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第4章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅡ~

第138話 暗躍する者たちの観測

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■フィニスと蜘蛛の着物の男

「さぁ、今度こそ本当にあの例の二人のことだけど」

 テレビ画面にじわりと映り込んだのは、今度こそフィニスと蜘蛛の着物の男。
 不明でわからないことの代表だが、判明した事実も幾つかある。

「まずはこっち。──ダークエルフ、フィニス」

 画面いっぱいに広がるのは銀色の長い髪、切れ長の鋭い瞳、先の尖った耳。
 ダークエルフ、フィニスのこちらを見下ろす顔。
 これは夕緋の後ろに立っていたときの記憶から再現されたものだ。

「推定年齢600歳は越えている相当な手練れのエルフだ。その肉体は老いることがなく、魂のほうが先に朽ちてしまう稀有けうな長命種。年齢を重ねるごとに肉体が劣化する人間の身からすれば羨ましい限りだよね」

 記憶の映像の中のフィニスの冷たい目を、不敵に見返す雛月。
 アイアノアとエルトゥリンが密命を受けて追う、いわば戦争犯罪者のテロリストにして最強のエルフ。

『フィニス様の御力は凄まじく、闇の精霊を通じて多くの魔物を操り、司る強大な風の魔法は全てを吹き飛ばし、直接剣を交えれば比類なき武の力で他を圧倒する』

「どうやらフィニスは後天的にダークエルフとなったみたいだ。悪魔に魂を売ったのか、闇の精霊との契約を結んだのか。本質的にはエルフと大差は無いんだけど、ダークエルフというのは彼等特有の蔑称べっしょうでね。そのうえに「戦乱の魔女」の二つ名で呼ばれてるなんて、悪名もここに極まれりだ」

 アイアノアの言葉を思い出しながら、雛月は続けた。

 ダークエルフという種族には諸説ある。
 邪悪な神への信仰心が強かったり、暗い地下迷宮等の環境に適応するために進化を遂げたりして誕生したと言われている。

 善のエルフに対し、悪のダークエルフという聖と魔の種族分けがされ、その性質上、多くは悪の陣営に配され、強力な尖兵として描かれることが多い。

 三月は腕組みをしていつか出会うであろう、この危険極まりないダークエルフとのことを想像していた。
 思えば思うほど気が重たくなる。

「多分、パンドラの地下迷宮の奥に潜伏してるっぽいよな……。アイアノアたちが受けてる密命やらの事情から察して、話し合いだけじゃ済みそうもないし、争いは避けられないんだろうなぁ……。うぅ、気が重い……」

 アイアノアたちに向かって、フィニスをどうにかしようと格好良く啖呵たんかを切ったまでは良かった。

 但し、最強とうたわれるエルフ相手に、すんなり勝てる自信なんてこれっぽっちも無い。
 うなだれる三月を尻目に、雛月は淡々と言った。

「パンドラの深奥から溢れ出す魔こそ大いなる災禍。アイアノアの言う通り、魔素が地上に溢れ、異界の神獣みたいな手に負えない魔物の群れが地上の生きとし生ける者を蹂躙じゅうりんする。確かに、大した災いになるだろうね」

 現在、魔素はパンドラの地下迷宮の内部だけに限定されて流出はしていない。
 しかし、いつかその時が来て魔素と魔物が外界に解き放たれれば──。

 大いなる災禍は現実の大災害となってトリスの街だけでなく、イシュタール王国中に甚大な被害を及ぼすだろう。

「異界の破壊神、夜宵やよいの力を用いて災禍を呼ぼうとする執念の復讐者、フィニス。さぁさぁ、ようやく話が繋がってきたよ。何の関係も無さそうだった二つの異世界だったけど、ダンジョンに潜むダークエルフが、三月の仕える女神と敵対する破壊神の力を借りて、とてつもない悪事を働こうとしている。何の因果か、その両方を相手取る立ち位置に三月はいる訳だ。あの異世界の人々を救うためにも、パンドラの踏破、天神回戦の勝利、この二つの試練をやり遂げるしかないよねっ」

