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第4章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅡ~

第125話 一目惚れ

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「ミヅキ様ぁっ、行きますよぉ! 歯をお食いしばりになって下さいましっ!」

「いてててててっ! アイアノアっ、もっと優しくっ……!」

 轟音と振動が響いている。
 エルトゥリンと雪男との苛烈な戦場よりかなり後方。

 ダンジョンの立派な太い柱にしがみついたミヅキの背中に、銀色の尖った毛針が突き刺さっている。
 それをアイアノアがふんぞり返って、力いっぱい両手で引き抜こうとしていた。

 すぽんっ!

 やがて、小気味良い音を響かせ、ミスリルゴーレムの毛が背中から抜け飛んだ。

「うぎゃあ! ……くっそう、雪男の奴め……。ひどい目に遭わせやがって」

「あのような攻撃は全くの予想外でした……。ともあれですが、ミヅキ様がご無事で良かったです……」

 悲鳴をあげて恨み言を言うミヅキと、安堵のため息をつくアイアノアの二人。
 あれほどの過密な放射攻撃であったが、何とかミヅキは無事で済んでいた。

 アイアノアを庇うと同時に、とっさに地平の加護を発動させていた。

『対象選択・《勇者ミヅキ》・効験付与・《レッドドラゴンの表皮》』

 ドラゴンの体表の皮膚の強度は鋼鉄のそれよりも高い。
 ミヅキの体表面は硬い竜の皮で守られ、毛針の直撃による致命傷を免れたのだ。

 背中に次々と突き立つリアルな衝撃と痛みにたまらず意識は飛んでしまったが、肉体へのダメージはさほどでもなかった。

「せっかくパメラさんに縫ってもらったのになぁ。またローブがぼろぼろだよ」

 ミヅキは着衣を脱ぐと、それを眺めてみてぼやいた。

 悪の魔法使い風な真っ黒なローブは背中が穴だらけになってしまい、下に着込んでいた鎖帷子くさりかたびらも同様の有様だ。
 もうこうなってしまっては修繕するにも限界があろうというものだ。

 そして、ドラゴンの表皮で守ったとはいえ、無傷で済んだ訳ではない。
 目立つ刺し傷のあとが幾つも残っている。
 鋼鉄以上の防御力に穴を開けるのだから、毛針の威力と射出速度は相当である。

「……お加減はいかがですか? すぐに良くして差し上げます」

「同じ回復魔法でも自分で掛けるより、他人にしてもらうほうが気持ちいいな」

 背中を向けて床に座るミヅキに、アイアノアは得意の風の回復魔法、エアヒールを使用する。
 こんな状況なのに呑気な軽口を叩かれて、彼女は、もう、とため息をついた。

「ミヅキ様……」

 目の前の複数の傷痕が、優しい緑の風の光でじわじわと治っていく。
 それを見つめるアイアノアの表情は浮かないまま。
 そんな彼女の口から漏れ出すのも、やはり後ろ向きな気持ちの言葉だった。

「また、私を庇って下さったのですね……。本来ならば、私がミヅキ様のご助力にならなくてはならないというのに……。思えば、これまでずっとお守りして頂いてばかり……。うぅ、不甲斐ない私めをお許し下さいまし……。そして、本当にありがとうございます。今度も命を救って頂きました」

 震える声と、鼻をすする音が背後から聞こえてくる。
 ミヅキは苦笑いを浮かべた。

──これじゃ、いつかの魔力切れのダンジョン帰りの時と同じだな。またアイアノアは自分の力不足を気にして落ち込んでる。

 夕焼けの空の下、トリスの街への帰り道を思い出している。
 あのときもアイアノアは自分の不甲斐なさを気にしていた。

──純粋で傷付きやすくて、多分まだまだ人間の俺に気を遣ってる。俺の数倍は長く生きてる長生きのエルフなのに、アイアノアの気持ちは年端のいかない女の子と変わらないな。

 エルフは歳の取り方が人間とは違うのだろう。
 いくら長く生きていようが、その心は少女のように繊細せんさいだ。
 アイアノアに背を向けたまま、ミヅキは努めて明るく言った。

