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第4章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅡ~

第107話 キッキとパメラの心配事

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「またでっかいのってきたなー! 今日もママに料理してもらうかー!」

 夕暮れのトリスの街──。
 冒険者と山猫亭の軒先で猫の獣人の少女が出迎えてくれた。

 ミヅキたちがそろそろ帰って来る頃だと、掃き掃除をしながら今か今かと心待ちにしていたのは、今日も迷宮の大物に歓声をあげるキッキ。

「……アイ姉さんどうかしたのか? 何か元気無かったな?」

 キッキはミヅキのそばに寄って声を掛けた。

 荷車上の狩りの成果、大きな蟹の魔物から、顔色悪そうに宿へと戻るアイアノアの背中に視線を移して見ている。

 そんな姉に付き添うエルトゥリンの背姿も店内へと消えた。
 そうして最後にミヅキの顔を見上げる。

「パンドラで色々あって、魔法の使い過ぎで疲れちゃったんだよ。夕食まで部屋で休んでてもらおうと思ってさ」

 もう一度、エルフの二人が消えた店のほうをちらと見た後、キッキは声を潜めて言った。
 それは思い掛けない質問。

「ふーん。──喧嘩、とかしてないよな?」

「えっ? してないぞ、喧嘩なんて」

「そっか、ならいいや」

 一瞬面食らったが、そんな穏やかならない事実は無かったとすぐに否定した。
 キッキは安心したのかにかっと笑う。
 どうしてそんなことを聞かれたのかわからない。

 ミヅキは荷車と食器類の片付けと、獲物であるミミッククラブを運ぶ作業に取り掛かる。
 この大物をどうしようかと思案していると、すぐに怪力のエルトゥリンが戻ってきてくれたので、問題なく厨房へと運び込むことができた。

「まさか、連日この包丁の出番がくるとはね。うふふ」

 宿の厨房で早速獲物の解体に着手するのは、昨日に続いて伝家の宝刀のミスリル包丁を抜くにこやかなパメラ。

「後でガストンさんたちが食事に来るみたいですよ。パメラさんによろしくって」

「そう、お疲れ様でした、ミヅキ。エルトゥリンさんも、また食材の持ち込み歓迎するわ。ありがたく使わせてもらうわね」

「うん、よろしく」

 パメラの笑顔に言葉少なに言い残し、エルトゥリンは厨房をさっさと出ていく。
 その後ろ姿を視線で見送った後、パメラはミヅキに振り返る。

 そして、少し小さな声でやっぱりそれを聞いてきた。

「無事で帰ってきてくれて安心したわ、おかえりなさい。……ところで、エルフのお嬢さんたちとは仲良くやれた? 特に問題は無かったかしら?」

 パメラもキッキと同じようなことを気にしている。
 二人が心配しているのは、どういう訳かミヅキとアイアノア、エルトゥリンとの仲らいだった。

 ミヅキが何と答えたものかと眉をひそめた表情をしていると、パメラは長めの息を吐いて首をゆっくりと横に振った。

「──ごめんなさい、何でもないわ。何事も無かったのならそれが一番。ガストンたちが来るなら、疲れてるところを悪いのだけど配膳を手伝ってくれると助かるわ。キッキだけじゃ手が足りなさそうだから」

「あ、はい、わかりました。お安い御用です……」

「あと、その傷だらけのローブを洗濯物と一緒に出しておいて。縫っておくから」

「ありがとうございます……」

 実の母親ばりに世話を焼いてくれるパメラはもういつもの笑顔に戻っていた。
 ミヅキは何か釈然としないものを感じながら厨房を後にする。

 もう一度振り向くと、パメラは洗練された動きで巨大な蟹の脚をどすんどすんと切り落としている最中だった。

 キッキもパメラも何を確認したかったのだろうか。
 ミヅキは怪訝そうに首を捻りつつもキッキと店の手伝いを始める。

──キッキもパメラさんも何を心配してるんだ? 俺がアイアノアたちと仲違なかたがいをするとでも思われていたんだろうか? まあそりゃ、色々あったけどさ。

 そのときはそれ以上何も思わなかった。
 ミヅキ自身、使命を果たすために、あんなに一生懸命に尽くしてくれている二人のエルフの仲間に対して、嫌な感情を抱く要素はこれっぽっちも無い。

 仲違いやら喧嘩をするなど、以ての外で考えられなかった。


◇◆◇


「ガストンさん、28歳なんですか?! 若いっ、意外だ!」

「ははは、もっと歳を食っていると思われていたかな。よく言われるよ」

 ややあって、すっかり日も暮れる頃。
 複数人の同僚の兵士を連れ立って、仕事終わりのガストンがやって来ていた。

 料理を運んできたミヅキは、何気なく聞いた髭の兵士長の年齢に驚く。
 絶対年上だと思っていたら、現実世界の自分と同い年だったとは、この異世界の身体が多少若々しかったとしても親近感が湧いた。

