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第2章 神々の異世界 ~天神回戦 其の壱~
第38話 神々の世界への反撃1
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「さらばだ、日和神のシキよ! 己の無様を嘆いて永遠に眠るがいいッ!」
馬頭鬼のシキ、牢太はとどめの口上を垂れた。
瀕死の状態で仰向けに横たわるみづきに、鋭い切っ先の刺股を突き下ろす。
体内の依り代、玉砂利を大量に失ってしまってはそれを避ける術は無い。
絶望的な敗北の直前であった。
「あぁ、みづきぃ……。どうか許しておくれぇ……」
きつく瞳を貝のように閉じ、観覧席の日和は伏せた顔で呻く。
これから絶命するであろうみづきに詫びの言葉を今さら漏らして。
今回の天神回戦はこれで日和陣営の敗北が決まる。
なけなしのシキをまた失い、日和はまた一歩追い詰められるのだ。
何も言わず試合の結果を見つめる多々良も慈乃も、神妙な面持ちでいる審判官の姜晶も、会場中の誰しもがそう思っていた。
しかし。
大いなる大地の迸る力が豪然と胎動する。
どくん──、と。
『太極天の恩寵・黄龍氣に変換・全能付与術体系起動』
突如起こった異変に、会場全体がどよめいていた。
唸りをあげる地鳴りと共に闘技場が揺れている。
いや、この建物だけでなく太極山自体が大規模に鳴動しているようだった。
「な、何じゃ……? 大地が揺れておる……?!」
敗北の瀬戸際で観念していた日和は、大きな揺れに驚いて顔をあげた。
天神回戦が行われる大地、太極山は太極天の本体である。
地震が起きているということは、大神自身が揺れているのを表している。
「……! これは……!」
何かに気付いたみたいに日和は後ろを振り仰ぐ。
同じ気配を感じ取った多々良もすでに後方を振り返っていた。
二人の見上げた先にあるのは太極天の社。
日和も多々良も、驚きに表情を失う。
この闘技場を御社殿とするなら、それは境内社くらいの小さな社。
社には御神体が祀られていて、太極天の意思そのものである。
「お、おぉ……。太極天のお社が、光り輝いておる……!」
日和の声は震えていた。
社が強い光をたたえ、眩い輝きを放っている。
光る太極天の社、揺れる太極の山。
天神回戦会場は混乱に包まれ、観客のみならず神々を含めた喧騒を生んだ。
こんなことは長い天神回戦の歴史でも、ただの一度も起こった試しがない。
「い、いったい……。何が起こっているというのじゃ……?」
前例の無い異常事態に直面し、日和は冷たい汗をつぅと流した。
「──多々良様、あれを!」
珍しく慈乃が切羽詰った声を発した。
彼女の指し示すのは、試合会場で倒れているみづきだ。
地母神の霊験あらたかなる奇跡と時を同じくして、試合を行うシキのもとでも空前絶後の出来事が起こっていた。
「ぬうっ、何だ!?」
牢太は振り下ろす刺股の手を止めていた。
たった今、とどめを刺そうとしていた対象が目を背けるほどの光を発している。
光り輝いているのは虫の息の倒れたみづき。
その最期を目に焼き付けようとしていた姜晶も確かに見ていた。
「みづき、様……? 光ってる……」
太極山の震動と社の光、それらと連動して仰向けのみづきが光源となっている。
真っ白な光の中、ある種の神々しい変化を遂げていくのを姜晶は見ていた。
みづきの顔に直線的な光の線が描く回路状模様が現れている。
顔だけでなく、手や足、身体中にも線模様は浮かび上がっていた。
いつぞやの別の夢のこと──。
パンドラの地下迷宮にて、超常の能力を発現させたあのときと同じことが起こっている。
全身に走る光の模様から漂うきらめきが、何者をも近寄らせない威圧を放つ。
それは、畏れを抱かずにいられない強さの神通力であった。
「……」
みづきの目がじろりと牢太を見上げていた。
黙ったまま倒れたまま、ゆっくりとした所作ですぅっと右手を上げる。
人差し指の先で牢太を差す。
正確には牢太の手の、今にも突き立てられようとしている刺股を。
『対象選択・《馬頭鬼牢太の刺股》・効験付与・《落雷》』
みづきは命じた。
超常の力を持つ自らの権能、──地平の加護に。
闘技場上空の天高い空間に異変が生じた。
大気中の微細な水滴が集まり、真っ黒で雲頂の高い雲がにわかに発生する。
水分は即座に冷やされて氷の結晶と化し、雲中でぶつかり合い、摩擦を生じさせて大電荷を蓄えた。
術者たるみづきの願いに応え、現れたのは巨大な雷雲であった。
本来ならば、雷撃範囲内の最も近い距離に放電する自然現象が落雷である。
だが、みづきの生み出した魔法の雷は狙った場所への直撃雷を可能にしていた。
空が一瞬光り輝く。
ドドドドォン! ゴロゴロゴロッ……!!
