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第4章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅡ~
第128話 戦争と魔女
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「気をつけぇー! 前へ倣えっ! やーすめぇ!」
ミヅキの号令に従い、物言わず身体言語にて姿勢を正す巨人の魔物。
──だったもの。
背筋を伸ばして直立不動、前に誰もいないが両の前腕部をまっすぐ伸ばし、最後は腕を背中の後ろで組んで楽な姿勢で立たせる。
すっかりとミスリルゴーレムのコントロールを奪い、ミヅキは人差し指を立てて意のままに操っていた。
「よし! じゃあ、その頭の剣を返してくれないか」
ひとしきり操作テストをした後、額に突き立ったままの聖剣を引き抜かせる。
ミスリルゴーレムにとって、爪楊枝程度の大きさの剣をつまむように掴んだ。
今まで10年間、何があっても抜けずに突き刺さり続けていた剣だったが、役目はもう終わったと悟ったのか、すんなりと魔物の額から抜けてしまった。
「妖精剣ノールスール。キッキの親父さんの、アシュレイさんの形見だ」
命じて巨体をひざまずかせ、大きなロボットのようにゆっくりとした動きで、手の平に乗せた剣を差し出させた。
手に取ると不滅の太刀同様、剣とは思えないほど軽く、厳かな静謐さが漂う。
派手な装飾は無く、思ったよりもシンプルで分厚い刃の武骨なロングソードだ。
剣から拒否感はなかったが、手を通して伝わってくるのは緊張した気配。
おそらく選ばれた者にしか扱えない特別な代物なのだろう。
「せめて遺族のパメラさんとキッキの元に返そう。構わないだろ?」
すぐ隣に立っているエルトゥリンに振り返った。
もう彼女は星の加護の闘気を収め、元の状態に戻っている。
「うん、その剣はもうエルフの物じゃないから。持ち主だった人間の元に返してあげて。……それよりもミヅキ、こいつをどうするつもりなの? せっかく壊したのにまた直しちゃって」
エルトゥリンは、目の前で巨体を屈めてじっとしている魔物を見上げた。
ぼろぼろに壊れた状態だったのに、地平の加護の力で今は元の雪男と呼ばれていた姿に修復されている。
但し、中枢たるコアをミヅキが掌握しているため、敵に回ることは無い。
「こいつは街に連れて帰ろうと思ってる。ばらばらに解体してミスリルとして売るつもりだ。このふさふさした綺麗な毛も繊維材か何かに使えるんじゃないかな」
「ああ、そうか。この前のコインの魔物みたいにダンジョンを出てしまえば、魔素が切れてただのミスリルやらの素材に戻るという訳ね」
「そうそう。これでもしパメラさんとこの借金を返済できるなら、俺も身軽に動けるようになるだろうし、色々と今後の展望も開けてくるってもんだ。だから、これからも頑張って使命を果たしていこうぜ」
「うん、わかった。ミヅキの好きなようにして」
調子よく語るミヅキに、エルトゥリンは素直に答えた。
手に入った大量のミスリルの固まりは、パンドラの地下迷宮からの収益。
ミスリルは様々な用途で取り扱われ、希少で高価な金属材料らしいので、いくらで売却できるのか今から楽しみである。
「うふふっ……」
アイアノアは微笑んでいた。
これからの使命の先行きを意気揚々と話すミヅキの背中を見つめて。
身体と心を合わせ、神の世界の力の行使をやり遂げた。
彼女もまた、試練を乗り越えたのである。
あれだけの術の発動、魔力消費を経たというのに、まだまだみなぎっている魔力は満ち足りた今の心の在り様を表しているかのようだった。
だから、アイアノアは決心した。
「ミヅキ様、聞いて頂きたいお話があります」
この人間ならば、ミヅキならばきっとわかってくれると信じる。
すべてを知ったうえでも、今と変わらず使命を果たすことに協力してくれる。
何より、ずっと今まで悩み苦しんできた自分たち姉妹を救ってくれる。
そうして、ミヅキの人となりを信頼した。
「まだ、お話できていない私とエルトゥリンの生い立ちのことです。この忌むべき過去語りは、こうしてミヅキ様と共に往く大いなる使命とはまた別の……。秘密裏に私たちエルフが果たそうとしている本当の目的に関係致します」
パンドラの地下迷宮踏破とは別の、エルフたち悲願の真の目的。