「アイアノアだって、いつも俺を太陽の加護で助けてくれてるだろ。こうやって風の魔法で回復もしてくれるし、ガストンさんたちがドラゴンに怪我させられた時もおんなじように治してくれたじゃないか。ちょっとくらい俺がアイアノアの危ないところを助けたっておあいこだよ。助け合いはお互い様でよろしく」

 加えて冗談ぽく笑い、エルトゥリンは助けなくても大丈夫そうだな、と言った。

 但し、沈むエルフの彼女からは応答がない。
 もう一度、ずずっと鼻を鳴らす音が聞こえた。

 アイアノアとエルトゥリンの悲壮ともいえる、使命に対する実直な向き合い方には頭が下がる思いだが、もう少しリラックスするのも大事だと感じる。

「か弱い女の子に、身を挺して身体を張ってこそ伝わるのが誠意ってもんだろう。何なら、ついでに火の中だろうが水の中だろうが飛び込んでいっても構わないぞ。そんなことでアイアノアの信頼を勝ち取れるんなら安いもんだ!」

 だから、少しおどけてミヅキは続けた。
 彼女の心を和ませるためと、憧れのエルフと仲良くなれるならそのくらいの覚悟はあるという気合いでもあったのだが。

「こんな時に、そのような冗談はおやめ下さいましっ! それで命を落としてしまわれては何にもなりませんっ……」

「むむっ……!?」

 明るく和ませようとしたのに曇った声にかき消されてしまい、かえって逆効果になってしまった。

「私の信頼だなんて……。そんなものに大した価値などありません……」

 ネガティブな思考に陥ってしまったアイアノアは自分の心を吐露する。

「使命を果たすため……。そう言ってしまえばすべてがそれに尽きます……。私の場合、良いところをミヅキ様に見せたくて、自分の力を誇示しようと打算的にやっているに過ぎないのです……。いざという時にとっさに、異種族の、人間の方々を助けられるかどうかははなはだ自信がありません……。だから、ミヅキ様のような博愛はくあいの心を持っての行動とは言い難いのです……」

「博愛の心か。随分と良いように褒めてくれるんだなぁ」

 ちょっと参ったみたいに笑い、ミヅキは肩越しにアイアノアを振り向き見た。

 少し乱れた金色の髪の間から潤んだ緑の瞳がこちらを見つめている。
 風の魔法の淡い光に包まれているエルフの彼女は、幻想的でとても綺麗だった。

 こんな時なのに心ならずもドキドキしてしまうのを抑え、ミヅキは心の中を整理しながらアイアノアに考えを説くのであった。

──やれやれ、実際のところは無我夢中で、勝手に身体が動いてしまっただけなんだけど、博愛だなんて言ってもらえるのは悪い気はしないな。親父の教え通りに、信念に従った俺の行動で、運命が切り開けていくんならよしとしよう。生まれや種族だけで人となりが決まるんじゃない。どう思っていようが、何をしたかでそいつの価値が決まるんだ。……アイアノアにもわかって欲しいな。

「……必ずしも献身的な善じゃないと駄目って訳じゃないよ。打算的にやったことでもいいじゃないか。そのお陰で助かった命だってたくさんあるんだ。アイアノアはきっと、他人に感謝される良いことをしたんだよ。それは間違いない」

「ミヅキ様、でも……」

 そうまで言っても、アイアノアの表情は晴れないままだった。

 ミヅキだけでなく、ガストンら人間を助けたのは紛れもない事実だ。
 感謝もされたし、善行をしたという自覚も彼女にはあった。

 しかし、見返りを求めずに好意的に接してくれるミヅキのことが、結局のところでは理解できないでいた。

「良くして頂けるのは素直に嬉しいです。……ですけど、どうして人間のミヅキ様がそこまでお優しいのかが、私にはわからないのです。少なくとも、私は人間たちに同じ感情を持てそうにはありません……」

