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第2章 神々の異世界 ~天神回戦 其の壱~
第41話 祝福の日和
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「よっし!」
みづきは知らずに掲げた拳を握りしめていた。
ワアアアアアアアアアァァァッ……!!
観客たちは今日一番の大歓声をあげて闘技場全体を震わせた。
思いも寄らない試合結果は、大番狂わせもいいところであった。
日和陣営が多々良陣営に勝利した。
しかも、その栄光を勝ち取った風変わりなシキは、何と天神回戦の大神、太極天の神通力を自在に扱うことを可能とする。
こんなことは今まであり得ない出来事である。
天神回戦は力が物を言い、実力至上主義が当たり前だった。
シキの力は神の力に比例する。
即ち、神格の差を表す順列こそが全てである。
しかし、今回の試合は当たり前ではない意外過ぎる結果に終わり、会場内は大いに沸いたのであった。
「このシキの身体っていいなっ! すごく動けるのもそうだけど、気持ちがやたらと浮いた感じになるっ! 今なら本当に何でもできそうだっ!」
乗り気ではなかった勝負の末の勝利だったが、心の底から込み上げる達成感は抑えきれない。
シキは神の使いであり、神の戦士である。
戦いの高揚感がみづきの心身を強くしているのは間違いなさそうだ。
「あっ、そうだ。──これ、返しておくね」
びくびくっと痙攣して動かない牢太の傍らに、みづきは奪った刺股の刃から作り出した剛鉄の大太刀をそっと返して置いた。
きっとこの武器は彼の大事な物だったのだろう。
大太刀に作り変えて奪った際の怒り具合は相当で、返さないのは悪いと思った。
また元の形に直してもらって欲しいな、とも願いつつ。
「みづき……。おおぉ、みづきぃ……」
観客席の日和はみづきの勝利に感激に打ち震えていた。
願ってもない結果に円らな瞳を潤ませている。
初めはシキを身代わりにし、自分が生き残ることだけを身勝手に考えていた。
みづきとの縁も、この試合が最初で最後になるだろうと思って疑わなかった。
しかし、結果はそうならなかった。
まさかこんなにも輝かしい勝利を運んできてくれるとは。
「みづきぃぃーっ!!」
居ても立っても居られず日和は観覧席を後にして、みづきのいる舞台へ飛び出していった。
日和の後ろ姿を見送り、多々良は残念そうな面持ちで腕組みをして息を漏らす。
慈乃は険しい表情で顔を伏せている。
「──やれやれ。これはとんだ番狂わせだ。此度の試合のこと、日和殿にはいらぬ節介だったのやもしれない。さて、敗北者は去るとしようか。慈乃、牢太を労っておいてあげておくれ」
「よろしいのですか? 日和様のシキは太極天様の御力に不相応に触れて、不当を働いた可能性もあります。多々良様はそれをお赦しになられるのですか?」
「ああ、構わないよ。すべては太極天の御意思の通りさ」
「御意……。多々良様の仰せのままに」
多々良と慈乃は立ち上がり、闘技場を静かに去った。
通用口を黙々と歩いていく二人はもう後ろを振り返りはしなかった。
釈然としない慈乃とは違い、多々良の表情は試合に負けたというのに穏やかに微笑んで見えたのであった。
「ふぅ……」
肩をだらんと落とし、みづきは空を仰いで一息ついた。
戦いは終わり、全身に光る地平の加護の回路模様は消えていた。
と、味方をしてくれていた太極天の恩寵もいつの間にか静まっている。
