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第4章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅡ~

第114話 仲直りの後

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「それじゃ、そろそろ俺、戻るね」

 ミヅキはそう言って、腰を下ろしていたベッドから立ち上がった。
 もう一台のベッドで、すっかり笑顔が戻ったアイアノアが見上げている。

 お互いの熱が移り合うくらい手を握った後、ようやく解放されたミヅキは絆を繋ぎ留められた仲間の部屋を後にしようとする。

 部屋の出入り口のドアの脇に、壁を背にして立つエルトゥリンと目が合う。
 ミヅキは彼女にも握手の手を差し出して言った。

「エルトゥリンもこれで許してくれるか? 星の加護の力で脅されて無理やり従わせられるってのは、正直勘弁だ……」

 冗談交じりに言う相手は、両腕を組んだまま相変わらず仏頂面のエルトゥリン。

 青い目がじろっと睨んでくるが、険が無くなっていたのも気のせいではない。
 エルトゥリンだってミヅキと和解できたのを内心では、ほっとしているのだ。

「……もう姉様を泣かせない?」

「うん、泣かせない」

「約束よ」

「約束する」

「わかった。じゃあ許してあげる」

「よし! ありがとう!」

 何より、悲しんでいた姉に笑顔が戻ったことがミヅキを許す決め手となった。
 二人はしっかと握手を交わし、種族間の軋轢あつれきが生んだ気持ちのすれ違いは解決したと確かめ合うのだった。

「ねぇ、エルトゥリン──」

 ミヅキが部屋を後にし、閉じられたドアをぼぅっとエルトゥリンが見ていると、背後にゆっくりとアイアノアが歩み寄ってくる。

 妹が振り向くと、姉はどこかふわふわとした表情でうっとりとしていた。
 片手をまだ赤い頬に添えて、ほぅ、とため息。

「ミヅキ様って素晴らしい考えをお持ちね……。血筋や出自よりもその人となりが大事、かぁ……。どんな種族であれ、どう生きるのかでその人の価値が決まる、ということよね。……進歩的な道徳観だわ。私、ちょっと感動しちゃったぁ」

「うん、あんな考えの人間もいるんだね。人間なんて、自分たち以外の種族を白い目で見る奴らばっかりだと思ってた」

 エルトゥリンも姉の見解には概ね同意の様子だった。
 あまり感情を外に出さない彼女にとっても、ミヅキの話は心に響いた。

 ともあれ、エルトゥリンは思う。
 一時はどうなるかとはらはらさせられたが、悲しみに暮れていた姉に笑顔が戻り、使命も続けられることとなり、ひとまずは安堵の息を吐く。

 と、その姉が何かを思い出したように、くすくすと笑い始めた。

「あぁ、これってあれよねっ。揉め事の後に仲直りすると、かえって前よりも良好な関係になることができるんだってっ。これで、私たちとミヅキ様の仲らいはより良くなったに違いないわっ」

「姉様は前向きね……」

 雨降って地固まる、を言いたかったのか、さっきまで失意に塞ぎ込んでいたのが嘘のように愉快に微笑むアイアノア。
 そんな楽観的な姉を横目に、エルトゥリンは皮肉を言って呆れていた。

 ただ、ミヅキの話には引っ掛かるところが色々とあった。

──でも、さっきのあの話……。あれってミヅキの子供の頃の話? 小さい子たちが集まって教育を受けられる施設って……? ガッコウ……? そんな教育機関を利用できていたなんて、ミヅキは裕福な家の貴族の跡取りか何か?

 出会ったばかりの使命の勇者には不明な点が多い。
 聞き慣れない言葉もちらほらあった。 

──姉様は気にしてなさそうだけど、失くした記憶が戻ってきてるということなの? そもそも、そんな人間がどうしてパンドラ近くの森で、裸で倒れていたんだろう? でも、地平の加護のとてつもない力は、間違いなく選ばれし勇者の証だから……。

「んん、わからない……」

 静かに吐く息と一緒に呟いた。
 ミヅキがそうだったように、エルトゥリンもやり取りの違和感に気づいていた。

 現実の中世でも時代が時代なら、家庭教師や修道院付属学校で教育を受けることができたのは上流階級の人間たちだけで、一般的な貧しい農家や、何らかの事情で親のいない子供たちには勉強をする機会が与えられなかった場合が多い。

 勤勉なアイアノアのお陰で、エルトゥリンは読み書き等の最低限の知識を教えてもらえたが、エルフの里でも教育を受けていない者は少なくない。
 話の食い違いだけに留まらず、疑問はミヅキの存在自体に及ぶ。

──異種族間の問題やハーフの話に疎かったり、使命のパンドラ踏破よりも無事に戻って来られることを目的にしてたり、記憶喪失で色々忘れてるとしてもしっくりこない感じ……。そもそも、ミヅキは本当に使命に臨むつもりがあるのかしら……。神託に選ばれし勇者って、いったい何者なんだろう……。

