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第3章 現実の世界 ~カミナギ ひとつ~
第65話 神水流の巫女
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「こらーっ! もう下校時間は過ぎてるぞーっ! さっさと帰りなさいっ!」
騒ぎを聞きつけ、職員室から教師が数人駆け付けてきた。
下校時にも関わらず、理科室に大勢生徒が居残っているので注意の声を掛ける。
しかも、学校中に響いた怪しげな叫び声が何だったのかも謎だった。
「それに、さっきの叫び声はなん、……うわっ!?」
澄ました顔の夕緋の足下にある残骸を見て、教師たちは驚いて青ざめた。
教師たちも学校で噂されていた七不思議のことは知っている。
そして、もちろん神水流夕緋がどういった生徒であるかも心得ている。
二つの要因が結び付き、この惨状を見れば何が起こったのかはすぐにわかった。
「……みんな来なさい。校長先生の部屋にすぐ集まるように……」
教師は重々しい顔をしてそう言い、あれよあれよという内に夕緋と他の生徒たちは校長室へと招かれていくのであった。
「神水流さん、今回のことは少しばかり目に余ります……」
接客用のソファーに向かい合わせで校長と夕緋が座り、三月たち他の生徒はその後ろに立って控えていた。
まずは、学校の備品を壊してはいけないという普通のお説教に始まり。
夕緋に対してだけの特別なお小言が後に続いた。
「神水流さんの御力が凄いのは重々わかっております。申し訳ないのですが、少し自重をしてもらえませんか? 貴方が本気になれば、学校の七不思議どころか町中の怪談話が消えて無くなってもおかしくない」
定年近い年配の校長なのに、どこかおどおどした様子だったのを覚えている。
この校長は元々三月や朝陽、夕緋と同じ町に住んでいて、ここいらの土地の事情には詳しい。
夕緋の生家、神水流の家のことについても弁えている。
「ですので、御力をお振るいになるのはお祀り事や、有事の時に限って──」
「校長先生、お言葉ですがそれの何がいけないんですか?」
ただしかし。
夕緋は校長の言葉を遮り、表情を動かさずに当然といった風で問い返した。
「悪い霊がいなくなれば町は平和になります。事故に遭う人や病気になる人も減ります。現に、七不思議が無くなれば勉強だって捗るんですから」
夕緋は正しいことをしていると信じている。
本当に怖いもの知らずの夕緋に対し、子供心に肝を冷やすのもしばしばである。
相手が大人だろうと、人ならざる者だろうと怯まない、怖がらない。
何故なら、夕緋には心に決めた使命があったから。
「この町の全ての怪異は私が祓います。お父さんもお母さんも、友達も先生たちもみんなみんな、私が護って見せます。なんてったって、私は──」
夕緋は特別な少女であった。
神水流という、この町では一目置かれた由緒のある家に生まれた女がゆえに。
誇らしく胸を張り、夕緋は言った。
「当代における正統たる、神水流の巫女なんですからっ!」
高らかなる宣言にも似た、夕緋の言葉には確かな力が宿っていた。
神水流の巫女──。
高い霊能力、いや、神通力の素養を持ち、この土地を護る役目を負う者。
神に寵愛され、神に選ばれし称号を夕緋は受け継いでいるのである。
三月と一緒にそれを聞いていた朝陽は、心なしかしゅんとなっていたと思う。
双子の姉妹で境遇は同じはずなのに朝陽は夕緋とは違う。
「はぁーあ……。調子に乗っていたのは私のほうでした……」
大人の夕緋のため息を聞く頃には、三月の意識は現実に引き戻されていた。
町を隣り合って歩く夕緋の顔は羞恥に赤くなっている。
過去を振り返る今となっては昔の自分がひどく恥ずかしい。
子供の時は特別な力に得意になっていた夕緋だったが、大きく成長するにつれて、凄い凄いとはやし立てられるのが堪らなくなってしまった。
「姉さんは普通だったのに、私だけやたらと霊感が強くなっちゃって……。小さい頃は、私だって自分のこの力を凄いなって思ってたけど、今思い返すと私も普通が良かったなぁって……。未だに意地悪な三月さんに古傷を突っつかれるし、姉さんが羨ましかったですよ……」
夕緋は唇を尖らせ、暗い顔をして落ち込む。
その時に付いた、七不思議殺しの女という不名誉な異名を特に気にしている。
思い掛けずな失言を申し訳なく思いつつ、三月は苦笑しながら夕緋を元気付けるつもりで言った。
