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第3章 現実の世界 ~カミナギ ひとつ~
第79話 二巡目にいってらっしゃい
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「……」
三月に夕緋との悩みを告げられ、雛月は少し黙っていた。
と、すっと瞳を閉じてふぅと息を吐いた。
三月の言いたいことを聞き終え、その気持ちを吟味している様子だった。
「ひ、雛月っ?!」
驚く三月の首に両手を回し、再び雛月は密着して抱きついてきた。
耳元近くに口を寄せ、静かに囁くのである。
「三月は優しいな。君の心は柔らかくて、とても温かい。未来のパートナーになる女性のため、自分の行いが果たして本当に釣り合いの取れることなのかと気持ちが揺らいでしまっているんだね」
雛月は三月の心をすべて理解している。
三月の人格を規範としつつ、本物の人間さながらに物事を考え、受け答えすることが可能な極めて精度の高い人工知能のような存在が雛月である。
最早それは一個の人格であると言っても差し支えはない。
だから三月が何を思い、何を望むのかを理解している。
理論的にも心情的にも、三月に寄り添った答えを用意できる。
「朝陽のことは忘れて、夕緋と夫婦になって末永く仲睦まじく暮らしていく。それはとっても幸福なことだろうね」
過ぎ去った辛い過去と決別し、希望の未来を夕緋と生きていく。
もうすでに手の届いている幸せを享受するなら迷うべくもなかった。
ただしかし、それを三月に許すほど事態が優しくないことも雛月は心得ている。
「だけどごめん。ぼくは三月が望んでいる答えを言ってあげるつもりはない。こんな訳のわからない異世界大冒険なんて今すぐにやめて、夕緋との幸せな未来を過ごしていくことを選んだほうがいい、──なんていう甘くて生易しい答えはね」
雛月は言い切った。
三月の望む安易な答えは否定する。
もう動き始めてしまったすべての因子を止めるなどできはしない。
「ぼくと三月の意志とは関係なく、賽は投げられてしまったんだ。物語はもうすでに動き出している。巨大な大河の流れとなったそれをせき止めることは叶わない。夕緋の言った、逃れられない女神様の試練とはまさに言い得て妙だよ」
すっと身体を離し、雛月は超然的な顔でこちらを見上げていた。
雛月の言葉に全く不満が無い訳ではない。
しかし、それよりも胸に込み上げるのは諦めの思いであった。
「やっぱりそっか、そうだろうとは思ってたよ……。あの夕緋が、自分にしてあげられる事が何も無いって泣いてたんだからな……。もうどうにもならないってことなんだろう……。俺の気持ちは関係無しで、やらなきゃならんのだろうなぁ……」
夕緋は三月の命運を三月自身に託した。
打つ手が無い、助けてあげられない、と夕緋に言われた。
あれだけの神通力を備える夕緋がそう言うのだから、本当にどうしようもないのは間違いない。
夕緋を信頼する三月にとって、それは絶対の宣告に等しかった。
ひときわ大きなため息をついて、苦笑交じりに観念して言うのだった。
もう雛月の目を見ても照れることはない。
「悪い雛月、気を遣わせちまった。今のは愚痴みたいなもんだから、こうして聞いてくれるだけでいい」
「いいよ、わかってる。本当にごめんね、厳しいことばかり言って。その代わり、愚痴や弱音は好きなだけぼくに吐き出してくれていいからね」
「ああ、そりゃ助かるかもな。雛月はもう一人の俺みたいなもんだから、俺の気持ちもよくわかってくれるだろうしな」
「うん、その通りだ。病めるときも健やかなるときも、ぼくは頼れる相棒として三月を助けていくと誓おうじゃないか」
