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第6章 現実の世界 ~カミナギ ふたつ~

第202話 災厄の裏で

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■空を舞う黒龍こくりゅう、地の底に眠る廃都はいと

「あれが、夜宵の仕業だってのか……。自然災害が聞いて呆れるな……!」

「破壊神夜宵の神威。神様の気まぐれでいちいちあんな目に遭わされてちゃ、三月たち人間はたまったものじゃないね。迷惑千万も甚だしいよ、まったく」

 炬燵テーブルに隣り合って座り、悪態をつく三月と雛月。
 感情を共にしたさっきのこともあり、遠慮なしに怒る雛月に和む。

「あの被害の酷さを見る限り、日和の創造は働いてないな。やれやれ、日和が心配してた通りになっちまったって訳かよ……」

 憤るのは雛月だけではない。
 三月にだって怒りが湧き上がってくる。
 常軌を逸する破壊をもたらした張本人のことをよく知っているからである。

「10年前は自然現象の天災なんだから仕方がないって思ったけど、今は訳が違う。身勝手な神様の所為でこんなことになっただなんて到底許せねえ……! 本当に、人の命を何だと思ってるんだ!? あんなのが天の神様のすることかよっ!」

 テーブルの天板を叩き、夜宵の悪辣あくらつな笑みを思い出して猛る。

 あれは自然災害だったからやむを得ない、是非も無かった。
 不本意ながら受け容れるしかなかった運命。

 もうそんな風には絶対に思えない。
 三月は改めて確信する。

「夜宵は止めるしかない。破壊の神威は絶対に阻止しなきゃならない」

 シキのみづきとして天神回戦を勝ち上がり、夜宵を打倒する。
 でなければ、三月の故郷は滅び、大切な人たちが皆殺しの憂き目に遭う。
 これ以上の理由など存在せず、必要も無い。

「あ、そうだ、雛月」

 怒りに震えていた三月は、何かを思い出してはたと顔を上げた。
 満を持して禁忌の過去に触れ、とある記憶が甦っていた。

「気が動転してて、もう今更あれが何だったのか思い出すことも忘れてたけど」

 それはとても奇妙な記憶で、現実味が無かったことから今まで忘れていた。
 自発的な三月によって、秘密がほぐされていくかのようだった。

 雛月は探求心に火が点いて頷く。
 黙ったまま、三月の口から新たな事実が飛び出すのを待っている。

「夕緋と抱き合って泣いてたときのことだ。ぼろぼろに壊れていく町の空の真っ黒な雲の中に、何かが居るのが見えた」

 絶望の丘の上、慟哭を叫ぶ最中に三月は確かに見ていた。
 噴煙立ち込める暗黒の空に、超常現象そのものの存在が見え隠れてしていた。

 三月はあり得べからざる記憶を呼び起こす。


「あれは龍《りゅう》だった……。黒い鱗のとてつもなくでかい龍だった……!」


 御神那山おみなさんの火口上空、噴煙の闇の中に、火山雷かざんらいに紛れて何か巨大なものが居た。
 重力に逆らって空に浮かび、長い胴体をくねらせて悠々ゆうゆうと泳ぎ回る。

 全身をびっしりと黒い鱗に覆われ、白銀のたてがみから一対の雄々しい角を生やした長大な伝説の生き物、「りゅう」であった。

 あれはもしかして、夜宵が下界に破壊の干渉を及ぼした際の、神の正体なのかもしれない。
 滅亡する都市の上で、巨大な黒龍は破滅をうたい、舞う。
 詳細不明の怪物が現れ、10年前の出来事はさらに謎が深まってしまう。

「それに、雛月──」

 三月は続けて言った。
 机の上で組んだ手が震えている。

「俺は嫌な想像をしちまった……。地面の下に引きずり込まれて、どうなったのかわからない町の一部のことさ」

 溶岩と地下水が混ざって起こった水蒸気爆発。
 巨大な空間が地下に空いたことで発生した、大規模な陥没かんぼつ現象。
 神巫女町のあっちこっちが地底に沈んでしまった。
 大勢の人が行方不明のままで、未だに見つかってはいない。

 三月は視線だけを雛月にやった。

「俺たち見たよな……。パンドラの地下迷宮の底に、ぼろぼろになった神巫女町かみみこちょうがあった……。俺が通ってた高校も、親父があのとき居たはずの市庁舎もきっとあそこにあったんだ……」

 わなわなと肩を揺らして、恐ろしい想像を頭の中で膨らませる。
 すでに三月は見てきていた。

 伝説のダンジョンの深奥にて、幻想世界には似つかわしくない現代的な町並みの廃墟があったのを知ってしまっていた。
 嫌なイメージはすぐに直結して形になる。

「もしかしたら、途方もない想像かもしれんけど……。神巫女町はパンドラの地下迷宮の底へ飛ばされてしまったんじゃないのか……? 親父も、行方不明の町の人たちも、まだあの場所に取り残されているんじゃ……!」