──ダンジョンの世界で目覚めた何でもありの加護に加えて、今度はそれを使って大地の偉い神様の神通力を借りられるようになっちまった。確か、太極天っていう名前の神様だっけか。
みづきは自然と、太極天の社のある特別観覧席のほうを見上げた。
──この神様の世界じゃ、皆から畏れ崇められる尊い存在なうえ、他とは比べられないくらい強い力を持っているみたいだ。俺にもたらすのは豊かな大地の恵みで、敵にもたらすのは聖なる力の容赦無い鉄槌か……。
「また何ともありがたい力を授かったもんだ……。だけどまさか、こんな感じでどんどん能力が増えていくんじゃないだろうな……?」
みづきはこれからのことを思い、身震いをする。
ダンジョンの世界で地平の加護が目覚め、神様の世界で神の中の神たる太極天の力を借りられる力を得た。
取って付けたように拡張されていく自分の力。
それはそのまま、この不可思議な夢物語がまだ終わらずに続いていくのでは、という不安である。
「……ん?」
と、割れんばかりの歓声に包まれるなか、みづきの見ている方向から何かが叫び声をあげて急接近してくるのに気付いた。
それは、満面の笑みで無邪気に喜び、飛び掛かってこようとする日和だった。
「みづきぃぃーっ!!」
「うわっ!?」
しかし、みづきは高速で迫る飛行物体に危険を感じ、思わずしゃがみ込んで避けてしまっていた。
空を飛ぶ幼女に抱き付かれる経験などしたことがないのだから仕方がない。
まさか避けられるなんて思いもしなかった日和の抱擁の手は空を切る。
勢いはそのままに、あえなく地面へと顔面から墜落するのであった。
「うがぁーっ!?」
「あっ、悪ぃっ……!」
お尻を突き上げ、不恰好に突っ伏した日和の様子を見て悪びれるみづき。
潰れた蛙みたいになっているその傍らに慌てて膝をついた。
その後ろ、東の門から闘技場内に大勢わらわらと、赤やら青やら色とりどりの小鬼たちが押し寄せてきている。
多々良の指示により、のびている牢太の巨体を連れ帰りに掛かっていた。
子供ほどの大きさの鬼が群れをなし、キーキーと甲高い声をあげながら力を合わせて牢太の大きな身体を持ち上げ、こぞって運び出していく。
棒だけになった刺股と、みづきが作り変えた剛鉄の大太刀も何人かの小鬼で協力して一緒に回収していった。
小鬼たちがいなくなるのを尻目に、日和は無様に転んだままで呻いている。
「あ痛たたたたぁ……。なぁんでよけるんじゃぁ……? 無理を押して矢面に立ち、見事に勝利を収めてくれた栄光のシキと抱擁を交わそうとしただけじゃろうが……。うぐぐ、みづきってばひどいのじゃあ……」
土と砂まみれで嘆く日和だったが、そのとき異変が起こる。
ひっくり返った珍妙な姿が淡い光を放ち始めた。
時を同じくして、太極天の社がこうこうと光り輝いていた。
みづきに神通力を貸し与えたのと同様のことが起こっている。
天神回戦の通例ならではの、太極天の顕現に場内がざわめいていた。
勝者となった陣営の神に、そのありがたい恩寵が与えられるのだ。
「う、うわぁっ!? ど、どうしたんだぁっ!?」
みづきは光る日和を見て、飛び上がって驚いた。
神々しく眩しい光彩に包まれて、何と日和の小さい身体がむくむくと大きくなっていくではないか。
突き出したお尻が、みづきの目の前で丸みを帯びた成熟した形に変わっていく。
お尻だけでなく、縮んでいた幼い女神の肉体は大人のそれへと見る見る内に成長を果たしていた。
不思議なことに着衣の赤紅色の着物までもが、身体の成長か膨張に合わせて大きい寸法へと変化していた。
