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第5章 神々の異世界 ~天神回戦 其の弐~

第198話 日和と神水流の巫女

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「面目次第もございません。多々良様の御命に応えること適いませんでした……。いかような処罰も覚悟致しております」

 同夜、煙が立ち上り、赤々とした光の見える豪奢ごうしゃな社にて。
 鍛冶の火の明かりが、大きく立派な窯からこうこうと漏れている。
 揺らめく光に照らされ、たくましい背中がおそれに震えていた。

「冥子、いいんだ。顔をお上げ」

 背を向けて窯の火を眺めていた多々良は優しく言うと立ち上がった。

 狩衣かりぎぬ姿ではなく、鍛冶を行うときの白装束に着替えている。
 この男神は時間を見つけると、自慢の鍛冶場で決して絶えることのない炎を何をするでもなく見つめている。

 ここは天眼多々良の住まう、鍛冶と製鉄の神社。
 多々良の振り返る先には片膝をつき、深く頭を垂れる冥子の萎縮した姿がある。
 今は牛頭鬼ごずきの巨体ではなく、美しくも豪壮な女性のなりであった。
 試合の敗者となったことを悔やむ冥子に、多々良はねぎらいの声を掛ける。

かく、冥子が無事で良かった。どうやら、みづきは手加減をしてくれたようだ。同じく太極天の恩寵で倒された牢太が三日三晩と目覚めなかったのに、冥子はもうこうして起きて話をすることが出来ている」

 負けたことを咎めず、多々良は冥子の身を案じ、そしてみづきの手の内を語る。
 牢太との対戦時における手加減無しとは違って、冥子への太極天を伴った一撃は完全に制御がされていた。
 必要以上に冥子を傷つけてはいない。

「ぬぅぅ、最後まで私を舐めていたのね……。みづきめぇ……!」

 悔しげに両目を閉じ、顔をくしゃっと歪めて不平を漏らした。

 冥子にとってそれは屈辱でしかない。
 全力で相手をしてもらえていなかったのは戦士のシキとして悔しいばかりだ。
 ただしかしと、多々良は穏やかな表情のまま首を横に振る。

「恨み言を言うのはよそう。みづきなりに冥子に懐いたがゆえの手心なのだろう。天神回戦のいろはを説き、まみお殿を救う手引きや、私との面会の場を設ける世話をしてあげた。そんな冥子を相手にみづきは非情になり切れなかったのだろうね」

 多々良には色々とお見通しなのであろう。
 みづきにしても冥子にしても、何を思って、どう行動したのかを知った上で何も言わずに見守っていた。
 結果が重畳ちょうじょうであるのなら何も言うことはない。

「そのお陰でこうして冥子は元気に戻ってこられたんだ。だからもう、今回のことは許してあげなさい」

 そして、多々良自身も言ったことだ。
 みづきが自分の意思で試合相手に情けを掛けるのを言及しないと。
 自分の成したことによって及ぶ影響に納得ができるのなら、と言葉を添えて。

「それに、許してもらうのは私も同じだよ」

 試合の敗北を申し訳なく思う冥子と同様、多々良も眉根を下げて苦笑した。
 冥子に命じ、自身の思惑を果たした結果がこれなのだから顧みるところがある。

「小手調べを頼んだのは私だ。みづきの力を見たくて冥子に行ってもらったんだ。勝利できなかったことは残念だけれど、知りたかった成果は充分なものだった」

「知りたかったこととは……。みづきのことでございますか……?」

 恐る恐る顔を上げる冥子に、多々良は微笑んで頷いた。
 後ろに黙って控えている夜叉姫の慈乃にちらりと振り向き、語り始める。

「天神回戦が始まるよりも前、まだ慈乃も冥子も私の元に居なかった頃の話だよ。日和殿と夜宵殿が蜘蛛の悪神、八咫やたとの戦いを繰り広げていた折り、神同士の争いに巻き込まれた下界の人々に剣の加護を授けたことがある」

 創造と破壊の女神たちが邪悪な蜘蛛の神と戦っていたのは無論のこと、多々良も知っている。
 哀れにも被害を受ける人々に助けを求められ、神剣の加護を授けたのは遠い記憶にある多々良の神威であった。

「人々は私の加護を得て手に手に剣を取り、女神の姉妹と共に邪悪の神を討った。みづきはその時の剣士たちと同じ剣技を使うんだ。太極天の恩寵を自在にする術ではなく、白く美しい花弁かべんを散らす退魔の剣だよ」