直線がジグザグに鋭く折れ曲がる稲光が迸った。
凄まじい轟音と震える大気と共に、高く振り上げた牢太の刺股に落雷する。
刺股から牢太の両手を通じて、屈強な鬼の肉体に高電圧の大電流があっという間に走り抜けた。
バリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリッ……!!
「ウ、ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォーッ……!?」
雷にまともに打たれ、牢太は全身を痺れさせる激痛に絶叫した。
避けようも防ぎようもない。
地獄の鬼に対し、初めて入った有効な一撃であった。
「うわわわわっ!?」
「ひゃあんっ!」
落雷は地面に逃げ、至近距離のみづきと姜晶にも漏れなく襲い掛かっていた。
巻き添え気味に感電し、痛みと痺れに堪らず転がり回る。
またもや女の子みたいな悲鳴をあげてひっくり返る姜晶に申し訳なく思いつつ、みづきは痺れる上体を起こして牢太を見上げた。
「雷に打たれたってのに、化けモンめ……!」
みづきの顔はひきつった笑いで歪んでいた。
「ぐぬぬぬぬぅ……!」
焦げ臭い煙をぶすぶすと立ち上げ、片膝をついた格好の牢太が呻いている。
落雷の電圧は200万から10億ボルト、電流は1千から50万アンペアと言われており、言うまでもなく途方もない電気エネルギーである。
近傍に再放電する側撃雷でも大変危険だが、それが直撃ともなれば並みの生き物なら即死は免れない。
しかし、流石は地獄の獄卒鬼、神の遣わしたシキである。
激しく感電し、落雷した刺股を放り投げてしまったものの、雷の直撃にも耐え得る驚異の生命力は化け物としか言いようがない。
「痛てて……。軽はずみに雷なんて落とすもんじゃないな……」
間接的に落雷を食らったのに、多少の痛みだけで命が助かったのを苦笑した。
今の自分も人間ではなく、神の戦士たるシキなのである。
牢太が投げ出し、離れたところに転がった刺股に目配せする。
高く掲げた金属の長柄武器に雷を落とす安易な思い付きは、この至近距離では諸刃の刃だったのは言うまでもない。
場内も突如として発現した雷の権能に大きくどよめいていた。
驚いたのは日和も多々良も同様だ。
「な、何じゃ?! 今の雷は、みづきがやりおったのか……? 太極天の光に呼応したように見えたが、まさかそのような能力を秘めておったというのか……?」
「その割には自分も巻き添えを食っていたように見えたけれどね」
自分で生み出したはずのシキの未知の力に目を丸くする日和を横目にし、多々良は愉快そうに笑う。
そして、もう一度背後の太極天の社を振り返り見た。
太極山と会場の揺れは収まったが、こぢんまりとした社は淡く光り続けている。
みづきに現れた線模様の光も依然失われてはいない。
「よしっ! とりあえず、動けるようにならないとな!」
声を張り、身体中にぐっと力を込める。
受けたダメージは深く、手を動かしたり上体を起こしたりがやっとだ。
みづきの生命の源である玉砂利が大量にばら撒かれ、身体能力の低下が著しい。
痛みはさしたるほどではないが、身体が重く思うように動けない。
『太陽の加護・非同期・地平の加護・精度低下』
脳内に響く機械的な声が意識内に放り込まれる。