「お、おおぉっ! 太極天の力が全身に満ち満ちておるっ! 失われた神通力を取り戻したのじゃあっ! 我が肉体も元に戻ったぞぉ! やったぁー!」
大きくなった日和は嬉しそうに元気良くぴょんと起き上がり、みづきのほうへ向き直った。
改めて、その美しくなってしまった麗しい容姿が目に飛び込んでくる。
身長は今のみづきと同じくらいの五尺三寸(160センチ)程度だろうか。
豊満な肉付きの肢体は、もうちんちくりんなどとは形容できない。
だぶだぶだった大き過ぎる着物から、すらりと長く伸びた手は白魚のよう。
若干に丈の短くなってしまった裾から覗く、艶かしい太腿は目のやり場に困る。
元々童顔だったみたいで、円熟な体つきになっても可愛らしい少女の顔のつくりは少し大人びた程度で変わらず、屈託の無い笑顔を弾けさせていた。
「この姿に戻れたのは本当に久方ぶりじゃっ! 感謝するぞ、みづきっ! 全部おぬしのおかげじゃっ!」
「わわっ!?」
今度こそ遠慮なしに豊かな身体を預けられ、みづきは日和に抱き付かれた。
押し付けてくる大きく膨らんだ胸の双丘の感触はむにゅりと柔らかい。
ぺったんこだった胸は、着物の上からでもわかるくらい大きく膨らんでいた。
花の蜜のように甘く、芳醇な香りが鼻をくすぐる。
大きくなった日和は、小さかった時からはまるで想像できないほど女性的な魅力に溢れていた。
──な、なんだよ。この女神さん、めちゃくちゃ美人じゃないか……。あんまりくっつかないでほしいなぁ……。
文字通りの女神の抱擁に、さしものみづきも胸を高鳴らせてしまう。
良いように使われた風で試合に出なければならなくなったのを忘れかけ、迂闊にも目の前の美しくも可愛らしい女神の微笑みに心奪われそうになる。
それくらい本当の姿を取り戻した日和は、魅力に溢れる美貌の持ち主であった。
ぐぅーっ……!
しかし、突然と至近距離で鳴るのは腹の虫の音。
密着していたことを差し引いても、とてもよく聞こえる大きな音だった。
「えっ?!」
「……」
驚くみづきの眼前で日和の微笑む顔が、瞬間的にぼっと赤く染まった。
今のは間違いなく日和のお腹が鳴らした腹鳴の音で、空腹時に消化器官内を空気や胃液が通り抜けて音が鳴っている。
要はお腹の中が空っぽで、腹を減らしている状況のようだ。
「はっ、はわぁーっ!? このっ、私の腹めっ! は、恥ずかしいのじゃぁ……。すまぬぅ、長らくの間、何も食べてなかったゆえ我慢ができんかったのじゃ……」
喜ぶ顔に照れを交え、ささっとみづきから離れる日和はお腹をさすりさすり。
神様でも食事抜きで腹を空かせると、人間と同様に腹の虫を鳴らすらしい。
その様子にみづきはとうとう吹き出して、笑い出してしまった。
「あっはははっ……! せっかくの祝勝が台無しじゃないか。安心して気でも抜けちまったのかよ」
「うぅ、そんなに笑わんでおくれなのじゃ……。元の姿に戻れたというのに、このような辱めはあんまりじゃ……」
もじもじと俯いて身を縮こまらせる日和に、みづきはからっと笑って言った。
「まぁほら、何とか勝ったぜ。これで、敗北の眠りにはつかなくて済むんだろ?」
「あっ!? う、うむっ、その通りじゃ!」
「そっか、──良かったな」
「……っ!」
自然な口調で、最悪の結果を回避できたのを良かったと言われ、日和は表情を一瞬失っていた。
安堵した思いの反面、複雑な気持ちにもなった。
何と答えていいかわからず、少し遅れて返事をする。
「……うむ」
本当は自分が生き残るため、みづきを捨て駒に使おうと思っていたのだから。
延命ができるなら何だってしようと思っていたし、泥臭くやっていくのも厭わない覚悟をしていたはずだった。