「夕緋ちゃんは昔から何でもよくできてたからなぁ。霊感が強くなったのだって、夕緋ちゃんの毎日のお勤めの修行の成果だと思うよ。朝陽はほら、あんまり真面目にお勤めやってなかったしさ……」
三月の言う通り、夕緋に特別な力があったのは神水流の家の勤めを立派に果たしていたからである。
神様に頑張りを認められ、霊験あらたかな神通力を授けてもらえたのだ。
少なくとも三月はそう信じている。
但し、どういう訳か姉の朝陽には夕緋のような特別な力は宿らなかった。
三月はその理由について、夕緋に比べて朝陽が不真面目だったからだという。
幸か不幸か、夕緋のような神通力が無いがために、朝陽は同じ神水流の家の子供ながら、普通の女の子として日々を過ごしていたのである。
七不思議を解決するなど、どうひっくり返ってもできる訳がない。
「……ふぅぅぅ」
ただ、三月の言葉を聞く夕緋は沈痛そうなため息を長いこと吐いていた。
感情のよくわからない目を少しの間だけ三月に向けると、ほどなく物憂げに視線を逸らした。
そうして黙っていたかと思うと、呟くようにぽつりぽつりと言い始める。
「──私も、もうずっとお勤めはしてません……。姉さんがいなくなってしまってからは、私の中で何かが切れてしまって……。あんなに脇目も振らず、女神様をお祀りしていたのに……。罰当たりなことね、本当に……」
「夕緋ちゃん……」
夕緋の俯いた表情は暗かった。
面白がって不用意に朝陽の名前を出してしまったことを三月は後悔した。
当たり前だが、朝陽の逝去に心を痛めて悲しんだのは三月だけではない。
家族で実の姉である朝陽がいなくなり、夕緋の嘆きと悲しみはそれ以上だったに違いない。
「あっ、ごめんなさい。新しいお家を探す楽しいデートのはずなのに、しんみりとしちゃって……。お勤めなんて私の家の昔の話ですし、もう私は神水流の巫女じゃありませんからっ。……はいっ、この話はおしまいっ」
「ああ、うん……。俺こそごめん。調子に乗って、無神経だった」
お互いに不謹慎な話題だったと反省する。
二人は謝り合うとすぐに笑顔に戻った。
同棲のための新居を見に来て、魔物に遭遇するアクシデントに見舞われた。
懐かしい夕緋の除霊を見て、思い掛けず昔を思い出してしまった。
七不思議殺しの女こと、神水流の巫女、夕緋──。
そして、今はもういない、三月の元恋人、朝陽──。
但し、今日はそんな昔話をする日ではない。
幸せへの第一歩を踏み出そうとしているのに、辛い過去に触れて水を差すのはどう考えても野暮というものだ。
「それでどうします、三月さん? もうさっきのマンションの部屋は綺麗になったけれど、一度は良くないものが住み着いた場所だから、あそこに住むのはやっぱり気持ち悪い、かな?」
「うーん、そうだなぁ。夕緋ちゃんがいてさえくれれば、また何か出ても心配ないだろうけど、せっかくだから他のところも色々見てみようか」
「うん、そうですね。ゆっくり探しましょう。三月さんとこうしてるのはとっても楽しいからっ」
「夕緋ちゃん……。うん、それは良かった。俺も楽しいよ」
長年想い続けたひとと一緒になれたのが本当に嬉しいようで、夕緋は無邪気に少女みたいな微笑をこぼす。
つられて、三月も自然に笑顔になった。
二人にとって大事な存在だった朝陽はもういないけれど、苦しみの思い出を過去にして、希望の未来へと進んでいけるはずだ。
時刻は午後の2時を回ったところ。
陽気な天候の日差しの下、二人の背姿は程よい人通りの雑多の中へと消えていくのであった。
◇◆◇
『雛月は、朝陽と日和の間にどんな関係性があるのか知ってるのか?』
『大まかにだけど知っているよ。日和がどういった神で、朝陽と神水流の家の出自を考えれば想像はつく、と言ったところかな』
笑顔で歩き出した三月の脳裏に、ふとよぎるのは雛月との会話の記憶だった。
さっきの七不思議殺しの女の時と同じく、またぞろと記憶が差し込まれた。
それは三月が、女神の日和と朝陽の関係性を問い掛けた時のものだ。
合歓木日和ノ神は何のために祀られ、どういった由来での神なのか。
夕緋の生家である、神水流の家がどういう歴史を辿ってきた家柄であるのか。
特に夕緋に関わる事象は確かな現実世界の話で、夢か幻か不明な異世界の絵空事ではない。
神通力を宿す夕緋、毎日のお勤め、女神を祀る。
そして、神水流の巫女──。
──何だ? やけに際立って頭に引っ掛かる言葉がある……。やっぱり雛月の顔が頭をちらつくな。何が可笑しくてそんな風に薄ら笑ってるんだ?
