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第4章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅡ~
第94話 パンドラの異変がもたらすもの
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「ミヅキ様、ダンジョンには大きく分けて二つの種類がございます。作為的に建造された人工のものであるか、何らかの理由で自ら発生した自然のものであるかですが、このパンドラの地下迷宮はどちらに当てはまるかおわかりですか?」
「うーん、そうだなぁ。多分だけど、後者の自然発生のほうかな」
見えないほど高く暗い天井をぐるりと見渡してから、アイアノアに視線を戻してミヅキは何となく答えた。
ウキウキした上機嫌な様子に水を差さず、ミヅキは再びアイアノアが語る異世界の知識に耳を傾けることにする。
「はい、正解です。盗賊やならず者の拠点だったり、人間の古い文明の王族のお墓だったりしたものがそのままダンジョン化するのが人工のものとなります。一方で長い年月を掛け、生きとし生ける者たちの欲望や、あまねく負の想念を吸って発生する魔の吹き溜まりが天然のダンジョンであると定義付けられております。ミヅキ様の仰る通り、パンドラの地下迷宮は自然発生したダンジョンであり、その規模と大きさは他とは比べものになりません」
両膝を抱えて横向きにミヅキを見つめ、笑顔で話すアイアノアは楽しそう。
パンドラの地下迷宮についてはキッキからも聞いた通り、知名度は極めて高く、世界最大級の巨大さを誇り、ダンジョン発生から百年以上もの年月が経っているのに、未だに深淵に至った者がいないとされる謎と神秘に満ちた大魔境である。
アイアノアは朗らかながら真面目に先を続け、聞き手のミヅキも異世界の知識に関心を寄せるのであった。
「天然のダンジョンには、何者かに意図してつくられたそれと比べて決定的に違うところがあります。お気付きと思いますが、パンドラの地下迷宮は生きているのです。窺い知ることのできない深く静かな意思を持ち、訪れる者を魔性の体内へ誘っては養分と変える。進化と修復を繰り返し、この地の底に根を張って際限無く迷宮を拡張させているのです」
「……うーん、ダンジョンって、まるでとんでもなく大きな魔物みたいだよなぁ。こんな危ない所に宝探しに来る冒険者って、つくづく危ない橋を渡ってるよなって思うよ。……まぁ、俺たちだって使命のためっていう大義名分の他に、借金返済の当てをダンジョンに探しに来てる訳なんだけどさ」
「うふふ、そうですね。ダンジョンでは常に危険と隣り合わせですけれど、やはり相応の見返りは期待できるかと思いますよ」
口許に手を当てて上品に笑うアイアノアは、その手の人差し指をぴっと立てた。
ダンジョン探索のまず最初の目的、パメラの宿の借金返済の目処を話す。
「パンドラの地下迷宮は険しい山岳地帯に発生したダンジョンです。元よりこの地は古来より盛んに鉱業が行われていて、その最中に発見されたこのダンジョンにも豊富な鉱山資源や希少な鉱石が、まだまだ手つかずの状態で埋蔵されていると言われています」
ダンジョンは周囲の環境を取り込んで発生することが多い。
パンドラの地下迷宮の場合、貴重な鉱石や高価な宝石がそのまま眠っている。
さらに、ダンジョンの秘密の宝はそれだけではない。
「そうでなくても、これほどの規模のダンジョンならば、溜め込んだ欲望が具現化した財宝の数々や、最深部にはまだ誰も見たことのない魔の秘法が今も眠り続けているはずです。この頃では閑散としてしまっていますが、10年前の異変より以前は、富と名誉を手にしようと夢見た冒険者たちが、それはもう連日のようにパンドラの地下迷宮に押し掛けたという話ですよ」
武具屋のゴージィも言っていた通りだが、パンドラの地下迷宮の探索を進められれば、金銀財宝の数々や珍しい鉱物が手に入る公算は高い。
様々なモンスターを狩猟し、その素材や獣肉を持ち帰って換金するのもいい。
深奥に至り、魔の秘法とやらが手に入れば、どれほどの価値になるのかは見当もつかない。
