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第2章 神々の異世界 ~天神回戦 其の壱~

第28話 白羽の矢が立つ

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 ここは天高い神様の世界。
 小っこい女神の日和のしもべ、シキになっていたみづき。
 変な名前を付けられそうになったうえ、神々の奉納試合に出るよう命令された。

「冗談じゃないぞっ! なんで俺がどこの誰だかわからない神様のために戦わないといけないんだよっ!? 身勝手な神様の争いなんて知ったことかよっ!」

 唾を飛ばす勢いで日和に怒鳴り、みづきは腕を組んでそっぽ向き。
 納得できない気持ちで怒ったのが半分、言うことを聞けない理由は他にもある。

「どうせこれも夢なんだっ! ちょっとは異世界転移みたいなことが始まったのかとも思ったけど、やっぱりこれも夢で目が覚めれば消えてしまう幻なんだろっ!? 真面目にやるだけ大損だっ! 骨折りだけのくたびれ儲けはもうこりごりだっ! 振り回すだけ振り回しやがって、本当にもういい加減にしてくれっ!」

 さっきまで中世ファンタジー風味の別の異世界に居たはずだった。

 実は夢ではなく、現実に起こっていることだとようやく認めた矢先だった。
 なのに、やっぱり夢だったと思い知らされ、今度はこんな神様の異世界に引っ張り込まれる羽目に陥っている。

 だから、みづきはもう信じない。
 これも同じく夢だと決めつけている。
 言うことを聞いたって何の意味も無い。

「……は? へぇ?」

 しかし、みづきのそんな事情を知らない日和は驚くしかない。
 予想だにしなかった自らのシキの反抗に、口を半開きにして茫然としている。
 何を言われたのか理解するまで少しの間を要していた。

「な、な……? なぁっ……?!」

 ぶるぶると震えながら、見る間にわかりやすく顔が紅潮していく。
 これまでそんな暴言を吐かれたことはなかったのだろう。

 女神の日和様は大層お怒りだった。
 日和も負けじと怒りの大声をあげる。

「なぁんじゃ、その言い草はっ!? 私はおぬしの創造主、八百万の由緒正しき女神の日和様じゃぞっ! そ、そんな無礼な口の利き方は断じて許さんっ!」

 両手をぶんぶん振り回し、お団子ヘアーのシニヨンカバーが吹き飛びそうな勢いで髪を逆立てる様子は怒髪天どはつてん

「しかも、いったいなんなのじゃっ?! さくらみづきぃ!? 自分から名乗るシキなんぞおるかぁっ! シキは生み出した神に名付けられるものじゃっ!」

 みづきのやけくそな表明に日和は怒り心頭である。
 せっかく命名した名前を突っぱねられ、顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。

「そ、それよりも……。そんなことよりもぉ……!」

 わなわなと全身を震わせて、みづきの発言にさらなる怒りを燃え上がらせる。

「神聖なる天神回戦に出ないじゃとっ!? あまつさえ、神々の身勝手な争いなどとののしるかぁっ!? 長きに渡る神々の営みを何と心得ておるのじゃっ!? お、おぬしのほうこそ、絶対に許さぬからなぁっ……!!」

 声を限りに叫び、びしっと指した人差し指の先をみづきに突きつけた。
 あまりの興奮ぶりに指先を激しく痙攣させている。

 そのまま頭に血が上りすぎてしまい、目玉がぐるんっと回って白目になり、仰向けに派手にばったーんと倒れてしまった。

「うぅーん……!」

「オイ……」

 絵に描いたようなど派手な卒倒にはたまげたが、みづきが心配する間もなく日和はよろよろとすぐ立ち上がった。
 まだいきり立っている様子だが、張り子の虎みたいにふらついて頭を縦に横にがくがく揺らしている。