 それは、至極自然に行き着いた想像の帰結きけつであった。
 地の底に消えた神巫女町の一部や、未だに見つからない人たちの行方。

 その在処と居場所は、あの場所なのかもしれない。
 パンドラの地下迷宮、最深部である。

「も、もしそうなら、俺はっ……!」

「三月、落ち着いて」

 本当に途方もない想像に、三月は頭がおかしくなりそうだった。

 自分がなまじ異世界渡りなんていう不可思議を体験している以上、他の不可思議を否定する材料が何も見つからない。
 何が起こっても不可思議なんて無い。

 雛月に背中をさすられ、三月は落ち着きを取り戻し、すまん、とこぼした。

「三月のお父さんや町の人たちがどうなったのかはわからない。それは、実際に行って確かめるしかないよ」

 雛月にできることは促し、導くことだけだ。
 パンドラの地下迷宮の最果てに真実があるのなら、実際に赴くしかない。
 三月は俄然がぜんと奮い立った。

「それが本当だとしたら、俺は何が何でもパンドラの地下迷宮の奥底に行かなきゃならない。あのままになんてしてはおけない……!」

 天神回戦に勝利し、夜宵を止めることと同様である。
 勇者の使命もエルフの神託しんたくも関係ない。
 どうあっても、三月はパンドラの地下迷宮の深奥に至らなければならない。

 行って何ができるかどうかはわからない。
 しかし、神の暴虐ぼうぎゃくに巻き込まれたであろう故郷を放置することはできない。
 そこには行方も生死も不明な父が取り残されているかもしれないのだ。

 身も心もうずいた。
 知ってしまった以上、何もしないなんてもう無理だ。

「夕緋の見せてくれた記憶に親父は出てこなかった。地面の底に沈んで何も残さず消えてしまった市庁舎の跡だけだった。俺は、本当のことを確かめたいんだ」

 三月の言葉に雛月はもう一度深く頷いた。
 そして、もう一つ。

「──ねえ、三月。それを踏まえて少し考えてみて欲しいんだ」

 それは雛月でなくとも不自然を感じた事実への言及であった。
 奇跡と片付けるにはあまりにも、そう、不可思議であったから。

「あの時の夕緋のことを、さ」


■10年前の夕緋と

「夕緋だけでも無事で良かった。それだけは不幸中の幸いだった。無事だったのは喜ばしいことだったと思うし、あれだけの混乱の中でああして夕緋と再会できたのは、やっぱり何らかの奇跡だったと思う」

 雛月はあの時の夕緋について話に取り沙汰ざたした。
 三月も記憶を客観的に管理する地平の加護の疑問を黙って聞いていた。
 もしかせずとも、それが何故だったのかは自分もわからなかったからだ。

「どうして夕緋だけ無事だったんだろう? 夕緋はどこで何をしてたんだろう?」

 甚大な被害が神巫女町のみならず、天之市あめのし全体に及んだ。
 たくさんの人命が失われ、平和な地方都市は僅か一日で滅んだ。

 その渦中に居たであろう夕緋は無事だった。
 おそらくは無傷だった。

「ごめん、三月。これはぼくの、地平の加護の性分なんだ」

 夕緋を勘繰って三月の不興ふきょうを買わないか、雛月は殊勝しゅしょうに言葉を挟む。

「三月に色んな人の最期を記憶で見せてくれたあたり、町中をさまよい歩いていたのかな。噴石ふんせきが降り注ぎ、火砕流かさいりゅうが押し寄せ、毒ガスが噴き出している中をさ」

 それは決して普通のことではない。
 どうして夕緋は生きていられたのだろう。
 雛月が気にしているのはそこだ。

「もちろん夕緋が無事だったほうがいいに決まってる。それはわかってる」

 だけど、と言葉を切って三月を見つめる雛月の顔は真剣だった。
 有無を言わさぬ迫力で、地平の加護の化身は何かを訴えようとしている。

「あの物凄まじい状況でみんなの最期を確かめながらどうやって生き延びたのか。居るかどうかもわからない三月のところまでどうやって辿り着いたのか。その理由が知りたいんだ」

 やはり、雛月は夕緋を不審がっていた。
 三月に疑いと警戒を促している。
 他でもない旧知の仲の、今では婚約までしている夕緋に対して。

「……」

 三月は押し黙り、目をつむるとふぅっと短いため息をついた。

 今更、夕緋に難癖を付けようとする雛月に苛立ちを覚えることはない。
 せっかく助かったんだからいいじゃないか、で済ませるのはやめた。

 雛月がこうまで執拗しつように言い及ぶのだから、何かの意味があるのだろう。
 三月は目を開けて言った。

「──そういえば、聞いたことがないな。あの時のことはお互いにタブーだった。すぐ離ればなれになってしまったし、家族だった訳でもないから当時のことは話してない……。とにかく、それどころじゃなかったからな……」