エルフ姉妹、アイアノアとエルトゥリンの秘された幼少の過去。
そして、すべての始まりとなった遥か過去の忌まわしい大きな出来事。
「お話ししてもよろしいでしょうか?」
「……ああ、心して聞くよ」
それを話してくれるという意味を噛みしめる。
ミヅキは一度深く呼吸をしてから、微笑みながらも真剣な光を瞳に灯すアイアノアに向き直った。
もうエルトゥリンも何も言わない。
いよいよこの異世界の成り立ちに向き合う時がきた。
エルフ姉妹二人の信頼を勝ち得て、核心である禍根の存在に肉迫する。
雪男の異名で呼ばれた伝説の魔物との戦いを制したミヅキ達一行。
激闘を繰り広げた下層へと続く大階段の広間にて、下したその魔物の見下ろす前で秘されていたこの異世界の過去はついに語られる。
一歩、真相に近付く──。
「現在より遡ること百年前、この国でとても大きな出来事が起こりました。エルフ、ドワーフ、獣人といった亜人、そして人間すべてを巻き込んだ忌まわしい争乱です。時が過ぎた今もなお影を落とし続ける激動の時代……」
沈痛な面持ちで小さく唇を震わせる。
緊張に身体を強張らせながら必死に話そうとしていた。
話す決心をしたとはいえ、アイアノアにとってそれは辛い思い出であったから。
「……」
押し黙り、シキの和装のままミヅキは言葉が紡がれるのを待った。
この地に住まう者たちがみだりに口にすることをためらう禁断の過去。
ミヅキの地平の加護が、最重要の物語の因子にちりちりと頭の中を騒がせる。
そうして、アイアノアはとうとうそれを明かした。
「──それは戦争です。人間たちとの、エルフを初めとする亜人すべてが衝突する戦争があったのです。国の全土が激しい戦火に包まれ、血で血を洗う戦いによってお互いに大勢の命が失われました」
予想外でもあり、予想通りでもあった。
アイアノアの声を聞きつつ、心の中はざわつく一方で冷めている。
「私たちの故郷である、エルフの里が所在する北の大森林地帯。それを当時のイシュタール王家の血気盛んな王族たちは欲しがりました。広大な平野部を版図とするだけでは飽き足らず、欲深な人間は亜人の住処にさえ侵略の手を伸ばしたのです」
百年の昔。
この地で起こったのは人間対亜人の大規模な戦争だった。
数の上で圧倒的に勝る勢力の人間だから実行できた、乱暴で強引な政治的交渉。
人間側からの侵略戦争だったというのが事のあらましである。
「そうか、戦争か……。しかも、侵略戦争……」
歴史の教科書か、海の向こうの外国でしかそれを知らないミヅキだが、その物騒な出来事が何をもたらすのかくらいは想像できる。
「住まう土地を侵略から守るため、私たちは聖戦と呼んでおりますが、人間たちはこう呼称し、言い伝えています」
この異世界の、この国に。
忌むべき歴史としてそれは刻まれていた。
「──『亜人戦争』、と」
「亜人、戦争……」
アイアノアから告げられた、過去の戦争の名がミヅキの意識に吸い込まれる。
新たな事実を、地平の加護がしっかりと受け止めたのがわかった。
おそらくはこの異世界の物語の最重要キーワードなのだろう。
「その戦争で、私たちの両親は命を落としました……。お父様も、お母様も、勇敢なエルフの戦士でしたから……。私とエルトゥリンはまだまだその頃は幼く、戦争に駆り出されずに済みましたが、両親の訃報を理解できる程度には年端を重ねておりました……」
それを話す彼女の声は暗かった。
百年以上もの前に亡くなった両親への悲しみは、人間の時間感覚では測りかねるところがあったが、アイアノアの様子からはそれが癒えたようには見えない。
重苦しくもミヅキは、答えの分かり切っている問いを投げかけた。
「……だから、人間が嫌いなんだな。今でも、人間を恨んでいるのか?」
「──はい、恨んでいます」
力の無い笑顔を浮かべて、アイアノアは間を置かずに答えた。
当時の人間たちと全亜人が武力をもってぶつかり合い、その果てに命が散った。
それが侵略戦争などという理不尽なものとあっては、怨恨が尽きることはない。
幼い時分に父と母を失った怒りと悲しみは、今でも彼女を捕えて離さない。
「お父様とお母様を奪った人間たちが憎いです。他にも、数えきれないほどの同胞が命を落とし、エルフ以外の種族にも多大なる被害が及びました。その根は深く、戦争が終わっても未だに人間を嫌う亜人の方々は、この負の感情を決して忘れてはいないのです……!」
アイアノアは目をぐっと閉じ込み、その先の言葉を続ける。