覚えのあるその言葉の響きに、みづきははっとなって驚いた。
太陽の加護──。
それは最早記憶の彼方で、また見られるかどうかわからない夢の中に出てきた人物の用いる加護の名前だった。
今は異なる世界の夢を見ているのだとしても、みづきは彼女のことをとてもよく思い出せた。
「使命使命って、それ以外に言うことないのかよってくらい、自分の仕事をやろうと必死だったなぁ……。また会いたいな、エルフの姉さん。──アイアノア」
目を閉じれば暗いまぶたの裏側に、金色の長い髪をした美しいエルフが微笑んでいるのが見えたように感じた。
そこから数珠繋ぎに記憶が次々と繋がっていく。
まるで録画映像の早回しを見るみたいに、エルフの彼女、アイアノアとの記憶がみづきの頭に入り込んでくる。
アイアノアがしてくれたことを思い出しながら、みづきは呟いていた。
「そういえば、アイアノアが太陽の加護で、俺の地平の加護をサポートしてくれてたんだっけ。確かにあの時ほど何でもできるって感じはしないけど……。これでもまあ充分だ! 俺一人でどこまでやれるか──、試してみようじゃないか!」
助けてくれた彼女はもういないけれど、充分過ぎる万能感が溢れていた。
地平の加護さえあれば、みづき一人でだってどうとでも戦える。
だから、もうすでに何をすればいいのかわかっている。
アイアノアのことを思い出し、してくれたことを辿ったのには意味があった。
みづきは自らの記憶を洞察したのだ。
『洞察済み概念より技能再現・対象選択・《俺》』
地平の加護は新たな力を得て、みづきにそのまま付与をする。
極めて優れた洞察能力は、記憶の中のアイアノアの能力を完全に解析し、太極天の恩寵をエネルギー源に変換して、己の力として再現する。
みづきは身を持って体験した神秘をそっくりと我が物としていた。
地平の加護は洞察を行い、対する事象を概念化し、いかなる権能や奇跡をも宿主であるみづきに取り込ませ、実用化させることが可能なのだ。
『効験付与・《エルフ・アイアノアの回復魔法》』
緑の優しげな光がみづきの身体からとめどなく溢れ出していた。
アイアノアがいつか施してくれた回復魔法を思い出し、再現している。
レッドドラゴンの炎ブレスで火傷を負ったみづきを治してくれた神秘の力だ。
その回復魔法の技能を自分に付与する。
みづきを中心にして、半透明な緑の波が放射状に緩やかに広がっていく。
すると、辺り一面に散乱していた玉砂利がひとりでに動き、吸い寄せられるように一斉に主のもとに回帰していく。
「やった、凄いぞ……! 俺にも魔法が使える……! あの不思議な癒しの魔法は風の力だったんだな。最高だ、感謝するよ、アイアノアっ!」
渦巻く気流が玉砂利を巻き上げ、風の癒やしによってみづきの傷は見る見る内に復元されていった。
自身で体現してみて、魔法がどういう性質のものかも理解できるおまけ付きだ。
魔法を授けてくれたアイアノアに感謝し、歓喜して身軽く足から跳ね起きる。
まだまだ落雷にやられた衝撃が残っている牢太は、片膝を突いたまま息を吹き返したみづきに驚愕していた。
「むぅっ!? 貴様っ、致命傷だったはずだ……! 雷を操るばかりか、傷を癒す力さえ持っているというのか! やはり侮れん。恐るべし、日和様のシキよ!」
