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第4章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅡ~

第130話 使命を果たしたら……

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 アイアノアはとうとうミヅキに語った。
 百年前の争乱、亜人戦争のあらましと、自分たちの悲惨な生い立ちを。
 そして──。

 パンドラを踏破する神託の使命とは別の。
 密命であるダークエルフ、フィニス追跡の任を明かした。

 戦乱の魔女と呼ばれるお尋ね者は二人の身内で、現在も戦いを続けており、どうやらこの地下迷宮の奥底に潜伏しているというのである。

「アイアノア、顔を上げてくれ」

 但し、今はそんなことよりも──。
 辛い胸の内を話してくれたアイアノアの心に報いることが正しいと思った。
 エルフならではの、長い時を経ても断ち切れない因果いんがに向き合う。

「……正直言って驚いてるよ。何か訳有りだろうとは思ってたけど、そこまで深刻だったなんて、そりゃあ大変な苦労をしてきたね。理屈はわかっても、本当の意味で二人の気持ちをわかってはあげられないかもしれないけど」

 手元の妖精剣ノールスールに落としていた視線を上げる。
 一度言葉を切って、ミヅキは素直に自分の思いを伝えた。
 結局、それを行うことこそが彼女たちの願いで、為すべきことなのだから。

「使命を果たそう。パンドラの奥まで行ってフィニスを何とかしよう」

「……」

 顔を上げてミヅキの気持ちを聞いたアイアノアはすぐに何も言わない。
 すべてを話し終えた今でも、信頼すると決めた今でも、彼女は恐れている。
 せっかく心から信じられて、何もかもを打ち明けることができたミヅキに嫌悪されてしまうのが怖い。

「……ミヅキ様は、フィニス様の血縁の私たちがお嫌ではありませんか? 怖くはありませんか? 本当のことを知った今も、お気持ちに揺らぎはありませんか?」

「嫌がったり、怖がったりしないよ。気持ちだって変わらない」

 ミヅキがそう答えるとわかっていても、やっぱり聞いてしまう。
 もう自分にとって、ミヅキが間違いのない存在になっていると確認するように。

「ミヅキ様……」

 アイアノアは力無くも微笑んでいた。
 潤んだ瞳に少しだけ光が戻って見えた。

「──そのうえで一つ、俺の考えを聞いて欲しい」

 ちらりと目配せする先はエルトゥリンの顔。
 青い瞳の目が一瞬見開いて、はっとしたような表情になる。

「……」

 ミヅキの視線が、暗に告げていた。

──あの時の質問の答え、俺なりに考えたから聞いてくれ。

 エルトゥリンは静かに頷き、固唾かたずを飲んでミヅキの言葉を待った。

「百年前の戦争が終わっても、まだ何か悪さをしようとしてるフィニスは二人の親戚で、そのせいで里のみんなから仲間外れにされてるってことだよな……。身内に加害者がいるってのはきっついよなぁ……。何も悪いことをしてないのに家族だからって責められてさ……。そいつの人となりを見るってのと真逆だもんな」

 難しい顔で重いため息をつく。
 加害者の家族が、罪は無くとも後ろ指を指されて、悲しい思いをするのなら。

「あくまで俺の考えだ、念のため」

 一度言葉を切り、ミヅキは話し始めた。

「──使命を果たして、フィニス問題を解決できたのなら、きっと仲間外れをやめて許してくれる人はいると思う。だけどさ、それでも悲しいけど、何をどうしたって絶対に許してくれない人だっている。戦争の当事者が今でもたくさんいるのなら尚更そうだろうな」

 勝手に始まった戦争なんて、無関係な者からすれば迷惑な話でしかない。
 しかも、争いの張本人はまだ戦争を続けていて、行方をくらましている。

 矛先を失った怒りが誹謗中傷ひぼうちゅうしょうを生んでいる。
 それは同じ被害者の間で悲劇をもたらしていた。

 ならば、ミヅキの思う答えとは。

「だからといって、二人を責めるその人たちを悪く言うのは違うし、二人がそれで苦しむのだって違う。その時のことを忘れてしまった人間を恨み続けるのもきっとしんどい話だと思う」