 神の眼が垣間見るのは、みづきの活躍に過去を重ね合わせた未来の光景か。
 日和を救うのはまたしても蜘蛛切りの剣士、とは多々良の見出した希望である。

「やはりみづきは特別なシキなのだろう。日和殿とは言うまでもなく、この私とも縁のあるシキだ。そんなみづきが帯びているという使命には興味が尽きない」

 自らの加護に関する剣を使うみづきは無関係ではない。
 件の日和の元に、知らず生まれたシキがこの先何を成し遂げるのか。

 このえにしを大事にしたいと、よその神のシキなれど贔屓目ひいきめに見ている次第だ。
 それを確信できたのだから、此度こたびの冥子の働きにはとても満足であった。

「冥子は立派に役目を果たしたよ、ありがとう。今はゆっくり休んで身体を大事になさい。──今は雌伏しふくの時だ。みづきにもそう言われたのだろう?」

「は、はいっ、御意ぎょいに……! ありがたきお言葉です……!」

 多少よろめきながらも冥子は立ち上がり、もう一度頭を深く下げると多々良の元を去って行くのだった。
 開放された戸口に人の姿の牢太が控えていて、相棒に肩を貸し、冥子もそれに応じていた。
 二人の逞しい後ろ姿を見送り、多々良は慈乃を振り返る。

「さて、次に日和殿との試合が執り行われる運びとなったならば。──とうとう、出番の時が訪れるよ、慈乃」

 その視線を受ける、瞑目した表情の慈乃はふぅ、と息をつく。
 仕える主の意思には得心とくしんがいった。
 相変わらず、自己のために周りを振り回す癖のある困った主でもある。
 しかし。

「多々良様のご加護の一端に触れた、というのはわかりました。それにつけても、随分とあのみづきに肩入れをされているご様子ですね。──ですが、私はみづきと違い、手加減など一切致しませんよ」

 そう問うものの、慈乃は多々良がどう答えるのかがわかっている。
 予想通り、多々良はにべもなく答えるのである。

「構わないよ。存分に剣を振るってきておくれ」

「御意のままに」

 だから慈乃も特に感情を込めず、事務的な返事をするのであった。

「一つよろしいでしょうか」

 と、都合良く振り回してくれた主への意趣返しのつもりで問い返す。

「多々良様はこうなることを初めから予見されておいでだったのですか? 冥子が敗れ、御自身との縁を見定められて、こうして次の機会が来るのをお見通しだったから、この私との試合をみづきに約束させたのですか?」

 そうなら、初めから言ってくれればいいのに、と暗に慈乃は不満を口にした。
 そんな慈乃の気持ちに限っては気付かない風で、煙に巻くみたいな多々良の言葉には呆れてしまわなくもない。

「いいや、そこまでの委細いさいが見えた訳ではないよ。ただ、遙かな時を越えて、再び日和殿やみづきと何らかの運命を共にする結び付きを感じた。この運命はきっと、皆々の願いを成就させる道標みちしるべだ」

 しかして、聖なる男神は間違わない。
 何を考えているのかわからない時もあるが、常に公明で正道を行く。

「それゆえに、慈乃との試合は越えるべき試練ともなるだろう」

 日和にとどめを刺そうとしたり、みづきを試そうとしたり。
 そこによこしまな企みは一切無く、詰まるところ良き結果へ結びつくと信じている。

 神らしい神。
 天眼多々良は真に正しく神であった。

 それに付き従う慈乃にはいつものことではあるが、腹に据えかねた今回に限り、少しばかりは神の意志に刃向かってみてやろうかとも思っていた。

「くくっ……。それならば過酷極まる試練を私が課してやりましょう。乗り越える壁が高ければ高いほどに、得られる実りはさぞや格別となるでしょうから」

 挑戦的に、不敵に笑う。
 戦えば慈乃が確実に勝ち、希望を覗かせるみづきはあえなく潰える。
 なのに、多々良は揺らぎない感情で微笑んでいるのみであった。

「構いませんね、多々良様?」

「ああ、構わない。慈乃の本気を見せてもらおう」

 やけにあっさりと、主から許しをもらえた。
 手心無しの本気の力で、容赦無く問答無用で一刀両断して良いという許しを。

──次なる試合で、ようやくとこの怒りを鎮めることが出来る。みづき、今度こそ覚悟するがいい。その首級を上げ、日和様には無念の敗北を喫して頂きます。

 冷たく微笑む慈乃の凄まじい殺気に、流石の多々良も何を思うのだろう。
 このほぼ負け知らずの強大なシキを相手に、みづきはどのように立ち向かうのであろうか。
 試練と称した対決の末に、多々良はどんな未来を垣間見ているのか。
 天眼多々良の思いは、まだ見ぬさらなる先行きの彼方であった。

