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第6章 現実の世界 ~カミナギ ふたつ~

第201話 最期への慟哭

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「はぁ、はぁ……。はぁっ、はぁ……」

 呆然として、乱れた呼吸を整えることもできず、三月はじっと町を見ていた。
 現在進行形で滅亡していく故郷の有様を目に焼き付けていた。

 どれくらいそうしていただろうか。
 幽霊みたいにぼうっとたたずむ三月の元へと、何者かの気配が近付いてきていた。
 山の土をざっ、ざっと擦って足を引きずるように歩いている。
 赤い鼻緒の下駄を履いた人影が、ゆっくりゆっくりと三月の後ろに迫った。

「ゆ、夕緋、ちゃん……?」

 人の気配に気付いた三月が振り返り、そう声を絞り出した。
 そこに立っていたのは、泥だらけな巫女装束の幼馴染みの姿であった。
 朝陽の双子の妹、夕緋である。

「三月っ……。あぁ、三月ぃ……!」

 その時の夕緋の表情は何と形容していいかわからない複雑なものだった。
 涙とススにまみれた顔には、悲しみとも怒りともつかない感情が同居していた。
 ぐちゃぐちゃの気持ちの夕緋が何を思っていたのかは今でもわからない。

「夕緋ちゃんっ、無事かっ!?」

 すぐさま駆け寄った三月は夕緋の無事を確認する。
 純白の巫女服、白衣びゃくえは黒ずんで汚れ、あちこち破けてしまっているものの、幸いどこにも怪我はしていないようであった。

「あ、朝陽は……? 朝陽はどうなったんだ……?」

 三月は夕緋の両肩に手を掛けて問い掛けた。
 最愛の恋人の安否を、冷や汗でびっしょりの血の気の無い顔で問い掛けた。

「……」

 夕緋は両目を閉じ込み、弱々しく首を横に振った。

 無情にも、残酷な事実を三月は突きつけられてしまう。
 故郷の滅びに巻き込まれ、朝陽の運命は、もう──。

 この世が終わったかのような感覚が全身を貫いた。
 かろうじて立っていたのに、力が抜けて三月は膝から崩れ落ちる。

「そ、そんな……。朝陽……」

「三月、三月ぃ……。私、わたし……」

 か細い声で泣く夕緋も、一緒になって地に両膝を付けた。
 自然と二人は抱き合う格好になる。
 三月と夕緋の頭同士が、こつんと触れ合った。

 すると、不思議なことが起こる。
 失意と焦燥しょうそうに駆られる脳裏に、ぼんやりと映像が浮かび上がってきた。

 記憶が伝わる、という表現が最も相応しい。
 それは、夕緋が命からがらに見聞きしてきた、この大災害の惨状であった。

『おば様っ……! 祥子しょうこおば様っ……!』

 血相を変えた夕緋が叫んでいるのは三月の生家、佐倉の家の前だった。
 昔ながらの地元の名士である、祖父剣藤けんどうの建てた立派な家屋は見るも無惨に倒壊してしまっていた。
 地震の揺れで家屋自身の重量を支えられなくなった1階部分が、2階に潰されて崩壊した。

 三月の母、祥子は災害発生時に1階の台所に居た。
 崩れ落ちてきた天井に押し潰され、祥子は圧死してしまった。
 夕緋が到着した時にはすでに手遅れだったのだ。

 地震の揺れによる直接死はほとんどが建物の倒壊が原因である。
 頭部損傷、内臓損傷、頸部けいぶ損傷が挙げられるが、圧死による即死は少なく、身体を圧迫されたり、何らかの理由で呼吸ができなくなっての窒息死の割合が高い。
 祥子も少しは生存していて、呼吸ができなくなり死に至ったのであろう。

『あぁ、学校や市役所が地面の底に……! 清楽せいらくおじ様っ……!』

 場面が変わり、次に夕緋が立っていたのは、まるで切り立った崖のふちである。
 いや、火山の噴火が起こるまではその崖の先に町の中心部があったのだ。

 夕緋が最近まで通っていた高校の校舎、三月の父の清楽が居たとされる市庁舎の建物があった場所が広範囲に渡って陥没かんぼつし、跡形も無くなっていた。
 三月が山の上から見た、町の中心部の巨大なクレーターがまさにそれである。