何かを鮮明に思い出す度、得意そうに笑んだ雛月の顔が思い浮かぶ。
そういえば、三月の記憶に絡む自分の仕組みについて語っていた。
『ご明察だね。ぼくは地平の加護、三月の記憶を司り、共にしている神経そのもの。ぼくを思い浮かべれば、思い出したい記憶とそれに関連する事柄が、自然と頭の中に理路整然と立ち並ぶはずだ』
記憶は正しく管理され、三月が望んだり思い出す必要があったりすると、適宜雛月によって呼び起こされる。
人間の記憶は曖昧でいい加減なものだが、地平の加護の権能を持ってすれば精度の高い確たる情報となる。
三月の中で非現実の何かが蠢いている。
一度、見聞きした情報を完全に把握、管理して、正確に想起できる能力。
地平の加護が備える権能の一端、そんな便利な力を授けられた。
現実世界に帰還し、三日もの時間が経過したものの、やはりまだあの異世界転移の物語は続いているのかもしれない。
──さっきの七不思議の昔話と同じだ。俺に何かを思い出させようとしてるのか? それが頭に引っ掛かってる言葉に関係があるってのか……?
思いながら、隣を楽しそうに歩く夕緋の笑顔を見る。
ほころんだ綺麗なその顔を眺めていると、三月の脳裏に去来するものがあった。
夕緋を見ていても何かしらの記憶の想起が促される。
雛月はこうも言っていた。
『朝陽の双子の妹、夕緋ちゃんは朝陽が健在だった頃の生き証人だ。二人は三月の幼馴染なんだし、いっそ夕緋ちゃんに色々と聞いてみれば、朝陽と日和を繋ぐ何かの糸口が掴めるかもしれないね』
──朝陽と日和の関係を夕緋ちゃんが知っているかもしれない……。そうさ、夕緋ちゃんの家、神水流さんの家はきっと無関係なんかじゃない。日和だって言ってたじゃないか。
『──みづきの聞きたいことというのは、大切な我が巫女、朝陽のことじゃな?』
三月が思えば、狙い澄ましたとばかりに日和の言葉が甦る。
日和は朝陽を大切な巫女であると言っていた。
三月は自分の中で情報の点と点が繋がっていくのを感じる。
──そうか、朝陽と夕緋ちゃんのことを……。──神水流の巫女のことを思い出せって、そう言ってるんだな? そうなんだな、雛月!
