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第1章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅠ~

第24話 エルフ、神託をかく語りき

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「ミヅキ様っ! もっ、申し訳ありませぇん!」

 勢いよく頭を下げて、アイアノアは全力で謝罪の言葉を叫んだ。
 長い金色の髪がばさぁっと下向きに垂れ下がる。

「お、お隣、よろしいですか……?」

「えっ?!」

 かと思うと、頭を上げたアイアノアは困惑するミヅキに無造作に迫った。
 よほど切羽詰っていたのか、応答を待たずにミヅキの座るベッドのすぐ隣に寄ると、慌ててぽすんと腰を下ろした。

「あのう、あのうっ……」

 乱れたぼさぼさの髪の毛はそのままに、貝のように閉じていた瞳を開けた。
 真横のミヅキを見つめ、震える唇を開いて声を振り絞る。

 あんなにも怖いもの知らずの笑顔を浮かべていたのに、さっきまでの彼女とはとても思えない豹変ぶりだった。
 面食らうミヅキにアイアノアは懺悔を始める。

「あの後、エルトゥリンに叱られました……。いくら使命のためとはいえ、ミヅキ様の事情を考えずに一方的に話を進めてしまい、ミヅキ様だけでなくパメラさんやキッキさんにまで嫌な思いをさせてしまったのではないかって……。パンドラ踏破を果たすことは大事ですが、その前にミヅキ様や周りの方々に嫌われてしまっては元も子もない、と……」

 青白い顔は下を向いたまま、ぽつぽつと言葉をこぼす。
 緑色に輝く目が恐る恐るミヅキを見上げていた。
 そんな目で見られ、そんなことを言われて、ミヅキの心境は複雑だった。

『ミヅキ、待って』

 使命のためのアイアノアの主張を止めず、助長したのはエルトゥリン本人だ。
 それはもちろん、使命遂行を掲げる姉を思っての行動に違いない。
 但し、それでは礼を欠いたうえに主義を押し付けるだけの厄介者になりかねないと考え、調子に乗りすぎないよう姉に釘を刺したのだろう。

──あの蛮族エルフめ。なかなかどうして良い調整人バランサーじゃないか。食べることしか頭にないと思いきや、裏で色々考えてるんだな……。

 などとミヅキが思っていると、不安そうにアイアノアは口を開く。
 多分、この姉は妹の気苦労を知らず、密かに守ってもらっている。
 そんなエルトゥリンを思い、ミヅキも密かに感心していた。

「ご迷惑でしたでしょうか……? 私、ミヅキ様が初めに使命に従うことを拒んだのは、てっきり「反抗期」ということなのかな、と思ってしまいまして……」

 しかして、またも妙なことを言い出すアイアノアに、どうしてそうなるんだよ、と心の中で突っ込むミヅキ。

「……神託の通り、運命がミヅキ様をパンドラに導いていて、このお宿にご恩返しするところまで使命の流れの内にありましたし……。何よりも、勇者であるミヅキ様のお人柄ならば、きっとパメラさんやキッキさんの事を放ってはおかないと思っておりましたので……」

 ミヅキの顔色を窺いつつ、どうしてあんなことを言ったのか吐露していく。

 アイアノアからすると、結局と最後には使命に従わざるを得ないのに、嫌だ嫌だと言ってしまうのは人間特有の精神発達の過程での、何に対しても否定や反感を抱いてしまう反抗期の反応であると思ったのだという。
 言っていることは間違いではなかったが、変わった解釈をするものである。

「勇者様が人間であった場合を想定して、色々な文献を読んで勉強してきたのですが、どうやら違っていたみたいですね……。ともかく、ミヅキ様とこのお店の事情を利用した格好となり、本当に、本当に申し訳ありませんでしたっ……!」

 ぎゅっと握り締めた両手を膝にして、今にも泣き出しそうな顔で何度も頭を下げて全力で謝罪していた。
 芯が取れてしまったみたいに下向きになっているエルフ特有の長い耳が、よほどに嫌われたくない気持ちを雄弁に語っている。

 長命がための保守的な知識の偏りがある一方、アイアノアのように他種族や異文化について学ぼうとするエルフもいる。
 しかし、異種族間の壁は厚く高く、妙な誤解を生むこともあるようだ。

「も、もういいよ。そんな謝らんでも……。今となっちゃ済んだことさ……」

 さっきの悪い独り言は聞かれていないようなので、ひとまず安心するミヅキ。
 アイアノアの謝罪を受け容れる反面、ちょっとは言い返したい気持ちはある。
 だけど、と前置きしてから。

「それにしても、慎み深い感じなのに随分とやり手だね……。大胆不敵っていうか何と言うか、途中までしてやられたことに気付かなかったよ。みんなの前で、さも当然って顔で勇者様呼ばわりされたうえ、借金を返してパンドラ攻略やりますなんて宣言されたら、もう断るなんてできないじゃないか。完敗だよ、たはは……」

 苦笑交じりに皮肉を言うと、部屋の暗がりでもわかるくらいアイアノアは顔色をさらに青くさせた。

「ふわぁーん、違うんですーっ! いいえ、違わないですけれどぉー……!」

 そうやって喚いて顔を両手で覆ってしまう。
 再々飛び出す、その割とあざとい泣き方はアイアノアの癖だろうか。

「ううぅ……」

 ひとしきりに意気消沈して、顔を覆っていた手を離すとアイアノアは恨みがましく上目遣いにミヅキを見やる。
 スカートの裾をいじいじ弄び、普段の彼女なら言いそうに無い台詞を口を尖らせながらぼそぼそと言い始めた。