怒りと悲しみの感情と、行き場を失くした悔しさが荒げた声に滲み出る。
「でもっ! その時の人間たちは今ではもう誰一人生きていないッ……! 私たちエルフにとってはそんなに昔の話ではなく、子供の頃の話だっていうのにっ!」
「アイアノア……」
それも人間のミヅキには到底理解が足りない現実であった。
長命であるがゆえに、人間ならとっくに過ぎ去った百年もの長い時間も、エルフにしてみればそう昔の話ではない。
まだ少女の面影を残すアイアノアとエルトゥリンの、はっきりとした幼少の頃の絶対に忘れられない記憶だった。
「人間たちにとっては、戦争は遥か過去に終わったことで、その記憶は忘却の彼方なのでしょう……。百年前もの昔の過ちを引きずり、数世代前の恨みつらみを訴え続けるエルフは煙たい存在でしかないのでしょうね……」
強がったみたいな自嘲気味の笑みは消え、暗い表情の視線は床に落ちる。
肩を震わせて、しばらくそうしていたが、すみません、と一言謝った。
発露する感情を抑え、アイアノアは過去語りを再開する。
「戦争は数年に及び、膠着状態に陥って、双方の被害ばかりが広がる泥沼と化したそうです。人間の王族の過激派が始めた戦いでしたが、どうあっても侵略を許さず頑強に阻んだ亜人の粘り強さに屈し、これ以上戦争を続けても利益は少なく、最悪には国自体が滅亡するのを憂いた人間たちから和平の申し出がありました。亜人の側も大変疲弊しており、総意を以て和平を締結させる道を選んだのです。そして、多くの犠牲を払っただけの空しい戦争は終わりを迎えました」
戦争を起こした人間の過激派の王は責任を問われて失脚し、終戦という名の平和を新たな人間の体制が自分勝手に確立させたのだという。
応戦はしたが、被害を受けた亜人の側としては憤りしかなかっただろう。
その気持ちを代弁し、エルトゥリンは吐き捨てるように言った。
「自分たちで起こした戦争なのになんて身勝手……。人間なんて大っ嫌いよ!」
「エルトゥリン……」
エルトゥリンも同じく負の感情に身体を震わせていた。
ミヅキは何も言うことができなかった。
話を聞く限り、人間の側を擁護できる要素が何も見つからない。
長命な種族のエルフはずっと覚えていて、比して短命な人間はもうとっくに過ぎ去った過ちとして処理してしまっている。
「ミヅキ様、今より話すことが、この過去語りの最も重要な事実となります。エルフの悲願であり、ミヅキ様にさえ隠していたもう一つの使命です。強制などはできませんが、できれば口外無用で宜しくお願い致します」
アイアノアは厳しい表情でミヅキを見ていた。
有無を言わせない迫力に、ミヅキは黙って頷くしかなかった。
パンドラの地下迷宮踏破という大いなる使命とは別の、もう一つの密命。
秘された核心、因縁の存在へと言及がされる。
「エルフ族長イニトゥム様や他の亜人の代表方の意思により、人間との和平を結ぶに至りましたが、それを由とせずに断固として徹底抗戦を唱えた者がおりました。侵略を始めた人間に対して誰よりも早く先制攻撃を仕掛け、戦争の最中にも人間に最も被害を与えたとされる最強の亜人が、エルフの同胞においでだったのです」
「最強の、エルフ……」
思わず呟きが漏れた。
戦争はただでは終わらず、一度点いてしまった火は簡単には消えなかった。
戦いは続けられた。
一人の亜人、あるエルフの手によって──。
「はい、その御方は戦争が終わった後、たった一人になっても戦いを決してやめず、人間にさらなる被害を及ぼし続けました。最早、亜人の、族長様の制止の声も届くことはなく、泥沼の混沌とした修羅の道をひた走ったと聞き及んでおります」
「まさか、そのエルフってのは……」
喘ぐようなミヅキにアイアノアは答えない。
一度息を整え、胸の前に両手をやった。
彼女の口からゆっくりと出る言葉に、ミヅキの心臓は早鐘さながらに拍動した。
「ミヅキ様、私とエルトゥリンはパンドラの踏破の使命の他に、族長様より密命を帯びてとある人物を追っています。百年前の亜人戦争の戦端を開いたとされる中心人物であり、未だなお終わらない闘争を続けるエルフ、その名は──」
とうとう、忌むべき者の名が飛び出す。
ミヅキと地平の加護は、その名と、存在に触れる。
「ダークエルフ、フィニス……! エルフ族長、イニトゥム様の実の妹君、我が一族の親類です」
「ダークエルフ、フィニス……」
目を見開いて驚くミヅキの脳裏には、フラッシュバックする記憶がよぎった。
