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第2章 神々の異世界 ~天神回戦 其の壱~

第46話 初陣を終えて

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 かつーんかつーん、という音が天神回戦会場にこだましている。

 襲来した夜宵が警告に応じて引き下がり、呼び出されたものの手持ち無沙汰になってしまった太極天の大地のシキが、そびえ立つ大木を斧で切り倒していた。

 大木は夜宵のシキがみづきを拘束するために生やしたものだが、このまま立っていられては以降の試合に支障をきたす。

「助かったよ……。姜晶君が割って入ってくれなかったら、俺たち今頃どうなってたか……」

 切り分けられた木片を埴輪はにわの戦士らが運び出すのを背景に、みづきは背中を向けている姜晶の肩を安堵の声と一緒にぽんと叩いた。

 と、そんなに強く叩いた訳でもないのに、その小さな身体は糸が切れた人形みたいにぺしゃっと膝から地面に崩れ落ちてしまった。

「はぁぁぁぁぁぁ……。怖かったぁぁぁぁ……」

 魂が抜けるんじゃないかと思うくらい、空を仰いで長い息を吐き出す姜晶。

 審判官としての初仕事はのっけから大波乱であった。
 日和が試合時間になってもなかなか現れないことに始まり、いざ試合が始まれば逃げ出したシキに巻き込まれ、諸共に追い回されてしまった。

 挙げ句、突如として現れた怒りの夜宵を咎め、鎮めるような荒事までをする羽目になるとは夢にも思っていなかった。

 しかし、無茶苦茶怖くても我慢ができたのは、この大任を任せてくれた主に応えたい一心であったからだ。

「お疲れさん、姜晶君、よく頑張ったよなぁ。審判のお勤め、今日が初めてだって言ってたけど、凄くかっこよかったよ。偉い偉い」

「むむっ、何だか子供扱いしてませんか? 初めてはお互い様でしょう。みづき様は今日生まれたばっかりのシキでしょうに。まぁ、年齢に意味はないとは確かに言いましたけれど……」

 やっぱりどう見ても、年下の可愛らしい男の子にしか見えない姜晶に言葉遣いが年上ぶってしまうのは何とも仕方がない。

 相手が百年以上に渡り、神事を務める神族だとしてもみづきに悪気は無かった。
 不満そうな顔の姜晶だったが、はっとなって表情をきつくする。

「あっ、日和様とみづき様だっていけないんですよっ! 天神回戦に参戦しているのなら、いかなる理由があっても試合外での私闘は御法度なんですからね!」

 どちらに非があろうと、喧嘩両成敗が中立の本営の立場である。
 いくら夜宵が先に手を出そうとも、みづきらが応戦していい理由にはならない。
 しかし、みづきはすぐさま言い返した。

「何言ってんだ、あれはれっきとした正当防衛じゃないか。先に手を出してきたのはあっちだろうが。俺たちはちっとも悪くない! ──なぁ?」

「えっ……? う、うむ……。ああしなければこちらがやられていたゆえ……」

 急に振り返られ、話を振られて驚く日和。
 姜晶もみづきの人間特有の言い返しに面食らっていた。

 正当防衛の定義は以下の通り。
 急迫不正きゅうはくふせいの侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずに違法行為を働いても罰されることはない、である。