「こ、こんの罰当たり者がぁ……! ちっくしょう、このようなおかしなシキしか生み出せんようになってしまうとは、私の力はこうまでも衰えたかぁ……!」

 恨めしそうにみづきを睨み上げるものの全然迫力は無い。

「もう、私も……。いよいよなのかもしれぬなぁ……」

 独り言のように日和は言った。
 その姿は自称の通りの立派な女神とはほど遠い。
 今にも消えそうなロウソクの火を思わせるほど弱々しい。

「名前などどうでもよい……。天神回戦には、出てもらうぞっ……! これは絶対の命令じゃからな……! 逆らうなど言語道断、以ての外じゃ……!」

 みづきを試合に駆り出そうとする意思は変わらない。
 怒鳴って疲れたようで、日和は小さい身体で荒い呼吸を繰り返している。

 ふぅふぅ、と肩で息をしている様子は大げさなくらい疲弊していた。
 そんなことには構わずみづきは言い放つ。

「嫌だって言ったらどうするんだよ!? 創造主らしく、言うことを聞かない手下は処分でもすんのか?! いいぜ、そんな試合に出なきゃいけないくらいならさっさと終わらせてくれ! そのほうがいっそせいせいするわ! そんで、今度は忠実に命令を聞いてくれる、聞き分けのいい代わりの手下をつくるがいいさ!」

 一気にまくし立て、へんっと鼻を鳴らした。

 そして、腕を組んだままその場にあぐらをかいてどすんと座り込む。
 煮るなり焼くなり好きにしろ、と言うばかりに悪態をついて神妙に目を閉じた。

「……」

 と、しばし流れた沈黙をみづきは怪訝に思う。
 目を閉じているから、何も言わない日和がどんな顔をして何をしようとしているのかはわからない。

──何だ、どうして何もしてこないんだ? 平手打ちでもされるか、身体中が燃えて消し炭にでもされちまうのか。そう思うとちょっと怖いな……。

 そんなことを思って内心びくびくとしていたが、いつまで待っても何かしらの罰が与えられることはなかった。
 すると、日和はぽつりとだけ声を零した。

「代わりなど、もうおらん……。おぬしが、私の最後のシキ、なのじゃ……」

 目を閉じ込んでいるみづきに届いたのは、日和の消え入りそうな小さな声。
 怒りの感情は消え去り、伝わってくるのは失意の感情だった。

 どさ、という音に目を開けると、日和は膝から崩れ落ちて背を丸めていた。
 焦点の合わない目は床を見つめていて、この世の終わりみたいな顔をしている。

「言うことを聞かんからといって、罰を与える力さえ私には残ってはおらん……。最後のシキたるおぬしさえ自由に出来ぬとなれば、もう私には何も無い……。万策尽きたとはこのことじゃ……」

 悔しげに目を閉じ、淡々とした呟きを重い息と共に吐き出す。
 そのまぶたは絶望に打ちひしがれ、力無く震えていた。
 しょげ返って座り込む姿は、小さい身体を余計に小さく惨めに見せる。

「……むぅ」

 これは夢で真面目に取り合っても仕方がない。

 そうは思うものの、見た目幼い少女の塞ぐ様子を見るのは忍びない。
 わざとらしいくらい落胆する日和の姿に、みづきの表情も曇った。

「あっ……」

 と、気まずい空気をしばらく満喫させられていると、日和は急に何かを察知した感じではたと顔を上げた。
 短く声を発して両耳を押さえる。

 直後に風を切る、ひゅっ、という音がした。

 続けざまに、たんっ、と小気味良い音が外のほうから聞こえてきた。
 耳を塞いでいた日和は恐る恐る背後を振り返り、独り言みたいに言った。

「ひぃ……。今日も今日とて飛んでくる……。容赦無しじゃなぁ、まったく……」

 そのまま、日和はゆっくりと立ち上がると外に向かって歩き出した。
 足取りの重いそんな後ろ姿を、難しい顔で見ていたみづきは──。

「はぁ……」

 ため息一つに、あぐらを解いて気だるそうに立ち上がった。
 身体中からやれやれ感を立ち上らせ、足を前へと動かした。

──他にすることが無いってだけだからな。別に、同情した訳じゃないぞ……!