夕緋のすぐ後ろに立ち、害意と共に襲い掛かってきたガラス片を打ち払い、蜘蛛の着物の男が放った矢を阻んだ。
あの、銀髪で長身のただならぬ気配を放つエルフの記憶だ。
アイアノアは伏し目がちにミヅキを見ながら謝罪を口にする。
「ミヅキ様、黙っていて申し訳ありませんでした……。私とエルトゥリンは、エルフ族長であられるイニトゥム様の、いいえ、お祖母様の孫に当たり、フィニス様とも血縁関係にあるのです。密命で話せないだけでなく、それを知られてミヅキ様に嫌われたり、怖がられたりするのを避けたかったのが本音だったのです……」
二人が族長イニトゥムの孫娘であることは、アイアノアの魔力切れを起こした折の、望まない洞察ですでに知っていた事実だ。
異なる世界から訪れたミヅキが、元よりフィニスや亜人戦争を知らないのはさておき、エルフ姉妹には大きな負い目があった。
それを語り、知られてしまえば、自分たちが忌避されてしまうのではないかと、ミヅキを信頼すると決めた今でも心配でならなかった。
「フィニス様の御力は凄まじく、闇の精霊を通じて多くの魔物を操り、司る強大な風の魔法は全てを吹き飛ばし、直接剣を交えれば比類なき武の力で他を圧倒する。戦争後の世を戦い続けるフィニス様は、人間たちだけならず亜人の間でも広く忌み嫌われ、恐怖の対象として恐れられました」
武と魔を極めたフィニスは最強の名を恣にしていた。
憎悪する人間に対して、一切の容赦無く復讐の限りを尽くしたという。
敵からだけでなく、仲間から疎まれ恐れられても全く意に介さない。
「融和の道を進もうとする亜人と人間の前に立ちはだかり、その猛威を止めることは何人にも叶わず、被害は拡大する一途を辿ったのです。いつしかフィニス様は、国中からその異名で呼ばれるようになっていました。──『戦乱の魔女』、と」
「戦乱の魔女、フィニスか……」
まるでその所業は、政治的な目的のために暴力を用いて迫るテロリストである。
留まることを知らず、人間に敵対し続ける最強のエルフ。
戦乱の魔女フィニス。
その魔女を追う密命を帯びた、切れない血縁関係のアイアノアとエルトゥリン。
エルフの少女二人は、パンドラの地下迷宮を踏破する使命のミヅキに同行する。
それが何を意味しているのか、もう何となくわかっていた。
だから、アイアノアの言葉に続き、ミヅキは言うのだ。
「亜人戦争の後、しばらく世の中を騒がせていたフィニス様でしたが、ある時期を境に急に行方がわからなくなります。もうこの国を去られてしまったのか、或いは何かの理由で命を落とされてしまったのか。少なくとも、ここ百年もの間は何の音沙汰も無く、その所在は不明なままでした。……ですが、最近になってフィニス様が潜伏されているであろう場所がわかったのです」
「それが、ここって訳か……。多分、パンドラの地下迷宮の最深部……」
思い掛けないその言葉に、アイアノアははっとして驚いていた。
ミヅキは納得がいったという表情でふぅむと唸る。
「勇者の目覚めと使命の開始を告げる今回の神託……。それはそのまま、フィニスっていうお尋ね者の潜む場所を伝えていたんだな。事前の神託があったなら、その内容はエルフたちを信じさせて、実際に行動を起こすに値する情報だったはずだ。不確かでまゆつばな話じゃなくて、自分たちエルフの内から出てしまった厄介者の動向だったり、それをどうにかするための勇者が目覚める話だったり」
「えっ……!? ミヅキ様、何故それを……」
知らないはずの事実を知っているミヅキにアイアノアは慌てた。
まだ彼女は自分たちの秘め事が、随分前に気づかれていたのを知らなかった。
「姉様、大丈夫よ。ミヅキは私たちがフィニス様を追っている密命、──隠し事をしていたことに気付いてたの。気付いてて聞かないでいてくれたのよ」
すかさず助け船を出すエルトゥリンに、アイアノアはほっと胸を撫でおろす。
照れ笑いするミヅキに深々と頭を下げて、もう一度謝罪をした。
「さすがはミヅキ様、お見それ致しました。この無礼をどうかお許し下さいまし。何から何までお気遣い頂き大変恐縮しております……」
「あ、ああ、いいよもうそのことは。エルトゥリンとは話したんだ。二人にも事情があっただろうから、隠し事をしてた云々のことはもう気にしなくていいよ」
少しの間を置いて、すっと頭を上げるアイアノア。
その顔は微笑んでいた。
「……わかりました、ありがとうございます」
身勝手とは思いつつ、隠し事をしていた事実が公になってもきっとミヅキはそう言ってくれる。
