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第4章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅡ~

第110話 お気の毒に

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 ゴージィとガストンにより、パンドラの異変のあらましは明かされた。
 この後に語るキッキを思い、彼らが立ち去った後の冒険者と山猫亭。

「……はぁ、みんな気を遣い過ぎだよ。あたしはもう何ともないっての!」

 キッキは大げさにも見えるお手上げのポーズで首を振って、もう気にしていないことを表しているがその尻尾は元気無くだらりと垂れ下がっていた。
 猫特有の悲しみの仕草を見ながらミヅキは心苦しく思い、自問自答。

──もうパンドラの異変については地震と魔物のことでお腹いっぱいだ。これ以上の話はもう聞かなくてもいいんじゃないのか? わざわざキッキに辛いことを思い出せてまで、もう亡くなっている親父さんのことを知っておく必要はあるのか? いや、俺の意思は関係なしなのかこりゃ……。地平の加護の知りたがりには困ったもんだな……。

「……キッキ、聞いてもいいのか? その、アシュレイさんのことを」

 結局、貪欲どんよくに情報を得ようとする地平の加護の衝動を抑えられない。
 この話の先に待っている、物語の新たな因子の発生をミヅキに促させている。

「ちょっと待ってて」

 いよいよと腹を決めたキッキは、くるっと身を翻すとパメラのいるカウンターの向こう側にある私室へと一旦引っ込む。

 パメラの前を通る際に、ミヅキにあれ見せてもいいよね、とだけ聞いていた。
 ほどなくキッキが何かを手に持ってミヅキたちのもとへと戻ってくる。

「見て、これがパパ。アシュレイパパ」

 そう言ってキッキがテーブルの上に差し出したのは大きめの絵だった。
 B2サイズ程度の木板に羊皮紙が貼られていて、絵が描かれている。

 それは、家族の肖像画しょうぞうがである。

 まだまだ幼いキッキを椅子に座った白いカートル服姿のパメラが抱き、その傍らにゆったりとしたチュニックを着た男性が佇んでいた。

 想像していたよりも随分と童顔で、身長もそれほど高くなく、小柄でどこか少年のような印象も受けるその人物こそがキッキの父親。
 妖精剣のアシュレイ。

「へえ、これがキッキのお父さんかぁ。もっと屈強な感じだと思ったけど、どっちかっていうと可愛らしい印象だなぁ。はは、キッキもまだ小っちゃいなぁ」

 肖像画を見て、ミヅキは思った通りの感想を漏らす。
 特に言った言葉におかしな点だったり、ズレていたりした点は無かったと思う。

 しかし、アイアノアとエルトゥリンの反応は一様に違っていた。

「まぁっ……! キッキさんのお父様は、人間だったのですね……」

 口許を両手で覆い、目を大きく見開いて驚いているアイアノア。
 食べてばかりで何も喋らなかったエルトゥリンは眉間に皺を寄せて言う。

「……私、知ってる。ちょっと前、エルフの里に伝わる妖精の剣を、族長様がある人間に授けてみんなが大騒ぎしたっていう話。確かその人間の名前がアシュレイ。この人だよ、その人間は」

 エルトゥリンは絵の中のアシュレイからキッキに視線を移す。
 その目には何とも言えない感情の光があった。

「……まさか、その子供がキッキだったなんてね」

 ふぅ、と漏らす重い息が、よくわからない微妙な空気を漂わせる。
 キッキもエルフ二人の受け答えに、しょげた笑顔を浮かべていて、ミヅキは自分も何か他に思うべきことがあったのかと置いてきぼりを感じて戸惑う。

「なんだ、みんなしてどうしたんだ? 何か変なことでもあったのか? キッキのお父さんがこのアシュレイさんだったってのが、いったい何だっていうんだ?」

 一人おろおろするミヅキを見上げ、キッキは力無く言いづらそうに話し出す。
 口許には笑みがあるが、それはどこか諦めたような感のある笑みであった。

「──あたしのパパは、人間、なんだ……。だからあたしは獣人は獣人でも、半分は人間の血が流れてるってわけ……」

 絞り出した声でキッキがそう言った後、少しの沈黙が流れた。

 おかしな雰囲気を妙に思いつつ、キッキの言葉がどういう意味だったのかを理解しようとミヅキは唸り始める。
 そして、母親は獣人のパメラで、父親は人間のアシュレイなのだから、その結果は当たり前のことではないかと平然と納得するに至った。