 だから、思わず言ってしまう。

 なまじ心を許したばかりに、普段のアイアノアなら我慢して言わずにいることを再び口走ってしまう。

「──私はエルフで、ミヅキ様は人間なのですよ」

 そう言ったアイアノアの目は、あのいさかいの晩に見せた目と同じだった。

 人間ではない彼女が見せたエルフの目。
 人間を忌み嫌う異種族の目。

 しかし、悲しみと寂しさをも感じさせる複雑な色の目であった。

「アイアノア──」

 ミヅキはそんなアイアノアの顔を振り向いたままじっと見つめる。

 過去に何かがあり、人間に対して強い嫌悪感を抱いている。
 しかし、彼女なりに保守的な考えから脱却しようと知識を集め、人間の側に歩み寄ろうとしているのも本当である。

 そうでなくとも神託の使命に従い、パンドラの地下迷宮を正常化し、本気で世界を守ろうとしているのだ。

 守りたい世界に人間たちが多く含まれているのだって当然承知している。
 一途いちず不器用ぶきよう猪突猛進ちょとつもうしんな暴走もするが、基本的なところでは善人の女の子。

「いい機会だから言っておくね。ちょっと恥ずかしいんだけども……」

 ミヅキはそんなアイアノアをいとおしく思う。

 だから、子供の頃からずっと胸の奥にしまっていた気持ちをさらけ出す。
 振り向いていた首を前向きに戻し、アイアノアを見ずにゆっくり話し始める。

「俺さ、エルフに憧れてたんだ。俺の住んでたところにはエルフなんていなくてね。記憶も自覚も無いまま、使命だ何だのの勇者をやる羽目になった訳だけど、想像の中にしか存在しなかった、憧れのエルフに出会えて本当に良かったって思うんだ。何ならそれだけでももう満足なくらいさ」

 きょとんとする憧れのエルフに、ミヅキは言葉を続けた。

「それでさ、エルフはエルフでも、髪が長くて金髪で、緑色の瞳の美人で可愛い女の子が理想でさ。そんなエルフの女の子と今一緒にいるのかと思うと俺って本当に運が良いなって、喜びに小躍りでもしたい気分になるよ」

「えっ!? ミヅキ様、このような時に何を……? それは、私のことですか?」

 明らかに自分を指すミヅキの話にアイアノアは目を丸くする。

 巻き込まれた未だに不明な異世界の旅、女神様の試練、大いなる使命。
 しかし、少年のときから焦がれた彼女に出会えたのは、何よりの幸運であったことは疑いようもない事実だった。

「出会った時からずっと思ってたんだ。俺の憧れの存在、美少女のエルフと冒険ができて本当に夢みたいだった、って。……だからさ、俺も同じなんだよ」

 ミヅキはおどけつつも思い出していた。
 アイアノアが使命の勇者と良い関係を築くために努力していた心の持ち様を。

「いいなって思ったエルフの女の子に俺のことを良く思ってもらおうと、頑張っていい格好しようとしたんだ。アイアノアを助けてる俺のほうも、いい加減に打算的だって訳さ」

「……」

「好きになってもらうために、相手を好きだと思って振る舞うアイアノアの考えはいいことだと思う。そういう努力をしてお互いの距離が縮まるんなら、むしろそれは進んでやるべきじゃないかな」

「ミヅキ様と私は、同じ……」

 ミヅキの話に聞き入り、呟きが漏れる。
 長く大きな耳をぴんと張り、言葉を聞き逃さないようにしていた。

「二人の過去に何があったのか知らないから無責任なことしか言えないけど……。やっぱり俺も人間だからさ、人間自体を好きになれないでも、アイアノアが許せる相手だけでいいから少しは良く見て欲しくてさ。だから、その、何ていうか、俺はアイアノアと仲良くしたいよ。──これからも良い関係性でありたい、です!」

「ま、まぁっ、ミヅキ様ったら……」

 もうアイアノアの魔法による傷の治療は終わっている。
 改めて振り向いて座り直すと、彼女は口許を両手で覆って顔を赤らめていた。

 長耳を先まで真っ赤にしながら、とろんとした目でミヅキを見つめている。
 ともすれば、目を泳がせながら照れ隠しにも見える問いを返してきた。

「ミミっ、ミヅキ様はっ、記憶喪失であられるということでしたが……。いつかの夜のお父様とのことや今のお話の内容からすると、もうお忘れになっていた記憶を思い出されたのですか?」