大したことではないと、一笑に伏して許してくれる。
ミヅキの人となりを知ったアイアノアはそう予感していたから──。
ミヅキの号令に従い、物言わず身体言語にて姿勢を正す巨人の魔物。
──だったもの。
背筋を伸ばして直立不動、前に誰もいないが両の前腕部をまっすぐ伸ばし、最後は腕を背中の後ろで組んで楽な姿勢で立たせる。
すっかりとミスリルゴーレムのコントロールを奪い、ミヅキは人差し指を立てて意のままに操っていた。
「よし! じゃあ、その頭の剣を返してくれないか」
ひとしきり操作テストをした後、額に突き立ったままの聖剣を引き抜かせる。
ミスリルゴーレムにとって、爪楊枝程度の大きさの剣をつまむように掴んだ。
今まで10年間、何があっても抜けずに突き刺さり続けていた剣だったが、役目はもう終わったと悟ったのか、すんなりと魔物の額から抜けてしまった。
「妖精剣ノールスール。キッキの親父さんの、アシュレイさんの形見だ」
命じて巨体をひざまずかせ、大きなロボットのようにゆっくりとした動きで、手の平に乗せた剣を差し出させた。
手に取ると不滅の太刀同様、剣とは思えないほど軽く、厳かな静謐さが漂う。
派手な装飾は無く、思ったよりもシンプルで分厚い刃の武骨なロングソードだ。
剣から拒否感はなかったが、手を通して伝わってくるのは緊張した気配。
おそらく選ばれた者にしか扱えない特別な代物なのだろう。
「せめて遺族のパメラさんとキッキの元に返そう。構わないだろ?」
すぐ隣に立っているエルトゥリンに振り返った。
もう彼女は星の加護の闘気を収め、元の状態に戻っている。
「うん、その剣はもうエルフの物じゃないから。持ち主だった人間の元に返してあげて。……それよりもミヅキ、こいつをどうするつもりなの? せっかく壊したのにまた直しちゃって」
エルトゥリンは、目の前で巨体を屈めてじっとしている魔物を見上げた。
ぼろぼろに壊れた状態だったのに、地平の加護の力で今は元の雪男と呼ばれていた姿に修復されている。
但し、中枢たるコアをミヅキが掌握しているため、敵に回ることは無い。
「こいつは街に連れて帰ろうと思ってる。ばらばらに解体してミスリルとして売るつもりだ。このふさふさした綺麗な毛も繊維材か何かに使えるんじゃないかな」
「ああ、そうか。この前のコインの魔物みたいにダンジョンを出てしまえば、魔素が切れてただのミスリルやらの素材に戻るという訳ね」
「そうそう。これでもしパメラさんとこの借金を返済できるなら、俺も身軽に動けるようになるだろうし、色々と今後の展望も開けてくるってもんだ。だから、これからも頑張って使命を果たしていこうぜ」
「うん、わかった。ミヅキの好きなようにして」
調子よく語るミヅキに、エルトゥリンは素直に答えた。
手に入った大量のミスリルの固まりは、パンドラの地下迷宮からの収益。
ミスリルは様々な用途で取り扱われ、希少で高価な金属材料らしいので、いくらで売却できるのか今から楽しみである。
「うふふっ……」
アイアノアは微笑んでいた。
これからの使命の先行きを意気揚々と話すミヅキの背中を見つめて。
身体と心を合わせ、神の世界の力の行使をやり遂げた。
彼女もまた、試練を乗り越えたのである。
あれだけの術の発動、魔力消費を経たというのに、まだまだみなぎっている魔力は満ち足りた今の心の在り様を表しているかのようだった。
だから、アイアノアは決心した。
「ミヅキ様、聞いて頂きたいお話があります」
この人間ならば、ミヅキならばきっとわかってくれると信じる。
すべてを知ったうえでも、今と変わらず使命を果たすことに協力してくれる。
何より、ずっと今まで悩み苦しんできた自分たち姉妹を救ってくれる。
そうして、ミヅキの人となりを信頼した。
「まだ、お話できていない私とエルトゥリンの生い立ちのことです。この忌むべき過去語りは、こうしてミヅキ様と共に往く大いなる使命とはまた別の……。秘密裏に私たちエルフが果たそうとしている本当の目的に関係致します」
パンドラの地下迷宮踏破とは別の、エルフたち悲願の真の目的。
エルフ姉妹、アイアノアとエルトゥリンの秘された幼少の過去。
そして、すべての始まりとなった遥か過去の忌まわしい大きな出来事。
「お話ししてもよろしいでしょうか?」
「……ああ、心して聞くよ」
それを話してくれるという意味を噛みしめる。
ミヅキは一度深く呼吸をしてから、微笑みながらも真剣な光を瞳に灯すアイアノアに向き直った。
