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第4章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅡ~

第89話 ダンジョン再び

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「すまないな……。命の恩人の魔術師殿とエルフさんたちからも通行料を取らねばならんとは。決まりは決まりなんでな、本当に心苦しいが頂いておくよ」

 髭の兵士隊長は申し訳なさそうに表情を曇らせていた。
 再会した命の恩人にも職務を遂行しなければならない。

 ミヅキならきっと着られない鉛色の甲冑で全身を包み、がちゃりと音を鳴らして差し出した小手の手の平に、三人分のダンジョン通行料を受け取っている。

 森を抜け、街道を果てまで歩くと、相も変わらず伝説のダンジョンはミヅキたちを待ち受けていた。
 そびえ立つパンドラの地下迷宮の入り口が悠然と見下ろしている。

 切り立った山肌に奈落へと続く巨大な穴が開いている。
 意匠が凝らされた石造りのアーチが縁取り、両側には人ならざる魔の巨人を象った石像が立ち、威風堂々に訪れる者を皆々威圧する。

 ここはパンドラの地下迷宮の入り口。
 ダンジョンへ通じる門である。

 そして、パンドラを管理する兵士たちの詰め所が入り口付近に併設されていて、その見た目はちょっとした砦のような外観であった。

「えーと、ガストンさん、でしたっけ。もう身体は大丈夫なんですか?」

「ああ、もうすっかり良いようだよ。任務には支障はない。ただまあ、もうレッドドラゴンに出くわすのは御免被りたいがね」

 ミヅキたちを出迎えてくれたのは、髭の兵士隊長のガストン。
 本来はダンジョン1層で出現するはずのない強大なモンスター、レッドドラゴンに遭遇してしまい、あわや危機一髪の目に遭ったのは昨日の話だ。

「昼食の配達に来たキッキに、貴公が今日パンドラに来ると聞いたものでね。昨日のお礼を言いたくてこうして待ち構えていたんだ。命を救ってもらった兵士を代表して改めて感謝を述べたい。ありがとう」

「いやぁ、俺も無我夢中で何がなにやらで……。大方は後ろのエルフの姉さん方のお陰みたいなもんだし、ともかく、みんな無事で良かったですよ」

 深々と頭を下げるガストンに、ミヅキは少し後ろで控えて立っているアイアノアとエルトゥリンを視線で指しつつ、照れくさそうに愛想笑いをした。
 姿勢を元に戻したガストンも、人柄の良さそうなミヅキに笑顔になっていた。

「そういえば魔術師殿──、あ、いや、聞いた話じゃ勇者様だったか。貴公の名前をまだ聞いていなかったな。私はこの辺境地方領領主セレスティアル家に仕える兵たちの長を務めている、ガストンという者だ」

「勇者様って呼ばれ方には抵抗あるんで、ミヅキって呼んで下さい。俺のことは、もう結構噂とかで知れ渡っちゃったりしてますよね……」

「まぁ、トリスは色々と訳有りの人々が多く住む街だ。記憶を無くして素性が不明だとか、どこから来た何者なのかなんてのは些細な問題だよ。ドラゴンに襲われて絶体絶命の私たちをとてつもない魔法で助けてくれた。それがすべてじゃないかね、──ミヅキ殿」

 整った口髭の顔がにっと笑う。
 他の誰かから聞いたのだろう、ミヅキが抱えた事情を快く思い、続けて言った。

「それに、パメラさんとこの借金の肩代わりもやるそうじゃないか。保護してもらった恩返しに、危険を顧みずパンドラの地下迷宮に挑んで、その成果を借金返済に充てようというのだからさすがは勇者、いや、ミヅキ殿だ」

「それももうみんな知ってるんだ……。やれやれ、噂が回るの早過ぎだろう」

 やっぱり全部筒抜けであった。
 ミヅキがパメラの事情に首を突っ込んだ話は、すでにガストンらにも知れ渡っており、今や街の共通認識となりつつある。

 創作物やゲームの中でも、主人公が何か物事を認識した途端に、世界中の人々がそれを周知したかのように話を合わせてくる現象を思い出してミヅキは苦笑い。
 と、そんなミヅキの黒いローブのなりを見ていたガストンは言った。

