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第2章 神々の異世界 ~天神回戦 其の壱~

第47話 みづきと日和1

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「ふぅ、何とか戻ってこられたなぁ……」

 まだ身体に残る浮遊感にふらふらしながらみづきは言った。

 太極山上空の浮き島の鳥居を再びくぐって、みづきと日和はぼろぼろに荒れ果てた合歓木ねむのき神社に戻ってきていた。
 雑草生い茂る、あちこち砕けた石畳の参道を歩き、御社殿の前で立ち止まる。

「うーん……」

 でこぼこの地面を踏みしめ、神社という厳かなる聖なる場所が、あまりにも悲惨な環境に成り果てていることに表情曇らせるみづきは日和に振り返った。

 初めて出会ったときとは似ても似つかないほど、美しい姿を取り戻した日和。
 みづきと目が合い、可憐な微笑を見せる。

「なぁ、女神さん──」

 多少照れつつ、何か言おうとするみづきの言葉は遮られる。
 日和は微笑んだまま言った。

「みづき、そろそろと名前で呼んでおくれ。まだ一度も私のことをちゃんと呼んでくれておらんのじゃ」

 みづきが想像以上のシキであったことと、望外の勝利をもたらしてくれたことで、日和は無上の喜びに機嫌をとても良くしていた。

 もう捨て駒に使おうだなんて思わない。
 これからも共に力を合わせて天神回戦を戦っていこうと半ば決意している。

 自分の身勝手さは一旦棚に上げ、日和の中でみづきの評価はうなぎのぼりに急上昇していた。

 だから、改めてみづきというシキとの良好な信頼関係を一から築いていこうと心を入れ替え、今後を考えていく。

 手始めに、きちんと名前を呼んでもらうことにしよう。
 きっとそう思っているに違いない。

「改めて名乗ろう。──私は日和。創造の女神、合歓木日和ノ神ねむのきひよりのかみが私の神名しんめいじゃ」

「……」

 一瞬きょとんとして黙った後、みづきは迷い無く──。

「あー、じゃあ、──日和」

「お、おぉ……。呼び捨てぇ……?」

 無遠慮なみづきの態度に日和はぎくりと驚く。
 ただ、何となしにはそう呼ばれるんじゃないかと予感していた。

 力を失い、最下位の底辺に甘んじている自分には相応しい扱いなのかもしれないが、何だか自分を低く見積もられたようでもあり、ちょっぴり切なかった。

 ただ、不思議とこの一風変わったシキになら、そう呼ばれても嫌な気はしない。
 そんな微妙な表情の日和にみづきも顔をしかめる。

「あ、やっぱり一応神様だし、呼び捨てはまずいのか……?」

「い、いや、いいんじゃ。おぬしにならそう呼ばれても構わぬよ。ただ、呼び捨ては何だか新鮮じゃなあ、うふふ」

 みづきに悪気は無かったのがわかったのか、日和は一笑に付した。

 神々のこの世界でも礼儀作法を重んじる文化背景は当然あって、やはり呼び捨てで目上の者や年配者を呼称するのは悪い意味で捉えられがち。

 日和は文字通り神であるのだから、下々からは様付けで呼ばれ、同列の神々からは殿付けで呼ばれている。

 身内から呼び捨てで呼ばれたことなど、本当に初めてかもしれない。
 日和は何とも言えず、浮ついた気持ちになっていた。

「それじゃあ、日和。これからどうするんだ? ひと試合終わって、次の試合まではちょっと間があるんだっけか。天神回戦以外、他にすることってあるのか?」

 そんな日和のふわふわとした気持ちは知らず、みづきはこれからどうしていくのか今後の見通しが気になっていた。

 与えられた使命は、試合の勝利という形で一応の完了を見た。
 破壊神の襲来という思わぬ事件はあったものの、物語としては一区切り、といったところであろうか。

──だけど、まだこれが夢なんだとしても目が覚める気配が一向に無いな。前の別の異世界でも、ダンジョンに行って帰る山場が過ぎてもすぐに何かが起こるって訳でもなくて、こっちの神様の異世界の話が始まるまでしばらく掛かったしな……。骨折り損のくたびれ儲けはこりごりと言っておきながら、何かやることできることを探してしまうのは俺の性分だな……。

「そうじゃなあ、せっかく太極天の恩寵を授かったことじゃし……」

 日和は人差し指を口元に当て、んー、と唸った後、円らな瞳をぱちっと開けて。

「みづき、何か望むことはあるか? まだまだ全快には程遠いが、私の神通力もある程度は自由が利くようになっておる。神は願いを叶えるのが本分ゆえ、何でも申してみるがよいのじゃ。私は偉大なる創造の女神、日和なり、なのじゃ!」