──みづき、慈乃は真に強いシキだ。但し、この慈乃の刃さえ凌ぐようであれば、或いはもしかして──。


◇◆◇


「この感じ……。きっと、そろそろだな……」

 明かりを消した土間の部屋。
 囲炉裏の隣に敷いた布団の中で、みづきは頭の後ろで両手を組んで天井のはりを見上げていた。

 説明はできないが、何となくな予感がして落ち着かない。
 どうやら、今晩を境にまた世界の壁を越えるらしい。
 次に目が覚めた時、おそらくみづきは別の世界で別の自分となっている。

「おーい、日和。まだ起きてるか?」

 みづきは母家おもやの奥、障子しょうじで仕切られている日和の部屋に声を掛けた。
 神々の異世界での活動が終わるなら、しばらくは日和ともお別れになる。
 その前に少しだけ話をしておきたいと思った。

「んー? どうしたのじゃ?」

 まだ眠りに着いてはいなかったようで、間を置かずに日和から返事があった。

「何か寝付けなくてさ、ちょっと話そうぜ。そっち行っていいか?」

「えっ、えっ? ちょ、ちょっと待つのじゃ」

 みづきの思いがけない申し出に日和の驚いた声があがった。
 障子の向こうから日和の慌てた様子が、衣擦れの音と一緒に伝わってくる。
 障子紙越しに油皿あぶらざらの淡い火の光がぽっと灯った。

 一瞬の間が空き、頃合いを見て障子を開く。
 すると、薄ぼんやりとした明かりに照らされ、布団から上体を起こす日和の姿が目に入った。

 暗くてわかりづらいが、お団子頭の髪は解いていて白い長襦袢ながじゅばんを着衣している。
 頬を赤らめて上目遣いにみづきを見上げ、横向きに両肘を抱いていた。

「おぬしまさか、幼子おさなごの姿の私に情欲をもよおしたのではあるまいな? この身体では満足に相手はできぬゆえ、無茶をするのは堪忍して欲しいのじゃ……」

 またしてもふしだらなことを言うのでみづきは一笑に伏す。

「馬鹿野郎。話をしようってだけだ。要らん心配すんな」

「ちぇっ、それはそれで残念じゃ」

 口を尖らす日和を尻目に障子を閉め、みづきは畳に腰を下ろして胡座あぐらを組んだ。
 そして、言われてみれば当然なくらいのいきなりな質問を始める。

「日和ってさ、良い神様なんだよな? 実は恐ろしい本性を隠してるなんてことはないよな?」

「なんじゃ、やぶからぼうに。この愛らしくも聖なる女神をつかまえて何を言うやら」

「ほら、昨日言ってたろ。神隠しやら生け贄のこととか。日和はそういうのを非道だって言って嫌ってたじゃないか」

「ん、ああ、言わずもがなじゃな」

 今更な当たり前を言うみづきに、日和は若干の不服顔をする。
 八咫のことが聞けて、神話のくだりが現実世界のお伽噺と一致した。
 より身近に故郷の女神信仰を感じられるようになり、みづきは夕緋の話を思い出していた。

『どうかみんなが安心して、幾久いくひさしく健やかに過ごしていけますように……』

 現代の作法に則り、大地の平和を祈り続けていた無垢なる少女。
 夕緋の願い。

 信仰の歴史の悪習を匂わせる行為が、巫女の祈りの勤めの中に残っていた。
 女神社の裏山の中腹をくり抜いて造られた、関係者以外立ち入り禁止の殿舎。

 その名も祭壇の社。
 二つ並んだ石の寝台に二人の巫女が寝そべり、静かに祈りを捧げる。

 もう間違いなく確信できる。
 それは生け贄のならいの名残なごりなのだ。

「──みづき、何故に神水流の巫女が二人なのか知っておるか?」

 みづきの問いが唐突なら、日和も不意を突いたような問いを返してくる。
 神隠しに生け贄。
 何となしにみづきがどんな話をしたいか察した風だった。

「そりゃもちろん、女神の姉妹なんだから仕える巫女も二人なんじゃないのか」

 日和と夜宵、朝陽と夕緋。
 一対の陰陽の如く、その関係は成り立っている。
 但し、その真実はすべての人々にとっての共通認識ではなかった。

「うむ、その通りじゃ。……しかし、当時の人間たちはそうは考えなかった」

 当の女神、日和は沈痛な面持ちで語った。

「片方の巫女には次代を担う新たな巫女らを産む役目を与え、もう片方の巫女には生け贄として大地に身を捧げる運命を強いたのじゃよ。……そのために巫女は二人居ると、そう信じられてきたのじゃ」

