反対側の谷底へと抵抗も出来ずに流されて、落下していった。
 真っ暗な奈落の底へ消え、魔物の姿はすぐに見えなくなった。
 形容しがたい狂ったような咆哮ほうこうで、どんな感情を叫んでいたのだろうか。

 グリフォンとヘルハウンド、異界の神獣どもの撃退に成功した。
 決め手となったのは、生まれ育ったこの地ならでは効験付与である。
 自然に呼びかけ、奇跡を起こした。

 土砂が去った後には、アスファルトの道路を貫いて深く根を下ろしたトレントの群れが、流されずに力強くそこに立っていた。
 役目を終え、元の生えていた場所へと帰っていくトレントたちを見送り、三月と雛月は揃って謝意の一礼をするのであった。

「やったな、雛月」

「うん、ぼくたちなら当然さっ」

 三月と雛月の二人は、お互いの拳と拳をこつんと軽くぶつけた。
 相棒との仲を示すフィストバンプ、拳を通じて三月は雛月を確かに感じた。
 無邪気な少年同士みたいに、屈託のない笑顔を向け合う二人の息はぴったり。

 谷底に落下したグリフォンとヘルハウンドの姿はもう暗くて見えない。
 あれだけの量の土砂と岩石に飲まれたのだから、いかな異界の神獣とてそう簡単には脱出できないだろう。

 但し、暗い奈落から響いてくる怨嗟えんさの雄叫びが、まだ奴らを倒せていないことを如実に語っていた。
 しかし、何はともあれ直面していた危機は去った。今はこれで充分だ。

「見事じゃ、みづき!」

 三月の勝利を確信し、胸の中から金の黄龍がするするっと抜け出てきた。
 龍は目の前でくるんと円を描くと、元の日和の姿に戻る。
 空中で両手を腰に当て、満面の笑みで三月の健闘を讃えた。

「よくぞ我が大地の力を使いこなした! おぬしほどの強く立派なシキ、是非無くも我が陣営に欲しかったと衷心ちゅうしんより思うのじゃ!」

「俺もそう思うよ。日和を助けてやれれば良かったのにな……」

 三月は太刀を下ろし、申し訳なさそうな複雑の表情で日和を見ていた。
 この目の前に居るかそけき女神が一度は滅んだ身で、今も眠り続けている最中だと思うとやるせない気持ちが込み上げてくる。
 それを指し示す通りに日和の様子は苦しげで、もう幾ばくの猶予も無いほど身体の光を弱々しく明滅させていた。

「ふふ、不遜ふそんなシキめ。……私のシキなら、もっと殊勝な心掛けを、せぬか……」

 やがて日和は、ふぅぅ、と長めの息を吐き、弱々しくアスファルトの地面に膝をついて落ちた。
 ゆっくりと三月を見上げる顔は力無い笑顔。

「力を使いすぎたのじゃ……。久しい現世うつしよじゃったが、ここらが潮時しおどきじゃな……」

「日和っ!」

 思わず三月も跪き、衰弱した日和に顔を近付けた。
 日和はよろよろと身体を起こして、赤子よりも小さく縮んだ手を伸ばした。
 そっと、三月の頬に触れる。

「──みづき、またいつか……。我がやしろに祈りを捧げておくれなのじゃ……」

 日和が光の粒子になって消え始める。

 刹那せつなの救いの願いに応え、果てしない眠りの只中ただなかに三月を助けてくれた。
 三月が助けようとしている日和とは別の世界線の日和が危機を救ってくれた。
 そして力尽き、再び眠りに着こうとしている。