 両手を腰に当て、立派な胸をそらして尊大にふんぞり返る日和。

──天神回戦で勝利を収め、太極天の恩寵を授かった神様は、神通力を高めて下界の人々に恵みを施したり、自らの願いを叶えたりする。差し当たり、日和の場合は元の姿と神通力を取り戻して、神としての格を表す八百万順列やおよろずじゅんれつを上げていくことが当面の願いなんだろう。

 神は願いを叶え、神自身も願いを叶えたい。
 そうすることが神が神であるために必要なのだろう。
 みづきはこの神々の異世界の取り決めに思いを巡らせる。

 ──今まではそうした神の生業なりわいを、自分の力と集まる信仰心で工面していた。太極天の恩寵はそれに代わる神通力の源となっている訳か。天神回戦の試合に出て、勝利すれば恵みを受けられる。このやり取りが、比較的に秩序のある神々の戦いを成立させている仕組みの根っこみたいだな。

「ふーん、なるほどね。じゃあ、早速だけど俺の願いはさ──」

 大体のところをざっと理解したみづきは、辺りを見渡して日和に提案をする。
 それはみづきというシキ、ならぬ人物にとっては大変居心地の悪く、我慢のならない事態を改善するための願いであった。

「このぼろぼろの神社を直せないか? こんなに荒れてるのはどうにも気分が悪い。神さびた、なんて言い方はともかく、神社はやっぱり綺麗なほうがいいな」

 屈託無く、明け透けにそう伝えた。
 みづきにしてみれば、別にこの合歓木神社には縁もゆかりもありはしない。

 しかし、何故だろう。
 神社という祭祀施設が荒れ果てて、悪い状態になっているのを見るのはとても嫌な気持ちになる。

 だから自分に関係の無い神社だろうとも、直せるものなら直したいし、できるだけ綺麗にしておきたいのだ。

「この神社を、直す……?」

 思い掛けない申し出に日和は目を丸くした。
 何を願われたのかを理解して、なお呆けた顔をしていた。

「ほほーう、そんなことで良いのか? みづきの我欲のままに好きな願いを言っても構わんのじゃぞ? 本当に良いのか? 本当に本当か?」

 目だけを動かし神社の惨状を見回してから、みづきを見直して目を瞬かせる。

「ああ、別にいいよ。日和だって自分の神社が綺麗なほうがいいだろ?」

「うむ、まぁ、それはそうじゃが……。しかし……」

「なんだよ? あれ、もしかしてできないのか? 創造の女神のくせに?」

「で、できるわい! まったく、無礼な奴め……。とくと見ておれなのじゃ」

 半ばがっかり気味に言い返され、語調を荒げるものの日和の口許には薄く笑みが浮かんでいた。

 そのまますっと瞳を閉じると、勢いよく拍手を一回行う。
 ぱんっ、という小気味良く乾いた音が荒んだ境内に響き渡った。

「すぅぅ……」

 静かに息を吸い込み、日和の豊かになった胸がゆっくり膨らんだ。

 すると、風も無いのに赤紅色が鮮やかな着物がざわめき始め、身体の縁が淡い光を神々しく放ち始める。
 本来の力の一部を取り戻した、女神としての日和の神威が発揮されていく。

「創造の女神日和の名に於いて命ず。いざ、想起せよ。そなたらの花盛りの時期を。あの最も幸福で美しかった頃を思い出し、今一度華々しく返り咲くがよい」

 にわかに輝き出した日和は語り掛けるような言葉を紡いだ。
 それに合わせて、周りの神社のいたる場所が同様に光を発し始めた。

「──神霊術しんれいじゅつ万物恢復ばんぶつかいふく!」

 カッと目を見開いた日和はもう一度柏手を行い、ひときわ大きな音を立てた。
 ぱぁんっ、と破裂音が響き渡り、境内は刹那の沈黙に包まれた。

 暖かく優しい風が吹き始め、辺りが生気に満ち満ちてきて──。
 そこから先は神秘的で幻想の光景が次から次へと展開されていった。

 みづきは目を見開いて驚く。

「おぉぉぉっ! 全部綺麗に直っていくぞ……!」

 ぼろぼろだった神社の至るところが見る見るうちに復元され、清掃と手入れの行き届いた環境へと再生される。
 神社の御社殿がまるで生き物の傷が癒えたり、老齢が若返ったりするように全盛期だった状態の良い頃に戻っていく。