動きが鈍り、身を屈めた格好でも牢太は依然として威圧的に映る。
直撃雷でもこの程度の損傷しか与えられない相手を仕留めるにはどうすればいいのだろうか。
「悩んでる場合じゃない。……これならどうだっ!?」
『洞察済み概念より技能再現・対象選択・《俺》』
みづきは続けざまに地平の加護を発動させる。
同時に身体の中が、芯から熱く燃え上がって高温を発した。
ずしん、と地面に足が食い込んで、体重が増して身体を固定させる。
大きく大きく息を吸い込み、風船のように上半身を膨らませた。
『効験付与・《レッドドラゴン・ファイアーブレス》』
カッと口を大きく開き、みづきは体内で生成した超高温の火炎を凄まじい勢いで吐き出した。
忍者の火遁の術を彷彿とさせるそれは、みづきの小さな身体からは考えられないほどの大きい炎であった。
パンドラのダンジョンで遭遇した、伝説の魔物たるドラゴンのファイアーブレスはすでに洞察済みだ。
鉄をも融解させる炎は人間の身で耐えるなど不可能だが、自身の肉体にドラゴンの性質を付与して、火炎を吐く能力を支配している。
それに今は強靱なシキの肉体があるからこの熱さにも耐えられる。
そうして、ドラゴンの炎は真正面から牢太に炸裂した。
ゴゴゴゴオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォーッ……!!
大爆発が上がり、空に向かって渦巻く炎の柱が立ち上がる。
真っ赤な衝撃波が周囲に一気に広がり、またまた巻き込まれた姜晶は叫びながら吹っ飛んでいった。
みづきはそんな姜晶を尻目に、爆炎に包まれている牢太を見て表情を凍らせた。
「嘘だろっ?! ドラゴンの炎、どれだけ熱かったって思ってるんだ!?」
荒れ狂う炎の中、怒りに染まった光る目が見える。
「八熱の地獄の鬼を、炎で炙ろうというか……! 小癪千万……!」
炎に巻かれる牢太の震える低い声。
落雷の直撃だけでなく、超高熱の爆炎にも五体満足に耐え忍んでいる。
地獄の獄卒、馬頭鬼の牢太。
多々良陣営上位のシキの異常なまでの頑強さは脅威でしかない。
無傷ではないにしろ、燃え尽きず黒焦げにもならず、悠然と炎の中で立ち上がろうとする牢太には戦慄を覚えた。
みづきは炎の息を止め、やけくそになって言った。
「雷も駄目、炎も駄目! 普通の攻撃手段じゃ、地獄の鬼さんには歯が立たない! へへっ、ちくしょう……! 何か手は無いのかよ……!?」
ただ、悉く打つ手が通用しない裏腹、戦いの高揚には笑みさえ浮かぶ。
シキであるこの身は心までも頑強にしてくれるようだ。
「……フンッ!」
薄ら笑うみづきを苛立たしげに睨み、痺れから回復し、炎をかき分けて牢太は腰を上げた。
そのまま堂々とした歩みで、自らの得物たる落とした刺股を拾おうとする。
これでは地平の加護での虚を突いた反撃が無駄となってしまう。
それだけでは済まず、武器を取り戻した地獄の鬼に今度こそやられてしまう。
レッドドラゴンを洞察し、概念化したように牢太を解析するには時間が足りない。
──この心細い感じはアイアノアがいないからか? くそう、もどかしい……。加護の力で洞察するにも時間を稼がないと駄目だ。いい加減、丸腰じゃあどうしようもないぞ。俺にも何か武器が要る……!