「ああ、また参拝に行くよっ! 美味いお供え物でも持って、ちゃんとお礼参りに行くからな……。恩に着るよ、日和、本当に助かった……!」

「……うむ、宜しく頼むのじゃ……。約束、じゃぞ……」

 そんな日和を可哀相に思い、同時に感謝をして三月は叫んだ。
 心ばかりの約束を交わして、大地の女神は事切れる。

「……独りで眠るは、ほんに寂しいのでなぁ……」

 寂しそうな笑顔の瞳から一筋の涙を流し、日和は闇夜に溶けて消えてしまった。
 散り散りになった光の粒が一つ残らず消えて、しんとした暗闇が戻る。

 気がつけば疑似シキ化も解けていて、さっきまでの奇跡が夢のように感じた。
 日和が居たからこその霊験であったのは言うまでもない。

 不遜な信者とおぼしき三月に急に呼び出され、自分と同じ氣を備える半端なシキの三月と共に戦い、見事な勝利を収めた三月に眠りに落ちるのを見届けられた。

 何も知らない日和は何をどう思ったろうか。
 孤独な眠りに戻った日和を思い、三月は神々の異世界の出来事を思い出す。
 眠るシキのみづきの布団に、夜這いさながらに潜り込んできたこともあった。

『みづきの安らかな寝顔を見ておったら人肌が恋しくなってのう』

『──イヤじゃ……。敗北の眠りになどつきとうない……』

 追い詰められ、明日滅ぶかもしれない運命に怯えながら眠る日和の声を聞いた。
 この世界の日和が苦し紛れに生み出したシキには、三月が宿らなかった。
 シキのみづきに助けてもらえず、力を失ったままに敗北の眠りについたのだ。

 沈痛な面持ちで、三月は日和の消えた冷たい地面をじっと見つめている。
 心によぎるのは、ひたすらに感傷のみであった。

「三月……」

 そんな三月の屈んだ背中に雛月は気遣いの表情を向ける。
 それを受けてか三月はむくっと立ち上がった。

「日和、待っててくれ。俺が必ず、敗北の眠りから助け出してやるからな……!」

 消えた日和にそう言葉を掛け、後ろの雛月に振り返る。
 二人は頷き合うと、ガードレール向こうの谷底から未だに聞こえる呪いの咆哮に背を向けて、暗い道路を人里に向かって走り出すのであった。

 心なしか、人外魔境と化した廃都の空気が和らいだ気がした。
 ここまで落ち延びればもう追っ手は掛からない。
 そう予感させるほどに。

 それを裏付けるように、遠くの空から走っていく三月を木々の隙間に眺め、巨大なる襲撃者と、異世界の魔人は傍観ぼうかんを決め込んでいた。
 まるで、うまく逃げ切った三月を見送っているかのようである。

「大したもんだ。あの坊や、あそこまでやれるとは思わなかった。まさか、怨球おんきゅう忌翔きしょうを退けちまうなんてね。それで、どうするんだい? まだ追うかい?」

 異世界の魔人、フィニスはせせら笑って言った。
 巨大なる襲撃者、黒い龍の顔近くに浮遊し、追撃の是非を問い掛けている。

 しかして、龍にその気が無いのはもうすでにわかっていた。
 だからフィニスも薄く笑んで、龍の考えに素直に従った。

「わかった。引き際はわきまえよう。坊やの頑張りに免じて、ね」

 龍は何も語らず、銀色のたてがみを夜風に揺らしていた。
 去って行く三月の背をじぃっと見つめて。
 やがて、龍とフィニスは暗い夜に溶けるみたいにぼんやりと消えていった。

 神巫女町かみみこちょうの廃墟中に、あれほど溢れかえっていた魔物たちもどこにもいない。
 三月の幻影たちもいつしか消え失せていた。
 地獄の蓋は閉じてしまったのか、クレーター湖の水面は静かなものだ。
 三月一人に向けられた追撃はようやく終わりを迎えたのだった。

 戦果は無しで、三月を追い払うに留まった。
 いや、むしろそれこそが真の目的だったのかもしれない。
 そう思わせるほどに、事の済んだ神巫女町は不気味な沈黙を守っていた。

 かつての故郷は魔境と化し、訪れるすべての者を拒む。
 10年前の忌むべき記憶に触れることを決して許しはしない。
 惨禍さんかの時は止まったままである。

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