自身の心に強く問い掛けても何も返事は返ってこない。
しかし、三月はもう半ば察していた。
これが地平の加護である、雛月のやり方なのだろう。
自らを三月の物語の水先案内人だと名乗り、知り得た情報を精査して管理する。
事の真相に迫れるよう随所で記憶を巡らせ、能動的に三月を導いていく。
新たな知見を得た地平の加護は、地平線が無限に広がるのと同じに三月に情報を与え続ける。
そうすれば、事の成り行きに従い、三月はさらなる情報を得ることができる。
そのサイクルの果てに、三月はとうとう知りたいと願う事実に辿り着く。
雛月はそうして物語が紡がれるのを望んでいる。
「……わかったよ、ちょっと思い出す」
夕緋に気付かれないくらいの小声で言うと、三月は雛月の導きを受け容れる。
過去へと繋がるキーワードを元に、回想の旅に思いを馳せた。
現実世界の元の生活に戻ったのも束の間。
異世界でなかろうとも、次なる不可思議が三月の行き先に待っている。
騒ぎを聞きつけ、職員室から教師が数人駆け付けてきた。
下校時にも関わらず、理科室に大勢生徒が居残っているので注意の声を掛ける。
しかも、学校中に響いた怪しげな叫び声が何だったのかも謎だった。
「それに、さっきの叫び声はなん、……うわっ!?」
澄ました顔の夕緋の足下にある残骸を見て、教師たちは驚いて青ざめた。
教師たちも学校で噂されていた七不思議のことは知っている。
そして、もちろん神水流夕緋がどういった生徒であるかも心得ている。
二つの要因が結び付き、この惨状を見れば何が起こったのかはすぐにわかった。
「……みんな来なさい。校長先生の部屋にすぐ集まるように……」
教師は重々しい顔をしてそう言い、あれよあれよという内に夕緋と他の生徒たちは校長室へと招かれていくのであった。
「神水流さん、今回のことは少しばかり目に余ります……」
接客用のソファーに向かい合わせで校長と夕緋が座り、三月たち他の生徒はその後ろに立って控えていた。
まずは、学校の備品を壊してはいけないという普通のお説教に始まり。
夕緋に対してだけの特別なお小言が後に続いた。
「神水流さんの御力が凄いのは重々わかっております。申し訳ないのですが、少し自重をしてもらえませんか? 貴方が本気になれば、学校の七不思議どころか町中の怪談話が消えて無くなってもおかしくない」
定年近い年配の校長なのに、どこかおどおどした様子だったのを覚えている。
この校長は元々三月や朝陽、夕緋と同じ町に住んでいて、ここいらの土地の事情には詳しい。
夕緋の生家、神水流の家のことについても弁えている。
「ですので、御力をお振るいになるのはお祀り事や、有事の時に限って──」
「校長先生、お言葉ですがそれの何がいけないんですか?」
ただしかし。
夕緋は校長の言葉を遮り、表情を動かさずに当然といった風で問い返した。
「悪い霊がいなくなれば町は平和になります。事故に遭う人や病気になる人も減ります。現に、七不思議が無くなれば勉強だって捗るんですから」
夕緋は正しいことをしていると信じている。
本当に怖いもの知らずの夕緋に対し、子供心に肝を冷やすのもしばしばである。
相手が大人だろうと、人ならざる者だろうと怯まない、怖がらない。
何故なら、夕緋には心に決めた使命があったから。
「この町の全ての怪異は私が祓います。お父さんもお母さんも、友達も先生たちもみんなみんな、私が護って見せます。なんてったって、私は──」
夕緋は特別な少女であった。
神水流という、この町では一目置かれた由緒のある家に生まれた女がゆえに。
誇らしく胸を張り、夕緋は言った。
「当代における正統たる、神水流の巫女なんですからっ!」
高らかなる宣言にも似た、夕緋の言葉には確かな力が宿っていた。
神水流の巫女──。
高い霊能力、いや、神通力の素養を持ち、この土地を護る役目を負う者。
神に寵愛され、神に選ばれし称号を夕緋は受け継いでいるのである。
三月と一緒にそれを聞いていた朝陽は、心なしかしゅんとなっていたと思う。
双子の姉妹で境遇は同じはずなのに朝陽は夕緋とは違う。
「はぁーあ……。調子に乗っていたのは私のほうでした……」
大人の夕緋のため息を聞く頃には、三月の意識は現実に引き戻されていた。
町を隣り合って歩く夕緋の顔は羞恥に赤くなっている。
過去を振り返る今となっては昔の自分がひどく恥ずかしい。
子供の時は特別な力に得意になっていた夕緋だったが、大きく成長するにつれて、凄い凄いとはやし立てられるのが堪らなくなってしまった。
「姉さんは普通だったのに、私だけやたらと霊感が強くなっちゃって……。小さい頃は、私だって自分のこの力を凄いなって思ってたけど、今思い返すと私も普通が良かったなぁって……。未だに意地悪な三月さんに古傷を突っつかれるし、姉さんが羨ましかったですよ……」