それなのに、どうにも胸がずきずきと痛んだ。
予想だにしない異能を秘めていたみづきの誕生はこの上なく幸運であった。
このまま騙し、唆したままその力に甘えてもいいものだろうか。
こんなことではいけない、それはよくわかっている。
日和が聖なる神であればあるほど、良心の呵責に耐えられない。
感情のはっきりしないその顔は、きっとそんな悩みを抱えている。
「どうしたんだ? 腹が減ったら音が鳴るのは別に恥ずかしいことじゃないぞ」
ただ、事情を知らないみづきは、急にしゅんとなって俯いてしまった日和に、お腹の音を聞かれたのがよほど恥ずかしかったのか、などと心配をしていた。
「あ、あのな、みづき……。じ、実はな……」
切羽詰った様子で、日和はみづきの顔を見つめ直した。
何か言おうと口をぱくぱくさせ、わなわなと肩を震わせている。
身代わりにしようとした腹の内を正直に白状し、改めて神とシキ同士の信頼関係を結ぼうと意に決する。
それは、女神たる日和の、人間のみづきへのあべこべな懺悔であった。
「わ、私は実は、おぬしのことを──」
上目遣いの赤らんだ顔で、日和は唇を小さく開いた。
そんな思い詰めた顔をしていったい何を言い出すつもりなんだ、とみづきが戸惑っていたそんなときであった。
「えっ? 何だ……?」
不意におかしなことが起こった。
突如として、明るい空を何かが覆ったかのように辺りが一瞬で暗くなった。
雲が日の光をふっと隠してしまったときの暗転に似ていたものの、暗くなる度合いがあまりに極端過ぎた。
いきなり夜になってしまったかと思うほど、天神回戦の会場に、いや太極山全体に闇の帳がおりた。
「き、急に夜になったぞ……?」
「こ、これは……! まさかっ……!?」
戸惑うみづきをよそに、日和は目を見開き、驚愕の様子で空を振り仰いだ。
そこにはさらなる波乱を呼ぶ、超常の存在が新たに現れている。
試合の終わった直後、唐突に訪れた闇夜にどよめく混迷の天神回戦会場。
ようやく一山を越したところで、また次の一山が立ちはだかる。
神々の異世界での、困難の出来事は未だ終わりを知らない。
みづきは知らずに掲げた拳を握りしめていた。
ワアアアアアアアアアァァァッ……!!
観客たちは今日一番の大歓声をあげて闘技場全体を震わせた。
思いも寄らない試合結果は、大番狂わせもいいところであった。
日和陣営が多々良陣営に勝利した。
しかも、その栄光を勝ち取った風変わりなシキは、何と天神回戦の大神、太極天の神通力を自在に扱うことを可能とする。
こんなことは今まであり得ない出来事である。
天神回戦は力が物を言い、実力至上主義が当たり前だった。
シキの力は神の力に比例する。
即ち、神格の差を表す順列こそが全てである。
しかし、今回の試合は当たり前ではない意外過ぎる結果に終わり、会場内は大いに沸いたのであった。
「このシキの身体っていいなっ! すごく動けるのもそうだけど、気持ちがやたらと浮いた感じになるっ! 今なら本当に何でもできそうだっ!」
乗り気ではなかった勝負の末の勝利だったが、心の底から込み上げる達成感は抑えきれない。
シキは神の使いであり、神の戦士である。
戦いの高揚感がみづきの心身を強くしているのは間違いなさそうだ。
「あっ、そうだ。──これ、返しておくね」
びくびくっと痙攣して動かない牢太の傍らに、みづきは奪った刺股の刃から作り出した剛鉄の大太刀をそっと返して置いた。
きっとこの武器は彼の大事な物だったのだろう。
大太刀に作り変えて奪った際の怒り具合は相当で、返さないのは悪いと思った。