今やダンジョンはミヅキたちの貸し切りで、その全部は思いのままだ。
「異変が起きて、凶悪な魔物が出るようになっても、パンドラのお宝は健在のままなのか……。なるほど、確かにパンドラの地下迷宮踏破の使命とお宝目当ての金策は一石二鳥で合理的って訳だね。あっ、このジャム、甘酸っぱくて美味しいー」
とろりとした赤く甘いジャムを塗ったパンを頬張るミヅキに、アイアノアが、お飲み物をどうぞ、と水入れを差し出した。
「このジャムは私が作って持ってきた自家製なんですよ。また美味しいって思ってもらえたみたいで何よりです。うふふっ」
「あぁ、ありがとう……」
ミヅキはパンを片手に受け取った水入れをぐいとあおる。
やっぱり妙に上機嫌なアイアノアの笑顔が気になってしょうがない。
さっきよりも並べた肩と肩の距離が近くなって、今にもくっつきそうである。
「そっ、そういえばさぁ──」
二人をじと目で睨むエルトゥリンのイライラが増している気がする。
危険な雰囲気を肌で感じて、ミヅキは若干裏返った声をあげた。
「昨日出会ったドラゴンも恐ろしい相手だったけど、さっき戦った魔物たちも十分手強い相手だったよね。何ていうか、いくら異変が起きて凶暴化してるっていったって、ダンジョンに入ってすぐの場所でいきなり出てきていい強さの魔物じゃないと思うんだけどなぁ……」
アイアノアが不自然にべたべたしてくるのでごまかし気味に言ったことだったが、レッドドラゴンとの遭遇時に思ったそれは本当のことだった。
ダンジョンに入って、初めてエンカウントするモンスターが伝説の魔物だった、とはいくら何でも不当が過ぎるうえ、インチキもいいところである。
「──それが正に、私たちが使命を果たさなければならない理由なのです、ミヅキ様。少なくとも、私はそう思っています」
すると、急にアイアノアの声が低くなった。
明るい感じでダンジョンの知識を語っていたのとは打って変わり、彼女の口調は険を帯びる。
ミヅキの顔を横に見ていた視線を前に戻し、淡々と憂慮すべき事態を話し出す。
「神託を覚えておいでですか? 奈落の地下迷宮パンドラより大いなる災禍が溢れる兆し有り。大いなる災禍、無限の魔を解き放ち、やがて世界すべてを飲み込む不吉の元凶なり。この二つの文章が現在のパンドラの由々しき状態を物語っていて、先ほど戦った魔物たちにも顕著にその兆候が表れていました」
「さっきの魔物たち、何かおかしかったの?」
「はい、今しがた退治したガーゴイルとゴーレムを思い出して下さいまし。いかにパンドラの魔素が濃密であるとはいえ、氷の槍を降らせるほどの高度な魔法を扱うことは一介の魔物には大変難しく、そうした個体は極めて稀です」
ミヅキが問えば、アイアノアが答える。
戦闘を繰り広げた魔物たちの脅威の高さ。
神秘の加護の力があったからこそ蹴散らせたようなものだが、並の冒険者や街の人々には恐ろしい怪物であるのは間違いない。
「正面から戦って敵わないと見るや、私たちの手が届かない場所から距離をおいて遠距離攻撃に切り替えたり、防御のできない巨岩で不意打ちを仕掛けてきたり、と魔の本能のままに襲い掛かってくる魔物には不相応な高い知能がうかがえます」
「へぇ、やっぱりあいつら特別だったんだな。何だかやり方が賢いって思ったよ」
「ムカデの魔物も別の意味で同様です。元々ああいう習性の魔物ですが、パンドラの地下迷宮の環境の影響を受け、彼らの肉体を覆う甲殻は鉄鉱や特殊な金属を含有しており、並みの力や武器では歯が立たなかったことでしょう。ミヅキ様のお言葉の通り、ダンジョン第一層に出現する範疇の魔物の強さではありません」
「……それだけ今のパンドラの地下迷宮が危ないってことか」
アイアノアは、はいと返事をして深く頷いた。
そして、彼女は迷宮の高い天井の暗闇に視線をやった。
遠くを見る風の目はどこか虚ろだった。
パンドラの地下迷宮が難攻不落となったのは、単純に出現する魔物が強くなったからである。
そうなってしまった原因は、ダンジョンに立ち込める魔の気配にあった。
