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第5章 神々の異世界 ~天神回戦 其の弐~

第149話 試合申し込みの弓を引く

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「おーい、日和ー! まみおが試合受けてくれるってさー!」

 瞬転の鳥居を抜け、意気揚々と日和の神社へと帰ってきたみづき。
 次なる試合がめでたく決まったと声を上げ、境内を見渡して日和の姿を探す。

 まみおに化かされ、酷い目に遭わされた日和はすぐに見つかった。
 清らかな水が湧き出る手水舎ちょうずやの水溜まりに顔を突っ込んで、口の中を綺麗にしようと必死になっている。

「がらがらがらがら……。ぺーっ!」

 口を激しくゆすいでその辺りに構わず水を噴き出している有様は、手水舎を使う正しい作法から遠くかけ離れている無作法であるのは言うまでも無い。
 みづきが戻ったのに気づくと、日和は機嫌の悪いびしょびしょの顔をこちらにゆっくりと向けた。

「みぃーづぅーきぃー!」

 恨みがましい声をあげ、じとっとした目でみづきを睨んでいる。
 顔中水浸しなのに、髪型も化粧も乱れていないのは流石は女神の不可思議だ。
 みづきの前までどたどたと走ってくると、日和は怒りにまかせて叫び散らした。

「どうして教えてくれなかったのじゃー! おぬしっ、あの性悪狸しょうわるだぬきが悪事を働こうとしていたのを知っておったのじゃろー!? みづきが早く教えてくれておれば、あのようなおぞましい物を口にせずともよかったものを……! うぐぐぅ、お陰でちょっぴり飲んでしまったではないかー、おぇー!」

 喉の奥が見えるくらい大口を開けて迫る日和に怯むみづき。
 但し、ようやくこれで当初に言ったことの意味をわかってもらえる良い機会だとも思った。
 腕を組み、眉を少々つり上げて日和を見下ろす。

「間に合わなくて悪かったよ。だけどな、日和も出されたものを躊躇ちゅうちょなく飲み食いしようとするなよな。一応は敵同士なんだから、ちょっとくらい疑えよ」

「うぅー、喉が渇いておったんじゃもん……。しっ、仕方なかろうがー!」

「仕方なくねぇ! まったく、だから言ったろう? 事前に相手のことを知ってるのと知らないのじゃあ全然違うってさ」

「えっ? 何のことじゃ?」

 この期に及んで、日和はぽかんとした間抜け顔をする始末。
 そんな話をしたのさえ忘れている様子で、みづきはずっこけたい気持ちを抑え、日和に説教を始めるのであった。

 やっぱりどこか抜けている神様の──。
 というより日和の危機意識の低さが、これで少しは改善されれば幸いである。

「日和、頼むからよく聞いておいてくれよ。俺は狸が人を化かすもんだと知ってたから平気だったけど、日和は知らなかったから一服盛られる羽目になっちまった。神様相手に効くのかどうか知らんけど、もし毒でも入ってたらどうするつもりだよ。それこそ一巻の終わりだったぞ」

「むぐぐぅ……。言っておったな、そのようなことを……」

「俺たちはもう負けられないんだろ? それなら万全を尽くすべきだ。打てる手は全部打って危ない橋はなるべく渡らない。日和あっての天神回戦なんだから、いついかなるときでもしっかり用心しててくれないと俺も満足には戦えないぞ」

「ぐうの音も出んのじゃ……。そう言われてみれば、確かに下策であったかのう。ただしかし、茶に毒を盛ろうなどと、そのような恐ろしい策を思いつくとは……。みづきめ、我がシキながら恐れ入るわい。くわばらくわばらなのじゃ…」

 本気でみづきを怖がって、日和は後ろを向いて背中を丸めてしまった。
 小さくて頼りない背を見下ろし、呆れるやら哀れに思うやら。

 本当に夕緋が畏れ、関わりを懸念するほどの神なのかどうかはなはだ疑わしい。
 仲良くなって互いの距離を縮めてもいいかもしれない。

「ふぅ、まぁいいや。それよりも日和、まみおに試合を申し込みたいんだ。白羽しらはの矢を撃つんだろ? あれって俺にもできるのか?」

 気を取り直し、みづきはまみおと取り交わした約束通り、天神回戦を申し込む。

 白羽の矢を互いに撃ち合って試合を成立させるという一風変わった手法である。
 放たれた矢は各々の陣地に設置されたまとに命中し、試合を受けてもいいと合意すれば撃たれた側も相手の陣地へと矢を撃ち返す。

「うむ、みづきにでも試合の申し込みはできるのじゃ。私が良しとすれば、そのシキであるみづきにも試合執り行いの是非を決める資格が生まれる。今回はもうみづきに任せてみようなのじゃ。挑む相手を思い浮かべて、弓を構え、矢をつがえる所作を行うがよい」

「弓なんてやったことないんだが……。って、おおっ、出たっ!」

 見様見真似みようみまねで左手は弓柄ゆみづかを握り、右手はつるを引く動作を取ると、何も無いところから木製の弓と矢がすぅっと現れた。

 弓と矢は手の中で急に質量を持ち、弦が引き戻される力が右手に掛かり始める。
 シキとしての腕力と素養か、弓はからっきし素人しろうとのみづきでも不思議とサマになった構え方をすることができた。

「邪念を捨てた破魔の心を持ち、乾坤一擲けんこんいってきの気概を乗せて撃ち放つのじゃ。願いを聞き届けた白羽の矢は、挑戦する相手の元へと我らの意思を運んでくれる。なに、矢を放った後でもすぐに試合が受諾される訳ではない。取り下げも可能ゆえ、気楽に放つがよいのじゃ」