「ふーん、そうだったのか」

 だから、多分それはキッキが予想していた反応とは全然違っていたのだろう。
 目を丸くして、思わずミヅキの鈍い答えにくってかかる。

「ふーん、て話聞いてたか? あたしは獣人と人間の混血だって言ってんのっ!」

 ずいっと顔を近付け、荒げた語気の声は大きくなる。
 しかし、ミヅキにはそれがどういうことなのかがわからない。

「おう、聞いてたけど……。だからなんなんだ?」

「だからなんだ、って……。いやっ、変だって思わないのかよ?! 獣人がよりにもよって人間と結婚して、さらにその間に子供が生まれたってことなんだぜ!?」

「えっ、うーん? それは変なことなのか?」

「……はぁ?! もう、何言ってんだよ、ミヅキは……。あたしのほうが変なこと言ってるんじゃないかって気がしてきた……」

 さっぱり要領を得ないミヅキのとぼけ顔に、キッキは何か信じられないものでも見るような面食らった表情をしている。
 厨房のパメラも手を止め、エルトゥリンさえ食事を中断してしまった。

 やはり二人もキッキと同じように瞠目どうもくしてミヅキを見ている。
 そんなにおかしなことでも言ってしまっただろうか。

「ミヅキ様は記憶喪失なので、ご存じなくても無理はありませんよ」

 と、アイアノアは肩をすくめて、しょうがないと言うばかりに手のかかる子供を見る目で微笑んでいた。
 何故かミヅキは、そのときの彼女の笑顔が妙に気に掛かった。

 違和感というか、歪んだ何かのイメージが不意に胸の奥に湧いて、何となく気分が悪くなっていくのを感じる。
 その理由は望まずともすぐにわかることになった。

「そうですか……。キッキさんは獣人と人間のハーフ、だったのですね」

 それはミヅキの思いもよらぬタイミングから出し抜けに始まった。
 アイアノアが可哀想なものを思いやるような、哀れむような目をして言った。
 ミヅキは心底ぎょっとする。

「──それはそれは、お気の毒に」

 心臓がドキッと一瞬跳ねて動き、驚いてアイアノアを振り向き見る。
 彼女は憐憫れんびんの情を隠すことなく、深い同情の気持ちを持って続けた。

「暗い運命を背負ったこと、心中お察し致します。ですが、くれぐれも気を落とされぬよう強く生きていって下さいまし。今までさぞお辛かったことでしょう」

「ま、待ってくれ、アイアノア……」

 ミヅキは慌てて声をあげた。

「はい、ミヅキ様?」

 ただ、振り向く彼女はきょとんとしていて、澄ました顔はいつも通りのもの。

 ちらりとミヅキを見るエルトゥリンの青い目にも姉と同じ光があり、今の発言に何か異を唱える様子も無く、当のキッキは俯いていて顔を上げようとしない。

 もう、この感じた胸騒ぎに似た引っ掛かりを口にせずにはいられない。

「お、お気の毒とか、いったい何を言ってるんだよ……? 冗談にしてもきっついなぁ……。今のキッキの話のどこに気を落とすようなところがあったっていうんだ? 言い方には気を付けようよ、な?」

 できるだけやんわりと言ったつもりで、引きつっていても口には笑みを残した。
 さしもの仲間のアイアノアの言葉でも、今の言い方は良くなかったんじゃないかと思い、ミヅキはさりげなくも注意したつもりだった。

 しかし、アイアノアは目尻を下げ、眉を八の字にして弱り顔を見せる。

「ミヅキ様、冗談などではありません。キッキさんは勇気を振り絞り告白して下さったのです。ご自分が、獣人と人間のハーフであるという悲しい事実を……。だから、私たちはその後ろ暗い事情をお気の毒だとかえりみるのです」

「えぇ……?!」

 唖然とするミヅキを意に介さず、アイアノアは当然といった真面目な顔で言うのである。

 彼女にしてみれば、色々と物事を知らない、或いは覚えていないミヅキに知識と俗識、社会通念を教授しているに過ぎないのかもしれない。
 それがミヅキにはまったく通じていないとは知らずに。