「なんだよその言い方、結婚する訳じゃあるまいし。気持ち悪いな」
力無くも笑顔の戻った三月に、おどけた雛月もにっこりと笑う。
何だかんだと、三月は雛月と話していて安心を覚えていた。
雛月もそんな三月を理解している。
だから、訳もわからず危険な異世界へ赴く三月に、雛月は希望を持たせる。
「それにね、大丈夫だよ三月、安心してて。日和と朝陽の秘密を知ることは、三月の物語が始まるきっかけに過ぎないんだ。三月の希望となる答えはその先に待っている。それはぼくが約束しよう。それを知りさえすれば、三月もきっと物語を進めたいと思うようになること請け合いさ」
それは意味深な言い方であった。
すでに雛月には、次の異世界を巡る物語の先にある道筋が見えているようだ。
三月が積極的に異世界に行かなければならない理由はまだ無い。
行かざるを得ないから仕方なく転移をしているだけだ。
「日和と朝陽の秘密を知って物語を進める、か……」
元より、三月には不思議に思っていることがある。
「そもそもなんだけど、手掛かりになってる日和が言ってたことっておかしかったよな。……もう朝陽はいないのに、今更何を言ってるんだって感じだった」
『軽々しく言えぬのは、それがとある人の世の運命を左右する重大事に関わることだからじゃ……。みだりに秘密を語り、神水流朝陽の身に何らか災いが及べばすべてが終わりとなるのじゃからな……』
朝陽の身に災いも何もない。
もうあの子はいないのである。
10年前の惨禍に巻き込まれ、18歳の若さでこの世を去ってしまった。
日和の言葉をそのまま受け取るならあらぬ食い違いが生まれてしまう。
まるで、まだ朝陽が生きているかのような──。
「ストップ、それは三月の物語の重大なポイントだ。無論のこと、今それをぼくに聞いたところで何も答えてはあげられない。三月自身に何故なのかを確かめてきてもらいたい」
人差し指を唇の前に立て、雛月は三月を遮って言った。
雛月は三月の知見が及んでいない事実を語ることはできない。
物語の段階を進め、時期が満ちれば次なる道を示し出す。
それが雛月という存在のルールである。
「そう言うと思ったよ。その辺りの秘密がわかるときを精々楽しみにするさ」
「うんうん、頑張ろう。ぼくも三月の期待を裏切らない答えを用意するからね」
三月はこの雛月という、地平の加護の化身のことがわかってきていた。
本能的にというか、漠然と敵ではないと認識できる。
奔放で随意的。
普段の三月とは真逆な心の側面を持っている肯定的な存在。
そんなストーリーテラーな雛月は促すように言った。
「三月のすることはこれまでと変わらないよ。三月の信念に従って、正しいと思う事を正しく行い、物語にちりばめられた因子を集めて前に進んで欲しい。今はまだ暗闇の中を進む手探り道中だけど、きっと目指すべき光は見えてくるはずさ」
三月の頬にそっと片方の手を添える。
目を細めて微笑む雛月の顔は、改めて在りし日の朝陽を思い出させた。
「ぼくは三月の物語の水先案内人さ……。三月が惑わないように、ぼくがしっかりと導いてあげる。だから、安心して頑張ってきて」
「……雛月、わかっ──」
雛月の言葉に安息を感じたのか、はたまた観念しただけなのか。
三月は次なる不可思議に挑む覚悟を固めた。
それなのに──。
何を思ったのか雛月は、もう片方の手も三月の頬に添えてきて、両側から挟み込むとむにっと押さえつけてきた。
「な、なにすんだよ……」
わかってきたと思っていたが、やっぱりよくわからない奇行に走る雛月。
変顔の三月は抗議しようとするも、雛月はむすっとしていた。
唐突なおふざけにもちゃんとした意味はあったから。