アイアノアがいないから太陽の加護の支援を受けられない。
何とも言えないおぼつかなさを感じるのは気のせいではなかった。
心の中の声が言うように、地平の加護は単体では完全ではないのだろう。
しかし、無い物をねだっていても仕方がない。
「今は俺だけで何とかするんだ! 俺の中の加護、頼む、力を貸してくれ!」
みづきは戦局の打開を内なる加護に願った。
すると、その苦悩を聞き届け、地平の加護はその要望に応える。
太陽の加護は無く単体であろうと、秘めたる権能は底知れずであった。
さらなる能力の開花を。
地平の加護の地平線の果ては無限の彼方だ。
まだまだこんな程度では収まりはしない。
馬頭鬼のシキ、牢太はとどめの口上を垂れた。
瀕死の状態で仰向けに横たわるみづきに、鋭い切っ先の刺股を突き下ろす。
体内の依り代、玉砂利を大量に失ってしまってはそれを避ける術は無い。
絶望的な敗北の直前であった。
「あぁ、みづきぃ……。どうか許しておくれぇ……」
きつく瞳を貝のように閉じ、観覧席の日和は伏せた顔で呻く。
これから絶命するであろうみづきに詫びの言葉を今さら漏らして。
今回の天神回戦はこれで日和陣営の敗北が決まる。
なけなしのシキをまた失い、日和はまた一歩追い詰められるのだ。
何も言わず試合の結果を見つめる多々良も慈乃も、神妙な面持ちでいる審判官の姜晶も、会場中の誰しもがそう思っていた。
しかし。
大いなる大地の迸る力が豪然と胎動する。
どくん──、と。
『太極天の恩寵・黄龍氣に変換・全能付与術体系起動』
突如起こった異変に、会場全体がどよめいていた。
唸りをあげる地鳴りと共に闘技場が揺れている。
いや、この建物だけでなく太極山自体が大規模に鳴動しているようだった。
「な、何じゃ……? 大地が揺れておる……?!」
敗北の瀬戸際で観念していた日和は、大きな揺れに驚いて顔をあげた。
天神回戦が行われる大地、太極山は太極天の本体である。
地震が起きているということは、大神自身が揺れているのを表している。
「……! これは……!」
何かに気付いたみたいに日和は後ろを振り仰ぐ。
同じ気配を感じ取った多々良もすでに後方を振り返っていた。
二人の見上げた先にあるのは太極天の社。
日和も多々良も、驚きに表情を失う。
この闘技場を御社殿とするなら、それは境内社くらいの小さな社。
社には御神体が祀られていて、太極天の意思そのものである。
「お、おぉ……。太極天のお社が、光り輝いておる……!」
日和の声は震えていた。
社が強い光をたたえ、眩い輝きを放っている。
光る太極天の社、揺れる太極の山。
天神回戦会場は混乱に包まれ、観客のみならず神々を含めた喧騒を生んだ。
こんなことは長い天神回戦の歴史でも、ただの一度も起こった試しがない。
「い、いったい……。何が起こっているというのじゃ……?」
前例の無い異常事態に直面し、日和は冷たい汗をつぅと流した。
「──多々良様、あれを!」
珍しく慈乃が切羽詰った声を発した。
彼女の指し示すのは、試合会場で倒れているみづきだ。
地母神の霊験あらたかなる奇跡と時を同じくして、試合を行うシキのもとでも空前絶後の出来事が起こっていた。
「ぬうっ、何だ!?」
牢太は振り下ろす刺股の手を止めていた。
たった今、とどめを刺そうとしていた対象が目を背けるほどの光を発している。
光り輝いているのは虫の息の倒れたみづき。
その最期を目に焼き付けようとしていた姜晶も確かに見ていた。
「みづき、様……? 光ってる……」
太極山の震動と社の光、それらと連動して仰向けのみづきが光源となっている。
真っ白な光の中、ある種の神々しい変化を遂げていくのを姜晶は見ていた。
みづきの顔に直線的な光の線が描く回路状模様が現れている。
顔だけでなく、手や足、身体中にも線模様は浮かび上がっていた。
いつぞやの別の夢のこと──。
パンドラの地下迷宮にて、超常の能力を発現させたあのときと同じことが起こっている。
全身に走る光の模様から漂うきらめきが、何者をも近寄らせない威圧を放つ。
それは、畏れを抱かずにいられない強さの神通力であった。
「……」
みづきの目がじろりと牢太を見上げていた。
黙ったまま倒れたまま、ゆっくりとした所作ですぅっと右手を上げる。
人差し指の先で牢太を差す。
正確には牢太の手の、今にも突き立てられようとしている刺股を。
『対象選択・《馬頭鬼牢太の刺股》・効験付与・《落雷》』
みづきは命じた。
超常の力を持つ自らの権能、──地平の加護に。
闘技場上空の天高い空間に異変が生じた。
大気中の微細な水滴が集まり、真っ黒で雲頂の高い雲がにわかに発生する。
水分は即座に冷やされて氷の結晶と化し、雲中でぶつかり合い、摩擦を生じさせて大電荷を蓄えた。
術者たるみづきの願いに応え、現れたのは巨大な雷雲であった。
本来ならば、雷撃範囲内の最も近い距離に放電する自然現象が落雷である。
だが、みづきの生み出した魔法の雷は狙った場所への直撃雷を可能にしていた。
空が一瞬光り輝く。
ドドドドォン! ゴロゴロゴロッ……!!