 今回の件は当然それに該当し、夜宵らにまったく歯が立たなかったのだから過剰防衛にも当たらない。

「……またそんな人間みたいなことを。ここは神々のおわす天の世界ですよ……」

「え、何か言ったか?」

「いいえ、何でもありません。わかりました、今回は不問と致します」

「姜晶君、話せるなっ。良い審判になるよ、きっと」

 調子良いみづきに苦笑いをして、姜晶もようやく気が休まったとほっと胸を撫で下ろしていた。
 神の世の理に際し、下界の人間が決めた法律を持ち出されて閉口しつつ。

 改めて衣服を正し、笏を両手で胸の前にして、姜晶は元の姿に戻った日和に深く一礼をする。

「ともあれです。日和様に置かれましては、順列第二位の多々良様を相手に見事な勝利を収められましたこと、誠におめでとうございます」

「お、おお、審判官殿。これはどうもなのじゃ。私も久しい栄光に歓喜する事この上なしじゃよ。ただ──」

 勝利の喜びも束の間、土と砂の付いた汚れた顔を拭うことも忘れ、日和の端正な顔立ちは翳っていた。
 無論、気に掛けているのは妹の、夜宵のことである。

「夜宵が……。妹が迷惑を掛けてしまって済まぬ……。何をあれほど怒っていたのかは知らぬが、審判官殿にあのような狼藉を働くとは思わなんだのじゃ……」

「あぁ、そうですねぇ……。夜宵様が試合のご観覧にいらっしゃること自体珍しいですが、あんなにも険悪な夜宵様は初めてです」

 夜宵が天神回戦の会場に訪れるのは稀らしい。
 あの雰囲気的に、自分の試合の際にも観に来ているかどうか怪しい。

「うむ……。それもみづきを見て、えらく機嫌を悪くしておったようじゃが、今日生み出したばかりのシキに何の恨みがあることやらさっぱりじゃ……」

 ちらりとみづきを見て、日和は首を左右に振った。

「昔から時折と、何を考えておるのかわからぬ不思議ちゃんじゃったが、ここいら最近の夜宵は本当に理解が及ばぬ困り者に成り果ててしもうたのじゃ……」

 今とは違い、まだ話が通じていた頃の妹の姿を思い出し、日和はため息をつく。

「みづき様にはお心当たりはないのですか? 夜宵様はみづき様を知っているような素振りでしたが」

 日和に続いて、姜晶にも視線を向けられるみづきだったが、当然心当たりなんてある訳がない。
 盛大なため息を吐いて、お手上げとばかりに両手を挙げると呆れて言った。

「あんな癇癪かんしゃく持ちのおっそろしい女神様のことなんて何も知らんよ……。大体、俺は今日生まれたばっかりの、ええと、シキなんだろ? 何でご機嫌斜めだったのか心当たりはないし、恨まれるような理由なんて知ってる訳ないだろうが」

 少なくとも生まれてこの方、これまでの人生の限り、みづきは夜宵のことなんてこれっぽっちも知らない。

 それに加え、この異世界のみづきは、今朝日和によって誕生させられたばかりで、不明な記憶が入り込んでいる余地は無い。

 但し、夜宵がみづきに向けた憎悪の強さはとても理由が無いとは思えない。
 あの物凄まじく恐ろしい目を思い出すと身震いが起こる。

「それにしてもっ! みづき様のあの御力、あれは凄かったですねぇ!」

 打って変わり、目をきらきらと輝かせて、姜晶はみづきの行使したあの力に感嘆していた。
 即ち、太極天の力を引き出すことのできる自在術のことである。

「太極天様が御力をお貸しになられるシキなんて初めて見ましたっ! おそらく、過去を遡ってもそんな凄いことを成したシキや神様はいなかったと思います!」

「えっ、そうなのか……?」

 姜晶の尊敬の眼差しを見るに、その言葉に嘘は無さそうだ。
 純粋に感動してずいずいと迫られ、みづきは思わずたじたじであった。

 神々の世界で唯一無二である地母神の力を借り受け、それをもって戦える異能。
 夜宵などの神々には敵わないことは差し置き、姜晶にとっては驚愕でしかない。

「みづき様の今後の益々のご活躍を期待しておりますっ! これからも天神回戦を頑張って戦い抜いて下さいませっ!」

「はは……。今後も頑張る、ね……。前向きに検討しておくよ……」

 今日の散々な目を思えば次のことなど考えたくもなかった。
 みづきの過去に関わる気掛かりが出来てしまった以上、そうもいかないのかもしれないが──。

「審判の立場上、こんなことを言うのは不適切ですが、僕は応援致します。太極天様の御力を授かる、──その申し子、みづき様のことを」

「そんなキラキラした目で見られたら、頑張りたくなっちゃうな……」

 とはいえ、この姜晶という心根の清い人物のことは好きになっていた。

 前のダンジョンの異世界でも妙な使命はさて置き、自分に良くしてくれる人たちのことはとても好ましく思っていたものだ。
 そんな人物たちの一人、姜晶は続けて日和のほうに向き直り。