「でもね、夕緋にも言われたことだけど念押ししておくぞ。三月、よく覚えておくんだ。魂の死が肉体の死に直結するっていう話はまさに本当だ。当たり前だけど、いずれの世界でも命を落とすのは厳禁だぞ。夢や幻だから死んでもいい、だなんて捨て鉢になっては絶対に駄目だからね」
雛月の目は真剣だった。
三月の頬を両手でむにむにこね回しながらさらに続ける。
「今だから言うけどね、アイアノアの太陽の加護が間一髪間に合ったから良かったものの、パンドラの地下迷宮でドラゴンの炎に焼かれそうになっていたときは本気で危なかったんだぞ。天神回戦で馬頭鬼の牢太に切られたときも、夜宵の神通力で押し潰されそうになったときもそうだ」
眉を八の字にして、雛月は困り果てた表情でため息をついた。
その困惑が三月にも伝わり、頭の中に当時の様子が回想される。
「三月ったら、異世界転移を夢だ幻だなんて決め付けて現実逃避した挙句に、おとなしく諦めようとするんだもんな。危うくあのままおっ死ぬところだったよ……。もしもそうなっていたらぼくだって消えてしまうし、本当に一巻の終わりだったんだぞ。猛省してくれたまえよ、まったくもう」
「うぐぐぐ……。ぐうの音も出ない……。すまん……」
ほっぺを膨らましてぷんすか怒る雛月は、ほっぺを潰されてしゅんとなる三月の顔を見てもう一度ため息をつく。
やれやれしょうがないな、と言うばかりに首を何度か横に振ると、ようやく三月の頬をこね回しの刑から開放して両手を下ろした。
「まぁ、次からはそうならないように、ぼくが地平の加護として全力で三月を手助けするから安心して欲しい。忘れないでくれ、三月。ぼくは常に三月と共に在り、いついかなるときでも三月の味方だってことをね」
言いながら、雛月は不自然に身体を逸らし始める。
視線は三月を見ながらも、ぐぐっと三月から身体を背けてのけぞった。
かと思うと右手を高々と振り上げている。
雛月の腰に回した両手を離せない体勢のまま、三月はきょとんとした表情をして、また不思議なことをし始めたとその様子を見ていた。
「なにしてんだ、雛月?」
「あぁ、どうやら時間切れみたいだ。言っとくけど、これはぼくがやるんじゃないからね。後で文句を言っても受け付けないぞ」
「は? そりゃどういう……。うぅわっ!?」
「三月、歯ぁ食いしばってぇ──」
言ったが早いか雛月は振り上げた右手を平手状にして、三月の左頬をめがけて結構な勢いで振り下ろしていた。
両手を雛月の腰に固定され、身動きが取れなかった三月には避けようもない。
パチィンッ、と平手打ち特有の破裂音が響き渡った。
それと同時で、今までそこにいたはずの三月の姿はどこにも見当たらない。
影も形も無く消えてしまっていた。
後にはアパートの部屋を模した玄関に立つ、雛月だけが一人残った。
薄く微笑み、いなくなった三月にぽつりと一言。
「異世界渡りの二巡目──。行ってらっしゃい、三月」
ふぁさっ、とお団子にしていた髪型が元のボブカットに戻った。
と、平手打ちを終えた格好から、両手を胸の前で組んで難しい表情を浮かべる。
三月を通じ、実際に「それ」を目の当たりにして、想定外の脅威を感じている。
物思う顔にあったのは明らかな焦燥だ。
誰に言うでもない独り事を漏らす。
「……それにしても、三月をけしかけたまでは良かったけれど、ここからどうしたものやらだ。やれやれ、これは一苦労二苦労どころの騒ぎじゃ済みそうにないぞ。創造主様も本当に人使いが荒いよ、まったく……」
雛月にはこの先に何が待っているのか予測をしていた。
それを思えば、さしもの地平の加護の化身といえど気が重くなるというものだ。
雛月は懸念していた。
それらは必ず、三月の物語に立ちはだかる。
