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第2章 神々の異世界 ~天神回戦 其の壱~

第48話 みづきと日和2

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「おう、受け取っとく!」

 みづきは日和から神剣、不滅の太刀を授かった。

 片膝をついた姿勢より立ち上がり、一旦腰の左に太刀を構える。
 左手の親指で鍔を押し上げて鯉口こいぐちを切り、ハバキを覗かせ、右手は柄をしっかりと握る。

 そのまま鞘と刀を水平にして、躊躇せずに一気に引き抜いた。
 スッ、と鞘と刀身が触れずに音も無く抜かれて、曇りの無い真っ白な美しい刃紋の太刀がみづきの手に現れていた。

 初めて持つ刀だというのに、自然に手に馴染む。

「うひゃあ、綺麗な刀だなぁ……。これで戦うのか、何かもったいない……。家宝にして、ずっと飾っておきたいくらいだ……」

 みづきは見事な出来栄えの太刀にため息をついていた。

 材質は砂鉄を集めて鍛えた玉鋼たまはがねだろうか。
 不純物含有度の低い高純度の鉄の刃は、外側は硬く、内側の芯は柔らかく出来ており、折れにくく曲がりにくい。

 本来は焼きいれの工程での、焼きむらが生み出す独特の刃紋さえも、日和の創造の力は何も無いところからそれらを生み出して見せた。
 無から有を誕生させる、創造の女神たる日和の神通力の顕現である。

「現実の世界でこんな刀剣を買おうと思ったら、家が何軒も建っちまうかもな……。なぁ日和、本当にこれもらっても──、いいっ!?」

 まじまじと不滅の太刀を見ていたみづきは、顔を上げて日和に目線を戻す。
 そして、驚きに大声をあげたのであった。

 突然、日和が口やら鼻やら耳やら、穴という穴からまるで蒸気機関の排気みたいに白い気体を勢いよく、ぷしゅーっ、と噴き出し始めているではないか。
 抜け出ていく気体に合わせ、背の龍も空気が抜けるばかりにしぼんで消える。

 騒がずに目だけ悲しそうにしている顔が何だか滑稽こっけいではあるものの。
 終いに一層大きく、ぼわんっと煙幕を発生させたかと思うと、元の美しい姿を取り戻した日和は見た通り煙のように消えてしまった。

「えっ、ひ、日和……?! 大丈夫かっ……!?」

 焦るみづきの前には、消えた大人な日和の代わりに──。

「うぅー、もう神通力が切れてしもうたぁ……。本来の力を取り戻すには、まだまだ掛かりそうなのじゃあ……」

 そこにいたのは、渋面で口を尖がらせる幼い子供姿の日和だった。
 みづきと初めて出会ったときそのままで容姿も衣服も縮んでしまい、さっきまでの美しくも神々しい女神の威光は見る影もない。

「せっかく元に戻れたのに、力を使い過ぎたのか……?」

 みづきは小さい日和を見下ろして、自分が願いを言ったり、この太刀を生み出したりするために無理をさせたのではないかと不安になる。
 日和は力無くもにかっと笑って言った。

「なぁに、心配はいらんのじゃ。此度の勝利で得た、太極天の恩寵ではこのあたりが限度ということじゃなぁ。神社の修復、みづきへの刀の天授にも力を割いたが、何より夜宵の奴めの神威に抵抗するために力を使いすぎてしもうた。万年、負けが込んでおったがゆえの顛末じゃ。みづきが気にすることではないよ」

「日和……」

 そうは言われても、小さくなった日和を見下ろすみづきの表情は複雑だった。

 思い出すのは、夜宵の容赦の無い破壊の重圧。
 地平の加護の権能と併せ、日和の神通力の放出が無ければ、あのままどうしようもなく二人は圧壊していただろう。

 神がシキを使役する理由を思い、みづきは一人納得していた。

──なるほど。神様が直接戦えば、今の日和みたいに神通力の消耗は免れず、下手をすれば神格を失って敗北の眠りにつく憂き目に遭いかねない。だから、天神回戦の出場資格を持ってて、神様から独立して行動のできるシキが試合に出るのが望ましいって寸法なのか。最悪、シキが負けて死ぬような事態に陥っても、試合に負けこそすれ、神様自身がそれ以上に力を削がれることは無い。