き者とき者の混じり合いの無い血族こそが皆に認められ、受け入れられるものなのです。この世界にはそうした悪しき因習が根強く残り、今も変わらず続いております。私もエルトゥリンも長い年月の間、それを嫌というほど味わって参りました……。ミヅキ様も、この厳しい現実をどうかお心に受け止めて下さいまし」

「アイアノア……」

 居直っている風で語るアイアノアを見て、ミヅキは眉間にしわを寄せていた。
 段々と苛つきを覚え始める。
 黙ったまま下を向いているキッキは、どういう心情なのか少しだけ笑っていた。

 軽く眩暈めまいさえ感じた。

 突如として、目の前で繰り広げられ始めたこの世界の忌まわしい常識らしきもののやり取り。
 それを受け、普段から感情の起伏が乏しいミヅキに沸々と心の底から何か熱いものが湧き上がってきていた。

 地平の加護が動いているのがわかる。
 電気が走るみたいに脳裏に記憶がよぎった。

『おい、佐倉さくら。お前の父ちゃん、愛人の子なんだってな』

『愛人の子の息子のくせにいい気になってるなよな!』

 あれはいつの頃だったのか。
 子供の時分の他愛のない出来事の一つだったように思う。
 真に受けるのも馬鹿らしいほどの、幼い時代の遠い思い出の欠片。

 但し、記憶に残っているのは腹の底から燃え上がった確かな怒り。
 キッキの境遇と自分の両親との関係が、思い出の中で自然と重なった。

 感情の波がちりっと火花を散らす。

「……ミヅキ?」

 小さくも大きい内なる変化。
 それに気づいたのはエルトゥリンだけだった。

 ミヅキの心はざわめき、今にも弾けてしまいそうである。
 そうとは気付かず、アイアノアはその間もミヅキにとって好ましくない話を続けていた。

「それにキッキさんの件は、ただ単にハーフなのが問題という訳ではありません。人間とのハーフというのが大きな問題なのです。例えば、人間と交雑したエルフの子であるハーフエルフは、それはもう悲惨な運命を辿ることになります。エルフとしてもまともに生きられず、人間としても他と同じ扱いを受けられません。やはり正しく生きていくには正当な血筋同士、善き者だけの親類が──」

「待ってくれ、アイアノア! いい加減、その辺にしておいてくれ!」

 話が終わる前にミヅキは声を荒げていた。

 アイアノアがどんなつもりでそんなことを言ったのか、何らかのそうした常識となっている仕方ない背景があるのか。

 到底理解はできなかったが、ミヅキにはまったく関係のないことであった。
 とうとうミヅキの中で我慢していたものが切れてしまう。

「そっちの変な常識を押し付けて、さもそれが当たり前みたいに話すのは勘弁してくれっ! 人間と他の種族とのハーフはみんな不幸になるっていうのか? 善き者同士だけの、正当な血筋じゃないと駄目だなんて……。それじゃあ人間と結ばれること自体が悪いみたいじゃないかっ!」

 明らかな怒気をはらみ、ミヅキははっきりと言い放つ。
 その目は真っ直ぐとアイアノアの目を強く見つめて、決してそらさない。

「えっ? ミ、ミヅキ様……?」

 アイアノアは急に気色ばんだミヅキに、思いがけず驚いている様子だった。
 知らずに触れてしまった熱い逆鱗に気づけない。

 永くこのしがらみを当たり前と受け入れてしまっている、この世界の彼女には。
 ミヅキのいきどおりは収まらない。

「アイアノア、いくら何でもそりゃあんまりだ。キッキの前でよくそんなこと言えるよな。さすがに聞き捨てならない、取り消してはくれないか? そうしてくれるなら……。うん、まぁ、聞かなかったことにするよ」

「え、あっ……」

 初めて向けられたミヅキの明確な怒りを感じて、アイアノアはさっと顔色を青ざめさせ、うろたえる様子を見せた。

 しかし、どうしてミヅキが怒り出したのかがわからない。
 アイアノアにもこれまで生きてきた長い年月の経験や体験があり、それがそうである、という当たり前な事柄に疑いを持てないでいる。

 だから、ミヅキを理解できずに考えを曲げられない。

「そんな、ミヅキ様っ……。そのようなことを仰られても、私には何を取り消していいのかわかりませんっ。あ、ありのまま事実を述べているだけで、何も間違ったことは言っておりませんよ……。だから、そのようにお怒りにはならないで下さいまし……。どうかお鎮まりを……」