また元の形に直してもらって欲しいな、とも願いつつ。
「みづき……。おおぉ、みづきぃ……」
観客席の日和はみづきの勝利に感激に打ち震えていた。
願ってもない結果に円らな瞳を潤ませている。
初めはシキを身代わりにし、自分が生き残ることだけを身勝手に考えていた。
みづきとの縁も、この試合が最初で最後になるだろうと思って疑わなかった。
しかし、結果はそうならなかった。
まさかこんなにも輝かしい勝利を運んできてくれるとは。
「みづきぃぃーっ!!」
居ても立っても居られず日和は観覧席を後にして、みづきのいる舞台へ飛び出していった。
日和の後ろ姿を見送り、多々良は残念そうな面持ちで腕組みをして息を漏らす。
慈乃は険しい表情で顔を伏せている。
「──やれやれ。これはとんだ番狂わせだ。此度の試合のこと、日和殿にはいらぬ節介だったのやもしれない。さて、敗北者は去るとしようか。慈乃、牢太を労っておいてあげておくれ」
「よろしいのですか? 日和様のシキは太極天様の御力に不相応に触れて、不当を働いた可能性もあります。多々良様はそれをお赦しになられるのですか?」
「ああ、構わないよ。すべては太極天の御意思の通りさ」
「御意……。多々良様の仰せのままに」
多々良と慈乃は立ち上がり、闘技場を静かに去った。
通用口を黙々と歩いていく二人はもう後ろを振り返りはしなかった。
釈然としない慈乃とは違い、多々良の表情は試合に負けたというのに穏やかに微笑んで見えたのであった。
「ふぅ……」
肩をだらんと落とし、みづきは空を仰いで一息ついた。
戦いは終わり、全身に光る地平の加護の回路模様は消えていた。
と、味方をしてくれていた太極天の恩寵もいつの間にか静まっている。
──ダンジョンの世界で目覚めた何でもありの加護に加えて、今度はそれを使って大地の偉い神様の神通力を借りられるようになっちまった。確か、太極天っていう名前の神様だっけか。
みづきは自然と、太極天の社のある特別観覧席のほうを見上げた。
──この神様の世界じゃ、皆から畏れ崇められる尊い存在なうえ、他とは比べられないくらい強い力を持っているみたいだ。俺にもたらすのは豊かな大地の恵みで、敵にもたらすのは聖なる力の容赦無い鉄槌か……。
「また何ともありがたい力を授かったもんだ……。だけどまさか、こんな感じでどんどん能力が増えていくんじゃないだろうな……?」
みづきはこれからのことを思い、身震いをする。
ダンジョンの世界で地平の加護が目覚め、神様の世界で神の中の神たる太極天の力を借りられる力を得た。
取って付けたように拡張されていく自分の力。
それはそのまま、この不可思議な夢物語がまだ終わらずに続いていくのでは、という不安である。
「……ん?」
と、割れんばかりの歓声に包まれるなか、みづきの見ている方向から何かが叫び声をあげて急接近してくるのに気付いた。
それは、満面の笑みで無邪気に喜び、飛び掛かってこようとする日和だった。
「みづきぃぃーっ!!」
「うわっ!?」
しかし、みづきは高速で迫る飛行物体に危険を感じ、思わずしゃがみ込んで避けてしまっていた。
空を飛ぶ幼女に抱き付かれる経験などしたことがないのだから仕方がない。
まさか避けられるなんて思いもしなかった日和の抱擁の手は空を切る。
勢いはそのままに、あえなく地面へと顔面から墜落するのであった。
「うがぁーっ!?」
「あっ、悪ぃっ……!」
お尻を突き上げ、不恰好に突っ伏した日和の様子を見て悪びれるみづき。
潰れた蛙みたいになっているその傍らに慌てて膝をついた。
