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第2章 神々の異世界 ~天神回戦 其の壱~

第31話 腹黒さと寂しさと

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「……っ! ──す、すげえ……!」

 太極山を見たみづきは思わず感嘆の言葉を漏らしていた。
 大地の大神に心震わされたお陰なのか、高所からの転落の恐怖や混乱は不思議と収まっている。

 大極の大山は両の掌を優しく広げ、すべてを受け入れ、受け止めてくれる。
 無限の器量をもって、天神回戦に挑む神々やそのシキたちを温かく出迎えてくれているようであった。

 そして、それに伴ってかみづきの降下速度も徐々に緩やかになってくる。
 太極天の穏やかなる神通力が、新生したばかりのシキの心を落ち着かせただけでなく、正常に力を巡らせられるよう手助けてくれたのかもしれない。
 手を繋ぐ日和の顔は微笑んでいた。

「落ち着いたか? 後はこのままゆっくりと降りてゆくのじゃ。説明も無く引きずり回して済まんかったのう、何せ時間がなくてな。天神回戦に参加する神々は、こうして周りの空の島々から太極山に降りるのが慣わしじゃ。神は天より降臨するものじゃろう?」

 強い風を受けている割には、日和の髪も衣服もほとんど乱れが見られない。
 唇や瞼が風を受けてひどい顔になりそうなものだが、そんな様子は無く、愛嬌ある笑みを浮かべていた。

 これも神通力の成せるわざなのか、風を避けたり、落下や慣性の影響を制御したりしているのかもしれない。
 慣れればおぬしにもできるようになるのじゃ、と言うと日和は眼下の太極山の頂を指差した。

「見よ、あの山の頂にある、円形闘技場が天神回戦を執り行う演舞場じゃ。我らの命運を決める、文字通りの鉄火場てっかばよ」

 太極山の山頂は平野部が広く、テーブルマウンテン状の形をしている。
 その中心に位置する場所に、この高さからでもわかるほどの巨大な建造物があるのが見えた。
 天井部分が開放されていて、闘技場とされる場所の全容が見て取れる。

「……あれが、戦いの舞台か。これでもかってくらい、見たまんまの闘技場だな」

 みづきは息を呑んで感想を漏らした。
 荘厳な建造物の迫力以外に、何か胸に迫るものを感じるのは気のせいだろうか。

 天神回戦会場は全周を観覧席に囲まれたすり鉢状の丸い形をしており、真ん中には戦いのための広場が設けられている。
 近づくに従い、和風の趣がある様々な装飾が目に入ってきた。

 色とりどりの奉納幟ほうのうのぼりが至る場所から生えていて、漢字を思わせる文字で天神回戦奉納、必勝祈願、太極天大社、等と書かれている。
 天井部や客席から下がっている垂れ幕や提灯にも同様の文字があり、願掛け、奉納としての装飾以外の意味合いが持たされていた。

 闘技場が御社殿の代わりのようで、そこへと続く参道と境内は石畳で綺麗に整備されている。
 朱色の鳥居や灯篭、狛犬といった神社の様子がそこかしこに見て取れた。

「和風な闘技場かぁ。あと、なんだか賑やかだなぁ。お祭りか縁日みたいだ」

 みづきの見渡す先、闘技場の周囲の境内や参道に数多くの的屋てきやが軒を連ねていて、お祭りの雰囲気を大いに演出していた。
 看板兼の朱色基調の布を屋台骨に取り付けしつらえた露店がずらりと並んでいて、いったいどんな店があるのかとても興味をそそられる。

 たこ焼きや焼き鳥、りんご飴やわた飴とかはあるだろうか。
 射的に金魚すくいに輪投げとかもあるかもしれない。
 何だかわくわくしているみづきを見て、日和は困ったように笑った。