 生来のお人好しな気持ちを振り払いつつ。
 面倒くさそうに頭をがりがり掻きながら日和の後に着いて外に出てみた。

「うわぁ、凄い景色だ」

 みづきは感嘆の声をあげていた。
 視界に広がる人外魔境にはどうしても驚いてしまう。

 まず、見上げる空は青色ではなく、金色に輝いている。
 浮かぶ雲も白くなく、黄金色の空間と同系色のものだ。
 神社は高い丘の上に建立されていて、見渡す眼下にも金色の雲の海がどこまでも広がりを見せている。

 一望する範囲には他に島らしいものは見えず、この場所だけが広い金色の雲の海にぽつんと点在しているようだった。
 どう見たってここは人間の世界などではなく、表現するなら天か神の世界としか言い表せそうにない。

「毎度、俺の想像力の豊かさには驚かされるよな……」

 何度だって思い返すが、これは夢で確定しているはずだ。
 だから、この浮世離れした光景は間違いなく自分の想像の世界なのである。
 無理にでもそうだと言い聞かせるしかない。

「それにしても、ほんとに神社なんだな」

 呟くみづきは辺りを見回す。

 ここが神社というのは本当で、出入り口の階段の下には賽銭箱と思しき格子のついた大きな箱が置いてある。
 軒下の天井を振り仰ぐと、合歓木ねむのき神社と書かれた古びた看板が掛かっている。

 但し、本坪鈴ほんつぼすずを吊す太い紐は見当たらない。
 どうやら何かの理由で千切れてしまったようで、視線をやった地面に赤錆びた鐘とそれを鳴らす役割だった紐が転がっていた。

 みづきが出てきた建物、御社殿ごしゃでんの前には境内が広がっていて、石畳の参道が遠く向こう側に佇んでいる赤い鳥居まで続いており、参道を挟んで何対かの灯篭とうろうが立ち並んでいた。

 敷地内にはもう一棟の和風な建物があり、おそらく社務所か授与所のような役割なのだろうが、こちらも相当に傷んでいてあばら家といっても差し支えない。

 他にも神社前の一対の狛犬こまいぬの像、空っぽの水場の手水舎ちょうずや等、神社特有の設置物が一通り配置されていた。

「ぼろぼろだな、何もかも……」

 みづきは顔をしかめて言った。
 神社は荒れ放題であった。

 寂れて傷んでいる、という生易しい状況はとうに通り越していて、朽ち果てていると言ったほうが正しい状況だった。
 惨めに痛ましく、神社は古く忘れ去られた廃墟の様相を呈している。

 殿舎の劣化度合いはひどく、屋根の瓦はほとんど抜け落ち、壁や床の板は腐り、いつ倒壊してしまってもおかしくない。

 狛犬や灯篭にはびっしりと苔がして、参道の石畳は割れた箇所だらけで、そこら中から背の高い雑草がぼうぼうに生えている。
 御社殿に隣立つ御神木の合歓の木も、生気無く枯れそうな身を晒していた。

「あんなところに居る」

 日和の姿を探し見やると、神社のとある場所に向かい、とぼとぼと歩いていく背を見つけた。

 神さびたというにはあまりに朽ちた神社の、みすぼらしい女神、日和。
 そのまま消えてしまいそうなほど頼りなさげな背姿。
 哀れで不憫に感じる気持ちもあるにはあるが。

「いかんいかん、また情に流されて無駄骨になるのは真っ平ご免だ……」

 顔をぶんぶんと振って、みづきは湧きそうになる情を振り払う。
 と、日和が向かっている先の小型の建物が目に入る。
 初めは境内社か何かと思っていたが、明らかにそれは違っていた。

「なんだあれ?」

 言いながら、みづきはその小型の建物へと近づいていった。

 さっき聞いた一連の音の正体にそれは帰結している。
 そこにあったのは柱と屋根だけの小屋で、弓道やアーチェリーでよく見掛けるまとが立っていた。

 回転式の土台に乗って、前後に同じ弓の的がそれぞれ備え付けられている。
 日和が近づくと弓の的台はぐるんと回転し、今まで向いていた方向とは逆の向きをこちら側に見せる。

