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第5章 神々の異世界 ~天神回戦 其の弐~

天神回戦外伝 みづきと日和のお菓子夜会2

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「それじゃ、差し当たって必要なものは、と──」

 みづきは供物の納戸をぐるりと見渡した。
 それらは探すまでもなく、視界のど真ん中に山積みになっていた。
 うんうん、と頷いてみづきは言った。

「神様へのお供え物といえば、何はなくともこれだよな。……大量のお米だ!」

 そこに置いてあったのは茶色い紙製の米袋の山だった。
 精米済みの白米も桐製の米びつに大量に収められていた。
 米は天からの贈り物との考えから、豊穣を感謝して採れた米などを神に捧げるのである。

「これで材料は揃った! 米も塩も砂糖も、お供え物で山ほどあるしな! ついでに卵までどっさりだ!」

 台所に戻ってきたみづきは、ざるに山盛りな白米をはじめとした材料を調理台に並べて満足そうに頷いた。
 米の他に、卵、砂糖、塩とそれぞれの容器に入れて持ってきている。

「さぁ頼むぞ、雛月。俺がつくりたいものにこれは絶対に欠かせない」

『三次元印刷機能実行・素材を選択・《お供え物の米》』
『素材から生成開始・《米粉こめこ》』

 みづきが願えば、地平の加護はその要望に応え、太陽の加護が成功を補正する。
 権能が発動し、調理台の上にあった白米は別の物へと変わっていた。
 それらは米粉で、微細な製粉技術で小麦粉と同様に扱える材料である。

「せっかくこれだけお米があるんだから使わない手は無い。食欲増進作用や脂肪が身体に溜まるのを抑制する効果もあるから健康とダイエットにも向いてるんだ」

 原料は食卓に並ぶうるち米で非常に細かく加工されており、ダマができにくい。
 米粉は身体への吸収度合いが低くて血糖値が上がりにくく、グルテンを含まないので小麦アレルギーを気にせず食べられる。

 ともかく、これで菓子作りの基本材料、米粉を獲得することができた。
 米粉でみづきが作ろうとしているのは一般的なあの焼き菓子だ。

「日和は甘い物好きだからな。お菓子はお菓子でも、洋菓子のクッキーを作るぞ。──だけど、バターは乳製品で神様に出すのは好ましくない」

 先ほど日和が嫌いな食べ物があると言っていた通りで、神様は基本的に四本足の哺乳類ほにゅうるいが絡むお供え物を忌避するそうである。
 鳥は二本足なので問題は無く、鳥由来の卵は使っても良いとされる。
 バター、牛乳といった乳製品も牛が由来となっているため、それら材料を含んだ食べ物もすべて避けるべき対象である。

 さっきは日和の心配を聞いているかどうか怪しいみづきだったものの、その辺りの神様事情はちゃんと理解しているつもりだった。
 そして、クッキーをつくるのにバターが無いのは致命的であるが、みづきは代用品にてこの問題を解決する。

「それならっ、バターの代用品は米油こめゆだ! ここにはおあつらえ向きに米がいくらでもあることだしな!」

 みづきが視線を落とせば、いつの間にか傍らにある別の大きな米袋。
 中にはたっぷりと玄米が詰められている。

『三次元印刷機能実行・素材を選択・《玄米の米ぬか、胚芽はいが》』
『素材から抽出・《米原油こめげんゆ》・精製開始・《米油》』

 地平の加護を続けて発動させる。
 すれば、陶器の瓶入りの、透明な黄色の米油が出来上がっていた。

 米油はくせが無く、さらっとしていてお菓子作りに向いている。
 もちろんクッキーにもバターの代用品として充分である。

「地平の加護の力を使っても料理はできそうなもんだけど、ここからは自分の手でつくっていくぞ。料理は気持ちだからなっ」

 調理台に並んだ材料を見下ろし、みづきはにやりと笑って腕まくりをした。
 材料の準備は地平の加護に頼り、実際の調理は自らこなす。
 料理は気持ち、を基本理念にするみづきなりのこだわりであった。

「ヘルシーでさくさく美味しい、米粉クッキー! 仕上げをごろうじろだ!」

 意気揚々と、みづきはお菓子作り取り掛かった。
 シキの身体能力のお陰で、機械顔負けの繊細で素早い動きを実現していく。

 木製の味のあるはちに卵を割って投入し、黄身と白身を菜箸さいばしでかき混ぜた。
 そこに砂糖、米油をたっぷりと入れ、間で逐一米粉を混ぜて生地をつくる。
 最初はばさばさだが、手で力強くこねていく内に生地はまとまってきた。