「これこれ、今日は遊びに来た訳ではないのじゃぞ。出店を回る時間は無いゆえ、どうか堪忍しておくれなのじゃ」

「ちぇー、あんなに楽しそうなのに」

「まったく、しょうのないわらしじゃな、みづきは……。今日を生き延びたら、また来ようなのじゃ」

「縁日っぽいのに、縁起でもないな……」

「ほれ、そろそろと地上に着くぞ。降りる準備をするのじゃ」

「え?」

 と、日和の言葉通り、間もなく地面が迫ってきている。
 闘技場や露店の風景に気が移っていたが、まだ高所からの降臨中、もとい落下中なのである。

 日和はさも当然のように着地をするつもりのようだ。
 しかし、降下速度は自由落下の速さよりは緩やかなものの、みづきにはまだまだ速く思える。

 このまま地面に激突すると考えると、果たして無事に済むだろうか。
 ここから減速できずに地面に落ちていくともなれば。
 目の前に迫る惨事を想像し、一瞬で顔が青ざめた。

「うわわわわ!?」

 再び恐慌状態に陥ったみづきは、堪らず日和の手を手繰たぐり寄せ、その小さな身体の背にはっしとしがみついた。
 突然、背中から抱きつかれて日和は素っ頓狂な悲鳴をあげる。

「はわあぁぁぁーっ!? ば、馬鹿ものっ! 何をしがみついておるんじゃっ!? は、離さんかぁーっ!」

「じょじょじょ、冗談じゃねえってっ! このまま落ちたらやっぱりぺしゃんこじゃないかよっ! どっ、どうにかしてくれぇっ!」

「あっ、ああああぁぁ、身体が揺れてうまく飛べないのじゃあ! あっ、こりゃっ、変なとこ触るでない! こんの助平がっ!」

「ヒィィィィ! しし死ぬっ、夢なら早く覚めてくれぇぇー!!」

「離せというにー!」

「嫌だぁー!」

 いやいやするみたいに手足をばたつかせて振りほどこうとする日和と、離されまいと必死にくっついて抵抗するみづき。

 二人は喚き散らして空中でもつれ合い、きりもみ回転しながら地面へと真っ直ぐに落ちていった。
 落下していくその先には、天神回戦会場の闘技場がすぐ眼下に迫っている。

 闘技場には東西南北に出入り口があり、北側に太極天の社と神々のための特別な観覧席、南側は広く全面が客席として設けられている。
 神々ら高位なる者や天神回戦の関係者は北の門を使用し、大勢の観客たちは南の門を使う。

 そして、武を競う各陣営の戦士らは、それぞれ東西の門から入場するのが決まりであった。
 順列に従い、東から入る陣営のほうが格上で、格下の日和陣営は西から入る予定であり、丁度西の門へ向かって二人は急降下していく格好となっていた。

「ううぅ、遅いなぁ……」

 その頃、会場西の門の前には弱り声で困り果てている人物が居た。

 左へ右へ行ったり来たりしているのは、凜々しいというより可愛らしい印象の小柄な少年であった。
 綺麗な顔をどんより曇らせて途方に暮れている。

 黒いかんむりをかぶった艶やかな長い黒髪を後ろで結っていて、白い狩衣かりぎぬ浅黄色あさぎいろはかまを身に纏い、手にした木製のしゃくをやきもきとさすりさすりしている。

 その名は姜晶きょうしょう
 若年ながら天神回戦の審判官を任された新任の神族だ。
 祭の運営委員会の一員であり、太極天に仕える神職の一人である。

「多々良様たちは早々に到着しているっていうのに……。追い詰められた神様は時間ぎりぎりまで来なくなる、というのは本当なのですねぇ……」

 独り言を言いながら空を見上げている姜晶の顔は憂鬱。
 本日午後一番の試合は、多々良陣営対日和陣営。

 多々良たちは当然遅刻することもなく、もうすでに会場入りしており、試合準備は万全に整っているというのに──。
 相対する日和は到着しておらず、未だに現れる気配は無い。