「想像以上に厄介な相手だぞ……。三月の物語を進めるうえで、最大の障壁となる者たち。ダークエルフの女に、蜘蛛の着物の男。──そして、神水流夕緋」
三月に夕緋との悩みを告げられ、雛月は少し黙っていた。
と、すっと瞳を閉じてふぅと息を吐いた。
三月の言いたいことを聞き終え、その気持ちを吟味している様子だった。
「ひ、雛月っ?!」
驚く三月の首に両手を回し、再び雛月は密着して抱きついてきた。
耳元近くに口を寄せ、静かに囁くのである。
「三月は優しいな。君の心は柔らかくて、とても温かい。未来のパートナーになる女性のため、自分の行いが果たして本当に釣り合いの取れることなのかと気持ちが揺らいでしまっているんだね」
雛月は三月の心をすべて理解している。
三月の人格を規範としつつ、本物の人間さながらに物事を考え、受け答えすることが可能な極めて精度の高い人工知能のような存在が雛月である。
最早それは一個の人格であると言っても差し支えはない。
だから三月が何を思い、何を望むのかを理解している。
理論的にも心情的にも、三月に寄り添った答えを用意できる。
「朝陽のことは忘れて、夕緋と夫婦になって末永く仲睦まじく暮らしていく。それはとっても幸福なことだろうね」
過ぎ去った辛い過去と決別し、希望の未来を夕緋と生きていく。
もうすでに手の届いている幸せを享受するなら迷うべくもなかった。
ただしかし、それを三月に許すほど事態が優しくないことも雛月は心得ている。
「だけどごめん。ぼくは三月が望んでいる答えを言ってあげるつもりはない。こんな訳のわからない異世界大冒険なんて今すぐにやめて、夕緋との幸せな未来を過ごしていくことを選んだほうがいい、──なんていう甘くて生易しい答えはね」
雛月は言い切った。
三月の望む安易な答えは否定する。
もう動き始めてしまったすべての因子を止めるなどできはしない。
「ぼくと三月の意志とは関係なく、賽は投げられてしまったんだ。物語はもうすでに動き出している。巨大な大河の流れとなったそれをせき止めることは叶わない。夕緋の言った、逃れられない女神様の試練とはまさに言い得て妙だよ」
すっと身体を離し、雛月は超然的な顔でこちらを見上げていた。
雛月の言葉に全く不満が無い訳ではない。
しかし、それよりも胸に込み上げるのは諦めの思いであった。
「やっぱりそっか、そうだろうとは思ってたよ……。あの夕緋が、自分にしてあげられる事が何も無いって泣いてたんだからな……。もうどうにもならないってことなんだろう……。俺の気持ちは関係無しで、やらなきゃならんのだろうなぁ……」
夕緋は三月の命運を三月自身に託した。
打つ手が無い、助けてあげられない、と夕緋に言われた。
あれだけの神通力を備える夕緋がそう言うのだから、本当にどうしようもないのは間違いない。
夕緋を信頼する三月にとって、それは絶対の宣告に等しかった。
ひときわ大きなため息をついて、苦笑交じりに観念して言うのだった。
もう雛月の目を見ても照れることはない。
「悪い雛月、気を遣わせちまった。今のは愚痴みたいなもんだから、こうして聞いてくれるだけでいい」
「いいよ、わかってる。本当にごめんね、厳しいことばかり言って。その代わり、愚痴や弱音は好きなだけぼくに吐き出してくれていいからね」
「ああ、そりゃ助かるかもな。雛月はもう一人の俺みたいなもんだから、俺の気持ちもよくわかってくれるだろうしな」
「うん、その通りだ。病めるときも健やかなるときも、ぼくは頼れる相棒として三月を助けていくと誓おうじゃないか」
「なんだよその言い方、結婚する訳じゃあるまいし。気持ち悪いな」
力無くも笑顔の戻った三月に、おどけた雛月もにっこりと笑う。
何だかんだと、三月は雛月と話していて安心を覚えていた。