もうエルトゥリンも何も言わない。
いよいよこの異世界の成り立ちに向き合う時がきた。
エルフ姉妹二人の信頼を勝ち得て、核心である禍根の存在に肉迫する。
雪男の異名で呼ばれた伝説の魔物との戦いを制したミヅキ達一行。
激闘を繰り広げた下層へと続く大階段の広間にて、下したその魔物の見下ろす前で秘されていたこの異世界の過去はついに語られる。
一歩、真相に近付く──。
「現在より遡ること百年前、この国でとても大きな出来事が起こりました。エルフ、ドワーフ、獣人といった亜人、そして人間すべてを巻き込んだ忌まわしい争乱です。時が過ぎた今もなお影を落とし続ける激動の時代……」
沈痛な面持ちで小さく唇を震わせる。
緊張に身体を強張らせながら必死に話そうとしていた。
話す決心をしたとはいえ、アイアノアにとってそれは辛い思い出であったから。
「……」
押し黙り、シキの和装のままミヅキは言葉が紡がれるのを待った。
この地に住まう者たちがみだりに口にすることをためらう禁断の過去。
ミヅキの地平の加護が、最重要の物語の因子にちりちりと頭の中を騒がせる。
そうして、アイアノアはとうとうそれを明かした。
「──それは戦争です。人間たちとの、エルフを初めとする亜人すべてが衝突する戦争があったのです。国の全土が激しい戦火に包まれ、血で血を洗う戦いによってお互いに大勢の命が失われました」
予想外でもあり、予想通りでもあった。
アイアノアの声を聞きつつ、心の中はざわつく一方で冷めている。
「私たちの故郷である、エルフの里が所在する北の大森林地帯。それを当時のイシュタール王家の血気盛んな王族たちは欲しがりました。広大な平野部を版図とするだけでは飽き足らず、欲深な人間は亜人の住処にさえ侵略の手を伸ばしたのです」
百年の昔。
この地で起こったのは人間対亜人の大規模な戦争だった。
数の上で圧倒的に勝る勢力の人間だから実行できた、乱暴で強引な政治的交渉。
人間側からの侵略戦争だったというのが事のあらましである。
「そうか、戦争か……。しかも、侵略戦争……」
歴史の教科書か、海の向こうの外国でしかそれを知らないミヅキだが、その物騒な出来事が何をもたらすのかくらいは想像できる。
「住まう土地を侵略から守るため、私たちは聖戦と呼んでおりますが、人間たちはこう呼称し、言い伝えています」
この異世界の、この国に。
忌むべき歴史としてそれは刻まれていた。
「──『亜人戦争』、と」
「亜人、戦争……」
アイアノアから告げられた、過去の戦争の名がミヅキの意識に吸い込まれる。
新たな事実を、地平の加護がしっかりと受け止めたのがわかった。
おそらくはこの異世界の物語の最重要キーワードなのだろう。
「その戦争で、私たちの両親は命を落としました……。お父様も、お母様も、勇敢なエルフの戦士でしたから……。私とエルトゥリンはまだまだその頃は幼く、戦争に駆り出されずに済みましたが、両親の訃報を理解できる程度には年端を重ねておりました……」
それを話す彼女の声は暗かった。
百年以上もの前に亡くなった両親への悲しみは、人間の時間感覚では測りかねるところがあったが、アイアノアの様子からはそれが癒えたようには見えない。
重苦しくもミヅキは、答えの分かり切っている問いを投げかけた。
「……だから、人間が嫌いなんだな。今でも、人間を恨んでいるのか?」
「──はい、恨んでいます」
力の無い笑顔を浮かべて、アイアノアは間を置かずに答えた。
当時の人間たちと全亜人が武力をもってぶつかり合い、その果てに命が散った。
それが侵略戦争などという理不尽なものとあっては、怨恨が尽きることはない。
幼い時分に父と母を失った怒りと悲しみは、今でも彼女を捕えて離さない。
「お父様とお母様を奪った人間たちが憎いです。他にも、数えきれないほどの同胞が命を落とし、エルフ以外の種族にも多大なる被害が及びました。その根は深く、戦争が終わっても未だに人間を嫌う亜人の方々は、この負の感情を決して忘れてはいないのです……!」
アイアノアは目をぐっと閉じ込み、その先の言葉を続ける。
怒りと悲しみの感情と、行き場を失くした悔しさが荒げた声に滲み出る。
「でもっ! その時の人間たちは今ではもう誰一人生きていないッ……! 私たちエルフにとってはそんなに昔の話ではなく、子供の頃の話だっていうのにっ!」
「アイアノア……」
それも人間のミヅキには到底理解が足りない現実であった。