 ミヅキに向ける手の震えを抑えられず、慌てながら訴える。
 アイアノアだってミヅキを怒らせたい訳ではない。

 しかし、はっきりと言ってしまった。
 自分は間違っていない、何を取り消せばいいのかもわからない、と。

 ミヅキは目を閉じてゆっくりとため息をついた。

「フーッ……。そうか、それがアイアノアの考えなのか……!」

 まぶたを閉じて視界が暗くなると、頭がぐらぐらと混乱に揺れる。
 腕組みをして重々しくもゆっくり思い返した。

 こんな不愉快な気持ちで、ぐちゃぐちゃとした怒りの思考の中でも、地平の加護が記憶を正確に呼び起こして脳裏に並べ立てていく。

『そうだよ、人間なんかじゃなくて、あたしたちは獣人さ。お前ら人間は亜人って種類でひとまとめに括ったりするけどな』

『この街じゃ、そう感じることはあまりないけど、王都のほうにはほとんど獣人はいないんじゃないかしら』

『少なくともこの辺り一帯に住まうエルフやドワーフといった人間以外の種族は、お互いに友好的な関係を結んでおります。だから、ミヅキ様が憂いておられるようなことは起こりませんとも』

 キッキ、パメラ、アイアノアがそれぞれ言っていたことを思い出す。
 人間は人間以外の種族を亜人で括り、人間の国の王都には獣人が少ない。
 そして、考えの合わないはずのエルフとドワーフがこの国では友好関係にある。

 とっくに彼らは暗にそう証言していて、この異世界の足元に泥のように絡みつく悪しき因習の「当たり前」を雄弁に示していたではないか。

 不当な扱いをするのはどちらで、受けているのはどちらなのか。
 ミヅキにはそれが見過ごせない。

「もし、俺が考えていることが本当なら、さっきからのこのやり取りは許せないし、この二日間、特に今日一日のよくわからんかったこの世界の人たちの違和感の正体も何となくわかっちまった……。気づかなかった俺も相当鈍いよな……」

 静かな怒りと自嘲のままにミヅキは言った。
 不安と焦燥に駆られて表情を強張らせるアイアノアに核心を問い詰める。
 憤りとは別に、落胆と無念の思いを込めて。

「アイアノア、君たちエルフや、亜人と呼ばれてる人たちは俺が……。いや、人間のこと自体が嫌いなんだね。それも、上辺うわべの話じゃなくて根本的なところから」

「……うっ! そ、それは……」

 身体全体をびくっと震わせて、アイアノアは心苦しそうに顔を逸らした。
 それが図星であったことは一目瞭然ではあったが、どうして人間のことが嫌いなのか理由はわからない。

 知らないだけで、この世界特有の何かしらの事情があるのだろうとは思う。
 ただしかし、ミヅキが腹を立てたのはそれが問題なのではない。

「亜人の人たちが人間嫌いなのには、何か俺の知らない理由があるのかもしれないから下手に口出しをする気はないよ。俺が嫌なのは、親が誰とか生まれがどうとかで、キッキのことを可哀想な子供みたいにアイアノアが言ったことだよっ! そこにどういう事情があろうと、言っていいことと悪いことがあるくらいの分別はあって然るべきだろ!」

「ミ、ミヅキ、あ、あたしのことはいいよ……。いいから……」

 キッキは初めて目にする険悪なミヅキに呆然として、そうなってしまった理由に自分が関わっているとようやく気付く。

 恐る恐る仲裁にミヅキの服の袖を取ろうとして、まだ自分が薄ら笑っていることには気付いていなかった。
 それがミヅキの怒りに拍車をかける。

「キッキも何をいつまでもヘラヘラ笑ってんだよ。自分と両親のことをあんな風に言われて何とも思わないのかよ? 俺には我慢できない……。今まで世話になって良くしてくれた、キッキとパメラさん。それに、アシュレイさんを悪く言うような真似は到底見過ごせるもんじゃない。──それが例え、俺の仲間のアイアノアだったとしてもだ!」

「あっ……! うぅっ……」

 ミヅキの強い視線と荒げた口調にキッキは首をすくめた。
 慌てて口を両手で隠し、諦めがつくった笑みをすぐに消したのであった。

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