「10年前に起こった異変を契機に異常に濃密になった魔素、不必要に強くなってしまった魔物たち。それらは人々の手に負えなくなってこのダンジョンに黄昏の時を招きつつある……。もしかしたら、パンドラの地下迷宮はもう末期状態に陥っているのかもしれません。このまま手をこまねいてその時を迎え、魔素が地上にまで広がり、退治しきれないほどの強大な魔物たちが地上に解き放たれれば……」
「ごくり……」
アイアノアの遠くを見つめる憂いの目を見て、ミヅキは息を呑んだ。
もしも使命を果たせなければ、彼女の言う「大いなる災禍」は現実となる。
「──魔物の大暴走が起こります。ダンジョンより溢れ出した魔物の軍勢が地上を埋め尽くしてしまう……。それは、地獄そのものです……!」
世が魔で覆われ、恐ろしい怪物たちが世を跳梁跋扈する。
飽和した魔物たちにより、地上は混沌とした終末を迎える。
膨張し続けるダンジョンが行き着く最後に、地獄の蓋は開かれるのである。
「ミヅキ様、心してお聞き下さいまし──」
凛とした表情を浮かべ、緑の視線を真っ直ぐにミヅキに向け、彼女は一途の思いのままに言った。
それはもう、ダンジョンの解説というより、アイアノアの使命に対する意思表明であった。
「魔素が満ち満ちて、魔物に蹂躙されるこの地がどのような惨状を見るかは想像もしたくありません。もしもそんなことになれば、トリスの街や近隣の集落はもちろん、イシュタール王国やエルフの里を含めた全土に至るまで、「大いなる災禍」の魔の手は及びましょう。だからこそ、最悪の事態だけは絶対に防がなければならないのです。その役目こそが、私たちに与えられた神託の使命と加護の奇跡の意味なのですから」
■パンドラの地下迷宮の経緯(アイアノアの説明より時系列箇条書き)
・百年以上前、王国から北東の山岳地帯の地下深くにダンジョンが密かに誕生。
・鉱業を生業とする現地住人に、掘削作業中に偶然発見される。
※その頃からすでに巨大で底知れない規模のダンジョンだったとの記録有り。
・新たに発見されたダンジョンに冒険者たちが集まり、付近の集落が栄える。
その中で最も大きな賑わいを見せた人里が、現在のトリスの街の興りである。
・以降の百年もの間、ダンジョンを踏破する者は現れない。
幾多の富と名声をイシュタール王国中にもたらし、パンドラの地下迷宮の名は世界中に知れ渡る。
※パンドラという名は、かつてない規模の迷宮の底知れぬ深淵を危険視した王国の有識者が付けたとあるが諸説有り。冒険者の間で定着した通名とも。
・10年前の異変発生と共に魔素が異常に濃くなり、魔物が凶暴化する。
※ふもとの街のトリスの街はこの大事変を受け、甚大な被害を被った。
かくして、ダンジョンの危険度は格段に跳ね上がり、何者をも寄せ付けぬ魔境へと変貌した。
トリスの街外れの森で全裸の行き倒れの男が救助された。
そして、エルフの里に神託が下った。
使命の勇者ミヅキと、エルフの使者アイアノアとエルトゥリンの運命が交わる。
「──ですので、ミヅキ様にもより一層と、使命への熱意と意欲を肝に銘じて頂きたいのです。私たちが成さねば、いったい誰が「大いなる災禍」を止められるでしょうか。これは、他の誰にもできない重大事なのです」
真剣なアイアノアの顔が、揺らめく魔石の炎に照らされて見える。
大それた話にも聞こえるが、彼女は大真面目に使命に取り組むつもりである。
それは即ち、災禍を防いで世界を守る、ということだ。
「……アイアノアはさ。パンドラに起きた異変については知っているの?」
ミヅキは未だ秘された過去の事実、10年前の異変について言及する。
使命と災禍の源は、過去に起きたパンドラの地下迷宮の異変にある。
それは、すべての災厄の発端となったきっかけであった。
アイアノアはゆっくり頷いて神妙な顔で答えた。
「文献で読んだ程度には概要を承知しております。詳しくは今晩、キッキさんから直接当時の現地の様子をお聞きすることに致しましょう。ただ、一言申し上げるのなら、パンドラの異変が起こる矢先に発生した大きな現象がありました」
一拍置いて、アイアノアは異変の始まりとともに起こったそれを明かした。
一度は思い浮かべて胸騒ぎを感じ、陰鬱な気持ちになったその天変地異。
「──それは『地震』です」
ミヅキは聞いたことを後悔した。
薄々気付いていたのに、改めて恐怖に駆られる。