「うーん、正直言ってさ、別に親父の話や子供の頃を忘れてたって訳じゃないからなぁ……。嘘っぽいとは思うだろうけど、パンドラの外で倒れてたこととか、この一ヵ月の間のことは何もわからんままなんだ。その辺りは今まで通り、記憶喪失でよろしくって感じだな。だから、それでも疑わしいならこれからの俺の人となりを見てもらって、信じてもらえるようにしていくしかないなぁ」

 問いに対して嘘偽りなく真面目に答えたつもりだったのに、やっぱりどこか他人事のような言い方になってしまい、ミヅキは自分で言っていて首を傾げてしまう。

「くすくすっ、何だかご都合のよろしい記憶喪失ですねっ」

 その様子を見たアイアノアは吹き出して、ころころと可愛らしく笑った。

「──あははっ、可笑おかしいっ。あはははっ」

 いつもは上品に笑うアイアノアが、白い歯を見せて子供みたいに笑っていた。

 そうしてひとしきり笑い、ゆっくりと一息をついた。
 アイアノアはミヅキの目を柔らかい表情で真っ直ぐ見つめる。

 安心したような、許し認めたような、はたまた呆れてしまったかのような──。
 色々な感情が混ざり合い、吹っ切れた感のある顔をしてアイアノアは言った。

「ミヅキ様は違うのでしょうね……。ミヅキ様は私たち姉妹を長くさいなみ続ける人間たちとは違う。……きっと、信じていいのでしょうね」

 アイアノアの気持ちは氷解しようとしていた。
 少なくとも、率直な真心で接してくれるミヅキには心を許そうと決心する。

「私も今はもうミヅキ様のことを信じたい、そう心に思い願っております。そして、使命を果たしたい。……あなた様と一緒に」

 種族間の根深い軋轢あつれきから端を発した、ある夜の人間とエルフの衝突。

 しかし、今となっては人間のミヅキも、エルフのアイアノアとエルトゥリンも手を取り合い、同じ方向を向いて進み始めている。
 立ち塞がる障害を打倒し、その先にある融和ゆうわを使命の完遂に見る。

 アイアノアは背後遠くの敵を振り返った。
 エルトゥリンの奮闘は変わらず、地響きと轟く戦闘音が絶えず伝わってくる。

「そのためには、あの強大な敵を越えていかなければなりません……!」

 もう一度、ミヅキに向き直る彼女の表情は凛とした真剣なものに変わっていた。
 仲良く手を取り合うだけでは乗り越えられない壁がある。
 それを了解済みのミヅキは、アイアノアに大きく頷いて見せた。

「わかってる、今からこの窮地きゅうちをひっくり返す! あの化け物に勝って俺たち三人とも皆が無事に帰れたらでいい! そうしたら俺の願いを聞いてくれ! 改めて、俺の仲間になって欲しい! よろしく頼む!」

 あぐらをかいて座ったまま、頭をがばっと下げて、右手を差し出す。
 アイアノアは微笑み、迷わずすぐにミヅキの手をそっと両手で取った。

「わかりました。わかりましたからどうかお顔を上げて下さいまし。あなたは私の苦手な人間ですけれど、あなたのことだけは他とは別に見るように致します。仲間になれと仰るならそう致します。──本当に本当に、特別なのはミヅキ様だけですからね?」

 はにかむ笑顔の美少女エルフの手は細くて柔らかかった。
 その手をがっちり握り、少年の心を忘れないミヅキは年齢を忘れて歓喜した。

 アイアノアのほうも驚きながらも安堵していた。
 風変わりな人間の勇者が、幸いにも種族間の確執かくしつを意に介さないばかりか、忌み嫌われるはずのエルフの自分にあからさまな好意を抱いていた。
 今はそれを嬉しいとさえ思う。

「やったぜ、約束だぞっ! この戦いが終わって生きて帰れたら俺たちはもう本当の仲間で、仲良しこよしだ! エルフの女の子と仲良くなりたいっていう子供の頃からの夢が叶ったぞ! ひゃっほう!」

「もう、そんなにおはしゃぎになられて。やっぱり、ミヅキ様のお心は最初から私のものだったという訳ですね。理想の相手が不意に現れた時の感情の高ぶり……。──知ってます。これって、一目惚ひとめぼれというのですよね」

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