 気の重い三月とは対照的に、何故だか雛月は楽しそうにしている。
 フィニスの起こそうとしている大いなる災禍には、異世界の破壊神、夜宵が関わっているらしい。

 その事実が本当なら、無関係かと思われていた二つの異世界を巡る三月の存在は特別な意味を持ってくる。

 ただでさえ、それぞれの異世界の問題は大きなものであるのに、まとまってそれらはより大きな問題となって立ちはだかる。

「うげー、なんてこったい……。片方だけでも大変だっていうのに……。何で雛月はそんなに明るい感じで楽しそうにしてるんだよ?」

 一連の物語の結び付きに無理やり納得させられそうなのはともかく、にこやかな雛月の態度が納得できない三月は不機嫌に顔をしかめる。

 しかしその実。
 雛月は苦しい現状を正しく見られるゆえに平静を装うしかなかったのである。

「楽しそうに見える? ふふ、空元気からげんきだよ。ぼくも深刻そうに落ち込もうか?」

「いや、いい……」

 わずかにかげる雛月の笑顔に、三月はさらに暗い気持ちに沈む。
 朝陽と同じ顔が、悲観する暗い泣き顔になるのも見たくなかった。

「さて、次は未だに正体不明なこいつのことだ」

 強がりの虚勢のまま、雛月はテレビの画面にそれを映した。
 単なる映像のはずなのに、それは畏怖と恐怖を見る者すべてに植え付ける。

「うっ……」

 心を壊されかけたあの視線を思い出し、三月は思わず呻いた。
 映ったのは無論、──蜘蛛の着物の男。

「見れば見るほど恐ろしい顔をしているね……」

 三月の怖がる感情を共有してしているのか、雛月の表情も重い。

 名も知れぬ邪悪なる者が画面を通してこちらを睨みつけている。
 現実の世界で出会った時のような遠目で不鮮明なものではなく、はっきりとしたクリアな映像でその顔が見て取れた。

 鬱陶うっとうしそうに眉を潜めた陰鬱いんうつな顔は血色悪く青白い。
 端正な顔立ちだが明るい印象など皆無。
 鋭く刺し貫かれそうな三白眼さんぱくがんの視線が、三月と雛月をしっかと捉えていた。

 何故だろう、一瞬で人間ではないというのがわかった。
 一度呼吸を整え、雛月が口を開いた。

「パンドラの地下迷宮の奥底と思われる天之市神巫女町あめのしかみみこちょうの廃墟にて、ミスリルゴーレムこと饕餮とうてつ戟雷げきらいと一緒にいた蜘蛛の着物の男。フィニスが潜伏するだけじゃなく、こいつまでがいるとは、あのダンジョンは真に魔の巣窟だな。パンドラの箱というよりは、──万魔殿パンデモニウムのほうが相応しい」

 多くの悪魔が潜むという闇の根城が、今のパンドラの地下迷宮の真の姿。
 10年前の異変を機に、異世界という名の地獄のふたは本当に開かれた。
 地獄の向こうからは、文字通りの悪魔たちがやってくる。

「異界の神獣は、パンドラの異変と共に異世界からやってきた。それと通じる節のある蜘蛛のこいつも同様の存在である可能性は高いね。仲間同士なのか、何らかの上下関係にあるのか。それに、夕緋のあの様子からして、すぐそばにいたフィニスとも無関係ではないだろう」

 雛月の話に連動して、テレビ画面に映るのは夕緋の顔。
 三月を案じて危機を知らせる夕緋の必死な様子。
 彼女にしては珍しく口調を荒げ、三月に訴えかけている。

『三月、答えなくてもいいから覚えておいて。これから、私の周りで、銀色の長い髪で耳の長い褐色肌の背の高い女と、痩せてひょろ長い上背で蜘蛛の巣の柄の黒い着物を着流した男を見たらすぐに教えて。女のほうはそれほどじゃないけど、蜘蛛の男のほうはこのうえなく極めて危険よ。すぐに私が対処するから、絶対に隠さずに言って』

「夕緋……」

 画面の夕緋を見て、三月は名を呟いた。

 夕緋とフィニスと蜘蛛の着物の男。
 いったい、三人に何の関係や繋がりがあるというのだろうか。

 この上なく頼りになる夕緋だが、三月は言い知れない心配と不安を感じた。
 自分の知らない内に、酷い目や怖い目に合わされていなければいいのだが。

「ともかく、このままパンドラ攻略を進めていけば、いずれはこの二人に遭遇する時が来るだろう。但し、今のところは接触の機会があったとしても、絶対にこちらからは手を出してはいけない。エルトゥリンじゃないけれど、今の三月とぼくの力じゃ到底どうにかできるような相手じゃない。軽く蹴散らされておしまいさ」