 それを1時間くらい寝かせた後、麺棒で平たく伸ばし、適当な陶器を地平の加護で改造した型抜きで手頃なサイズの丸形にしていく。
 後はこれらを陶製バットに並べて乗せ、かまで焼けば完成である。

「……学生時代を思い出すなぁ。毎年ホワイトデーにはこれつくってたっけ」

 屋外に地面から生やしたドーム状の石窯の傍らに座り込み、みづきは子供の頃に思いを馳せる。
 それはみづき恒例の行事で、毎年3月にはこの米粉クッキーを焼いていた。

 今は戻らぬ甘酸っぱい青春の日々だが、決して忘れることはない。
 地平の加護のお陰もあり、鮮明な記憶でそれは甦る。


◇◆◇


 あれは高校1年生の3月14日のこと。
 いわゆるホワイトデーに三月は校舎の屋上扉前に夕緋を呼び出していた。
 三月は黒い学ランを、夕緋は紺色ブレザーとプリーツスカートを着た学生服姿。

 お昼休みということあり、階下の廊下からは他の生徒たちの喧騒が聞こえるものの、二人が向き合っている場所に人気ひとけは無い。

「なぁに、三月? 私をこんな場所に呼び出して……」

「時間取らせてごめん。夕緋ちゃんに渡す物があってさ」

 澄まし顔の夕緋だが、急に静かなところに連れてこられたうえ、三月と二人きりなので若干緊張気味だったのは内緒である。
 夏頃にばっさり切った髪はまた順調に伸びてきていて背中にかかるくらい長い。
 一時は体調を崩して入院までしていたが、今は元通り元気になっている。

「夕緋ちゃん、どうぞ受け取って」

「えっ、三月、嘘っ!? どうしてっ……?!」

 三月が無造作に差し出した物に夕緋は驚いて大声をあげた。
 両手に乗せて手渡したのは、透明なプラスチックフィルムの袋にたっぷり収められているクッキーであった。
 シンプルな丸形で薄目の焼き色がついていて、ふんわり香ばしい香りが漂う。

「これって、バレンタインのお返しっ? わ、私は三月にチョコあげてないよっ? お返しをするなら姉さんにでしょう?」

 ただ、夕緋にはそれを三月にもらう理由がないようだ。
 もうこの頃には三月と朝陽は恋仲に進展していて、バレンタインデーに朝陽はもちろんチョコを三月に渡したが、夕緋は特に何も贈っていなかった。
 今日が何の日か忘れていた訳ではなかったが、自分には関係無いと高をくくっていたので不意を突かれて驚いてしまった。

「大丈夫、朝陽にも渡してあるからさ。これは夕緋ちゃんの分だよ」

「だから私は……」

 なかなか受け取ろうとしない夕緋に、さらにずいっとクッキーを突き出す。
 珍しく狼狽する様子を見て、三月は八の字眉で苦笑して言った。

「いやだって、あのチョコつくってくれたの夕緋ちゃんだろ? 朝陽には悪いんだけど、やっぱりつくるのが上手過ぎたっていうか……」

 思い出す2月14日、バレンタインデーに上機嫌な朝陽から受け取ったチョコは何というか、お店に並んでいてもおかしくないくらいに甘く美味しかった。
 失礼ながら、率直にこんな凄いチョコは朝陽にはつくれないと思ってしまった。