雛月もそんな三月を理解している。
だから、訳もわからず危険な異世界へ赴く三月に、雛月は希望を持たせる。
「それにね、大丈夫だよ三月、安心してて。日和と朝陽の秘密を知ることは、三月の物語が始まるきっかけに過ぎないんだ。三月の希望となる答えはその先に待っている。それはぼくが約束しよう。それを知りさえすれば、三月もきっと物語を進めたいと思うようになること請け合いさ」
それは意味深な言い方であった。
すでに雛月には、次の異世界を巡る物語の先にある道筋が見えているようだ。
三月が積極的に異世界に行かなければならない理由はまだ無い。
行かざるを得ないから仕方なく転移をしているだけだ。
「日和と朝陽の秘密を知って物語を進める、か……」
元より、三月には不思議に思っていることがある。
「そもそもなんだけど、手掛かりになってる日和が言ってたことっておかしかったよな。……もう朝陽はいないのに、今更何を言ってるんだって感じだった」
『軽々しく言えぬのは、それがとある人の世の運命を左右する重大事に関わることだからじゃ……。みだりに秘密を語り、神水流朝陽の身に何らか災いが及べばすべてが終わりとなるのじゃからな……』
朝陽の身に災いも何もない。
もうあの子はいないのである。
10年前の惨禍に巻き込まれ、18歳の若さでこの世を去ってしまった。
日和の言葉をそのまま受け取るならあらぬ食い違いが生まれてしまう。
まるで、まだ朝陽が生きているかのような──。
「ストップ、それは三月の物語の重大なポイントだ。無論のこと、今それをぼくに聞いたところで何も答えてはあげられない。三月自身に何故なのかを確かめてきてもらいたい」
人差し指を唇の前に立て、雛月は三月を遮って言った。
雛月は三月の知見が及んでいない事実を語ることはできない。
物語の段階を進め、時期が満ちれば次なる道を示し出す。
それが雛月という存在のルールである。
「そう言うと思ったよ。その辺りの秘密がわかるときを精々楽しみにするさ」
「うんうん、頑張ろう。ぼくも三月の期待を裏切らない答えを用意するからね」
三月はこの雛月という、地平の加護の化身のことがわかってきていた。
本能的にというか、漠然と敵ではないと認識できる。
奔放で随意的。
普段の三月とは真逆な心の側面を持っている肯定的な存在。
そんなストーリーテラーな雛月は促すように言った。
「三月のすることはこれまでと変わらないよ。三月の信念に従って、正しいと思う事を正しく行い、物語にちりばめられた因子を集めて前に進んで欲しい。今はまだ暗闇の中を進む手探り道中だけど、きっと目指すべき光は見えてくるはずさ」
三月の頬にそっと片方の手を添える。
目を細めて微笑む雛月の顔は、改めて在りし日の朝陽を思い出させた。
「ぼくは三月の物語の水先案内人さ……。三月が惑わないように、ぼくがしっかりと導いてあげる。だから、安心して頑張ってきて」
「……雛月、わかっ──」
雛月の言葉に安息を感じたのか、はたまた観念しただけなのか。
三月は次なる不可思議に挑む覚悟を固めた。
それなのに──。
何を思ったのか雛月は、もう片方の手も三月の頬に添えてきて、両側から挟み込むとむにっと押さえつけてきた。
「な、なにすんだよ……」
わかってきたと思っていたが、やっぱりよくわからない奇行に走る雛月。
変顔の三月は抗議しようとするも、雛月はむすっとしていた。
唐突なおふざけにもちゃんとした意味はあったから。
「でもね、夕緋にも言われたことだけど念押ししておくぞ。三月、よく覚えておくんだ。魂の死が肉体の死に直結するっていう話はまさに本当だ。当たり前だけど、いずれの世界でも命を落とすのは厳禁だぞ。夢や幻だから死んでもいい、だなんて捨て鉢になっては絶対に駄目だからね」