夕緋は唇を尖らせ、暗い顔をして落ち込む。
その時に付いた、七不思議殺しの女という不名誉な異名を特に気にしている。
思い掛けずな失言を申し訳なく思いつつ、三月は苦笑しながら夕緋を元気付けるつもりで言った。
「夕緋ちゃんは昔から何でもよくできてたからなぁ。霊感が強くなったのだって、夕緋ちゃんの毎日のお勤めの修行の成果だと思うよ。朝陽はほら、あんまり真面目にお勤めやってなかったしさ……」
三月の言う通り、夕緋に特別な力があったのは神水流の家の勤めを立派に果たしていたからである。
神様に頑張りを認められ、霊験あらたかな神通力を授けてもらえたのだ。
少なくとも三月はそう信じている。
但し、どういう訳か姉の朝陽には夕緋のような特別な力は宿らなかった。
三月はその理由について、夕緋に比べて朝陽が不真面目だったからだという。
幸か不幸か、夕緋のような神通力が無いがために、朝陽は同じ神水流の家の子供ながら、普通の女の子として日々を過ごしていたのである。
七不思議を解決するなど、どうひっくり返ってもできる訳がない。
「……ふぅぅぅ」
ただ、三月の言葉を聞く夕緋は沈痛そうなため息を長いこと吐いていた。
感情のよくわからない目を少しの間だけ三月に向けると、ほどなく物憂げに視線を逸らした。
そうして黙っていたかと思うと、呟くようにぽつりぽつりと言い始める。
「──私も、もうずっとお勤めはしてません……。姉さんがいなくなってしまってからは、私の中で何かが切れてしまって……。あんなに脇目も振らず、女神様をお祀りしていたのに……。罰当たりなことね、本当に……」
「夕緋ちゃん……」
夕緋の俯いた表情は暗かった。
面白がって不用意に朝陽の名前を出してしまったことを三月は後悔した。
当たり前だが、朝陽の逝去に心を痛めて悲しんだのは三月だけではない。
家族で実の姉である朝陽がいなくなり、夕緋の嘆きと悲しみはそれ以上だったに違いない。
「あっ、ごめんなさい。新しいお家を探す楽しいデートのはずなのに、しんみりとしちゃって……。お勤めなんて私の家の昔の話ですし、もう私は神水流の巫女じゃありませんからっ。……はいっ、この話はおしまいっ」
「ああ、うん……。俺こそごめん。調子に乗って、無神経だった」
お互いに不謹慎な話題だったと反省する。
二人は謝り合うとすぐに笑顔に戻った。
同棲のための新居を見に来て、魔物に遭遇するアクシデントに見舞われた。
懐かしい夕緋の除霊を見て、思い掛けず昔を思い出してしまった。
七不思議殺しの女こと、神水流の巫女、夕緋──。
そして、今はもういない、三月の元恋人、朝陽──。
但し、今日はそんな昔話をする日ではない。
幸せへの第一歩を踏み出そうとしているのに、辛い過去に触れて水を差すのはどう考えても野暮というものだ。
「それでどうします、三月さん? もうさっきのマンションの部屋は綺麗になったけれど、一度は良くないものが住み着いた場所だから、あそこに住むのはやっぱり気持ち悪い、かな?」
「うーん、そうだなぁ。夕緋ちゃんがいてさえくれれば、また何か出ても心配ないだろうけど、せっかくだから他のところも色々見てみようか」
「うん、そうですね。ゆっくり探しましょう。三月さんとこうしてるのはとっても楽しいからっ」
「夕緋ちゃん……。うん、それは良かった。俺も楽しいよ」
長年想い続けたひとと一緒になれたのが本当に嬉しいようで、夕緋は無邪気に少女みたいな微笑をこぼす。
つられて、三月も自然に笑顔になった。
二人にとって大事な存在だった朝陽はもういないけれど、苦しみの思い出を過去にして、希望の未来へと進んでいけるはずだ。
時刻は午後の2時を回ったところ。
陽気な天候の日差しの下、二人の背姿は程よい人通りの雑多の中へと消えていくのであった。
◇◆◇
『雛月は、朝陽と日和の間にどんな関係性があるのか知ってるのか?』
『大まかにだけど知っているよ。日和がどういった神で、朝陽と神水流の家の出自を考えれば想像はつく、と言ったところかな』
笑顔で歩き出した三月の脳裏に、ふとよぎるのは雛月との会話の記憶だった。
さっきの七不思議殺しの女の時と同じく、またぞろと記憶が差し込まれた。
それは三月が、女神の日和と朝陽の関係性を問い掛けた時のものだ。
合歓木日和ノ神は何のために祀られ、どういった由来での神なのか。
夕緋の生家である、神水流の家がどういう歴史を辿ってきた家柄であるのか。
特に夕緋に関わる事象は確かな現実世界の話で、夢か幻か不明な異世界の絵空事ではない。
神通力を宿す夕緋、毎日のお勤め、女神を祀る。
そして、神水流の巫女──。
──何だ? やけに際立って頭に引っ掛かる言葉がある……。やっぱり雛月の顔が頭をちらつくな。何が可笑しくてそんな風に薄ら笑ってるんだ?