 エルトゥリンにはミヅキが何を考え、何を目的としているのかがわからない。
 ふわふわしていて真剣味に欠けるというか、勇者の役割を忠実に果たそうとしているとは到底思えない。
 使命に素直に臨んでくれる分には何の不都合も無いのだが。

──ミヅキはきっと、悪い人間じゃない。やけに素直で物分かりが良くて、呆れるほどお人好しで、何も知らない風だけど心の底で考えていることは鋭い……。私たちがまだ言えていない秘密があるのを知っていて、それでもちゃんとは聞いてこない……。

 ミヅキはきっと自分たちの隠し事に気付いている。
 気づいていながら、こちらの都合を理解して、調子を合わせて動いてくれるミヅキの人の良さに違和感を感じてしまう。

 疑念を抱いていてなお、それを進んで晴らそうとはせず、必要以上に踏み込んでくることもない。
 気を遣っているのか、はたまた上の空で興味が無いのか。

「ねぇ、エルトゥリン」

「えっ、なに、姉様?」

 そう思いに耽っているとアイアノアがふと口を開いた。
 笑顔なのに、そこには憂いを帯びた感情が同居している。

「ミヅキ様ならわかってくれるかな……? 話しても、大丈夫かな……? 決して許されることのない私たちの、──忌み嫌われた血筋と、罪のことを……」

 彼女は祈るように願い、救いを求めていた。
 胸の奥にずっと閉じ込めている思いに、もしかしたらミヅキが応えてくれるのではと期待する。

「姉様……」

 エルトゥリンはずきんと胸に痛みを覚えた。
 姉の気持ちと言いたいことはよくわかるから。

 これまでもこれからも、エルフ姉妹に付きまとう忌まわしい禍根かこん
 打ち明けるのが恐ろしくて、まだミヅキに話せていない隠し事。

 今回の揉め事から仲直りの過程にて、期せずミヅキの人となりがわかった。
 人間とエルフ、種族間の垣根を飛び越えられるミヅキには、この秘めた胸の内をどうかわかってほしいと願う。

「……さぁ、どうだろうね。ごめん、私にはまだ、わからない……」

「そっか……」

 視線を落として力無く答えるエルトゥリンに、アイアノアはぽつりと言った。

 彼女たちの秘められた思いは未だ暗い迷宮の中にある。
 それを晴らす光となる答えもまた、使命の渦中たるかの迷宮の奥にある。

 ミヅキはまだ知る由もない。
 彼女たちを苛む禍根が、立ちはだかる試練の壁の一つであるということを。


◇◆◇


 2階からドアの開閉する音が聞こえてくると、猫の耳がぱたたっと動いた。
 後片付けの仕事も手つかずにそわそわと待っていたのはキッキ。

「あっ、終わったみたい。ママっ、ちょっとミヅキのとこ行ってきていいー?」

「はいはい。ミヅキにももうあがっていいって伝えておいてちょうだい」

 微笑むパメラの声を聞き終えない内に、キッキは勢いよく走り出していた。
 吹き抜けの2階廊下に、エルフ姉妹の部屋から出てきたところのミヅキを見つけ、一段飛ばしに階段を駆け上がる。

 ぶつかると思うほどの速さで近づいて急停止すると、食い入るように見上げた。
 仲直りの行方がどうなったかが気になって仕方がないといった顔だ。

「どうだった!? 仲直りできたかっ!?」

「うおっと! ああ、ばっちりだ! ちゃんと仲直りしたよ。心配掛けたな」

 ミヅキの答えを聞き、はらはらしていた顔が、ふにゃっと安心に緩んだ。
 まるで自分のことのように思い、安堵の息を大きく漏らす。

「はぁー、そっかぁ、うまくいったかぁー! もうほんと、こっちまで生きた心地しなかったよ! 心配ばっかり掛けやがって、まったくぅ!」

 やれやれしょうがないなぁ、といった感じに両手を後ろにしてそっぽ向き。
 但し、ふさふさの長い尻尾をぶんぶんと振り、安心した気持ちは隠せていない。

 と、ミヅキを見上げ直し、キッキはとびきりの笑顔を浮かべて言った。

「ミヅキ、良かったな! これで安心して明日からも冒険を続けられるなっ!」

「おう!」

 相変わらずの無邪気なスマイルパワーにミヅキも笑顔になった。
 キッキは機嫌良い調子のまま、ミヅキの手を掴んでぐいぐい引っ張り出す。

「もう仕事は片付けたからミヅキもあがっていいってさ! パパの話の続き、聞かせてあげるよ。ほら、ミヅキの部屋行こうぜっ!」

「ちょ、ちょっと待てって! キッキ、いいのか? 親父さんのこと、思い出して辛くならないか? もう十分に聞かせてもらったぞ?」

「いいのいいのっ、あたしが話したいんだっ!」

「そっか。じゃあ、うん、わかったよ」

 キッキの勢いに負けて頷くと、姿は見えないが階下のパメラに大きめの声で、お疲れ様でしたー、と言うと、はぁい、お疲れ様ー、と返事が返ってきた。

 押し込まれる勢いで部屋に入ると、二人はベッドに横並びに座り、今は亡き英雄の昔話に花を咲かせるのであった。

「──でさ、人間と獣人の仲良し夫婦のパパとママだった訳だけど、結婚する前はそうでもなくてさ。ママも初めは人間の男と結婚なんて有り得ないって突っぱねてて、それでもどうやっても諦めないパパと最終的には決闘で結婚するかどうかを決めたんだって」