直線がジグザグに鋭く折れ曲がる稲光が迸った。
凄まじい轟音と震える大気と共に、高く振り上げた牢太の刺股に落雷する。
刺股から牢太の両手を通じて、屈強な鬼の肉体に高電圧の大電流があっという間に走り抜けた。
バリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリッ……!!
「ウ、ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォーッ……!?」
雷にまともに打たれ、牢太は全身を痺れさせる激痛に絶叫した。
避けようも防ぎようもない。
地獄の鬼に対し、初めて入った有効な一撃であった。
「うわわわわっ!?」
「ひゃあんっ!」
落雷は地面に逃げ、至近距離のみづきと姜晶にも漏れなく襲い掛かっていた。
巻き添え気味に感電し、痛みと痺れに堪らず転がり回る。
またもや女の子みたいな悲鳴をあげてひっくり返る姜晶に申し訳なく思いつつ、みづきは痺れる上体を起こして牢太を見上げた。
「雷に打たれたってのに、化けモンめ……!」
みづきの顔はひきつった笑いで歪んでいた。
「ぐぬぬぬぬぅ……!」
焦げ臭い煙をぶすぶすと立ち上げ、片膝をついた格好の牢太が呻いている。
落雷の電圧は200万から10億ボルト、電流は1千から50万アンペアと言われており、言うまでもなく途方もない電気エネルギーである。
近傍に再放電する側撃雷でも大変危険だが、それが直撃ともなれば並みの生き物なら即死は免れない。
しかし、流石は地獄の獄卒鬼、神の遣わしたシキである。
激しく感電し、落雷した刺股を放り投げてしまったものの、雷の直撃にも耐え得る驚異の生命力は化け物としか言いようがない。
「痛てて……。軽はずみに雷なんて落とすもんじゃないな……」
間接的に落雷を食らったのに、多少の痛みだけで命が助かったのを苦笑した。
今の自分も人間ではなく、神の戦士たるシキなのである。
牢太が投げ出し、離れたところに転がった刺股に目配せする。
高く掲げた金属の長柄武器に雷を落とす安易な思い付きは、この至近距離では諸刃の刃だったのは言うまでもない。
場内も突如として発現した雷の権能に大きくどよめいていた。
驚いたのは日和も多々良も同様だ。
「な、何じゃ?! 今の雷は、みづきがやりおったのか……? 太極天の光に呼応したように見えたが、まさかそのような能力を秘めておったというのか……?」
「その割には自分も巻き添えを食っていたように見えたけれどね」
自分で生み出したはずのシキの未知の力に目を丸くする日和を横目にし、多々良は愉快そうに笑う。
そして、もう一度背後の太極天の社を振り返り見た。
太極山と会場の揺れは収まったが、こぢんまりとした社は淡く光り続けている。
みづきに現れた線模様の光も依然失われてはいない。
「よしっ! とりあえず、動けるようにならないとな!」
声を張り、身体中にぐっと力を込める。
受けたダメージは深く、手を動かしたり上体を起こしたりがやっとだ。
みづきの生命の源である玉砂利が大量にばら撒かれ、身体能力の低下が著しい。
痛みはさしたるほどではないが、身体が重く思うように動けない。
『太陽の加護・非同期・地平の加護・精度低下』
脳内に響く機械的な声が意識内に放り込まれる。
覚えのあるその言葉の響きに、みづきははっとなって驚いた。
太陽の加護──。
それは最早記憶の彼方で、また見られるかどうかわからない夢の中に出てきた人物の用いる加護の名前だった。
今は異なる世界の夢を見ているのだとしても、みづきは彼女のことをとてもよく思い出せた。
「使命使命って、それ以外に言うことないのかよってくらい、自分の仕事をやろうと必死だったなぁ……。また会いたいな、エルフの姉さん。──アイアノア」
目を閉じれば暗いまぶたの裏側に、金色の長い髪をした美しいエルフが微笑んでいるのが見えたように感じた。
そこから数珠繋ぎに記憶が次々と繋がっていく。