 噴火災害が起こると地下水によるラジエーター効果が失われ、地下水とマグマが混ざり、水蒸気爆発が発生する。
 これにより地下水層ちかすいそう枯渇こかつして、地盤沈下じばんちんか及び、大規模な陥没が町中の広範囲で群発ぐんぱつしたのだ。
 地下に突如としてマグマ溜まりが出現し、急上昇してきた恐るべき結果である。

 父、清楽は市庁舎と共に地面の底に引きずり込まれて行方不明。
 落下するように沈んでいった多くの建物は、大量の土砂に埋まってどうなったのかわからない。
 大勢の人を巻き込んで消えてしまった。

『お父さんっ! お母さんっ……! そんな、そんなぁっ……!』

 女神社おみながみしゃ殿舎でんしゃ内でへたり込む夕緋の前には、意識無く倒れ伏す両親の姿。
 比較的、原型を保った神社の建物内で父、宗佑と母、怜は息を引き取っていた。
 二人とも神職の装束を着ていて、毎日のお勤めの最中だったのだろう。

 神水流宗佑かみづるそうすけれいの死因は火山性ガス、硫化水素中毒りゅうかすいそちゅうどくであった。
 噴火で発生したガスが山の斜面を雪崩なだれのように押し寄せてきて、御神那山おみなさんの中腹にある女神社を直撃したのである。

 硫化水素中毒になると、頭痛、吐き気、意識混濁こんだくを引き起こし、濃度が高ければ数回の呼吸で昏倒こんとうに至る。
 細胞が酸素を使うのを妨げ、中枢神経の働きに悪影響を与えるからである。
 至急、新鮮な空気のあるところで治療を受ける必要があるが、町全体を毒ガスが包み込んでいて状況は絶望的だった。

『ね、姉さんっ……!? 姉さんっ……! うわぁぁぁぁぁぁっ……!』

 神社の境内で半狂乱に泣き叫ぶ夕緋。
 目の前には、自分と同じ巫女装束の白衣びゃくえ緋袴ひばかまを着衣した、少女と思わしき人物が仰向けに倒れていた。

 それは愛しい朝陽の姿であるらしく、一目に遺体であることがわかった。
 血まみれで倒れる身体の、首より上が無い。

 周りの石畳の参道に無数のひび割れが起こり、損壊してしまっている。
 見ている前でもどんどんと石の板が壊されていく。
 空から無数に降り注ぐ噴石ふんせきが、それらに破壊をもたらした原因であった。

 時速300キロメートルを超える噴石落下は、乱射され飛び交う銃弾に等しい。
 1センチ程度の小石でも、頭部に当たればそれだけで致命傷となるほどの威力を秘めている。
 それらが噴火火口から3~5キロメートル程度の範囲に降った。
 朝陽の死因は噴石直撃による、肉体の損傷死であった。

 人間の身体は噴石被害に遭えば五体満足ではいられない。
 無残にも、朝陽は顔が無いどころか時間を掛けて肉体を幾つにも千切られ、変わり果てたばらばらの状態にされてしまったのである。

 だから、昨日に駅の改札で見送ったのが最後に見た朝陽の顔になったのだ。

『あ……。あぁ……』

 夕緋はさまよう幽鬼ゆうきの如く、滅びゆく町の中を徘徊はいかいしていた。
 その後も友人や知人の最期を見て回っていた。

 助けられた者は誰もいない。
 どうしてそんなことをしていたのか、大災害に見舞われる只中ただなかをあてもなく迷い歩いていた。


 某年、御神那山噴火おみなさんふんか
 死者五千人以上、行方不明者一万人以上もの犠牲者を出した未曾有みぞうの大災害。
 遺体が見つかったのはまだ幸運で、10年経った今でも生死不明の人が多い。
 噴火した御神那山が所在し、その場所に特に被害が集中していた事実から、後にこう呼ばれるようになった。


 神巫女町大災害かみみこちょうだいさいがい──、と。


「三月ぃ……! お父さんが、お母さんが、姉さんがぁ……! どうしよう……! 私は神水流の巫女だったのにぃ……! うあぁぁぁぁあぁぁぁ……!」

「朝陽ぃ……! ちくしょう、親父もお袋も、みんなみんな……。どうしてこんなことに……! ちくしょう、ちくしょう……! うぐぅぅぅううう……!!」

 難を逃れ、生き残った夕緋と抱き合って慟哭どうこくする三月がそこに居た。
 破滅の一途を辿る故郷を、山の上から見渡しながら。
 家族も住む場所も全部失い、深い絶望の淵に突き落とされる。