「日和様は前代未聞の、とんでもないシキをお創りになられましたね! 大変におみそれを致しました! この度は貴方様を低く評価していたこと、祭り委員会に代わりお詫び申し上げます!」

 畏まって深々とお辞儀をし、全身で謝罪を表す姜晶に日和は複雑な表情だ。

 確かにみづきは凄いシキだったが、本当のことなど言えやしない。
 自分の身代わりに生み出し、大した力も与えていない捨て駒だったなどと。

「そっ、そうじゃろそうじゃろっ? うむうむっ、苦しゅうないぞよ! みづきのような珠玉しゅぎょくのシキを生み出せるんであれば、私だってまだまだ捨てたものじゃないのじゃっ! やっぱり私ってば凄い神なのじゃー!」

 苦し紛れにかんらかんらと手の甲を口許に高笑いをする日和であったが、その顔には冷えた汗が浮かんでいた。

 日和自身にも、どうしてこんな特別な力を持ったシキを創造出来たのか理由は皆目わからなかったのだから。

 運が良かったとしか言いようがなく、小難しいことは考えてもわからない。
 なので、みづきの誕生と今日の勝利をひとまずは良しとすることにした。

「……やれやれ、まったく。とんでもないことに付き合わされる羽目になったもんだよ。鬼と戦わされたり、神様に恨まれたり……。──だけど」

 そんな日和の思惑を知らないみづきは、こちらはこちらで心に思うことがある。

──この神様の世界が夢かどうかは置いといて。どうしてこの女神さんが朝陽のことを知ってたのか、ちゃんと確かめさせてもらうからな。

 みづきには知りたいことがあった。
 それを確かめられるなら、日和や他の神々の思惑はこの際どうだっていい。

「それでは、日和様、みづき様。またお会いするその日まで」

 再びお辞儀をする姜晶。
 名残惜しいが、そろそろと別れの時が近付いていた。

 会ったばかりだが、人当たりの良い審判官、姜晶。
 この後も、他の神々の陣営同士の試合が多く予定されているのだ。

 みづきたちの出番はこれで一旦終わり。
 しかして、審判官の姜晶の仕事はまだまだ続く。

「この後もまだまだ試合が控えてるんだろ? のっけから色々あったけど、また次があったらそのときはよろしくな、姜晶君!」

 すっかり君付けで呼んでいるみづきを、姜晶はもう気にしていなかった。
 にっこりと少女みたいに微笑み、二人の帰りをその場で見送る。

「それではまたなのじゃ、審判官殿。さっ、みづき、帰ろうなのじゃ」

「おわぁっ!?」

 挨拶もそこそこに、日和はみづきの手を掴むと空中へ浮かび上がった。
 慌てるみづきの身体を引っ張り上げ、連れ立って飛翔する。

 大勢の観客の見送りを背に受けて、二人は空へとあっという間に空に上がり、天神回戦会場を後にした。

「──行ってしまわれましたね」

 もう空の彼方に見えなくなったみづきと日和を見上げ、姜晶は独り言を呟いた。
 困り顔で微苦笑を浮かべて。

「太極天様の御力を扱えたり、あの夜宵様に嫌われていたり……。そして、日和様の窮地を見事に救って見せたり……。まったくもう、貴方はやっぱり変わったシキですね。でも本当に凄いシキです。これからもどうかご武運を、みづき様」

 金色の空に穏やかな風が流れていた。
 それは天神回戦に吹き込む新風、その兆しだったのかもしれない。

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