まるで録画映像の早回しを見るみたいに、エルフの彼女、アイアノアとの記憶がみづきの頭に入り込んでくる。
アイアノアがしてくれたことを思い出しながら、みづきは呟いていた。
「そういえば、アイアノアが太陽の加護で、俺の地平の加護をサポートしてくれてたんだっけ。確かにあの時ほど何でもできるって感じはしないけど……。これでもまあ充分だ! 俺一人でどこまでやれるか──、試してみようじゃないか!」
助けてくれた彼女はもういないけれど、充分過ぎる万能感が溢れていた。
地平の加護さえあれば、みづき一人でだってどうとでも戦える。
だから、もうすでに何をすればいいのかわかっている。
アイアノアのことを思い出し、してくれたことを辿ったのには意味があった。
みづきは自らの記憶を洞察したのだ。
『洞察済み概念より技能再現・対象選択・《俺》』
地平の加護は新たな力を得て、みづきにそのまま付与をする。
極めて優れた洞察能力は、記憶の中のアイアノアの能力を完全に解析し、太極天の恩寵をエネルギー源に変換して、己の力として再現する。
みづきは身を持って体験した神秘をそっくりと我が物としていた。
地平の加護は洞察を行い、対する事象を概念化し、いかなる権能や奇跡をも宿主であるみづきに取り込ませ、実用化させることが可能なのだ。
『効験付与・《エルフ・アイアノアの回復魔法》』
緑の優しげな光がみづきの身体からとめどなく溢れ出していた。
アイアノアがいつか施してくれた回復魔法を思い出し、再現している。
レッドドラゴンの炎ブレスで火傷を負ったみづきを治してくれた神秘の力だ。
その回復魔法の技能を自分に付与する。
みづきを中心にして、半透明な緑の波が放射状に緩やかに広がっていく。
すると、辺り一面に散乱していた玉砂利がひとりでに動き、吸い寄せられるように一斉に主のもとに回帰していく。
「やった、凄いぞ……! 俺にも魔法が使える……! あの不思議な癒しの魔法は風の力だったんだな。最高だ、感謝するよ、アイアノアっ!」
渦巻く気流が玉砂利を巻き上げ、風の癒やしによってみづきの傷は見る見る内に復元されていった。
自身で体現してみて、魔法がどういう性質のものかも理解できるおまけ付きだ。
魔法を授けてくれたアイアノアに感謝し、歓喜して身軽く足から跳ね起きる。
まだまだ落雷にやられた衝撃が残っている牢太は、片膝を突いたまま息を吹き返したみづきに驚愕していた。
「むぅっ!? 貴様っ、致命傷だったはずだ……! 雷を操るばかりか、傷を癒す力さえ持っているというのか! やはり侮れん。恐るべし、日和様のシキよ!」
動きが鈍り、身を屈めた格好でも牢太は依然として威圧的に映る。
直撃雷でもこの程度の損傷しか与えられない相手を仕留めるにはどうすればいいのだろうか。
「悩んでる場合じゃない。……これならどうだっ!?」
『洞察済み概念より技能再現・対象選択・《俺》』
みづきは続けざまに地平の加護を発動させる。
同時に身体の中が、芯から熱く燃え上がって高温を発した。
ずしん、と地面に足が食い込んで、体重が増して身体を固定させる。
大きく大きく息を吸い込み、風船のように上半身を膨らませた。
『効験付与・《レッドドラゴン・ファイアーブレス》』
カッと口を大きく開き、みづきは体内で生成した超高温の火炎を凄まじい勢いで吐き出した。
忍者の火遁の術を彷彿とさせるそれは、みづきの小さな身体からは考えられないほどの大きい炎であった。
パンドラのダンジョンで遭遇した、伝説の魔物たるドラゴンのファイアーブレスはすでに洞察済みだ。
鉄をも融解させる炎は人間の身で耐えるなど不可能だが、自身の肉体にドラゴンの性質を付与して、火炎を吐く能力を支配している。
それに今は強靱なシキの肉体があるからこの熱さにも耐えられる。
そうして、ドラゴンの炎は真正面から牢太に炸裂した。
ゴゴゴゴオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォーッ……!!