 的が前後に二つ付いていて回転式の土台なのは、矢が飛んでくる側とそれを確認する側の安全措置の造りに違いなかった。

「あ、白羽しらはの矢だ……」

 思わずそう呟いたみづきの目に、的の中心に突き立ったものが映った。
 それは白羽の矢であった。

 白羽の矢が立つ──。

 いけにえとして選ばれた、といった不吉を知らせる合図でもある。
 日和はそれを片手で軽く引き抜くと、じっと矢を見つめてこれ以上無いほど表情を暗くした。

「ぐぬぬ……! とうとう来おったなぁ……」

「それは何なんだ?」

 後ろから見下ろす形でみづきが問い掛けると、日和はちらりと振り向いた。
 さっき怒鳴り合った手前、もう口も聞いてくれないと思ったが日和は特に気にした風でもなく語り出した。
 視線は白羽の矢に落とす。

「これは天神回戦で戦う顔合わせを決める矢の射合いあいじゃよ。こうした白羽の矢でのやり取りを各々の陣営同士で取り交わし、試合をする相手を選んだり選ばれたりする方式なのじゃ」

 手紙は付いていないが矢文のようなものだろうか。
 白羽の矢自体がそのメッセージを持っており、これを射て、射られるということが特別な意味を持つ。

「矢を射らばその陣営へ試合を申し込み、射られれば試合を申し込まれ、互いに射合うということは試合承諾を意味するのじゃ。試合をいついつ執り行うか、対戦相手の結び付けは各々の陣営の判断に任せられておる。申し込みも取り下げも自由じゃ」

 日和は淡々と先を続けた。
 下に向いた目弾きの目は生気を失ったまま。

「但し、前回の試合より三月跨ぎせぬように次の試合を執り行わなければその陣営は失格となり、強制的に他陣営との試合をするか、運営が選んだ相手同士で試合をするかを決められる。それ故に、ぐずぐずと試合をせずに渋っていると、最後には思わぬ対戦相手と突き合わせられる憂き目に遭うやもしれぬのじゃ……」

 言い終えると、日和はまた大きなため息をついた。
 聞いていたみづきは、妙に練られた取り決めに思わず感心してしまう。
 無意識に生み出したとはいえ、自分の想像力には苦笑いするしかない。

──ふーん、なんか変わった対戦相手選びのやり方だな。戦う相手を自分で決めて、それを受けてもらえれば試合は成立するのか。しかも、期日があって、相手が決まらなければ無作為に組まれた試合を強要される。ちゃんと考えられてる感じだ。

「……でも、周りに何も無いのに、この矢はどこから飛んできたんだ?」

 ふと呟いて辺りを見渡すも、広大な雲海に小島さながらの神社の周囲には何も見えない。
 遠くのほうまでずっと金色の雲が続いている。
 きょろきょろと首を振るするみづきを見て、日和は元気無く笑った。

「ふふ……。見えるところから飛んできている訳ではないのじゃ。どれ、いよいよと返事を送るとするかのう……」

 そう言うと、日和は左手を前に突き出し、右手に何かを掴んで引く所作をする。
 すると不思議なことに何も無い空間から弓と矢が現れ、日和の手の動きにぴたりと収まった。
 矢の羽根は白、白羽の矢である。

 小さな身体に不似合いな大きさの弓を構え、弦を引く格好の日和は空を見た。
 おお、と驚くみづきをよそに、空に向かって弓の弦を弾く。

 ひゃうっ、と風を切る音を響かせ、白羽の矢は空に向かって飛び上がった。

 矢は放物線を描いて飛ぶのではなく、かくんと軌道を変えるとまるで自分の意思を持つかの如く、ひとりでにどこかへ向かって飛び去った。
 矢を見送り、日和は虚ろな遠い目をしている。

「我らにはもう後がない……。おそらく次に敗北すれば私は精根尽き果て、力も神格も何もかも失ってしまうじゃろう」

 非業の運命を先に見て、差し迫る思いに胸を詰まらせた。

「もう長らくの間、天神回戦での勝ちが無くてな……。そうこう負け続けている内に、段々と神通力を消耗させられていった結果がこの体たらくじゃ。私に力が無いばかりに、多くのシキをいたずらに散らせてしまったわ……」

 自嘲気味な日和は、無残なまでの天神回戦での戦果を話す。

「──おぬしには、同じ道を歩んでほしくはないものじゃなぁ……」

 振り返る日和は困り顔で笑っていて、その笑顔に儚いものを感じたから。
 みづきは胸にちくりとしたものを感じる。
 試合には出ない、と反発したい気持ちは一旦引っ込めることにするのであった。

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