「よおし……。試合をする相手は地蔵狸のまみお! この挑戦状をしっかりまみおに届けてくれよ!」

 さらに弦を引き絞り、白い矢羽根を持つ右手に力を込める。
 ぎりりっと弓がしなって、いつでも矢を正射できる状態となった。

「あ、そうだ。日和、矢を撃つ前にちょっと確認したい」

 しかし、みづきは矢をすぐには放たない。
 目線だけを寄越して日和を見下ろした。

 弓を構えた緊張状態を軽々と維持できているあたり、シキの力は強靱であり、この霊妙なる弓と矢も人の世の物とは似て非なるのであろう。

「な、何じゃ……?」

 さっき説教をくらったばかりの日和は、今度は何を言われるのかと渋い顔。

 みづきはいつか聞いた天神回戦のルールを思い出して疑問を口にする。
 それは、試合と試合の間にある期限についてのもの。

「この矢を撃って相手の神様にその気があれば、すぐに試合は受けてもらえるものなのか? 変に渋られたりしないかな?」

「むむ、それはどういう意味じゃ……?」

 案の定、日和にはみづきが言い出したことの真意がよくわかっていないようだ。
 またしても、聞きたくない説教が始まるのではないかとびくびくしている。
 みづきは苦笑しながら続けた。

「次の試合をするのは三月を跨ぐまで、っていう決まりがあるんだろ? じゃあ、試合までの期限が迫っている陣営からの申し出を意図的に保留して、期限切れの自滅を誘うことはできるのか? そうすれば、戦わずに相手を追い詰められるんじゃないのかっていう話だよ」

 試合を申し込む側、受ける側、その関係が一対一ならば。
 或いはその状況を作り出せるのならば、ルールの穴をついた不戦勝を狙う戦い方も可能ではないのだろうか。

 逆に、期限が目前で試合を行いたいのに、相手全員が結託して試合を受けてくれず、問答無用で失格とされてはたまらないというみづきの不安でもあった。

「何を言い出すのかと思えば……」

 しかし、それに対して日和は呆れたようにため息をつく。

「そのような要らぬ心配をせずともよい。試合を申し込まれれば、勇猛果敢な神々が諸手もろてを挙げて受けてくれるはずじゃ。そうでなくとも期日までに試合の段取りが決まらねば、運営委員会の方々が諸々と取りなしてくれるゆえ、不戦敗で失格などということにはならぬよ」

 どうやらそういった手合いの卑怯な作戦は成立しないようだ。
 日和は視線を落として自嘲気味に話を締めくくる。

「試合を渋るのは私のような、にっちもさっちもいかない追い詰められた神ばかりじゃよ。落ちぶれ果てた神の末路の選ぶ道が限られるのは正にその通りじゃな」

「なるほど、そっか……」

 みづきは視線を真っ直ぐに戻し、金色の空の彼方かなたを見つめて思う。
 日和の答えは懸念とはほど遠く、おおよそ良い意味で期待を裏切ってくれた。

──駆け引きは無し、試合を望めば真っ向から勝負をしてもらえる訳か。神様のわかり易すぎる真面目さには拍子抜けるくらいだ。但し、本当にそうだっていうんなら、圧倒的に凄い神様を相手にしても必ずどこかにつけいる隙はある……!

 断定するには早計だが、正しき聖なる神ばかりならそうした可能性はある。
 神でなく、純粋なシキでもないみづきならではの戦いができるかもしれない。

「……」

 但しと、みづきは確かに覚えていた。
 甦る記憶の言葉に表情をわずかに歪める。

『他の試合の申し出は、すべて取り下げられておったんじゃよ……。そういう約束じゃったからな……』

『つい先だって、多々良殿から直々に申し出があったんじゃよ。意中の試合相手がおらぬなら、自分たちの陣営と最後の試合をしよう、とな』

『最後の試合は私自らが赴き、潔く全霊で戦う。その代わり、もしその試合で敗北の眠りに着くことになるのなら、多々良殿の加護の下で、いつしか目覚める時まで私とこの土地を守ることを約束する、と──。そういう話だったのじゃ……』

 それは、日和が明かした多々良との密約であった。
 先の試合において、多々良が日和に対して行ったのは明らかな駆け引きである。
 みづきは苦々しく思っていた。

──他の神様から日和への試合の申し込みは全部取り下げられてた。そのうえ、日和自身が試合をするのなら、という約束を交わして多々良陣営が自ら手を下せる状況を示し合わせてつくってた。それに対して約束を反故ほごにし、俺っていう身代わりを用意してまで抵抗した日和も日和だ。まみおみたいに単純そうな神が居る一方で、多々良さんみたいな考えを巡らす神も居るんだ。

「……あんにゃろう。優しそうな顔して、まみお以上にとんだ狸だな」

 目を細めてみづきは小さく毒づいた。
 脳裏に浮かぶのは高位なる男神の笑顔。

 思うほど先行きは簡単ではなく、一筋縄ではいかなそうだ。
 神々全てが正々堂々たる一本気溢れる者たちばかり、という訳ではないらしい。

 そして何より、そうした試合外でのやり取りが天神回戦のルールに抵触しない、と暗に認められているのは大きなポイントだった。
 試合外のいさかいは御法度ごはっとと、明確に禁則が定められているのとは真逆である。

「よしっ、ともあれ、俺たちの意思をまみおのところに届けてくれよっ」

 みづきはしっかりとまみおとの試合を思い描いて弓を引いた。

 ひゃうっ、と風を切る音が響く。
 手を離れた白羽の矢は弓から放たれて、自らの意思があるが如くに上空へと直角に飛び上がり、黄金色の空の向こうへとあっという間に飛びすさっていった。

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