「……」

 10年前の惨禍の一部始終を目の当たりにするのは、現在時間の三月と雛月。
 淡々と悲惨なる過去を、打ちひしがれる二人を、ただただそばで見ていた。

 これが三月が心の奥底に閉じ込め、もう二度と思い出したくなかった記憶だ。
 ずっと目を背けていたかった悪夢そのものである。

「……」

 三月は過去の自分をじっと見つめながらも、何も言わない。
 ただ、沈痛な面持ちで立ち尽くし、忌まわしい昔の出来事と向かい合っていた。

 胸に去来するのは辛さ悲しさか、茫然自失ぼうぜんじしつとする虚無感か。
 灰色の火山灰が降りしきる空を見て、無念のため息を今一度漏らすのであった。

 と、そんな三月の隣に居た雛月が急にその場にしゃがみ込んだ。
 座ったというより、立っていられなくなったと言うべきだろうか。

「雛月……?」

 怪訝けげんに思った三月が振り向くと、雛月は両肩をだらんと落とした脱力の様子で、ぺたりとお尻を着いた格好で座っている。
 その表情は失われていて、見開いた瞳をふるふると潤ませている。
 足に力が入らないのか立ち上がるのは無理そうだ。

「あ、あれ……?」

 雛月は震える両手の平に視線を落とす。
 するとそこに、大粒の水滴が雨みたいにぽたぽたと降ってきていた。
 それは雛月の両の目からとめどなく流れ出す涙であった。

「おかしいな……。ぼくは、どうして涙なんて流して……。う、うぅ……」

 いつもの調子で喋ろうとする雛月は声は詰まらせた。
 自分に何が起きているのか理解が追いつかないまま、嗚咽おえつが抑えられなくなる。
 顔をくしゃくしゃにして、心の奥底から込み上げる叫びを思い切りにあげた。

「あぁっ、ああぁっ……! 母さんっ、父さんっ、朝陽ぃっ……!」

 雛月には耐えられなかったのだ。
 当時の三月が味わったどうしようもないほどの悲しみに。
 封印していた過去の感情のせきが切れ、溢れ出した負の気持ちをまともに受けた。

「ぁあああああああああああっ……! うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」

 天を仰いで泣き叫ぶ。
 恥も外聞がいぶんもなく。

 両親を亡くし、一人きりになってしまった幼い子供そのものに雛月は泣いた。
 普段の雛月からは想像もできない悲しみに暮れる姿であった。

「な、泣くなよ雛月っ……。朝陽の顔と声でそんなに悲しまないでくれ……」

 予想外の雛月の号泣を見せられ、三月の目にも涙が浮かんでしまう。

「そんな顔見せられたら俺だってな……」

 これは10年前に済んだ出来事だ。
 もう気持ちの整理はしたはずだった。
 ふと思い出して、悲しさを感じることはあっても涙することはなかった。

 涙は枯れてしまった。
 最早流れない。
 それなのに。

「もう泣かないって決めたのに、また、涙が止まらなくなるだろ……」

 三月の涙腺からも涙がすぅっと一筋落ちる。
 崩れ落ちて座り込み、目を閉じてわんわん泣き続ける雛月を見下ろしながら。
 再びと、三月も静かに泣いた。

「うぅ……。ごめん、ごめんね……。でも涙が止まらないんだ……」

 顔を紅潮させ、薄く目を開けて三月を見上げる雛月の涙は未だ止まらない。

 ザッ、ザザザ……!

