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第5章 神々の異世界 ~天神回戦 其の弐~

第151話 みづき対まみお

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「東ノ神! 八百万順列準末席、地蔵狸じぞうだぬきのまみお様! おいでなさいませ!」

 新任の審判官、姜晶きょうしょうの呼び上げの声が高く響き渡った。
 白い狩衣かりぎぬ浅黄色あさぎいろはかまという宮司の姿で、黒いかんむりを被り、長い黒髪を後ろで結い、整った顔立ちは女の子にでも見えてしまいがちだが、れっきとした神族の男性である。

 そこは天神回戦の試合会場、太極天の社の戦いの舞台だ。
 すり鉢状の観客席に囲まれた和装の闘技場にて、変わらず試合は執り行われていて、本日は姜晶が審判の任を務める役回りの日であった。

「きゃーきゃっきゃっきゃ! 地蔵狸まみお様っ! ただいま参上っ!」

 姜晶が振り上げた木製のしゃくの先、東の選手登場門の前にぼわんっと煙があがる。
 甲高い笑い声と共に、煙の中から両手で刀印とういんを結んだ忍者みたいな格好の、二本足で直立した狸が得意な顔をして堂々と現れた。

 地蔵狸のまみお、八百万順列準末席の位階。
 野生の狸そのままな風貌ではあるが、これでも由緒正しき男神の一柱である。
 今日も故郷の山と村を守るため、太極天の恩寵を欲して試合にその身を投じる。

「……けっ!」

 ただ、せっかくの選手登場なのに、試合を観戦に来ている観客達の声は控えめ。
 客の盛り上がりのいまいちさに、まみおは不機嫌そうに悪態をつく。

 それもそのはずで天神回戦の試合の格、或いは等級は神の順列によって評されており、低い位階の神の試合は下に見られ、軽んじられる傾向がある。

 さらに、今回の試合は準末席と末席という最低ランクの試合のため、観客の反応はいかにも冷ややかで賑わいに欠けている。
 現実の世界と同じく、力の序列が物を言う神様の世界は何とも世知辛せちがらい。

「西ノ神! 八百万順列末席、創造の女神、合歓木日和ノ神様のシキ! みづき殿、おいでなさいませ!」

 続けて姜晶が呼び上げるのは、今は落ちぶれて力を失っているが、実は凄い神様であったことが判明した日和のシキの名であった。

 新たに生み出され、本日が2回目の試合となるシキのみづきは、太極天の恩寵を自在に扱うことのできる前例の無い存在として観客に記憶されている。

 呼び上げの声に従って、西の選手登場門からみづきが出てくると、向けられるのは控えめな歓声どころか困惑めいたどよめきだった。
 そこかしこの誰もが得体の知れないシキにざわついている。

「へへへっ……」

 会場中の視線を集中して向けられ、気恥ずかしさと居心地の悪さを感じつつ、背を丸めたみづきが小走りに闘技場の中心、姜晶とまみおのところへやってきた。
 知らない顔だらけの神々の異世界だが、見知った顔を見ると少しは安堵する。

「よっ、今日の審判は姜晶君なんだな。今回もよろしく頼むよ」

 片手を上げる軽い挨拶のみづきに、姜晶は恭しく笏を胸の前に立てて持ち、深々と頭を下げる正笏せいしゃくの敬礼を表した。

「みづき様、前回よりのお早い試合への参戦、心から歓迎致します。今回はというなら、ちゃんと試合をして頂きますよう重ねて宜しくお願い申し上げますね」

 眉を八の字に、何だか含みのある言い方だったがそれも無理は無い。

 記念すべき第一試合でのこと。
 多々良陣営の馬頭鬼の牢太と対戦した際、みづきが恐れをなして逃げ回った挙げ句、姜晶は巻き込まれてしまい酷い目に遭わされた。

 庇われる体だったとはいえ、みづきに力一杯投げ飛ばされて痛い思いをしたことを忘れてはおらず根に持っている。

 ただ、呼んでもなかなか出てこなかった前回に比べて、みづきがすんなりと登場してきてくれたので、姜晶はその点ほっとしていた。
 そんな複雑な思いの姜晶に微苦笑し、みづきはもう一人の顔見知りに声を掛ける。