「……って、あれ?」

 一方で、そんな仕組みがあるのなら、ぎりぎりの間際で武器も持たされずに試合に放り込まれた自分の境遇に、何かしらの引っ掛かりを感じなくもない。

「ともあれじゃ」

 日和はみづきに授けた白い太刀を指して言った。

「その不滅の太刀は、今の私が贈れる精一杯の神通力を込めた神剣じゃ。魂に直接刻み授けたゆえ、心に念ずればいついかなる時であろうとおぬしの元に現れる一身同体の武器よ。私が健在である限り、ずっとおぬしを護ってくれるゆえ、重宝してたもれ、なのじゃ」

 そうして、愛嬌ある幼顔でにこりと笑った。
 神器たるその太刀は無論ただの刀剣ではなく、手で持っているだけでわかる。
 もうすでに身体と魂の一部となっていて、日和の女神の力をひしひしと感じた。

「ああ、ありがとう、日和。こりゃあ、良い物もらっちまったなぁ……。これだけでも試合を頑張らないとバチが当たりそうだ」

 みづきはくるんと器用に太刀を自らの向きに返し、切っ先を鞘の口に合わせて、手馴れた様子で刀身を収めると、チン、と鍔を鳴らした。
 何とも様になった納刀の所作である。

『女神日和の拵え・不滅の太刀・洞察完了・洞察済み記憶格納領域に保存完了』

 ふと、頭の中に地平の加護の声が響く。

 すると、手の不滅の太刀は空気に溶けるようにすうっと消えてしまった。
 常に帯剣していなくても、心に念じればいつでも呼び出せる。

 その不可思議は単なる物質の剣ではなく、霊妙の神剣である証でもあった。
 これで今後は丸腰で試合に出るような憂き目に遭うことはないだろう。
 それを見届けて満足そうに笑う日和。

「ふふふ、早速使いこなしておるようじゃな。みづきのシキとしての仕上がり具合には、誠に舌を巻くばかりよ。引き続き、芳しくない状況が続くとは思うが、それだけが何よりの救いじゃなぁ……」

 しかし、やはりその語尾はまだどこか気落ちした様子だった。

「せっかく勝ったのに、先行きよろしくないのか?」

 怪訝に思うみづきの問いに、日和は力無く申し訳なさそうに笑っていた。
 また天神回戦の番付表の巻物を無造作に呼び出し、勢い良く広げて見せる。
 すれば、相変わらず行末にある、合歓木日和ノ神の名前。

「ぶっちぎりの最下位だったゆえ、一度の勝利くらいではまだまだ上位へ上がる展望は先の話じゃなあ……。うふふふふ……。うぅ、済まぬ……」

 強がって笑っているつもりだったが、終いにはがっくり項垂れてしまう日和。

 負けが込んでの現状の為、せっかく勝利を収めたのに最下位から脱することができていない体たらくに申し訳なさを感じているようだった。

 みづきはもう文句を言うことなく、頭を垂れた日和のお団子髪をぽんぽんと軽く触ると笑って言った。

「そう気落ちするなって。まあ、ゆっくり気長にやろうじゃないか。俺もちょっとはやる気出てきたからさ」

「お、おぬしっ、神の頭に馴れ馴れしく触れるでないっ! むむぅ、他ならぬみづきなら構わぬが、特別じゃぞ、まったくもう……!」

「悪い悪い。そう怒るなよ、よしよし」

「こやつ、まるで悪いと思っておらんな……」

 何とも複雑な思いで赤い顔を膨らませる日和を見て笑いつつ、みづきは撫でる手はそのままに思い出していた。
 それはやはり、先ほどの試合後の、夜宵襲撃時の日和の叫び。

『わ、私は、絶対に滅ぶ訳にはいかんのじゃっ……! 私がいなくなれば夜宵は、あの子の世界を壊してしまうッ……! 大切な我が巫女、──神水流朝陽かみづるあさひのっ! あの子の夢を守れるのは私だけなのじゃぁっ……!』

