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第2章 神々の異世界 ~天神回戦 其の壱~

第36話 無様の果てに

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「ぐぬぬぬ……!」

 逃げ回るみづきと、ついでに審判官の姜晶を追う牢太は憤慨していた。
 真っ赤になって怒張した顔面は、何も怒りの感情だけによるものではない。

 少なくとも大真面目に試合に臨んでいる牢太にとって、このような失態の片棒を担がされていることは恥辱以外の何物でもなかった。
 太極天の御前で、何よりも敬服する多々良の見ている前で、こんな弱々しいシキに手こずっている無様を晒すなど地獄絵図である。

 彼は猪突猛進の怪力馬鹿なだけの鬼ではなく、多々良陣営上位たる誇り高いシキであったのだ。

「もう良いッ! 何たる無様、何たる醜態! 敗北することが望みであるなら、その願いしかと叶えてやろうぞッ!」

 爆走しながら刺股は一旦下げ、空いた片手を眼前で人差し指と中指を立てた刀印とういんの形にする。

 にわかに集束する闇の瘴気が、黒い渦となって牢太の巨躯にまとわりつく。
 それは額面通りの地獄が溢れ出す前触れだった。

「地獄召還! 来たれ、衆合地獄しゅごうじごく!」

 叫ぶ牢太から暗黒の闘気がほとばしる。
 闘技場に暗い影が一気に広がっていった。

 牢太は地獄の獄卒鬼のシキであり、原型となった馬頭の鬼が住まう地獄の力を使うことができる。

 八大地獄のひとつ、第三の奈落、衆合地獄。
 殺生や盗み、邪淫の罪を犯した罪人が死した後に落ちる地獄である。
 牢太が今より顕現させる能力はその地獄の環境そのものだ。

 カッと赤い目を大きく見開き叫ぶ。

「出でよ、刀葉林とうようりん! 罪人どもを取り囲め!」

 闘技場の地面から、ざわざわと異常な速度で鉛色の木が無数に生え始める。
 それらは葉すべてが鋭利な刃で出来た木々で、鬱蒼と密集して立ち並び、地獄の森が闘技場に瞬く間に出現した。

「うわっ! 囲まれた……?!」

「なんで僕までー!?」

 正面と左右、刃の枝葉がびっしりと生え揃った木々に取り囲まれて、逃げ場を失うみづきと、どうしてか一緒に巻き込まれている涙ながらの姜晶。

 なおも生え続ける刀葉の木とようやく立ち止まった二人を満足そうに見て、牢太はさらに地獄を呼び出して駄目押しを仕掛ける。

「出でよ、双子の鉄山! 罪人どもを押し潰せ!」

 暗黒の闘気が再び集束し、それらは牢太の呼び掛けに応じた。
 刀の葉の林の両側、みづきらを挟んで巨大な山が地面からせり出してきた。

 岩肌は一面黒鉄色くろがねいろ、不自然なまでの絶壁の鉄山は一対。
 間もなく罪人を押し潰さんとゆっくりした動きで互いに迫り始めた。

 刀葉林をばきばきと押し潰しながら、双子の火山はそうして合わさった自分たちの山肌をもって罪人を圧殺し、苛むのだ。

「だから、なんで僕までぇー!?」

 確実に迫ってくる黒い鉄の山に腰を抜かし、涙を流して泣き叫ぶ姜晶。
 このままでは罪人呼ばわりされ、二人は諸共にぺしゃんこだ。

「姜晶君、付き合わせて悪かったよ。ちょっと我慢してくれよな」

「えっ?」

 と、みづきはそんな姜晶の襟首をむんずと引っ掴んだ。
 振り返った涙まみれの少年審判官を、シキのみなぎる力で無造作に持ち上げる。
 そして、牢太に向かって叫ぶ。

「おぉーいっ、馬鬼さんっ! 姜晶君は関係ないんだから、手ぇ出すな、よッ!」

 言うが早いか、思った以上に軽かった姜晶を牢太のほうへ向かって投げ飛ばす。

「きゃああああああぁぁぁぁーっ!?」

 綺麗な放物線を描き、姜晶は女の子みたいな悲鳴をあげながら、牢太の脇を抜けて飛んでいくのだった。

「ひゃんっ!?」

 見向きもせずに笑みを浮かべる牢太の向こう側。
 潰れた蛙みたいに転がされた姜晶は、土と砂まみれになりながら起き上がる。

 謂れの無い暴力を受け、審判官に危害を加えたのを理由に反則負けにしてやろうかとも思ったが、はっとした。

「痛たた……。し、審判官になんていう狼藉ろうぜきを……。もう、滅茶苦茶めちゃくちゃですよ……。──あっ、でも、みづき様っ?!」

 一応、自分を助けてくれた格好のみづきはどうなってしまったのか。

 立て続けな牢太の大技の披露に、観客は大歓声に沸いていた。
 姜晶が振り向くと、みづきは未だに押し迫る一対の絶壁の山に潰されようとしている最中であった。
 自分もその場から逃れようと焦りつつ、辺りを見回している。

 左右の両側からは迫る巨大な山。
 向かう正面は鋭い刃の森。
 とてもではないが突破できそうにない。

 そうなれば、逃げ道は姜晶を投げ飛ばした方向──。
 牢太の待ち受ける後方にしか残されてはいない。

「……ちっくしょう!」

 身軽い身体をひるがえし、逃げてきた方向へ逆戻りにひた走る。

 幸い双子の鉄山の動きは緩慢で、みづきの疾駆する早さなら潰される前に山間より脱することは容易い。
 我ながら風のように速く動ける身体能力と反射神経に感心する。

 ずしんッ、とすぐ後ろで二つの鉄山が一つに合わさり、みづきはぺしゃんこの危機より間一髪逃れることができた。
 しかし──。

「むぅんッ!!」

 ズバッ……!!