雛月の目は真剣だった。
三月の頬を両手でむにむにこね回しながらさらに続ける。
「今だから言うけどね、アイアノアの太陽の加護が間一髪間に合ったから良かったものの、パンドラの地下迷宮でドラゴンの炎に焼かれそうになっていたときは本気で危なかったんだぞ。天神回戦で馬頭鬼の牢太に切られたときも、夜宵の神通力で押し潰されそうになったときもそうだ」
眉を八の字にして、雛月は困り果てた表情でため息をついた。
その困惑が三月にも伝わり、頭の中に当時の様子が回想される。
「三月ったら、異世界転移を夢だ幻だなんて決め付けて現実逃避した挙句に、おとなしく諦めようとするんだもんな。危うくあのままおっ死ぬところだったよ……。もしもそうなっていたらぼくだって消えてしまうし、本当に一巻の終わりだったんだぞ。猛省してくれたまえよ、まったくもう」
「うぐぐぐ……。ぐうの音も出ない……。すまん……」
ほっぺを膨らましてぷんすか怒る雛月は、ほっぺを潰されてしゅんとなる三月の顔を見てもう一度ため息をつく。
やれやれしょうがないな、と言うばかりに首を何度か横に振ると、ようやく三月の頬をこね回しの刑から開放して両手を下ろした。
「まぁ、次からはそうならないように、ぼくが地平の加護として全力で三月を手助けするから安心して欲しい。忘れないでくれ、三月。ぼくは常に三月と共に在り、いついかなるときでも三月の味方だってことをね」
言いながら、雛月は不自然に身体を逸らし始める。
視線は三月を見ながらも、ぐぐっと三月から身体を背けてのけぞった。
かと思うと右手を高々と振り上げている。
雛月の腰に回した両手を離せない体勢のまま、三月はきょとんとした表情をして、また不思議なことをし始めたとその様子を見ていた。
「なにしてんだ、雛月?」
「あぁ、どうやら時間切れみたいだ。言っとくけど、これはぼくがやるんじゃないからね。後で文句を言っても受け付けないぞ」
「は? そりゃどういう……。うぅわっ!?」
「三月、歯ぁ食いしばってぇ──」
言ったが早いか雛月は振り上げた右手を平手状にして、三月の左頬をめがけて結構な勢いで振り下ろしていた。
両手を雛月の腰に固定され、身動きが取れなかった三月には避けようもない。
パチィンッ、と平手打ち特有の破裂音が響き渡った。
それと同時で、今までそこにいたはずの三月の姿はどこにも見当たらない。
影も形も無く消えてしまっていた。
後にはアパートの部屋を模した玄関に立つ、雛月だけが一人残った。
薄く微笑み、いなくなった三月にぽつりと一言。
「異世界渡りの二巡目──。行ってらっしゃい、三月」
ふぁさっ、とお団子にしていた髪型が元のボブカットに戻った。
と、平手打ちを終えた格好から、両手を胸の前で組んで難しい表情を浮かべる。
三月を通じ、実際に「それ」を目の当たりにして、想定外の脅威を感じている。
物思う顔にあったのは明らかな焦燥だ。
誰に言うでもない独り事を漏らす。
「……それにしても、三月をけしかけたまでは良かったけれど、ここからどうしたものやらだ。やれやれ、これは一苦労二苦労どころの騒ぎじゃ済みそうにないぞ。創造主様も本当に人使いが荒いよ、まったく……」
雛月にはこの先に何が待っているのか予測をしていた。
それを思えば、さしもの地平の加護の化身といえど気が重くなるというものだ。
雛月は懸念していた。
それらは必ず、三月の物語に立ちはだかる。
「想像以上に厄介な相手だぞ……。三月の物語を進めるうえで、最大の障壁となる者たち。ダークエルフの女に、蜘蛛の着物の男。──そして、神水流夕緋」
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