 みづきのアパートの部屋、大事に飾ってある写真の色褪せない思い出の少女。
 夕緋の双子の姉で、みづきにとってこの上もない大切な存在の少女。
 神水流朝陽。

 日和は夜宵の恐るべき神通力に抗う際、無意識の内に確かに朝陽の名を必死の形相で叫んでいた。

 それは地平の加護のおかげなのだろう。
 日和の絶叫を一言一句、感情の揺れ具合さえみづきはしっかりと記憶していた。

──日和が負けて滅ぶと、あの怖ぇ妹の女神さんがどういう訳か朝陽の夢を、世界を壊してしまうらしい。いったいどういうことなんだ……? そもそも、なんで日和が朝陽のことを知っているんだろう……?

 朝陽のことだけは冗談で済ませる訳にはいかない。

 これが例えただの夢なのだとしても、朝陽に関する事柄だけは何が何でもちゃんと確かめなくては気が済まない。
 他を差し置くことはできてもこれだけは絶対に看過できなかった。

 ただ、それはそうとして。
 ぐぅーっ、と目の前でまた派手に腹の虫を鳴らす日和。

「はわぁーっ!? ま、また、この腹めっ……!」

 番付の巻物をぽーんと放り出すと、真っ赤な顔で羞恥にうずくまってしまう。
 わかりやすく恥ずかしがって小さくなる日和を見下ろしながら、みづきはやれやれ感のある穏やかな顔つきになっていた。

「まったく、緊張感も何もあったもんじゃないな……。はは……」

 重ねた歳がそうさせるのか、知りたい事実にがっついて取り乱すような気は不思議と起こらなかった。

 それより目の前で腹を空かせて参っている女神の少女のほうが、とりわけ気になってしまっていた。
 理由はよくわからないが、そう思うことにする。

「日和、腹減ってるのか?」

「うぅー、恥ずかしいのじゃ……。神は何も食わんでも死にはせんが、空腹には常に精神をすり減らされるのじゃ……」

「じゃあ、ご飯にしようぜ。何か無いの?」

「さっきおぬしの願いで復活させた母屋のほうに、神饌しんせんがあると思う。神社が甦ったのなら、直会なおらいのお供え物が私にも届くようになったはずじゃ」

 醜態を晒しても笑うでもなく落ち着いた感じのみづきを見上げ、日和は意心地悪そうに汗を垂らしつつ、神社の裏の建物を指した。

 神饌とは神道におけるお供え物のことであり、直会は祀る神と衆生が食事を共にして、その加護やご利益を得ようとする行事、共飲共食儀礼きょういんきょうしょくぎれいのことである。

 日和が神通力を失い、廃墟と化した神社にはお供え物が届かなくなっていたようで、祭事施設としての機能が死んでしまっていた所為らしい。

 祈りや信仰の弱体化からか、単に神格が下がったからか、或いは極端に神通力の差が生まれてしまったために、双子神の夜宵に全部取られてしまっていたからなのか。
 今となってはどうしてそうなったのかはよくわからない。

「こっちじゃ。私の住処へ案内しよう」

「へぇー、何か楽しみだなぁ」

 いそいそと歩き出す日和に、興味津々のみづきが続く。

 二人はまずは腹ごしらえをするために、神社裏手の母屋へ向かった。
 社務所か授与所かと思っていたが、どうやら日和の住居だったらしい建物へ歩きつつ、みづきは思っていた。

──まずは焦らず腹いっぱい食って、それからゆっくり話を聞かせてもらおうかな。日和の秘密だけに、待てば甘露かんろの日和ありだ。

 天神回戦という大きな山場は過ぎたものの、この神様の世界を巡る物語にはまだ続きがあるようだ。

 それが掛け替えのない大事な人に何らか関係があるのなら、腰を据えてじっくりと付き合おうと決めた。

 夢でも幻でもいい。
 現実のことなら尚更良い。

 少しでもあの子のことを感じて、語らえるなら。
 みづきの空虚な胸に、わずかばかりの安らぎのが灯った。

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