その後ろ、東の門から闘技場内に大勢わらわらと、赤やら青やら色とりどりの小鬼たちが押し寄せてきている。
多々良の指示により、のびている牢太の巨体を連れ帰りに掛かっていた。
子供ほどの大きさの鬼が群れをなし、キーキーと甲高い声をあげながら力を合わせて牢太の大きな身体を持ち上げ、こぞって運び出していく。
棒だけになった刺股と、みづきが作り変えた剛鉄の大太刀も何人かの小鬼で協力して一緒に回収していった。
小鬼たちがいなくなるのを尻目に、日和は無様に転んだままで呻いている。
「あ痛たたたたぁ……。なぁんでよけるんじゃぁ……? 無理を押して矢面に立ち、見事に勝利を収めてくれた栄光のシキと抱擁を交わそうとしただけじゃろうが……。うぐぐ、みづきってばひどいのじゃあ……」
土と砂まみれで嘆く日和だったが、そのとき異変が起こる。
ひっくり返った珍妙な姿が淡い光を放ち始めた。
時を同じくして、太極天の社がこうこうと光り輝いていた。
みづきに神通力を貸し与えたのと同様のことが起こっている。
天神回戦の通例ならではの、太極天の顕現に場内がざわめいていた。
勝者となった陣営の神に、そのありがたい恩寵が与えられるのだ。
「う、うわぁっ!? ど、どうしたんだぁっ!?」
みづきは光る日和を見て、飛び上がって驚いた。
神々しく眩しい光彩に包まれて、何と日和の小さい身体がむくむくと大きくなっていくではないか。
突き出したお尻が、みづきの目の前で丸みを帯びた成熟した形に変わっていく。
お尻だけでなく、縮んでいた幼い女神の肉体は大人のそれへと見る見る内に成長を果たしていた。
不思議なことに着衣の赤紅色の着物までもが、身体の成長か膨張に合わせて大きい寸法へと変化していた。
「お、おおぉっ! 太極天の力が全身に満ち満ちておるっ! 失われた神通力を取り戻したのじゃあっ! 我が肉体も元に戻ったぞぉ! やったぁー!」
大きくなった日和は嬉しそうに元気良くぴょんと起き上がり、みづきのほうへ向き直った。
改めて、その美しくなってしまった麗しい容姿が目に飛び込んでくる。
身長は今のみづきと同じくらいの五尺三寸(160センチ)程度だろうか。
豊満な肉付きの肢体は、もうちんちくりんなどとは形容できない。
だぶだぶだった大き過ぎる着物から、すらりと長く伸びた手は白魚のよう。
若干に丈の短くなってしまった裾から覗く、艶かしい太腿は目のやり場に困る。
元々童顔だったみたいで、円熟な体つきになっても可愛らしい少女の顔のつくりは少し大人びた程度で変わらず、屈託の無い笑顔を弾けさせていた。
「この姿に戻れたのは本当に久方ぶりじゃっ! 感謝するぞ、みづきっ! 全部おぬしのおかげじゃっ!」
「わわっ!?」
今度こそ遠慮なしに豊かな身体を預けられ、みづきは日和に抱き付かれた。
押し付けてくる大きく膨らんだ胸の双丘の感触はむにゅりと柔らかい。
ぺったんこだった胸は、着物の上からでもわかるくらい大きく膨らんでいた。
花の蜜のように甘く、芳醇な香りが鼻をくすぐる。
大きくなった日和は、小さかった時からはまるで想像できないほど女性的な魅力に溢れていた。
──な、なんだよ。この女神さん、めちゃくちゃ美人じゃないか……。あんまりくっつかないでほしいなぁ……。
文字通りの女神の抱擁に、さしものみづきも胸を高鳴らせてしまう。
良いように使われた風で試合に出なければならなくなったのを忘れかけ、迂闊にも目の前の美しくも可愛らしい女神の微笑みに心奪われそうになる。
それくらい本当の姿を取り戻した日和は、魅力に溢れる美貌の持ち主であった。
ぐぅーっ……!