「まみおも試合を受けてくれてありがとなー! 良い試合にしようぜー!」

 少し離れているところに両腕を組んで、仁王立ちするふんぞり返ったまみお。
 鼻息荒く、不敵に笑う顔で歯を見せた。

「へん! 呑気でいられるのは今のうちだけだぞ。今に目に物見せてやるからな」

 流石に何度も試合に出ているだけあって、その風体は堂々としている。
 準末席の神とはいえ、まだまだ経験の浅いみづきとは大違いだ。

 と、二人のその様子に、姜晶は目をぱちくりさせている。
 口をついて出るのは素直な疑問だった。

「みづき様、まみお様とお知り合いだったのですか?」

「いや、試合をしたいと思って昨日、日和と一緒に挨拶がてら会いに行ったんだ。まみおとはそれからの縁だよ」

 別段、おかしな回答ではなかったと思うが、姜晶は一瞬呆けた顔をする。
 感心したような気の抜けたため息を、ほぅ、と吐く。

「へぇ、挨拶、ですか。そのためだけにわざわざお会いに行かれたのですか?」

「そうだけど……。姜晶君も日和と似たようなこと言うんだな。それって何か変なことかな?」

「あぁいえっ、何でもありません。変じゃありませんともっ」

 みづきが眉をひそめて答えると、不思議そうにしていた姜晶ははっとしたみたいに取り繕う様子を見せて言い開きをした。

「ただ、そうした通例をあまり知らなかったもので……。お互いに挨拶を交わしたり、次回があるなら親交を深めていったりと、そうしたことは試合の際にしておられるのを見聞きしていたものですから」

「そういうもんなのか」

 関心ありげにふぅむ、と唸るみづきに、試合頑張ってくださいね、と姜晶は審判官の職務に戻るべく、言い残してそそくさとその場を離れていく。
 なで肩の背中を見送りつつ、みづきはまた神様というものを考える。

──神様はお互いに干渉し合わない性質でもあるのかな? 触らぬ神に祟り無しを自分たちで体現してるなんて、何だか面白いな。同じ神様同士なのに、奥ゆかしいっていうか、よそよそしいっていうか、祟りが怖いって訳じゃあるまいし。

 思ってみて、まみおの領地に赴いたとき、日和が暗い森に怯えていたり、化かされて酷い目に遭わされたりしたのを思い出した。
 神と人の関係ならともかく、神と神との間柄の事情はまた異なるようだ。

 有神論ゆうしんろんの考えの一つに、神は世界を創造してこれを恒久的に見守って支配するが、自身はその世界の外側に居て、直接的に干渉をすることはないとある。

 そして、触らぬ神に祟り無し、は御霊信仰ごりょうしんこうが由来となっていて、神は神でも天地の創造に関わる神ではなく、恨みを持った死んだ者を神として祀り、それらに祟られないように言い伝えられた言葉だ。

 この神々の異世界に住まう神様たちには、そうした神にまつわる考え方や有り様が混在して感じられ、みづきは面映おもはゆさに頬を緩めるのであった。

 かくして、試合がもう間もなく始まろうとしている。
 みづきの天神回戦第二試合、対するのは地蔵狸のまみお。
 差し当たり、準末席の神に勝利せねば末席の順列から抜け出すことはできない。

「むぅ……」

 その頃、日和は試合の特別観覧席で唸っていた。
 手にあるのは露天商からもらった、まだ温かい茶褐色の饅頭まんじゅう
 脂汗を額に浮かべてそれを見つめ、難しそうに顔をしかめている。

 それは昨日のことで、まみおにまんまと化かされて、とんでもない物を食べさせられそうになった嫌な記憶を思い出している。

 これは饅頭、絶対に饅頭、間違いなく饅頭──。
 そう自分に言い聞かせていた。

「日和殿、食べないのかい? 饅頭はかし立てが一番美味しいんだよ」

 と、すぐ隣から毎日のように試合の観戦に来ている男神に声を掛けられた。
 いつの間にか右横に座っていたのは、深い緑色の狩衣を着た天眼多々良てんがんたたらの姿。

「そんなこと多々良殿に言われんでもわかっとるわい!」

 意に決した勢いで一気に饅頭にかぶり付く日和。
 当然それは本物の饅頭で、口の中には餡子あんこの甘さが広がった。
 何とも言えない安心感を覚えつつ、日和は横目に多々良に視線を送る。

「今日も来ておるのか、まったく……。多々良殿はつくづく暇なんだのう」

「暇とは失礼だな。ここに居る理由は、今日も私の大事なシキの試合があるからというだけのことだよ」

 日和の嫌味にさして気分を害する様子もなく、多々良は穏やかに答えた。
 そして、視線を試合会場に戻して、遠くのみづきを見やる。

「日和殿の試合……。みづきに興味があることは否定しないけれどね」

 加えて言って、目を細めて涼しく笑う。

 高位の男神にすっかりと目を付けられてしまったみづき。
 他でもない日和のシキというだけでも関心があるのに、太極天の力を使えるという前代未聞のシキに多々良は興味津々だ。