 先延ばしにされた、来たるべきその時の荒事あらごとはまだ考えたくない。
 手を出すどころか、争わないでいいのなら喜んで別の方法を選ぶ。
 渋い顔をして黙る三月を見て、雛月はようやく話を切り上げる気配を見せた。

「これ以上は、もっと調査を進めないとわからない。三月がさらなる新事実に辿り着けば、ぼくも段階的に真相に迫る情報を開示していける。一緒に頑張ろう」

 そうして、にこっと笑みを浮かべて雛月は言ったのだった。

「……」

 三月は雛月の笑顔を見ながら物思う。

 解き明かすべき秘密とは別の、秘される事象。
 多くの秘密に意図的な枷と錠前を掛ける、雛月という超常の存在。

 すべてを知っているのかもしれないし、知らないこともあるのかもしれない。
 微笑む疑似人格に表情曇らせ、ため息をまた一つ。

「雛月を──、地平の加護をつくった創造主様は全部知ってるんだろ? 何だってこんな回りくどいことを俺たちにさせるんだ? 何でもかんでも知ってるんなら、雛月に変な制約を掛けずに、正解を教えてくれたほうが手っ取り早いのに……」

 以前、同じような質問をしたことがあるが、雛月の返答もまた同様だった。
 地平の加護の創造主からの使者は、その使命を全うするのみだ。

「さぁね。創造主様が何を考えているのかはわからないけど、ぼくをこういう風に設定したのなら、それは三月と共に物語を進めて、探求の旅路の果てに真実に至れということなんだろう。大丈夫、最後まで付き合うから安心してよ」

「わかったよ……。まぁ、よろしく頼む」

 三月も諦めた風に笑った。
 これ以上を聞いてもきっと無駄なのだろう。

「と、今回の情報精査はこんなところだけど、三月からは何かあるかい?」

「……うむぅ」

 今回の異世界座談会を終え、三月は雛月を見ながら唸った。
 かなりのボリュームの情報量にお腹いっぱいの思いである。

──雛月め。今回も苦労してきたっていうのに澄ました顔しやがって……。肝心なことは教えてくれないし、自分のことは使い倒せみたいに言うし……。そうやって朝陽そっくりな見た目でいられる俺の気持ちにもなれってんだよ……。だけど、俺がこうして助かったのも、帰ってこられたのも雛月のお陰なんだよな……。

 こうして異世界転移を何とかやっている訳だが、地平の加護である雛月がいなければ何もできないのが正直なところだ。

 この女神様の試練なる災難は、何も雛月にやらされているのではない。
 どのみち巻き込まれてしまうのなら、助けてもらうより他に道はなかった。

──どうせなら、色々と協力してもらうのも悪くないよな……。

 雛月の顔は未だに恋い焦がれるあの少女のもの。
 試練がいくら重大だろうと、やはりそれよりも大切に想うのは朝陽だった。

 三月はそんな雛月にお願いをすることにした。
 度重なる不可思議な出来事に、多分それなりに疲れていたのだろう。

「ひ、雛月、ちょっと聞いてくれ……!」

「何かな?」

 片頬杖に傾げた首の雛月は、うわずった声の三月の顔を見つめる。

「ちょっと頼みがある……。この間、俺の顔を踏み付けにしたり、親父が愛人の子だっていうくだりを無闇に持ち出したりしたこととの引き換えだ」

「ふーん、気に障ったんなら謝るけど……。しょうがないな、いったいぼくに何をして欲しいんだい? 言っとくけど、制約に触れる質問には答えられないぞ」

 何を言い出すのかと、肩をすくめる雛月。

 と、すぐに何か思い当たったのか、目を細めてにやりと笑った。
 囁き声でこそりと言う。

「……もしかして、エッチなお願いでもするつもりかい?」

 顔をほんのり赤くして、上目遣いで前のめり。
 両肘を抱いた格好でブレザーの上から両胸を寄せて強調する、またもインモラルな雰囲気の雛月。

「ばっ、馬鹿っ、雛月っ! そっ、そんなんじゃないっ! 誤解すんなっ!」

「ふぅん、じゃあ何さ?」

 思わぬことを言われ、三月は大げさに驚いてのけぞった。

 そんな気は毛頭なかったが、自分の分身である雛月が真っ先にそんな卑猥ひわいなことを思いつくならまるっきり誤解ではなかったかもしれない。
 三月はそうして、自省の念に駆られるのだった。
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