 甲冑を脱ぎ、中世風の茶色のチュニックを着こなす、筋骨隆々の身体はいかにも逞しい。
 口とあごの髭を綺麗に剃れば、意外に北欧系の美形男性なのかもしれない。

「しかし、ミヅキ殿たちが獲ってきてくれたこの蟹料理は絶品だな。こっちじゃ、海鮮料理は食べられないから故郷の味が懐かしいよ」

「へぇ、ガストンさんはトリスの街出身じゃないの?」

 シンプルに茹でた蟹の白い身に舌鼓したつづみを打つガストンの言葉が耳に残った。
 ぐい、とあおったゴールド色のワイングラスを置くと遠い目をする。

「俺もそうだが、ここいらの兵士は王都の出の者たちが多いんだ。イシュタールの王都は大きな港湾都市こうわんとしでね。豊富な魚介類が織りなす料理の数々は絶品だぞ。もちろん、パメラさんの料理も絶品だがな、ははは」

「王都って、このトリスの街から遠いんでしたっけね。そんな遠方の辺境まで出張する理由って、何かあるんですか?」

「ミヅキ殿は、記憶喪失でこの国の事情には疎いのだったか」

「疎いっていうか、全然知らないかな……」

 一応そういうことになっているので何も知らないミヅキのために、ガストンはこの国、イシュタール王国についての概要をかいつまんで教えてくれた。

 イシュタールの王都はここトリスの街から遥か南西の海沿いにある都市で、先王が崩御ほうぎょしてからそれほど時間が経っておらず、幼い国王が行政官と有力諸侯に支えられて政治を行っているのだという。

 幼君ようくんたる王の近親には頼れる親族がおらず、もっぱ摂政せっしょうの座は王国を二分する王家所縁の貴族が派閥争いをしながら取り合っているのだとか。

 その貴族派閥の一方、このトリスの街を治める、セレスティアル家の辺境伯にガストンたちは仕えているということらしい。

 辺境伯といえば田舎貴族だと勘違いされがちだが、中央の政治から独立し、強い権限を持たされており、爵位しゃくい侯爵こうしゃくに近しい。
 パンドラの地下迷宮を管理して、産み出される利益を王国に献上し、さらなる権限を持つに至っているだろうことは想像に難くない。

 冒険者や荒くれ者が多いダンジョン近くの街の治安が、比較的落ち着いているのはセレスティアル家の統治が行き届いているからだそうだ。

 ガストンら王都出の大勢の兵士たちがわざわざ辺境のトリスの街へと出向いているのは、やはりそういった貴族の影響力の強さが理由だろう。

「ミヅキはもう食べてていいよ。後はあたしがやっとくから」

「おう、ありがとキッキ。お疲れさん」

 給仕の業務の後をキッキに代わってもらい、ミヅキは自分の分の料理を持って、少し離れたテーブルに着いている仲間の二人のところにやってきた。

「ごめん、おまたせ、時間掛かっちまった。アイアノア、もう起きて大丈夫か?」

 席で待っていたのは、休んで元気になった笑顔のアイアノアと、冷めている表情ながらご機嫌な様子で蟹の料理を頬張るエルトゥリン。

「はい、少し横になっていたら楽になりました。ミヅキ様こそ、お仕事はもうよろしいのですか? でしたら、一緒に食事にいたしましょう」

 テーブル上には茹でたり、焼いたりした蟹の料理が所狭しと並んでいる。
 豪快で大きな白身、ふんだんにその身を使用した具だくさんのスープ、蟹味噌かにみそを贅沢にたっぷりかけたパン、と盛りだくさんだ。

 ただ、遠慮なく食べるのを楽しんでいるエルトゥリンはさて置き、アイアノアはミヅキが戻るのを待っていたのかまだ料理に手を付けていない様子だった。

「先に食べてくれてて良かったのに……。せっかくのスープが冷めちゃうぞ」

「人間の女性は、食事の場では我慢して控えめにすることが美徳であると勉強致しました。だからせめて、ミヅキ様がテーブルに着くまではお待ちしていようかと。そちらのほうがミヅキ様にも喜んで頂けるのですよね」

 もう隠すことなく勉強してきた事柄を喜々として語るアイアノア。
 ミヅキは苦笑する思いだが口は挟まず、彼女の好きにしてもらおうと思った。
 一緒に食事ができるのは嬉しいが、あまり気を遣われるのは頂けない。

──楽しんで食べられれば何でもいいけど、美味しそうにいっぱい食べてくれるのが俺は好きだなぁ。アイアノアがそれでいいなら、まぁ、いいか。

「それじゃ、俺もいただきます! 二人とも、今日はお疲れ様!」

「はいっ、明日からもまた張り切って使命を果たしに邁進まいしんいたしましょうっ!」

 もくもくと鼻息荒く食べ続けているエルトゥリンはともかく、こうして和やかに食卓を囲めているアイアノアとなら問題なく仲良くしていけるし、喧嘩や仲違いをするような事態に陥るのは想像できない。

 結局、キッキとパメラが何を心配していたのかはわからず仕舞いだった。

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