 と、その逆隣ぎゃくどなりからつんと取り澄ました冷淡な声が聞こえてくる。

「取るに足りません、あのようなシキなど……。太極天様のお力を使う以外、凡庸ぼんようで見るべきところもない脆弱ぜいじゃくなシキです」

 そこに居たのは今日も今日とて多々良に付き従う夜叉やしゃの姫、慈乃しのの座す姿。
 試合の予定は無いのか、黒衣の巫女装束にゆったりとした羽織を着ている。
 瞑目の表情はいかにも不機嫌そうで、その白い顔を多々良に向けた。

「多々良様があのシキ、みづきなどに興味がおありなのが正直理解ができません。どうせ近く、あっけなく試合で尽きる命運です。そのように入れ込まれていても、多々良様を落胆させる結果となってしまうだけでございます」

「確かにみづきは気になるシキだけど、気に掛けるのはみづきのことだけではない。私はすべてを平等に見てあげたいと思っている。それは慈乃だって同じだよ」

 多々良はにこやかに答えるが、慈乃はやっぱり不機嫌なまま。
 実際にみづきと相対してみて、取るに足らない相手だと断じたのは間違いないし、試合をしたところで勝利するのは造作も無い。

 ただ、そんなことはどうでもよくて、あらゆる事象を公平に見ようとしていたり、みづきのような胡乱うろんなシキを気に掛けたりする多々良の心が面白くない。
 自分こそ多々良陣営いちのシキなのだから、常に多々良には一番贔屓ひいきに見て欲しいと思っている。

 ふん、と鼻を鳴らして慈乃はそっぽを向いてしまう。
 日和はそれを見て吹き出して笑う。

「……やれやれ、多々良殿と慈乃姫殿は相変わらずじゃなあ」

 女心のわからない整然とした高位の男神に呆れつつ、試合会場に視線を戻す。

 もうそろそろと厳かに、天神回戦の火蓋は切って落とされようとしている。
 みづきとまみおの顔合わせと呼び上げはもう終わった。

 姜晶は笏を高く振り上げる。
 ざわついていた場内の観客は、申し合わせたようにしんと静まり返った。

「互いに油断無く構えて! いざ、尋常に勝負──」

 問答無用の試合開始の掛け声に瞬時に空気が張り詰める。
 向き合う戦士の二人は口角をわずかに上げた。
 みづきは試合の緊張と高揚に歪んだ笑みを、まみおは不敵な笑みを浮かべる。

「──はじめッ!!」

 姜晶の高い声が響き、笏は鋭く振り下ろされた。
 瞬間、試合会場はワァッ、という観客の喧噪に包まれる。
 低位同士で侮られているといえ、試合が始まるこのひとときの高まりは格別だ。

「うぅ……!」

 みづきは呻くみたいに唸った。

 如何ともし難く身体ががちがちに強ばり、すぐには思い通りに動けそうにない。
 始まったはいいが一歩も動けず、冷たく嫌な汗が額からたらりと垂れる。
 そんなみづきの様子にまみおは呆れて息を吐く。

「みづき、顔が硬ぇな、不慣れが過ぎるぞ。そんなざまで戦えるのか?」

「……悪かったな、慣れてなくて。こんな大舞台、緊張するなっていうほうが無理な話だろう……」

 弱った青い顔をしてみづきは泣き言にも似た声を漏らす。
 とうとう始まってしまった。

 前回とは明らかに違う。
 夢か現かもよくわからず、流されるままなし崩しに参じた試合とは。

 自分の意思で、確固たる目的のために天神回戦の戦いへと挑んでいる。
 浮ついたいい加減な気持ちでは到底いられない。

「やれやれ、しょうがねえな。そんじゃ、遠慮なくこっちからいかせてもらうぜ!」

 必要以上に身を堅くするみづきを見かね、先手を打って仕掛けるのはまみおなりの武士の情けか。

 余裕ぶって大仰な動きで、両手それぞれの刀印を胸の前でがっしりと組んだ。
 試合の緊迫とは別に、空気がにわかに張り詰めた。
 黒いもやのような、まみおの神通力が小さな狸の姿に収束していく。