「パンドラに挑むには随分と軽装だが、今日はそんなに深くは潜らないのか?」

 率直な問いには特に探索計画を立てていなかったミヅキに代わり、一歩前に進み出たアイアノアが答えた。

「はい、今日はミヅキ様の初のダンジョン探索となります。ですので、夜までには戻れる範囲でパンドラを回ってみようかと思っています」

「そうか、下見という訳だな。ともあれだ、エルフのお嬢さん方にも昨日は世話になった。礼を言うよ。あんたたちもミヅキ殿と同じで、パメラさんとこの宿に滞在してるんだな。今日中に戻るというなら、感謝も込めて食事でもおごらせてくれ」

 義理堅そうな人となりの兵士長の彼は、そう申し出てにこやかに笑った。
 つられて笑うミヅキは、この髭の兵士のことを気に入り始めていた。

 ガストンは後方に開く、深遠たる奈落への入り口を振り向かずに親指で指す。

「今日はミヅキ殿たち以外は誰も立ち入っていない。例のドラゴンのような魔物の気配も無いし、迷宮の魔素もいつも通りだ。パンドラは本当に危険な魔窟になってしまったが、ミヅキ殿なら生きて帰って来られると信じている。幸運を祈るよ」

「安全第一をモットーに無理しないようにしますんで。それじゃあ行って来ます、俺たち貸切のダンジョン探検へ」

「ははは、貸切か。そんな言い回しをする冒険者も珍しいな。ミヅキ殿とはもっと話をしたい。不要な心配かもしれんが、どうか無事で帰ってきてくれ」

「ダンジョンの土産話をさかなに、パメラさんの美味いご馳走で乾杯といきましょう」

 甲冑の握り拳を上げ、肘を張って水平に胸の前に掲げてガストンは敬礼する。
 そうして見送られたミヅキたちは、二度目となるパンドラの地下迷宮への進入を果たすのであった。

「うっ……」

 先頭を切ってダンジョンの敷地内に一歩足を踏み入れ、ミヅキは呻いた。
 一瞬で空気が冷ややかに変化したのがわかった。

 巨大な穴倉の先は暗くて見通せない。
 この世と隔絶された魔の領域がどこまでも奥へと続いている。
 決して消えずにそこかしこに点けられた松明の頼りない明かりが、薄暗さを助長して不気味なことこの上ない。

「……」

 後ろからアイアノアとエルトゥリンが付いてきてくれているのをびくびくと確認しつつ、ミヅキはダンジョンの入り口の高い天井を見やった。

 数十メートルはあろうかという高さのため、上は暗くて何も見えない。
 まるで暗黒の空が広がっているかのような錯覚さえ生んだ。

 改めて思うが、パンドラの地下迷宮はとてつもなく広大で奥深い。
 百年以上も踏破した者がいないというのは伊達ではない。

「……ごくり。何度入っても慣れるもんじゃないな、こりゃ……」

 かび臭く湿った冷気が肌にまとわりつく。
 一歩進むごとに、異質で気味の悪い空気が全身を重くした。

「うむぅ……」

 勇気を出して歩き出す。
 やせ我慢はいなめず、真っ直ぐ奥まで続いている回廊の暗い先を見ていると、頭がくらくらして眩暈めまいを感じた。

 回廊の両側に等間隔で太い石柱が天井まで立ち上がっていて、誰が備え付けたのか松明のまばらな炎が辺りを照らしている。

 それが通路の奥の奥まで果てが無いほど続いていた。
 得体の知れない魔素なるものが呼吸の度に体内に入ってくると、全身に寒気と怖気おぞけが否応なく広がっていった。

「ミヅキ、怖いの?」

 気付くとすぐ隣を歩いているエルトゥリンが、無表情にこちらを見つめていた。
 怯えて引きつった顔をしていた自覚のあるミヅキは慌てて取り繕う。

「こ、ここっ、怖くなんかないよっ! まだ入ったばっかりの入り口近くだぞ……。ほらっ、後ろを向けばまだ外が見え──」

 ミヅキは勢いよく後ろを振り向いた。
 すると、もうはるか遠くになってしまった外の光が目に映る。
 それが言いようもなく不安な気持ちを煽った。

「……っ?!」

 もうこんなにも進んできてしまった。
 後戻りのできない暗黒の淵へと自ら踏み込んでいる。
 気分が沈んで何も言わずに前に向き直るミヅキに、エルトゥリンは静かに言う。

「そう、良かった、ミヅキは平気なのね。──私は怖いよ。こんなにも大きなダンジョンは初めてだし、この暗闇の向こうや、足の下に広がる地の底には何が潜んでいるのかわからない。それに、ダンジョン全体にたちこめる魔の気配に心と身体を逆撫でされてるみたいで気持ちが悪い」