「すべてを揺るがす大地の変動が、突如パンドラの地下迷宮奥深くで起こり、トリスの街を含めた広範囲一帯に多大な被害を与えたといいます」
身体と心を、何か巨大で恐ろしいものにぎゅうと握り潰されるみたいだった。
刻みつけられたトラウマがじくじくと甦ってくる。
それは未だにミヅキを苛み続けているのである。
「うーん、そうだなぁ。多分だけど、後者の自然発生のほうかな」
見えないほど高く暗い天井をぐるりと見渡してから、アイアノアに視線を戻してミヅキは何となく答えた。
ウキウキした上機嫌な様子に水を差さず、ミヅキは再びアイアノアが語る異世界の知識に耳を傾けることにする。
「はい、正解です。盗賊やならず者の拠点だったり、人間の古い文明の王族のお墓だったりしたものがそのままダンジョン化するのが人工のものとなります。一方で長い年月を掛け、生きとし生ける者たちの欲望や、あまねく負の想念を吸って発生する魔の吹き溜まりが天然のダンジョンであると定義付けられております。ミヅキ様の仰る通り、パンドラの地下迷宮は自然発生したダンジョンであり、その規模と大きさは他とは比べものになりません」
両膝を抱えて横向きにミヅキを見つめ、笑顔で話すアイアノアは楽しそう。
パンドラの地下迷宮についてはキッキからも聞いた通り、知名度は極めて高く、世界最大級の巨大さを誇り、ダンジョン発生から百年以上もの年月が経っているのに、未だに深淵に至った者がいないとされる謎と神秘に満ちた大魔境である。
アイアノアは朗らかながら真面目に先を続け、聞き手のミヅキも異世界の知識に関心を寄せるのであった。
「天然のダンジョンには、何者かに意図してつくられたそれと比べて決定的に違うところがあります。お気付きと思いますが、パンドラの地下迷宮は生きているのです。窺い知ることのできない深く静かな意思を持ち、訪れる者を魔性の体内へ誘っては養分と変える。進化と修復を繰り返し、この地の底に根を張って際限無く迷宮を拡張させているのです」
「……うーん、ダンジョンって、まるでとんでもなく大きな魔物みたいだよなぁ。こんな危ない所に宝探しに来る冒険者って、つくづく危ない橋を渡ってるよなって思うよ。……まぁ、俺たちだって使命のためっていう大義名分の他に、借金返済の当てをダンジョンに探しに来てる訳なんだけどさ」
「うふふ、そうですね。ダンジョンでは常に危険と隣り合わせですけれど、やはり相応の見返りは期待できるかと思いますよ」
口許に手を当てて上品に笑うアイアノアは、その手の人差し指をぴっと立てた。
ダンジョン探索のまず最初の目的、パメラの宿の借金返済の目処を話す。
「パンドラの地下迷宮は険しい山岳地帯に発生したダンジョンです。元よりこの地は古来より盛んに鉱業が行われていて、その最中に発見されたこのダンジョンにも豊富な鉱山資源や希少な鉱石が、まだまだ手つかずの状態で埋蔵されていると言われています」
ダンジョンは周囲の環境を取り込んで発生することが多い。
パンドラの地下迷宮の場合、貴重な鉱石や高価な宝石がそのまま眠っている。
さらに、ダンジョンの秘密の宝はそれだけではない。
「そうでなくても、これほどの規模のダンジョンならば、溜め込んだ欲望が具現化した財宝の数々や、最深部にはまだ誰も見たことのない魔の秘法が今も眠り続けているはずです。この頃では閑散としてしまっていますが、10年前の異変より以前は、富と名誉を手にしようと夢見た冒険者たちが、それはもう連日のようにパンドラの地下迷宮に押し掛けたという話ですよ」
武具屋のゴージィも言っていた通りだが、パンドラの地下迷宮の探索を進められれば、金銀財宝の数々や珍しい鉱物が手に入る公算は高い。
様々なモンスターを狩猟し、その素材や獣肉を持ち帰って換金するのもいい。
深奥に至り、魔の秘法とやらが手に入れば、どれほどの価値になるのかは見当もつかない。
今やダンジョンはミヅキたちの貸し切りで、その全部は思いのままだ。
「異変が起きて、凶悪な魔物が出るようになっても、パンドラのお宝は健在のままなのか……。なるほど、確かにパンドラの地下迷宮踏破の使命とお宝目当ての金策は一石二鳥で合理的って訳だね。あっ、このジャム、甘酸っぱくて美味しいー」
とろりとした赤く甘いジャムを塗ったパンを頬張るミヅキに、アイアノアが、お飲み物をどうぞ、と水入れを差し出した。