 かっと目を見開き、叫んだ。

でよ、百鬼夜行ひゃっきやこうッ! あやしの夜祭よまつり、目ん玉ひん剥いてとくと見やがれッ!」

 途端、まみおの足下から派手に白い煙が噴き出した。
 瞬く間に辺りは、もうもうとした真っ白の世界に様変わりしてしまう。

 煙の中、揺らめく蜃気楼のように怪異はすぐさまに起こった。
 妖しの夜祭り、それはみづきの前に次々と現れる。

「うおおおっ!? す、凄いじゃないかっ……!」

 まみおの言葉通り、みづきは目を剥いて驚いた。
 煙の中からゆらりゆらりと出てくるのは、怪しげな妖怪の群れ、群れ。

 雷を共だった天をのぼる長い胴のりゅう
 九つの尾を持つ金毛白面九尾こんもうはくめんきゅうびの狐。
 顔は猿で胴は狸、四肢は虎で尾は蛇のぬえ
 海も無いのに地面から生えている黒い影の海坊主うみぼうず
 燃え盛る火炎に包まれた牛車の車輪に男の顔がある輪入道わにゅうどう
 どこが顔やら不明な浮かぶ毛むくじゃらの毛羽毛現けうけげん

 そうそうたる面々の、大きな体躯の妖怪達。

 その他にも、一つ目小僧や河童かっぱ唐傘からかさお化けにのっぺら坊と、人ほどの大きさの妖怪達も行列を成して白いもやから登場する。

 すっかり化け物の群れに取り囲まれてしまったみづきの元に、どこからともなく地の底から唸るような恐ろしげなまみおの声が響いた。

「どうだ、みづき、びびったか!? 見たことねえだろう、古今東西ここんとうざいのこんだけの化け物の群れ! おいらは凄ぇだろう? これがこのまみお様の力だっ!」

「まみおっ……! いったいどこへ消えたんだ……? ひぃっ?!」

 まみおの姿を探してきょろきょろと首を振ったみづきは思わず悲鳴をあげた。

 左側へと振り向いた眼前に、白い女の顔があった。
 手絡てがらかんざしで結われた割れしのぶの髪型の女で、何よりも妖怪集団の列から首が異常に長く伸びてきていて、驚くみづきの顔を間近で愉快そうに笑って見ている。
 夜に首を伸ばして行灯あんどんの油を舐めるとか、幽体離脱の一種だとかのろくろ首だ。

「冷てっ!?」

 慌てて逆方向へと顔を背けると、凍り付くほどの冷気をまともに掛けられる。
 それは白く冷たい氷の息で、いつの間にか反対側に立っていたこれまた白い顔の女の妖怪の仕業であった。

 顔だけでなく白く長い髪に白い着物姿、人里に下りては男を凍らせて魂をさらって帰るという雪山の妖怪、雪女ゆきおんなである。

「痛てっ、痛ててっ!」

 とも思えば、今度は正面から色とりどりのまりが次から次へと飛んできて、みづきの顔や頭にぶつけられる。

 離れたところに赤いちゃんちゃんこを着た、おかっぱ頭の小さい女の子が居た。
 くすくすと笑って、袖から取り出した鞠をまたみづきにぶつけようとしている。
 出会えれば幸運をもたらすという家の守り神、座敷童ざしきわらしであった。

 足下には尾が二股に分かれた猫の妖怪、猫又ねこまたを引き連れている。
 猫又は上機嫌そうに一対の尾を立てると、にゃーおと鳴いた。

 たちまち会場に観客の歓声があがる。
 その喧噪にみづきは、はっとして我に返った。
 僅かの間だったが、まみおが呼び寄せた妖怪達に完全に呑まれていたようだ。

「……危ない危ない。びっくりし過ぎて思わずぶっ倒れちまうところだった」

 額の汗を腕で拭いつつ、みづきは妖怪達を見回して言った。
 ゆらゆら揺らめいているだけで、化け物どもからは何の攻撃も行われない。

 これらはすべてまみおの見せる幻だ。
 またぞろ、化け狸の神通力で化かされているに過ぎない。

 しかし、これはまみおの繰り出してきたれっきとした試合の演目である。
 観客にもまみおの百鬼夜行の姿は確かに見えていて、みづきが冷たい息を掛けられたり、鞠をぶつけられて痛がったりする程度には五感に響く見事な幻術だ。

 それを今、見せつけられた。
 試合がどういう調子で進んでいるのかが何となくわかった。

「これはただの化かし合いじゃないんだな……」

 みづきは目を細めて呟く。

 幻なのはもうわかっている。
 妖怪の群れはさながら妖しのパフォーマンスなのだ。
 手番はまみおからみづきへと移った。

 促すように頷いて後ろへ下がる、ろくろ首、雪女、座敷童。
 物言わぬその瞳の光はみづきに挑発的な訴えを投げ掛けている。

 次はお前の番だ、どんな恐怖を見せて愉しませてくれるのか、と。
 化かし合いに応じず、普通に試合を再開しては興醒きょうざめもいいところである。

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