 記憶を司り、それを再現して見せるのは地平の加護の権能。
 制御手たる雛月の精神状態が不安定となり、記憶の映像はノイズが走ったように乱れ、途切れて消えていく。
 激しく動揺する雛月につられて、三月の10年前の回想劇は幕を閉じた。

 砂塵さじんを思わせる空間の揺らぎが収まると、そこはいつもの逢瀬おうせの場所だった。
 三月の住まうアパートの一室を擬似的に再現した、安息の心象空間である。
 部屋を見回してみて、ようやくと過去のストレスから解放され、短いため息と共にほっと人心地ひとここちつくことができた。

「うっ、うぅ……。うっ、うっ……」

 炬燵テーブルに突っ伏して背中を震わせ、雛月はしばらく塞ぎ泣いていた。
 三月は自分の涙を拭い、涙するその背をさすり続ける。

「雛月、大丈夫か……? 少しは落ち着いてきたか……?」

「うぅ、三月……」

 やがて、顔を起こした雛月の目は泣き腫らして赤い。
 涙を流している悲しみの顔は、朝陽の泣き顔そのものだった。

 先ほどの凄絶せいぜつな朝陽の最期を思い出してしまう。
 胸がずきんと痛むのを感じた。

「──この過去の出来事について、ぼくは全部を知っていた。わかっているつもりでいたんだ。だけれど……」

 ぽつりぽつりと、雛月は言葉を紡いでいく。
 意思を持ったが故に、本来は無機的だったはずの地平の加護は懺悔ざんげを始める。

「三月はこんなにも辛く悲しい気持ちだったんだね。自分で味わってみてようやく思い知ったよ……。過去に向き合えとか、いい加減未来を見ろとか軽々しく言って申し訳なかった……」

「雛月……」

 謝罪の言葉を口にしながらも、涙をぽろぽろと零す雛月がいたたまれない。
 過去の記憶にふたをして、いつまでも失意の底に居る三月を非難した。
 しかし、雛月は真の意味で三月を理解できていなかったと思い知る。

「もう済んだ出来事だと処理をして、三月のことなら何でもわかっている気でいたのに……。その実、ぼくは何もわかっていなかったんだね。無神経に三月の傷をえぐってしまった。どうか、浅はかなぼくを許して欲しい。本当にごめん……」

 常日頃の超然ちょうぜんとした雰囲気はなく、雛月はしおらしく頭を下げた。

 人間は感情の生き物である。
 言葉では理解できていても、それでも感情が認められないときがある。
 人間ではないから、疑似人格の雛月はそれを失念していた。

「雛月、もういいよ。俺は怒ってなんかいない」

 苦笑いを浮かべて、三月は努めて落ち着いた声で言った。
 後ろ向きな自分について、厳しく言及されたことなど今更気にしていない。

「いい加減、涙を拭けって。こんな酷い過去をどうにかするために俺たちは異世界渡りなんてやってるんだろう? だったらもう泣いてる暇なんて無い。この最悪な出来事を無かったことにしてやろうぜ」

「……そうだね。あぁ、こんなことは絶対にあってはならないことだよ」

 三月がそう言うと、やっと雛月の口許に薄く笑みが浮かぶ。
 ブレザーの袖でぐいっと一気に涙を拭うと、もういつもの顔に戻っていた。
 無造作にティッシュペーパーの箱に手を伸ばし、何枚かをまとめると鼻水を派手な音を立ててかんでいる。

「やれやれ……」

 そんな雛月を見て、三月はもう一度ため息をついて苦笑するのだった。

 自分の人格を基にして何故か今は亡き朝陽の姿で現れた、地平の加護の疑似人格を名乗る存在、雛月。
 分身と言われて納得しかねていたが、今なら間違いなくそう思えそうだ。
 過去のトラウマに共感を覚えてもらえるだけでも、三月の心は楽になった。

──雛月には何のかんのと助けられてる。時間を経て気持ちを整理したとはいえ、全てを忘れて生きていける訳もない。未だに朝陽のことを引きずってるのがいい証拠だ。……俺の時間は、やっぱり10年前から止まったままなのかもしれない。

「雛月に言われた通り、前に進もうぜ。しんどい思いをしてまで過去に向き合ったんだ。せっかくもらえたこのチャンス、絶対に無駄にはしたくない」

「うん、わかった。感傷に浸るのはここまでにしようか。三月の気持ちをフォローするのがぼくの役目なのに、あべこべに慰められてちゃ格好つかないね」

 三月は雛月の背中をぽんと叩いた。
 雛月も笑顔で応える。

「──解放された10年前の惨禍の記憶。新たな情報はとうとう開示された。さぁ、始めようか。三月の物語を紡ぐため、しっかりと精査を進めていくよ」

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