「このジャムは私が作って持ってきた自家製なんですよ。また美味しいって思ってもらえたみたいで何よりです。うふふっ」
「あぁ、ありがとう……」
ミヅキはパンを片手に受け取った水入れをぐいとあおる。
やっぱり妙に上機嫌なアイアノアの笑顔が気になってしょうがない。
さっきよりも並べた肩と肩の距離が近くなって、今にもくっつきそうである。
「そっ、そういえばさぁ──」
二人をじと目で睨むエルトゥリンのイライラが増している気がする。
危険な雰囲気を肌で感じて、ミヅキは若干裏返った声をあげた。
「昨日出会ったドラゴンも恐ろしい相手だったけど、さっき戦った魔物たちも十分手強い相手だったよね。何ていうか、いくら異変が起きて凶暴化してるっていったって、ダンジョンに入ってすぐの場所でいきなり出てきていい強さの魔物じゃないと思うんだけどなぁ……」
アイアノアが不自然にべたべたしてくるのでごまかし気味に言ったことだったが、レッドドラゴンとの遭遇時に思ったそれは本当のことだった。
ダンジョンに入って、初めてエンカウントするモンスターが伝説の魔物だった、とはいくら何でも不当が過ぎるうえ、インチキもいいところである。
「──それが正に、私たちが使命を果たさなければならない理由なのです、ミヅキ様。少なくとも、私はそう思っています」
すると、急にアイアノアの声が低くなった。
明るい感じでダンジョンの知識を語っていたのとは打って変わり、彼女の口調は険を帯びる。
ミヅキの顔を横に見ていた視線を前に戻し、淡々と憂慮すべき事態を話し出す。
「神託を覚えておいでですか? 奈落の地下迷宮パンドラより大いなる災禍が溢れる兆し有り。大いなる災禍、無限の魔を解き放ち、やがて世界すべてを飲み込む不吉の元凶なり。この二つの文章が現在のパンドラの由々しき状態を物語っていて、先ほど戦った魔物たちにも顕著にその兆候が表れていました」
「さっきの魔物たち、何かおかしかったの?」
「はい、今しがた退治したガーゴイルとゴーレムを思い出して下さいまし。いかにパンドラの魔素が濃密であるとはいえ、氷の槍を降らせるほどの高度な魔法を扱うことは一介の魔物には大変難しく、そうした個体は極めて稀です」
ミヅキが問えば、アイアノアが答える。
戦闘を繰り広げた魔物たちの脅威の高さ。
神秘の加護の力があったからこそ蹴散らせたようなものだが、並の冒険者や街の人々には恐ろしい怪物であるのは間違いない。
「正面から戦って敵わないと見るや、私たちの手が届かない場所から距離をおいて遠距離攻撃に切り替えたり、防御のできない巨岩で不意打ちを仕掛けてきたり、と魔の本能のままに襲い掛かってくる魔物には不相応な高い知能がうかがえます」
「へぇ、やっぱりあいつら特別だったんだな。何だかやり方が賢いって思ったよ」
「ムカデの魔物も別の意味で同様です。元々ああいう習性の魔物ですが、パンドラの地下迷宮の環境の影響を受け、彼らの肉体を覆う甲殻は鉄鉱や特殊な金属を含有しており、並みの力や武器では歯が立たなかったことでしょう。ミヅキ様のお言葉の通り、ダンジョン第一層に出現する範疇の魔物の強さではありません」
「……それだけ今のパンドラの地下迷宮が危ないってことか」
アイアノアは、はいと返事をして深く頷いた。
そして、彼女は迷宮の高い天井の暗闇に視線をやった。
遠くを見る風の目はどこか虚ろだった。
パンドラの地下迷宮が難攻不落となったのは、単純に出現する魔物が強くなったからである。
そうなってしまった原因は、ダンジョンに立ち込める魔の気配にあった。
「10年前に起こった異変を契機に異常に濃密になった魔素、不必要に強くなってしまった魔物たち。それらは人々の手に負えなくなってこのダンジョンに黄昏の時を招きつつある……。もしかしたら、パンドラの地下迷宮はもう末期状態に陥っているのかもしれません。このまま手をこまねいてその時を迎え、魔素が地上にまで広がり、退治しきれないほどの強大な魔物たちが地上に解き放たれれば……」
「ごくり……」
アイアノアの遠くを見つめる憂いの目を見て、ミヅキは息を呑んだ。
もしも使命を果たせなければ、彼女の言う「大いなる災禍」は現実となる。