長命であるがゆえに、人間ならとっくに過ぎ去った百年もの長い時間も、エルフにしてみればそう昔の話ではない。
まだ少女の面影を残すアイアノアとエルトゥリンの、はっきりとした幼少の頃の絶対に忘れられない記憶だった。
「人間たちにとっては、戦争は遥か過去に終わったことで、その記憶は忘却の彼方なのでしょう……。百年前もの昔の過ちを引きずり、数世代前の恨みつらみを訴え続けるエルフは煙たい存在でしかないのでしょうね……」
強がったみたいな自嘲気味の笑みは消え、暗い表情の視線は床に落ちる。
肩を震わせて、しばらくそうしていたが、すみません、と一言謝った。
発露する感情を抑え、アイアノアは過去語りを再開する。
「戦争は数年に及び、膠着状態に陥って、双方の被害ばかりが広がる泥沼と化したそうです。人間の王族の過激派が始めた戦いでしたが、どうあっても侵略を許さず頑強に阻んだ亜人の粘り強さに屈し、これ以上戦争を続けても利益は少なく、最悪には国自体が滅亡するのを憂いた人間たちから和平の申し出がありました。亜人の側も大変疲弊しており、総意を以て和平を締結させる道を選んだのです。そして、多くの犠牲を払っただけの空しい戦争は終わりを迎えました」
戦争を起こした人間の過激派の王は責任を問われて失脚し、終戦という名の平和を新たな人間の体制が自分勝手に確立させたのだという。
応戦はしたが、被害を受けた亜人の側としては憤りしかなかっただろう。
その気持ちを代弁し、エルトゥリンは吐き捨てるように言った。
「自分たちで起こした戦争なのになんて身勝手……。人間なんて大っ嫌いよ!」
「エルトゥリン……」
エルトゥリンも同じく負の感情に身体を震わせていた。
ミヅキは何も言うことができなかった。
話を聞く限り、人間の側を擁護できる要素が何も見つからない。
長命な種族のエルフはずっと覚えていて、比して短命な人間はもうとっくに過ぎ去った過ちとして処理してしまっている。
「ミヅキ様、今より話すことが、この過去語りの最も重要な事実となります。エルフの悲願であり、ミヅキ様にさえ隠していたもう一つの使命です。強制などはできませんが、できれば口外無用で宜しくお願い致します」
アイアノアは厳しい表情でミヅキを見ていた。
有無を言わせない迫力に、ミヅキは黙って頷くしかなかった。
パンドラの地下迷宮踏破という大いなる使命とは別の、もう一つの密命。
秘された核心、因縁の存在へと言及がされる。
「エルフ族長イニトゥム様や他の亜人の代表方の意思により、人間との和平を結ぶに至りましたが、それを由とせずに断固として徹底抗戦を唱えた者がおりました。侵略を始めた人間に対して誰よりも早く先制攻撃を仕掛け、戦争の最中にも人間に最も被害を与えたとされる最強の亜人が、エルフの同胞においでだったのです」
「最強の、エルフ……」
思わず呟きが漏れた。
戦争はただでは終わらず、一度点いてしまった火は簡単には消えなかった。
戦いは続けられた。
一人の亜人、あるエルフの手によって──。
「はい、その御方は戦争が終わった後、たった一人になっても戦いを決してやめず、人間にさらなる被害を及ぼし続けました。最早、亜人の、族長様の制止の声も届くことはなく、泥沼の混沌とした修羅の道をひた走ったと聞き及んでおります」
「まさか、そのエルフってのは……」
喘ぐようなミヅキにアイアノアは答えない。
一度息を整え、胸の前に両手をやった。
彼女の口からゆっくりと出る言葉に、ミヅキの心臓は早鐘さながらに拍動した。
「ミヅキ様、私とエルトゥリンはパンドラの踏破の使命の他に、族長様より密命を帯びてとある人物を追っています。百年前の亜人戦争の戦端を開いたとされる中心人物であり、未だなお終わらない闘争を続けるエルフ、その名は──」
とうとう、忌むべき者の名が飛び出す。
ミヅキと地平の加護は、その名と、存在に触れる。
「ダークエルフ、フィニス……! エルフ族長、イニトゥム様の実の妹君、我が一族の親類です」
「ダークエルフ、フィニス……」
目を見開いて驚くミヅキの脳裏には、フラッシュバックする記憶がよぎった。
夕緋のすぐ後ろに立ち、害意と共に襲い掛かってきたガラス片を打ち払い、蜘蛛の着物の男が放った矢を阻んだ。
あの、銀髪で長身のただならぬ気配を放つエルフの記憶だ。
アイアノアは伏し目がちにミヅキを見ながら謝罪を口にする。