 このままでは試合不成立、どころの話では済まない。
 刻限を守らず規則に従わない日和を連行してきて、無理矢理にでも試合をさせなければならない。

「せっかく天神回戦の審判官を任せて頂けるようになったばかりなのに、初日からこんなのってないですよぉ……。太印様に合わせる顔がありませぇんっ……!」

 嘆く姜晶は、日和様ほんと勘弁してください、としょげて顔を伏せる。
 今日は奇しくも姜晶が大役を任される記念すべき日だったのに。

 追い詰められた神──。
 しかもそれがあの日和の試合であると聞かされた時から嫌な予感はしていた。

 天神回戦ではこういった手合いの出来事は日常茶飯事であった。
 特に試合までの期日が差し迫ったり、もう後が無くなってどうしようもなく不利になってしまった神々に関しては、集合の具合の悪さが目立つ。

 運営委員会としては、そうした不始末が無いように注意喚起は行っているものの、生真面目な神もいれば、そうでもない神もいるようでなかなかままならない。

 最悪の場合、本営の強権を行使して手勢を率いて、潜んだ神を引きずり出すような荒事もあり得るため、穏便に事を進められるに越したことはない。

 今回はまさにそれに該当する事態であり、敗北の眠りが待つ日和が渋って、試合に現れない可能性も充分に考えられたのだ。

「日和様ぁ、もう試合開始まで四半刻もありませんよぉ……? んもうっ、早く来てくださいー! さもないと、さもないと……。──ん?」

 と、姜晶がもう一度空を見上げたときである。

 金色の空の彼方から、ぐるぐると回転しながらここへ向かって高速で飛んでくる物体が目に映った。
 その様子は飛来、というより落下であった。

 周りの人だかりが悲鳴をあげて落ちてくる物体から逃げ惑い、ちょっとした大騒ぎになっている。

 鋭い進入角度で一直線に落下してきた何かは地面に激突して、手鞠か何かみたいにぽーんと跳ねて不時着したかと思うと、姜晶の前まで勢いよく転がってきた。

 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴゴロゴロゴロゴロロゴロゴロゴロッ……!!

「うわあ!?」

 飛びのく姜晶の寸前で転がる落下物はかろうじて止まった。

「あ痛たたたた……。こ、こんの、たわけモンがぁぁ……!」

「い、生きてる……。いってぇ、無茶苦茶過ぎるだろぅ……」

 落ちてきた物体が呻き声をあげている。

 それはもちろん、もつれたまま落ちてきた日和とみづきであった。
 強かに落下の衝撃を受け、嫌ほど地面を転がされて二人仲良くのびている。

 日和の神としての肉体もそうだが、みづきのシキとしての肉体も出鱈目な頑丈さのようで、墜落に際しての外傷は無いに等しい。

 二人が無事だったのはさて置いて、神々しい神の降臨と呼ぶにはあまりにも不格好極まりなかったのは言うまでもなかった。

「あっ、日和様っ! お待ちしておりましたよ!」

 姜晶はよろよろと起き上がる日和に向かい、笏を両手で胸の前に持って神拝儀礼《しんぱいぎれい》さながらに深々と頭を垂れた。
 上げた顔が安堵のため息を吐き出し、もう少し早く集合してくださいよー、お願いしますー、と文句を言っていた。

「おお、これは済まぬな、本営の御方。いやなに、少々とシキの準備に手間を取っておってな。それで到着が遅れてしまったのじゃよ」

 日和は目線を宙に泳がせると、まだ足元に転がっているみづきを見やる。
 つられてみづきに視線を送る姜晶は、何故か訝しそうな表情を浮かべた。

「シキ、でございますか? てっきり、此度こたびの試合は手ずから日和様が出場されると思っておりましたが……」

「あ、あー……。シ、シキを生み出すのが何とか間に合ってな! 選手交代という訳なのじゃっ! 私の代わりにこのみづきが試合をすることになったのじゃっ! 別に構わんじゃろっ?!」

 姜晶の言葉を遮るように、狼狽した様子でまくし立てる日和。

 天神回戦に参加する神々、それを運営する委員会は当然ながら、それぞれの陣営の事情を把握している、と言うより感じ取っている。
 もういよいよ神通力を失い、シキを生み出す力も残っていないと判じられていたが、日和はこうしてシキを連れてきた。

 釈然としない姜晶だったが、もう試合開始までほとんど余裕も無いこの状況では深く詮索する時間は無い。
 現にこうしてシキがいるのだから、取り決め上は特に問題はなかった。