「──魔物の大暴走が起こります。ダンジョンより溢れ出した魔物の軍勢が地上を埋め尽くしてしまう……。それは、地獄そのものです……!」
世が魔で覆われ、恐ろしい怪物たちが世を跳梁跋扈する。
飽和した魔物たちにより、地上は混沌とした終末を迎える。
膨張し続けるダンジョンが行き着く最後に、地獄の蓋は開かれるのである。
「ミヅキ様、心してお聞き下さいまし──」
凛とした表情を浮かべ、緑の視線を真っ直ぐにミヅキに向け、彼女は一途の思いのままに言った。
それはもう、ダンジョンの解説というより、アイアノアの使命に対する意思表明であった。
「魔素が満ち満ちて、魔物に蹂躙されるこの地がどのような惨状を見るかは想像もしたくありません。もしもそんなことになれば、トリスの街や近隣の集落はもちろん、イシュタール王国やエルフの里を含めた全土に至るまで、「大いなる災禍」の魔の手は及びましょう。だからこそ、最悪の事態だけは絶対に防がなければならないのです。その役目こそが、私たちに与えられた神託の使命と加護の奇跡の意味なのですから」
■パンドラの地下迷宮の経緯(アイアノアの説明より時系列箇条書き)
・百年以上前、王国から北東の山岳地帯の地下深くにダンジョンが密かに誕生。
・鉱業を生業とする現地住人に、掘削作業中に偶然発見される。
※その頃からすでに巨大で底知れない規模のダンジョンだったとの記録有り。
・新たに発見されたダンジョンに冒険者たちが集まり、付近の集落が栄える。
その中で最も大きな賑わいを見せた人里が、現在のトリスの街の興りである。
・以降の百年もの間、ダンジョンを踏破する者は現れない。
幾多の富と名声をイシュタール王国中にもたらし、パンドラの地下迷宮の名は世界中に知れ渡る。
※パンドラという名は、かつてない規模の迷宮の底知れぬ深淵を危険視した王国の有識者が付けたとあるが諸説有り。冒険者の間で定着した通名とも。
・10年前の異変発生と共に魔素が異常に濃くなり、魔物が凶暴化する。
※ふもとの街のトリスの街はこの大事変を受け、甚大な被害を被った。
かくして、ダンジョンの危険度は格段に跳ね上がり、何者をも寄せ付けぬ魔境へと変貌した。
トリスの街外れの森で全裸の行き倒れの男が救助された。
そして、エルフの里に神託が下った。
使命の勇者ミヅキと、エルフの使者アイアノアとエルトゥリンの運命が交わる。
「──ですので、ミヅキ様にもより一層と、使命への熱意と意欲を肝に銘じて頂きたいのです。私たちが成さねば、いったい誰が「大いなる災禍」を止められるでしょうか。これは、他の誰にもできない重大事なのです」
真剣なアイアノアの顔が、揺らめく魔石の炎に照らされて見える。
大それた話にも聞こえるが、彼女は大真面目に使命に取り組むつもりである。
それは即ち、災禍を防いで世界を守る、ということだ。
「……アイアノアはさ。パンドラに起きた異変については知っているの?」
ミヅキは未だ秘された過去の事実、10年前の異変について言及する。
使命と災禍の源は、過去に起きたパンドラの地下迷宮の異変にある。
それは、すべての災厄の発端となったきっかけであった。
アイアノアはゆっくり頷いて神妙な顔で答えた。
「文献で読んだ程度には概要を承知しております。詳しくは今晩、キッキさんから直接当時の現地の様子をお聞きすることに致しましょう。ただ、一言申し上げるのなら、パンドラの異変が起こる矢先に発生した大きな現象がありました」
一拍置いて、アイアノアは異変の始まりとともに起こったそれを明かした。
一度は思い浮かべて胸騒ぎを感じ、陰鬱な気持ちになったその天変地異。
「──それは『地震』です」
ミヅキは聞いたことを後悔した。
薄々気付いていたのに、改めて恐怖に駆られる。
「すべてを揺るがす大地の変動が、突如パンドラの地下迷宮奥深くで起こり、トリスの街を含めた広範囲一帯に多大な被害を与えたといいます」
身体と心を、何か巨大で恐ろしいものにぎゅうと握り潰されるみたいだった。
刻みつけられたトラウマがじくじくと甦ってくる。
それは未だにミヅキを苛み続けているのである。
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