「ミヅキ様、黙っていて申し訳ありませんでした……。私とエルトゥリンは、エルフ族長であられるイニトゥム様の、いいえ、お祖母様の孫に当たり、フィニス様とも血縁関係にあるのです。密命で話せないだけでなく、それを知られてミヅキ様に嫌われたり、怖がられたりするのを避けたかったのが本音だったのです……」
二人が族長イニトゥムの孫娘であることは、アイアノアの魔力切れを起こした折の、望まない洞察ですでに知っていた事実だ。
異なる世界から訪れたミヅキが、元よりフィニスや亜人戦争を知らないのはさておき、エルフ姉妹には大きな負い目があった。
それを語り、知られてしまえば、自分たちが忌避されてしまうのではないかと、ミヅキを信頼すると決めた今でも心配でならなかった。
「フィニス様の御力は凄まじく、闇の精霊を通じて多くの魔物を操り、司る強大な風の魔法は全てを吹き飛ばし、直接剣を交えれば比類なき武の力で他を圧倒する。戦争後の世を戦い続けるフィニス様は、人間たちだけならず亜人の間でも広く忌み嫌われ、恐怖の対象として恐れられました」
武と魔を極めたフィニスは最強の名を恣にしていた。
憎悪する人間に対して、一切の容赦無く復讐の限りを尽くしたという。
敵からだけでなく、仲間から疎まれ恐れられても全く意に介さない。
「融和の道を進もうとする亜人と人間の前に立ちはだかり、その猛威を止めることは何人にも叶わず、被害は拡大する一途を辿ったのです。いつしかフィニス様は、国中からその異名で呼ばれるようになっていました。──『戦乱の魔女』、と」
「戦乱の魔女、フィニスか……」
まるでその所業は、政治的な目的のために暴力を用いて迫るテロリストである。
留まることを知らず、人間に敵対し続ける最強のエルフ。
戦乱の魔女フィニス。
その魔女を追う密命を帯びた、切れない血縁関係のアイアノアとエルトゥリン。
エルフの少女二人は、パンドラの地下迷宮を踏破する使命のミヅキに同行する。
それが何を意味しているのか、もう何となくわかっていた。
だから、アイアノアの言葉に続き、ミヅキは言うのだ。
「亜人戦争の後、しばらく世の中を騒がせていたフィニス様でしたが、ある時期を境に急に行方がわからなくなります。もうこの国を去られてしまったのか、或いは何かの理由で命を落とされてしまったのか。少なくとも、ここ百年もの間は何の音沙汰も無く、その所在は不明なままでした。……ですが、最近になってフィニス様が潜伏されているであろう場所がわかったのです」
「それが、ここって訳か……。多分、パンドラの地下迷宮の最深部……」
思い掛けないその言葉に、アイアノアははっとして驚いていた。
ミヅキは納得がいったという表情でふぅむと唸る。
「勇者の目覚めと使命の開始を告げる今回の神託……。それはそのまま、フィニスっていうお尋ね者の潜む場所を伝えていたんだな。事前の神託があったなら、その内容はエルフたちを信じさせて、実際に行動を起こすに値する情報だったはずだ。不確かでまゆつばな話じゃなくて、自分たちエルフの内から出てしまった厄介者の動向だったり、それをどうにかするための勇者が目覚める話だったり」
「えっ……!? ミヅキ様、何故それを……」
知らないはずの事実を知っているミヅキにアイアノアは慌てた。
まだ彼女は自分たちの秘め事が、随分前に気づかれていたのを知らなかった。
「姉様、大丈夫よ。ミヅキは私たちがフィニス様を追っている密命、──隠し事をしていたことに気付いてたの。気付いてて聞かないでいてくれたのよ」
すかさず助け船を出すエルトゥリンに、アイアノアはほっと胸を撫でおろす。
照れ笑いするミヅキに深々と頭を下げて、もう一度謝罪をした。
「さすがはミヅキ様、お見それ致しました。この無礼をどうかお許し下さいまし。何から何までお気遣い頂き大変恐縮しております……」
「あ、ああ、いいよもうそのことは。エルトゥリンとは話したんだ。二人にも事情があっただろうから、隠し事をしてた云々のことはもう気にしなくていいよ」
少しの間を置いて、すっと頭を上げるアイアノア。
その顔は微笑んでいた。
「……わかりました、ありがとうございます」
身勝手とは思いつつ、隠し事をしていた事実が公になってもきっとミヅキはそう言ってくれる。
大したことではないと、一笑に伏して許してくれる。
ミヅキの人となりを知ったアイアノアはそう予感していたから──。
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