「お弁当も夕緋ちゃんがつくってくれてる訳だし……。だからきっとチョコも夕緋ちゃんがつくったんだろうなって思ったんだ」

 今日もありがたく頂いたお昼のお弁当も夕緋がつくっている。
 それを知っている三月はすぐに誰がチョコを用意したのか見当が付いた。

「朝陽の手前、夕緋ちゃんに表立ってお礼を言いにくくてさ。だから一ヶ月遅れでごめんだけど、日頃お世話になってるお礼も兼ねて」

 とはいえ、チョコをもらったその場で誰がつくったのかなど朝陽に聞くのは野暮だと思い、こうしてホワイトデーが来るまで黙っていた次第なのであった。

「夕緋ちゃん、いつもありがとう」

「あ、あぅ……」

 改めてお礼を言う三月の顔を見る夕緋の顔が見る見る赤くなっていく。
 普段の落ち着いた夕緋なら絶対に見せない慌てた様子である。

 それには理由があった。
 朝陽のリクエストでつくったチョコは、特大サイズのハート型だったからだ。
 いわゆる、ドが付くほどの本命チョコに他ならない。

「かっ、勘違いしないでよねっ! 姉さんったらお鍋をひっくり返しそうで大変だったの! 危なっかしくて見てられなくて、代わりに私がつくってあげただけなんだからっ!」

 途端、夕緋は大声を張り上げて猛烈に否定をし始めた。
 朝陽から三月への気持ちチョコを代わりにつくっただけで、それを自分からの気持ちだと思い違いされては堪らない。

 実際に朝陽の料理を見ていられなかったのも充分にあるが、途中から自分も乗り乗りで楽しく作っていただなんて絶対に言えなかった。

「あくまで三月への本命チョコは姉さんから贈られたものよっ! 私からっ、じゃないんだからそこのところ絶対に間違っちゃ駄目よっ!」

「わ、わかってるよ……。おっかないな、夕緋ちゃんは……」

 がーっ、と凄い勢いでがなり立てる夕緋に三月はたじたじである。
 肩をすくめて差し出したクッキーを思わず引っ込めそうになっていると。
 赤い顔はそのままに、夕緋はそっぽを向きながらも片手の平を出してきた。

「……ば、ばれてしまったんならしょうがないわ……。せっかくだから受け取っておいてあげる……。ありがたく頂戴しておくわ……」

「──はい、どうぞっ」

 照れる夕緋を見て三月はここぞばかりににかっと笑い、その手にクッキーの袋を渡した。
 三月の手が離れるや否や、夕緋はすぐさま袋を胸に抱き締めるのであった。

「ちょっと食べてみてよ。感想を聞きたいんだ」

「えっ? ……あ、美味しい」

「良かったぁ! それ、俺の手作りなんだ」

「三月がこれつくったの!?」

 取り出したクッキー一つを口に放り込んだ夕緋の感想は上々だった。
 三月が自作だと明かすと、夕緋はそれはもう驚いていた。
 さらに上機嫌に語ったのは両親の教えと満足のいく成果である。

「チョコのお返しどうしようかって思ってたら、親父とお袋に言われてさ。巫女様が手作りして下さったのだから、俺も同じように心を尽くしなさいってさ」

「心を尽くす……。私のために……?」

「お菓子なんてつくったことなかったけど、いい機会だから勉強したんだ。小麦粉とバターじゃなくて、米粉と米油を使ってるのが秘訣でさ。健康と美容に良いそうだからホワイトデーのお返しにぴったりだと思ったんだ。いやあ、夕緋ちゃんの口に合ったみたいで良かったよ」

「う、うん……。とっても、美味しかった……。色々考えてくれたみたいで、その、ありがとう……」

 話が終わっても夕緋の顔はまだ赤かった。
 口の中に残る甘さが頭をふわふわさせて落ち着かない。
 思い掛けず受けた三月の気持ちと気遣いが心にすっと染み入った。

 そのとき、昼休みの終わりを告げる予鈴の音が鳴った。
 三月はぽやんとする夕緋に背を向けて、自分の教室へ戻っていく。

「それじゃ俺戻るね。夕緋ちゃん、ありがとうっ」

「あっ、三月……」

 三月が覚えているのはそこまでで、後は一人残された夕緋の独り言だ。
 予鈴が鳴り終えても突っ立ったまま動かず、もういなくなった三月の背を見つめ続けている。

「私がつくったの、やっぱりばれてた……。もう、三月ったら抜け目がないわね」

 赤らめた頬の熱は冷めやらず、夕緋は目を細めて微笑んだ。

 チョコをつくっていたあのとき──。
 心のどこかで三月なら気付くかもしれない、気付いて欲しいと思っていた自分が居たことを思い出し、ウキウキと気持ちが躍る。

「来年も、姉さんがつくるの、手伝ってあげよっと……。うふふっ」

 そうして逸る思いで、すでに来年の今頃を思い描いて浮かぶ笑みを隠せない。
 姉の朝陽を通して、自分の想いを三月に伝えられているように感じた気がした。
 決して表には出さない夕緋の秘めたる気持ち。

 後日談、夕緋はもらったお菓子の袋を綺麗に洗ってファイリングして保管するのだが、それもまた三月の知らない話であった。

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