 今だからこそ振り返られるが、当時はそんなことを論ずる余裕などなかった。
 夕緋とせっかく再会できたのに、そんな辛い記憶を確認するのも野暮やぼだった。

 何はともあれ、夕緋だけでも助かって良かった。
 それくらいにしか思ってはいなかった。
 しかし。

「……あのときだって、一緒に居たはずだよな。フィニスと八咫やたは……」

 三月は眉をひそめて呟くみたいに言った。
 幼い頃から女神様の声が聞こえていたという夕緋の言葉を信じるなら、あの災害の時だってもちろんフィニス、或いは八咫も近くに居たはずだ。
 女神様をかたる者がフィニスか八咫だった場合の話ではあるが。

 もしそうなら、せめて夕緋の身だけは守ってくれていたのだろうか。
 いつかのビル群のガラス片が降ってきた時、フィニスが夕緋を助けたように。
 但し、そんな三月の考えをお見通しな雛月は、何故か首を横に振った。

「確かな理由が無い以上、これはぼくの勘でしかないんだけど」

 三月を見つめていた視線を外し、虚ろに空間を眺めつつ雛月は言った。

「夕緋が助かったのには、何か別の理由があるような気がする。何故だろう、あのとき、フィニスと八咫は夕緋と一緒に居なかったのかもしれない」

 ぼんやりとした雰囲気で、いぶかしげに考えにふけっている。
 その様子は不確かな予感に自ら疑問を感じている風だった。

 不思議なことを言い出す雛月に三月は目を瞬かせた。
 雛月のつぶらな瞳がまた三月を見つめる。

「ぼくは三月の記憶を正確に再現することができるよね。だからほら、見てご覧よ。三月の言ってた通りさ」

 すると、その雛月の背後のテレビに電源が入り、画面に映像が浮かび上がった。
 映ったのは記憶を追体験した続き、10年前の三月と夕緋が悲しみに抱き合う姿だった。
 三月は画面に何かを見つけて驚きの声をあげる。

「あっ、龍だ! あの時見た黒い龍、あれはやっぱり幻じゃなかったってのか」

 クローズアップされる画面の中の二人の背景、火山雷が発生する漆黒の噴煙に。
 長大な身体を捻らせ、暗雲を泳ぐ巨大な黒龍が確かに映っていた。

 三月の記憶は確かだった。
 これはいったい何なのだろうか。
 フィニスでも、八咫でもない。

「あくまで三月の記憶の再現だ。他の人にも同じものが見えていたかどうかを保証するものじゃないからあしからずだよ」

 釘を刺す雛月だったが、三月にはどう見てもそれが龍にしか見えなかった。
 誰が見ても伝説の生き物、神様の化身、大いなる龍だと答えるに違いない。

「だから尚更なんだよ」

 雛月は画面を見て腕組み、ふぅっと息を吐く。
 こんな不可思議な三月の記憶を再現できたのに、きっと居たはずの肝心の二人がいなかったような気がする。
 それが不審でならないのだ。

「これほどの出来事は大きな節目のはずさ。なのに記憶のどこを探ってもフィニスと八咫の影すら見つけられない。僅かだけど共有できた夕緋の記憶の中も同様さ。──だから、不自然だなって、そう思ったんだ」

 単純に見つけられないだけか、何故かこのときは姿を隠していたのか。
 神巫女町大災害かみみこちょうだいさいがいという神威しんいの完結の場に、フィニスと八咫が立ち会っていない。
 雛月は、その理由に重要な意味があるかどうかを問い掛けている。

「あの災害は夜宵がやった破壊の神威だったんだろ? フィニスも八咫も無関係だったからじゃないのか」

「うーん、そう言われれば何も言い返せないんだけど──」

 三月の最もらしい答えに、雛月はよくわからないという顔をした。
 だけど、と言葉を区切り、返してきたのもまた最もらしい答えだった。

「その二人がこの一件に全く絡んでいないって見るのも不自然かなって思ってね」

「まぁ、な……」

 三月も腑に落ちない感で、曖昧あいまいに返事をするしかなかった。
 フィニスはともかく、八咫は日和と夜宵、この町のご先祖に恨みを持っていた。
 夕緋に取り憑いていたのなら、何らかの反応や行動があってもおかしくはない。

 しかし、三月と夕緋の記憶では確認できなかった、と雛月は言う。

「まだまだそのあたりは憶測の域を出ないね。追加調査が必要だよ。追々《おいおい》明らかにしていこう」

「わかった。雛月がそう言うんならな」

 三月は素直に頷き、雛月はそれを見て満足そうに笑顔をつくった。
 そうして、三月の過去の記憶はいつも通り、テレビ画面に映し出されてさらなる続きを見る運びとなっていた。
 回想劇にはもう少しだけ続きがあった。

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