 アイアノアとエルトゥリンは黙って聞いていた。

 出口などないと諦めていた運命の袋小路ふくろこうじで、この不思議な人間が呪われた一族の自分たちに、何かの答えを示してくれると期待する。

 少なくとも、今の彼女たちはミヅキをそれほどに信じている。

「やるべきことをやって、許してもらえるように努力して、もうできることは無いってくらい頑張って……。それでもどうしようもないのなら、もう帰る場所が無いっていうのなら……」

 二人の切実な思いに、ミヅキは精いっぱい応えようと救いの道を訴えた。

「──それならさ、いっそのこと、旅にでも出てみないか? 何もかも全部忘れて、広い世界を旅して回るんだ。トリスの街で気楽に暮らすのもいいな」

 その答えとは、距離を置くことであった。
 適度に離れて、みんながもう傷付かなくていいようにする。

 一見、それは問題に背を向けて逃げ出したと思われるかも知れない。
 しかし、辛さに耐えてぼろぼろになるよりはずっといい。

──俺自身がまさにそうだ。故郷を離れて一人で暮らして、過去を見ないように生きてみて、いくらか心と身体が落ち着いたのも本当のことだ。

 訳ありなのは自分も同じだ。
 何もかもを忘れて、嫌なことから遠く離れたことを正解だと思っている。

「ミヅキ様っ、それは……! さ、里を捨てよ、ということですか!?」

 当然のように、アイアノアは目を瞬かせて大いに驚いた。

「捨てる必要なんてないだろ。ちょっと長めの旅に出るだけだよ。……ほとぼりが冷めるまで、傍にいてお互いが傷つき合わないようにするためにさ。別に里を出たらいけない掟がある訳じゃないだろ?」

「それは、ないですけれど……」

「辛いってわかってるんなら戻らなくていい。よく、今まで辛抱したね」

「里に、戻らない……」

 アイアノアは目を何度も瞬かせている。
 その顔は、そんなことは考えもしなかったと物語っていた。

「そうだ、今思い出したことなんだけどさ」

 ミヅキはエルフ姉妹と仲直りした後の、とある語らいを思い出していた。
 異種族間の不仲を物ともせず、この世界の希望として生まれた少女のことを。

 少女の──、キッキの夢は希望になる。

「冒険者になるのもいいかもな! 晴れて自由の身になったらさ!」

「冒険者、ですか……!」

「知り合いに将来、冒険者になりたいって奴がいてさ。そいつも誘って、みんなで色々な所を冒険して回ろうじゃないか」

「みんなで、冒険……」

 ミヅキの提案に、アイアノアは呆然としていた。
 使命を果たした後のことなんて思いもしなかったのだろう。

 まして、自由になって、好きに世界を回れる冒険の旅に出るだなんて。

「使命が終わった後のことは俺自身もよくわからん。だけど、こんな俺でも二人の前に立って、エルフと人間との問題の壁にもなれるし、架け橋にだってなれる。二人が安らかに暮らしていけるように俺も手伝いをするよ」

 できるだけ真心を込めて言って、ミヅキもふと思う。

 パンドラを踏破し、フィニスの元に至り、問題を解決して夕緋のいる現実の世界に帰還した後──。
 とても似ているが明らかに自分とは違う、この異世界の自分はいったいどうなるのだろう。

──女神様の試練が終わったら、この勇者の俺は消えてしまうのか、それとも残り続けるのか……? そういえば、雛月が言ってたっけな。

『パンドラを踏破する勇者として、天神回戦を勝ち抜くシキとして、三月はそれぞれの世界に専用の身体を持って誕生したんだ』

 もしも、それが文字通りの意味を持つのなら。

 行く当ての無くなった身空みそらの自分はこの世界に残り続けることになり、冒険者になってアイアノアたちと気ままに旅に出ることもできる。

 一つの可能性としてはそれも悪くない、何となくそんな風に思った。

「ミヅキ様……」

 そして、ミヅキの提案を聞いた後、アイアノアは瞳をゆっくりと閉じた。
 自分の中で何がどうあれば、どうなっていくのが良いかを考えている。

 正直驚いたし、突飛とっぴとも思える先行きではある。
 しかし、或いはそれに真剣に思いを馳せるべきかもしれない。

 進む先の道は行き止まりで、退路も無く、周りは壁に囲まれている。
 八方塞がりの自らの運命に、ミヅキの差し伸べた手が与えてくれようとしているのは、まるで広大で自由な空へ飛び立っていける翼だった。