何かを鮮明に思い出す度、得意そうに笑んだ雛月の顔が思い浮かぶ。
そういえば、三月の記憶に絡む自分の仕組みについて語っていた。
『ご明察だね。ぼくは地平の加護、三月の記憶を司り、共にしている神経そのもの。ぼくを思い浮かべれば、思い出したい記憶とそれに関連する事柄が、自然と頭の中に理路整然と立ち並ぶはずだ』
記憶は正しく管理され、三月が望んだり思い出す必要があったりすると、適宜雛月によって呼び起こされる。
人間の記憶は曖昧でいい加減なものだが、地平の加護の権能を持ってすれば精度の高い確たる情報となる。
三月の中で非現実の何かが蠢いている。
一度、見聞きした情報を完全に把握、管理して、正確に想起できる能力。
地平の加護が備える権能の一端、そんな便利な力を授けられた。
現実世界に帰還し、三日もの時間が経過したものの、やはりまだあの異世界転移の物語は続いているのかもしれない。
──さっきの七不思議の昔話と同じだ。俺に何かを思い出させようとしてるのか? それが頭に引っ掛かってる言葉に関係があるってのか……?
思いながら、隣を楽しそうに歩く夕緋の笑顔を見る。
ほころんだ綺麗なその顔を眺めていると、三月の脳裏に去来するものがあった。
夕緋を見ていても何かしらの記憶の想起が促される。
雛月はこうも言っていた。
『朝陽の双子の妹、夕緋ちゃんは朝陽が健在だった頃の生き証人だ。二人は三月の幼馴染なんだし、いっそ夕緋ちゃんに色々と聞いてみれば、朝陽と日和を繋ぐ何かの糸口が掴めるかもしれないね』
──朝陽と日和の関係を夕緋ちゃんが知っているかもしれない……。そうさ、夕緋ちゃんの家、神水流さんの家はきっと無関係なんかじゃない。日和だって言ってたじゃないか。
『──みづきの聞きたいことというのは、大切な我が巫女、朝陽のことじゃな?』
三月が思えば、狙い澄ましたとばかりに日和の言葉が甦る。
日和は朝陽を大切な巫女であると言っていた。
三月は自分の中で情報の点と点が繋がっていくのを感じる。
──そうか、朝陽と夕緋ちゃんのことを……。──神水流の巫女のことを思い出せって、そう言ってるんだな? そうなんだな、雛月!
自身の心に強く問い掛けても何も返事は返ってこない。
しかし、三月はもう半ば察していた。
これが地平の加護である、雛月のやり方なのだろう。
自らを三月の物語の水先案内人だと名乗り、知り得た情報を精査して管理する。
事の真相に迫れるよう随所で記憶を巡らせ、能動的に三月を導いていく。
新たな知見を得た地平の加護は、地平線が無限に広がるのと同じに三月に情報を与え続ける。
そうすれば、事の成り行きに従い、三月はさらなる情報を得ることができる。
そのサイクルの果てに、三月はとうとう知りたいと願う事実に辿り着く。
雛月はそうして物語が紡がれるのを望んでいる。
「……わかったよ、ちょっと思い出す」
夕緋に気付かれないくらいの小声で言うと、三月は雛月の導きを受け容れる。
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現実世界の元の生活に戻ったのも束の間。
異世界でなかろうとも、次なる不可思議が三月の行き先に待っている。
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