 きっと雨漏りだらけだっただろう、ところどころ剥がれたり欠けていた屋根の瓦は、一枚一枚が破片一片単位で元の形に直り、美しい屋根全体の姿を取り戻す。
 割れや腐食が目立ち、今にも倒れそうな建物の柱にも木片がどこからともなく宙を飛んで帰ってきて、頑強に建物を支える役目を果たせるようになった。

 抜け落ちたり、腐ったりして無くなっていた床板は元通りになり、床に敷かれた畳も綺麗な色を取り戻して新品のようない草の香りを漂わせる。
 神社の中心たる祭壇の注連縄は新しくなり、銅鏡はぴかぴかに光り輝き、枯れ掛けたさかきの葉は青々とし、空っぽの三方にはお供え物のお餅が出現していた。

 本坪鈴ほんつぼすずの鐘の錆びは消え、賽銭箱は本来の木の色に戻り、もうあばら家だなんて誰が見ても思わないほどに御社殿は再興された。

「はぇー、すっげぇ……」

 そして、感嘆するみづきは見た。

 神の業を行使する日和の背後に立つ、金色の眩しい光を放つ「りゅう」を。

 立派なたてがみと髭、枝分かれした角、長い胴体にびっしりと生えた黄金の鱗。
 神の使い、或いは神そのものである龍を背にする日和の姿。
 それはそれは、本当に崇高で荘厳な、紛うことなき神の威容であった。

「日和って……。やっぱり、本当に神様なんだな」

「あ、当たり前じゃ! 初めからそう言っておるじゃろうが」

 引き続き、今度はひとりでに整備されていく境内をみづきは眺めていた。

 深く茂った一面の雑草が初めから無かったように地中に引っ込むと、玉砂利の敷き詰められた景観へと姿を変え、割れた石畳の参道は修復された。

 苔生していた狛犬こまいぬ灯篭とうろうもこれはこれで味があったが、すっかり綺麗に磨かれた姿となって、枯れた手水舎ちょうずやには清い水が涼しげに湧き出していた。

 そして、ご神木たる合歓の木には多くの小葉を付けた枝が青く豊かに茂り、淡紅色たんこうしょくの長い雄しべの花の数々を可愛らしくも繊細に花開かせていた。

 そうして、ほんの短い間に日和の神域、合歓木神社は見違えて栄えていた時代の姿を見事に復活したのだった。

「立派な神社だなぁ、やっぱり神様を祀る場所はこうでないとなぁ」

 静謐たる雰囲気の、爽やかな境内を見渡すみづきはうんうんと感心する。
 日和は光に包まれたまま、久しく忘れていた慈愛の表情で言った。

「みづきや、我が神社の復活を願ってくれたこと、本当に嬉しく思う。感謝するぞ、ありがとうなのじゃ……」

 輝きを放ち、光の中からみづきを見つめる日和の顔は穏やかにほころんでいる。
 その瞳をうるうると潤ませて。
 背後に揺らめく龍の雰囲気もどこか優しげに感じられた。

「これはその礼じゃ。私に栄えある勝利をもたらしてくれた勇壮なるシキに、せめてもの戦う力を授けよう」

 神々しい光を纏う日和は、今度は自分からそれをみづきに贈る。
 もう一度、軽く胸の前で、ぱんと柏手を打った。

 すると、放射状に広がっていた神通力が日和の前に収束されていく。
 合わせていたてのひらを離し、左手の平の中から右手で何かを引き抜いていった。
 光が何か長い物体を形作り、日和の手に現れようとしている。

 それは、シンプルな黒鞘くろざやの刀であった。
 銀色の柄巻つかまき、太陽を象った円環えんかんつば、刃渡り60センチほどの刀身と鞘は、まさに女神日和の太刀こしらえ。
 片手で自分の目線ほどの高さで鞘の真ん中辺りを持ち、みづきに差し出す。

「私の創造の神通力を込めた、その名も不滅ふめつ太刀たちじゃ! ちょっとやそっとじゃ傷も付かんし、たとえ刃こぼれしてもひとりでに元に戻る霊妙の業物わざものよ!」

 女神より授けられるのは額面通りの神剣。
 日和は申し訳なさそうに眉を八の字にして言った。

「どうか、受け取っておくれ。丸腰で試合に赴かせた不手際、本当に済まなかったのじゃ……」

「おう、受け取っとく!」

 神剣の天授てんじゅに力強く応える。
 日和の下げ渡しの格好に習って、みづきも片膝を突き、両手を下から添えるように太刀を受け取ったのであった。

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