「……やっぱり、そうか」

 日和の重い言葉にみづきは喉を鳴らした。

 ある程度は予想の通りであったが、いざ実際に聞くと気後れしてしまう。
 太古の昔には生け贄の文化があり、まことしやかにそれは信じられてきた。
 但しと、日和は声を荒げて言った。

「私は断じて巫女たちの生け贄など求めてはおらんっ。いにしえの時代にはそのような悪習がはびこっておった。我ら女神を信仰する最上の奉仕の術としてなっ」

 しかし、日和はそんなものを望んではいなかった。
 半ば吐き捨てるように、信仰を受ける側の女神は悲痛に言った。

「気の毒な巫女たちの魂は今も私と共に在る。そもそも、人の命を捧げたくらいで大地の大いなる意思を鎮めることなど出来る訳がないのじゃっ」

 人の命は尊いが、大自然の脅威と天秤が釣り合うかと言われれば疑問である。
 選ばれた神聖な巫女であろうが、命の価値に貴賎きせんなどない。
 まして、天変地異てんぺんちいを防ぐ何かの方策になるとは現実的にもとても思えない。

「なかには生け贄を欲する神も居るのやもしれんが、私は違う。よその忌まわしき邪神と同じにくくられてはたまらんのじゃ。心変わりしようと、それは夜宵もきっと同じのはずじゃ」

 それは日和の、聖なる女神としての矜持きょうじである。
 いざ話を聞いてみて、みづきはそれを日和の口から聞きたかったのだと思った。
 だから自然と口許は緩んだ。

「安心したよ。日和と夜宵がその気持ちなら、現代の巫女の朝陽と夕緋が酷い目に遭わされることはないんだな」

「うむ、当然じゃ。あの二人には幸せな未来を歩んで欲しいものじゃよ」

「幸せな未来か……」

 未来を知るみづきには、その言葉にはどうにも嫌な引っ掛かりを感じてしまう。
 そんな気持ちには蓋をして、目を閉じて深い息を鼻から吐き出したのだった。

 幸せな未来を実現させるために今自分はこうして奮戦している。
 妙なわだかまりは一旦抑え、以前から聞きたかった質問をすることにした。
 それは幼少の頃の話で、夕緋から聞かされていた気になる事実であった。
 今この時に確認を取っておきたい。

「そういえばさ、日和って神水流の巫女と話をしたことってあるのか? 朝陽と何を喋ってるのか気になってさ」

 神水流の巫女は神薙かみなぎの霊妙れいみょうをもって、女神と心を通じ合わせ、言葉を聞くことができるらしい。
 自分をしろにし、信者たちに神の意を伝えるのである。

 朝陽から一度もそんなことを聞いた覚えはないが、実は何かを話していたのではないかと多少の期待が湧いた。
 ただ、みづきの疑問は空振りに終わる。

「ふふ、残念じゃが、朝陽に私の声を聞くほどの神通力は備わっておらんのじゃ。私も加護を与えるだけで、何かを特別に語りかける事も無いのじゃ」

 日和は優しい微笑みを浮かべ、ゆっくりと首を横に振った。

「神の声を聞くなど尋常のことではない。私を思い、平和を願って祈るだけで充分なのじゃよ」

「そっか……。そうだよな」

 それは予想通りな答えで、みづきはある意味で安心を感じた。

 幼い頃から長く朝陽の側にいたものの、朝陽が日和の声を聞き、何かを語らっている様子は見たことがない。
 そうした出来事があった様子もなかった。
 しかし、それは朝陽に限った話である。

「それじゃあ、夕緋ならどうなんだ? あれだけ神通力が優れてて、巫女としての素養が歴代最高の夕緋になら女神の声が聞けるんじゃないか?」

 夕緋の才覚が破格であるとは、日和自身が言ったことである。
 何せ本物の女神の太鼓判たいこばんを押してもらえるくらいなのだから、夕緋の力は本当に大したものであるはずだ。

 さらに、みづきは度々と夕緋が実際に女神の声を聞くことができると、こっそり教えてもらったことがある。
 いったいどんな話をしていたのやら。

 しかし──。
 次の日和の言葉は、みづきの期待を大きく裏切るものであった。


「──いいや、夕緋とも話したことは一度も無いのじゃ。無論、夜宵も同じじゃ。神はそうそう人に関わるべきではないからのう。見守るが花、と言うたじゃろ?」

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