 眉一つ動かさず、油断の無い瞳で暗がりを窺うエルトゥリン。
 いくら無双の加護の力を持っていようとも、このパンドラの地下迷宮では平静ではいられない。
 表情の無い顔にも緊張が見て取れて、ミヅキは先ほどの言葉を撤回した。

「……いや、ごめん、俺もやっぱり怖い。強がってても仕方がないな」

 弱々しくため息を吐いて言う。
 ここは冗談の通じるような生易しい場所ではないのだろう。
 脅威の度合いをいち早く把握し、正しく恐れる必要があると強く感じた。

「強がりでもいいから心をしっかり持っていて。気持ちが負けてしまったら、ダンジョンに心を喰われてしまうから」

「気をつけるよ……」

 うん、とおどけた様子の一切無い真剣な返事で頷き、エルトゥリンは先行してミヅキたちの前を歩き始めた。

 右手には大きな武器のハルバードを真上に突き上げて構え、華奢なエルフの女性とは思えないほど、その背中と後ろ姿には強い頼り甲斐を感じた。
 エルトゥリンも背中に大き目の鞄を背負っていて、アイアノアが説明してくれたような冒険者の道具の数々が詰まっている。

 荷物運びを自分もやると言った手前、あんな重そうな荷物を持てるかどうか不安になっていると、後ろから声が掛かった。

「ミヅキ様、ご気分はいかがですか? 体調に問題はありませんか?」

 今度は後方を歩いていたアイアノアが横に並んでいる。
 冷静に見えるエルトゥリンに比べ、彼女は少し不安そうな面持ちだった。

「何とか平気だよ。この変な感じ、魔素ってやつのせいなんだよね……。ちょっとまだ慣れないけど、ダンジョンにいる間はずっとこんな調子なんだろうな」

「……ええ、奥に進めば進むほど、地下に潜れば潜るほど、この禍々しい魔の気配は濃密になっていくことでしょう」

 そこで一度言葉を切ると、アイアノアはミヅキの顔を見つめて頷いた。
 その綺麗な瞳には、純粋にミヅキを求める光が宿っている。

「ただ、ミヅキ様の御力はこの魔素こそを源泉としているはずです。恐れたり、挫けたりするだけではなく、お気を確かに持ってパンドラの魔素と向き合い、自らの力として制御の程をよろしくお願い致します。ミヅキ様の御力が頼りですから」

「う、うん。そういえば、俺には地平の加護っていう不思議な力があるんだった。咄嗟とっさに使った前とは違って、今度はちゃんと使いこなさなくちゃいけない……」

 使命のため、生きて帰るため。
 ミヅキの力はアイアノアの希望そのものだ。

 期待に応えるにはパンドラの地下迷宮の魔素を使いこなし、そして彼女の加護ともうまく連係を取る必要がある。

「あ、そうだ。地平の加護を使うときは、アイアノアの太陽の加護に助けてもらうんだったね。こっちこそよろしくお願いします」

「うふふっ。はい、お任せ下さいまし、ミヅキ様」

 薄暗い闇の中でもアイアノアの微笑みは輝いて見えた。
 そのお陰で、ダンジョンに対しての不安と恐怖も少しばかりは和らいだ。

「よし……」

 ミヅキは思いだしたように自分の中に存在する力を実感する。

 地平の加護──。
 雛月のことを考えると身体中が熱くなるのを確かに感じた。
 ダンジョンに満ちる魔素をエネルギー源として加護を発動させる。

「ミヅキ様には私とエルトゥリンが付いておりますっ。全力でお助け致しますので、どーんと胸をお張りになっていて下さいましっ」

「う、うんっ……」

 そう言ってアイアノアは両手を腰に、自分の胸を張って見せた。
 迫力満点の大きなバストがぶるんっと揺れる。

 彼女の胸を見たからではないが、不思議と何とかなりそうな気がしてきた。
 漠然とした成功のイメージが頭に浮かんでくる。

 きっとそれは、アイアノアが備えている加護のお陰だろう。

『太陽の加護に支援される地平の加護は無敵だ。三月の思いつく限りを尽くして、パンドラのダンジョンを攻略していってくれ』 

 雛月の言葉を思い出す。
 アイアノアが使うのは太陽の加護だ。

 神々の異世界には無かったアイアノアのサポートが控えている。
 そう考えるだけで心に強さが湧き上がってきた。

 今回は一人じゃない。
 エルトゥリンだって付いている。
 暗黒の回廊を行く最中、ミヅキの緊張は少しずつほぐれていくのだった。

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