「け、決闘?! また何とも物々しいな……」

 楽し気に父と母の馴れ初めを話すキッキの口から飛び出たのは物騒な単語。
 お互い名うての冒険者同士だったアシュレイとパメラは、何も初めから相思相愛だった訳ではないらしい。

 聞くところによると、人間のアシュレイの側から当時のパメラに向け、普通なら成立するはずもない結婚を熱烈に申し込んだのだそうだ。
 何せこの頃のパメラは何者も近寄りがたい冷徹な狩人だったから。

 当然断られてしまったものの、決して諦めず粘り強く愛を語り続けたところ、最後には折れたパメラが自分と決闘を行い、勝つことができたなら結婚の話を受けようとなった。

 但し、そんな決闘の話を持ち出したり、それを快諾したりした時点で二人の心はとっくに決まっていたのかもしれないが。

 パンドラの地下迷宮とは逆方向、街はずれの平原にて、最高の冒険者同士の決闘は執り行われた。
 その決闘はトリスの街の物見高い人々が、総出で見物に押し掛けるほど大きなイベントになったという話だ。

 それはもう前代未聞で空前絶後の激闘となり、結婚後の夫婦喧嘩は想像するのも恐ろしいと観客に思わせた。
 仲裁に入れるのは同列の冒険者のゴージィくらいだろうと専ら噂されたほど。

「結局、勝敗は決まんなかったらしくてさ。疲れ果てて抱き合う二人の間に、何かもう芽生えちゃってたみたい。種族の壁を越えちゃった愛情がさっ!」

 嬉しそうに笑う、二人の愛情の結晶たるキッキ。
 王国に名高い冒険者であり、人間と獣人の文字通りな異色カップルの結婚にも、子供が生まれたのにも街中は大騒ぎになった。

「──まぁ、それであたしが生まれた訳なんだけど。……祝ってくれる人もいれば、やっぱりわかってくれなくて冷たい目をする人も少なくなかったんだ」

 キッキの目に寂しさの色が見える。
 祝福される一方で、誕生を望まれていなかったと知れば悲しくもなる。

「こういうご時世だからさ。人間の血が混ざってるだけで、良くは思われないって訳なのさ。あーあ、嫌んなっちゃうよなぁー」

 眉を八の字に曲げて、キッキは自嘲気味に笑っていた。
 確かにアイアノアの言う通り、可哀相だと思う気持ちが込み上げてしまう。

 この異世界では「これ」が当たり前なのだろう。

 他種族から長く人間が嫌われていることが全ての原因らしい。
 人間と亜人が仲良くするのを難儀にしている。

 ならば、獣人が人間と婚姻を結び、あまつさえ人間との間に子供をつくったなど言語道断であったのだ。

「……まったく、何でまた人間はそんなに嫌われてるんだよ? いったい何をやらかしたらそこまで嫌われるっていうんだ。やれやれ……」

 人間の立場であるミヅキはげんなりした顔でため息まみれ。

 どうして人間だけが嫌悪されているのかに口を出す気は無いし、そんなに興味がある訳でもないが、どうにも無視して話を進めるには無理がありそうだ。

 雛月がうるさそうだし、理由だけでも知っておく必要があるのかもしれない。
 人間がそれだけ忌避される理由とは果たして。

 ただしかし、当のキッキは首を捻っていた。

「うーん……。それがさ、実はよくわからないし、知らないんだ」

「はっ?! 何だって? 理由も無いのに人間は嫌われてるのか?」

 意外な答えにミヅキは素っ頓狂な声をあげる。
 当然なその反応を予想していたキッキも慌てる様子はなく先を続けた。

 頭の奥のほうがちりちりとむず痒い。
 ミヅキの中で地平の加護が、貪欲な情報収集の権能を発動させている。

「慌てんなって。わからない知らない、は大元になった理由がってこと。なんかね、あたしやママが生まれるよりももっと昔に、この国で物凄く大変なことがあったんだって。それがあってからずっと今まで、人間は他の種族から嫌われるようになったみたい。何があったのか、ママも話したくないみたいでさ」

 キッキの話を聞くミヅキは眉を潜めて表情を曇らせた。

 人間が嫌われる根本的な理由が不明瞭だったことと──。
 またさらに不可解な事実が浮かび上がってきたことに、ぎくりとする。

 ただでさえ、パンドラの異変により、トリスの街が荒れているのにも複雑な事情があるというのに、かなりの過去に何らかの大事件が起こっていたというのだ。
 種族間の問題に、その大きな出来事が深く関わっているに違いない。

「……まだ何かあるってのかよ」

 増え続ける物語の謎の多さにはうんざりだ。
 食傷気味しょくしょうぎみのミヅキは、肩を落としてぼやくのであった。

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