 圧殺の山々から脱出した直後の獲物を狙っていた牢太にまんまと捉えられる。
 狙いを澄ました刺股の薙ぎ払う一撃が、みづきの小さい身体の右脇腹から真横へと激しい勢いのままに切り裂いた。

「うっぐ……!?」

 巨大な平たい鉄塊を横薙ぎにぶつけられ、体内に無理やりめり込んできた冷たい刃の感触を鮮明に感じた。

 次の瞬間、切り裂かれた右脇腹から左肩口まで火傷のような熱が走り、衝撃に身体を軽々と持っていかれる。
 視界がぐるんっと急速に回転し、地面を強かに転がされる連続した衝突感を激痛と共に感じた。

 場内には観客らの、おおっという喚声があがった。

「あ、あああぁぁーっ! みづきぃ……!」

 凶刃に倒された自らのシキの無残な有様を見て、さしもの日和も悲鳴をあげた。
 身代わりにする思惑の手前だったが、それでも自分の生み出したシキが傷つけられるのは我が子を害されているようでいたたまれないのだろう。

「……やれやれ」

 多々良はそんな日和を何とも言えない苦笑いの顔で見ていた。
 ふてぶてしく悪態をつくものの、非情にはなり切れていない様子は複雑である。

 ずずず、と刃の森林と双子の鉄山が地面の中へと、初めから存在しなかったの如く緩やかに引っ込んで消えていく。

 衆合地獄の権能が消えた後にはふんぞり返る馬頭の鬼と、切り裂かれて転がっている哀れなシキの姿だけが残っていた。

「う、うぎぎ……! 痛ってぇ……! だけど、死んでないな……?」

 不思議と思ったほど痛くはない。
 みづきは呻いて、倒れたまま首だけを動かした。

 牢太に打ち飛ばされた場所から、自分の寝ているところまで何かが大量に散らばっているのが見えた。
 それらはおびただしい流血の跡か、はたまたぶちまけられた内蔵か腸の類か。

 しかし、散乱しているのはそのどちらでもない。

「あ、ああ、そういえば俺の身体、玉砂利たまじゃりで出来てるんだっけ……」

 日和に生み出されたときのことを思い出す。

 派手に切られ、体内からじゃらじゃらと散らばったのは、みづきの依り代になっていた玉砂利の白い粒だった。
 大量に撒き散らされている玉砂利が、牢太に受けた薙ぎ払いのダメージの深刻さを物語っているようだ。

 修験者みたいな法衣が破けて、覗いているのは確かに素肌ではあるが、出血しない代わりに玉砂利が飛び出していく。
 何とも風変わりな身体になってしまったものである。

「うぐぐぐ、駄目だ……。起き上がれない……!」

 放出してしまった玉砂利の量だけ、みづきのシキの力は失われる。
 思うように動けず、右に左に身をよじっていると、日の光を遮る影が大きく視界を覆った。

「フゥーンッ! フゥーンッ!」

 捉えた獲物にとどめを刺さんとする、牢太の見上げるばかりの巨体である。
 逆光した暗い姿に赤い目だけを光らせて、相変わらずの荒い鼻息がみづきの全身を生温かく撫でる。

「ちょこまかと逃げ回り、手間を取らせおって! 栄えある天神回戦の試合に背を向けるなど言語道断! その恥、今すぐ我がすすいでやろう!」

 ひときわ大きな息を鼻から吐き出し、牢太は吐き捨てるように言うと手の刺股を逆手に持ち、切っ先をこちらに向けて天高く振り上げた。
 このまま身動きの取れないみづきに刺股を突き立て、ひと思いに葬り去ろうという腹だ。

「み、みづきぃ……。もう駄目じゃぁー……!」

 日和は顔を伏せ、目を閉じ込んだ。

 まさか多々良陣営に勝てるなんて思ってはいなかったが、生き残ることもできずにやはり散ってしまう自分のシキをこれ以上見ていられなかった。

「みづき様……」

 土と砂まみれになった着物の汚れはそのままで、姜晶はみづきの最期を審判官としてじっと見つめていた。
 その表情は神妙そのもの。

 今後、これからもずっとこうして、敗北して消えていくシキの魂を見送ることになるのだろう。

 初の務めで、初めて向き合うシキの最期がみづきのものになる。
 多々良陣営との力量差もあり、この結末は初めからわかっていた。

 姜晶は心に焼き付けておこうと誓った。
 みづきという人間味のある不思議なシキがいたことを。

「……ふぅむ」

 ただ、みづきは深手を負ったにしてははっきりした意識で、刺股の切っ先を眺めている。

 いよいよ命の危機に瀕しているのに、死への恐怖や絶望は何故か薄い。
 妙に心が頑強であるのは、それもシキの身体のおかげだろうか。

──まあ、どうせ夢だしな……。今度の夢は随分と凝った設定だったけど、終わりは何ともあっさりした感じだったな……。

「……もういいや」

 みづきは無責任に諦観ていかんを決め込み、これで夢が終わると期待することにした。
 あのごつい凶器でひと思いにやってくれれば、さすがにショックで意識は覚醒するだろう。

 このシキのみづきにとっては、まさに一巻の終わりであるだろうが。
 それもまた仕方がない、とそう思った。

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