大爆発が上がり、空に向かって渦巻く炎の柱が立ち上がる。
真っ赤な衝撃波が周囲に一気に広がり、またまた巻き込まれた姜晶は叫びながら吹っ飛んでいった。
みづきはそんな姜晶を尻目に、爆炎に包まれている牢太を見て表情を凍らせた。
「嘘だろっ?! ドラゴンの炎、どれだけ熱かったって思ってるんだ!?」
荒れ狂う炎の中、怒りに染まった光る目が見える。
「八熱の地獄の鬼を、炎で炙ろうというか……! 小癪千万……!」
炎に巻かれる牢太の震える低い声。
落雷の直撃だけでなく、超高熱の爆炎にも五体満足に耐え忍んでいる。
地獄の獄卒、馬頭鬼の牢太。
多々良陣営上位のシキの異常なまでの頑強さは脅威でしかない。
無傷ではないにしろ、燃え尽きず黒焦げにもならず、悠然と炎の中で立ち上がろうとする牢太には戦慄を覚えた。
みづきは炎の息を止め、やけくそになって言った。
「雷も駄目、炎も駄目! 普通の攻撃手段じゃ、地獄の鬼さんには歯が立たない! へへっ、ちくしょう……! 何か手は無いのかよ……!?」
ただ、悉く打つ手が通用しない裏腹、戦いの高揚には笑みさえ浮かぶ。
シキであるこの身は心までも頑強にしてくれるようだ。
「……フンッ!」
薄ら笑うみづきを苛立たしげに睨み、痺れから回復し、炎をかき分けて牢太は腰を上げた。
そのまま堂々とした歩みで、自らの得物たる落とした刺股を拾おうとする。
これでは地平の加護での虚を突いた反撃が無駄となってしまう。
それだけでは済まず、武器を取り戻した地獄の鬼に今度こそやられてしまう。
レッドドラゴンを洞察し、概念化したように牢太を解析するには時間が足りない。
──この心細い感じはアイアノアがいないからか? くそう、もどかしい……。加護の力で洞察するにも時間を稼がないと駄目だ。いい加減、丸腰じゃあどうしようもないぞ。俺にも何か武器が要る……!
アイアノアがいないから太陽の加護の支援を受けられない。
何とも言えないおぼつかなさを感じるのは気のせいではなかった。
心の中の声が言うように、地平の加護は単体では完全ではないのだろう。
しかし、無い物をねだっていても仕方がない。
「今は俺だけで何とかするんだ! 俺の中の加護、頼む、力を貸してくれ!」
みづきは戦局の打開を内なる加護に願った。
すると、その苦悩を聞き届け、地平の加護はその要望に応える。
太陽の加護は無く単体であろうと、秘めたる権能は底知れずであった。
さらなる能力の開花を。
地平の加護の地平線の果ては無限の彼方だ。
まだまだこんな程度では収まりはしない。
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