 そう感じられたから、アイアノアは心安らかに言った。

「……それも、いいのかもしれませんね。この使命を果たして、役目を終えれば、外の世界に出るのもいいのかな……。肩身狭く里で生きていくよりも、ミヅキ様と世界を旅して回る──。それは、とっても素晴らしいことかもしれませんね」

 言って妹の顔を見つめた。
 どこか困ったような、申し訳なさそうな笑みを零す。

「……ねぇ。エルトゥリンも、来てくれる? あなたも一緒がいいな」

「私は、姉様の行くところならどこへでも着いていく」

 即答のエルトゥリンに、アイアノアは満ち足りて顔を紅潮させた。

 両肩を抱いて、思いもよらなかった未来に満面の笑顔で打ち震えている。
 苦難でしかなかった運命の先に淡い希望が生まれた。

 使命の完遂をもってしても、里全体から恩赦おんしゃを得られるかどうかは不明。
 半ば追放される形で里を旅立った二人が帰れる保証は無い。

 ならば、この使命を逃げ出すのではなく、成し遂げたあかつきの未来でなら。

「──わかりました。ミヅキ様のお考え、よくわかりました!」

 アイアノアはそれを念願の光明として胸に刻む。
 潤んだ瞳でミヅキを見つめ、はっきりとした声で言った。

 決意して話した過去語りと身の上話。
 その結果、初めてこんなにも理解されたうえ、願ってもない展望を示してもらえたことに感激した。

「ミヅキ様、ありがとうございます。私たちの事情と境遇を理解してくださるだけでなく、そのような救いの道まで指し示して頂けるなんて……」

 アイアノアは姿勢を正して、深々と頭を下げた。
 信頼に値するミヅキの言葉ならば、今のアイアノアは受け入れられる。

「里を出て外の世界で生きていくなんて考えもつきもしませんでした……。ですが、行き詰まった運命の果てに圧し潰されるよりよほど良い未来となるでしょう。本当に、救われる思いです……」

 気が抜けたようにふらりと身を翻すと、アイアノアは妹に抱きついた。
 ミヅキから見えるその背姿は、小さく肩を震わせている。
 エルトゥリンの胸に顔をうずめ、か細い声を漏らして泣いた。

「エルトゥリン、やっぱりミヅキ様に話して良かったぁ……。ふぁぁん……」

「姉様、わかってもらえて何よりね……」

 姉の背中を抱く妹は、その背中を優しくさする。
 ミヅキはそんな二人を何も言わずに見つめていた。

 と、アイアノアの肩越しにエルトゥリンと目が合った。
 いつかの朝の、彼女の思いには応えられただろうか。

──エルトゥリン、どうだ? まだまだ安心できる未来は遠いけど、少しは君たちを縛るしがらみを緩める糸口にならないか?

 言葉にしない気持ちをエルトゥリンの目を見つめて伝える。

「……」

 それに応えるエルトゥリンは──。

 不意にミヅキの心臓は、驚きにドキッと大きく高鳴った。
 予想もしていなかった彼女の輝くばかりの反応に動揺を隠せない。

 ミヅキはエルトゥリンの、眩しいほど可愛らしい顔を見てしまったから。

 初めて見せる笑顔。
 目を細め、柔らかく頬を緩めて、小首を傾げて微笑みを見せる。

 幼い子供か小動物のような笑顔で──。
 屈託の一切無い朗らかな感情の声で言った。

「ミヅキ、ありがとうっ」

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