「は、はぁ……。了解致しました。それでは日和様のシキの御方、いつまでも寝ていないで僕に着いて来て下さい。ほら、急いで」

 そう言い残し、姜晶は西の入場門へと駆けていく。
 後に付いていけば試合会場へと案内してくれるだろう。

「ほれ、みづき。張り切って行ってくるのじゃ! どうか宜しく頼むぞよ」

「あ、ああ、行ってくる……。痛てて……」

 全身に走る痛みを堪え、みづきもふらふらしながら起き上がる。
 そのまま姜晶の後を追い、巨大な門をくぐって闘技場内へと消えた。
 後には拝むように手を合わせる日和の姿だけがぽつりと残る。

「……」

 ゆっくりと合掌していた手を下ろし、何とも言えない表情で黙ったまま、みづきらを見送っていた。

 そして、二人が見えなくなると口許に薄い笑みを浮かべて目を細める。
 それは、晴れの舞台に大切な配下を送り出す応援の眼差しではない。

「──済まぬな、みづきとやら」

 冷たい光を目に映して日和は呟くように言った。
 邪悪ですらある、含みを持った表情でほくそ笑んでいる。

「うふふふ、まんまとうまくいったのう。他の神々も大本営も、私の力が今日限りと思っていたようじゃが、おおよそ推察が甘いわ。まだ首の皮一枚、私は力を残しておるのじゃ……」

 日和が見上げるのは天神回戦会場の巨大なる闘技場。
 衰えて力を失っているのとは裏腹、おおよそ似つかわしくないほど厳しい光を瞳に宿している。
 何としてでも、断固拒否しなければならない未来を見据えて口走った。

「私は滅びる訳にはいかんっ……! 誰に何と言われようが、どんな手を使ってでも生き延びねばならんのじゃ……! 絶対にっ!」

 日和は視線を切り、てくてくと神々の観覧席のある北門へと歩き出す。

──もしも今回、みづきが敗北して滅んでしまったとしても、次の試合までの期限までは幾ばくかの時間を稼ぐことができる。その間に少しでも神通力を回復させて、シキを繰り返し生み出してやるわい。さすれば、シキを身代わりに用いることで辛うじてじゃが生き延びられる。と、そういう寸法じゃ……!

 日和が自分で戦って、神通力を消耗させなければ直接の滅びは避けられる。
 そのために、みづきを自らの替え玉に使う。
 どうあっても日和には絶対に滅びることのできない理由があった。

──じり貧な状況は変わらぬし、いつまでこのようなことを続けれるか皆目わからぬが、生き長らえるためなら何だってやってやるのじゃ……! 生き汚いとののしられようが知ったことか……!

 強く歯噛みし、握った拳がふるふると震えている。
 怒りにも似た沈痛な表情の日和には隠した腹があったのだ。

「それにしても此度こたびの多々良殿の申し出は渡りに船じゃった。他の神が相手ではこうはいかなかったろうに。感謝するぞ、多々良殿、くくく……」

 思い浮かべるのは高位なる慈悲深き明神、天眼多々良。
 現在の危機的状況にある日和陣営にとって、到底勝てる相手ではなかった。
 但し、ある意味では最高の相手でもあった。

 長年と天神回戦で顔を合わせる旧知の仲で、その深いところの真意までは読めないが、話の通じる余地がある良識者であることは間違いない。
 今回ばかりはその残された余地に頼らせてもらう。

「……」

 ふと、みづきの顔が頭に浮かぶ。
 後ろの西門を振り仰ぎ、もう一度独り言のように言った。

「みづき……。女の涙に屈する心優しき愚かなおのこよ。何とも言えず、不可思議なシキじゃったが、今回は私のために身代わりとなっておくれ」

 日和は冷徹に笑っていた。
 うふふふ、と笑う声を零す口許を手で隠して。

 もう振り返らず、みづきとの今生の別れを交わした西門を後にした。
 ただ、そうして何かを切り捨てる方法しか残されていない彼女の歩む背姿はどうにも寂しく見えた。

 歩む先に待っている道は、暗く閉ざされた希望無き闇のままである。

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