しかし、突然と至近距離で鳴るのは腹の虫の音。
密着していたことを差し引いても、とてもよく聞こえる大きな音だった。
「えっ?!」
「……」
驚くみづきの眼前で日和の微笑む顔が、瞬間的にぼっと赤く染まった。
今のは間違いなく日和のお腹が鳴らした腹鳴の音で、空腹時に消化器官内を空気や胃液が通り抜けて音が鳴っている。
要はお腹の中が空っぽで、腹を減らしている状況のようだ。
「はっ、はわぁーっ!? このっ、私の腹めっ! は、恥ずかしいのじゃぁ……。すまぬぅ、長らくの間、何も食べてなかったゆえ我慢ができんかったのじゃ……」
喜ぶ顔に照れを交え、ささっとみづきから離れる日和はお腹をさすりさすり。
神様でも食事抜きで腹を空かせると、人間と同様に腹の虫を鳴らすらしい。
その様子にみづきはとうとう吹き出して、笑い出してしまった。
「あっはははっ……! せっかくの祝勝が台無しじゃないか。安心して気でも抜けちまったのかよ」
「うぅ、そんなに笑わんでおくれなのじゃ……。元の姿に戻れたというのに、このような辱めはあんまりじゃ……」
もじもじと俯いて身を縮こまらせる日和に、みづきはからっと笑って言った。
「まぁほら、何とか勝ったぜ。これで、敗北の眠りにはつかなくて済むんだろ?」
「あっ!? う、うむっ、その通りじゃ!」
「そっか、──良かったな」
「……っ!」
自然な口調で、最悪の結果を回避できたのを良かったと言われ、日和は表情を一瞬失っていた。
安堵した思いの反面、複雑な気持ちにもなった。
何と答えていいかわからず、少し遅れて返事をする。
「……うむ」
本当は自分が生き残るため、みづきを捨て駒に使おうと思っていたのだから。
延命ができるなら何だってしようと思っていたし、泥臭くやっていくのも厭わない覚悟をしていたはずだった。
それなのに、どうにも胸がずきずきと痛んだ。
予想だにしない異能を秘めていたみづきの誕生はこの上なく幸運であった。
このまま騙し、唆したままその力に甘えてもいいものだろうか。
こんなことではいけない、それはよくわかっている。
日和が聖なる神であればあるほど、良心の呵責に耐えられない。
感情のはっきりしないその顔は、きっとそんな悩みを抱えている。
「どうしたんだ? 腹が減ったら音が鳴るのは別に恥ずかしいことじゃないぞ」
ただ、事情を知らないみづきは、急にしゅんとなって俯いてしまった日和に、お腹の音を聞かれたのがよほど恥ずかしかったのか、などと心配をしていた。
「あ、あのな、みづき……。じ、実はな……」
切羽詰った様子で、日和はみづきの顔を見つめ直した。
何か言おうと口をぱくぱくさせ、わなわなと肩を震わせている。
身代わりにしようとした腹の内を正直に白状し、改めて神とシキ同士の信頼関係を結ぼうと意に決する。
それは、女神たる日和の、人間のみづきへのあべこべな懺悔であった。
「わ、私は実は、おぬしのことを──」
上目遣いの赤らんだ顔で、日和は唇を小さく開いた。
そんな思い詰めた顔をしていったい何を言い出すつもりなんだ、とみづきが戸惑っていたそんなときであった。
「えっ? 何だ……?」
不意におかしなことが起こった。
突如として、明るい空を何かが覆ったかのように辺りが一瞬で暗くなった。
雲が日の光をふっと隠してしまったときの暗転に似ていたものの、暗くなる度合いがあまりに極端過ぎた。
いきなり夜になってしまったかと思うほど、天神回戦の会場に、いや太極山全体に闇の帳がおりた。
「き、急に夜になったぞ……?」
「こ、これは……! まさかっ……!?」
戸惑うみづきをよそに、日和は目を見開き、驚愕の様子で空を振り仰いだ。
そこにはさらなる波乱を呼ぶ、超常の存在が新たに現れている。
試合の終わった直後、唐突に訪れた闇夜にどよめく混迷の天神回戦会場。
ようやく一山を越したところで、また次の一山が立ちはだかる。
神々の異世界での、困難の出来事は未だ終わりを知らない。
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