「もう、そのような意地悪を仰るのはおやめ下さいまし……。私だって、まさかミヅキ様が勇者の役目をお断りになるだなんて思ってもみなかったのです。いくら事情がおありだろうと、あのようにつれなくされては……。その、少しは腹も立ちましたし、とっても悲しかったです……」

 アイアノアだって、物思う一人のエルフである。
 だからやっぱり、使命を断られて相当にショックを受けていた様子だ。

「このままでは、もしかしたら使命が果たせなくなるのではないかと不安になってしまって……。それで、自分の気持ちに正直に皆様にあんなことを……」

 そこまで言うと、視線を落としてしゅんとしょげ返ってしまう。
 ミヅキの意思を省みない暴挙にも似たしてやったりは、思い詰めた彼女なりの必死の行動だったのだろう。

 自らの信念を曲げず、エルフの教え通りに使命遂行を当為として押し付ける。
 ただ、それを正しいと信じていたアイアノアは、エルトゥリンに咎められこうして非を認めて謝っている。
 ますます落ち込んでいく度合いが、どんどん垂れ下がっていく耳に表れていた。

──しゅんとなって落ち込むエルフ。しおれた耳がいじらしくて凄く可愛いなッ! まぁ、やり方はともかく、それだけ必死だったってことか。

 ミヅキが雑念と共にそう思っていると、アイアノアはがばっと顔を上げた。
 下がっていた両の耳もぴんと上向く。
 もうその顔色に、心塞ぐ色は微塵も無い。

「もちろん! 私も、妹も、ミヅキ様に全身全霊で力添えさせて頂きます! きっとうまくいきますっ! 借金返済もパンドラ踏破も、ミヅキ様のお心のままに滞りなく果たして参りましょうっ!」

 ずいっと、アイアノアは前のめりにミヅキに顔を近づける。
 息をすればお互いの鼻先に息が掛かるほどの至近距離まですり寄ってくる。

「わあ!?」

 ミヅキは唐突なアイアノアの急接近に驚いて後じさった。
 ベッドに座ったままの格好で壁際に追いつめられる。

 瞬時に顔に血の気が集中し、冷えた汗が顔中に吹きだしてきた。
 こんなに美人でグラマラスなエルフの女性に迫られ、宿の個室に二人っきりではいつまで理性を保てるか自信がない。
 向こう見ずな性格のうえ、男女間の意識にもひどく無頓着なようである。

「はっ!?」

 しかし、ミヅキは気付いた。

 眼前のアイアノアの美形な顔の向こう側、少し開いたドアの隙間から恐ろしい目が片方、ぎょろりとこちらの様子を窺っている。

 暗くたってわかる。
 異常なほど殺気立ったエルトゥリンが、長い前髪の間から鬼女の如き視線で睨みを利かしているのだ。

──姉様に変なことしたら絶対に許さない……!!

「ヒィィッ……!?」

 姉の身を思うあまり、紛うことなき必殺の気迫を放っている。
 隠す気のない殺気をまともに受け、ミヅキは情けない声をあげてしまった。

 ミヅキの動きを封殺した時とはまるで違う。
 今度は本気でりに来る、あの目はまざまざとそう言っている。
 思えばこれが、本当に殺される、という本物の殺意を生まれて初めて感じた瞬間でもあった。

「どうかされましたか、ミヅキ様?」

「な、何でもないです……」

 怯える自分を不思議そうに見つめるアイアノアと再び目が合う頃には、邪な理性はしおしおのしょんぼりとしなび果ててしまっていた。
 誤魔化すように気を取り直し、このエルフたちにも質問をしておこうと思った。

「あ、あのさっ、ちょっと聞きたいんだけど……。どうして君たち二人はパンドラの地下迷宮に挑もうとしてるの? 何だって俺が勇者なんかに選ばれたんだ?」

 肝心の問いに、アイアノアはニコッと微笑む。
 よくぞ聞いてくれましたと、それに答える彼女はとても生き生きとしている。

「此処より遠く離れた北東の大森林にある私たちエルフの里に、ミヅキ様がお目覚めになったのと時を同じくして、我らの神はある神託をお下しになられたのです。その神託とは──」

 今まで慌てふためいたり気落ちしていたりしていたのが嘘みたいに、背筋を伸ばして畏まった様子でアイアノアは神託を語った。
 それは、まさにいかにもで、いかにもらしい神のお告げであった。


『深遠の知れぬ欲望と邪念の渦たる、奈落の地下迷宮パンドラより大いなる災禍が溢れる兆し有り。大いなる災禍、無限の魔を解き放ち、やがて世界全てを飲み込む元凶なり。ただに災禍を鎮める使命を帯びたる選ばれし勇者もまた、パンドラの深奥より生まれん。勇者は災禍の渦底うずそこち帰り、災いをことごとく滅ぼし封じるだろう』


「大ダンジョン、パンドラから大いなる災いが溢れようとしています。災いはこの地だけに留まらず、いずれは世界中に限りの無い魔を広げていくとも……。それを防ぐ使命の勇者、ミヅキ様はパンドラに赴き、踏破をして災いをお鎮めになるのです」

 神秘的なエルフの彼女は神託をかく語りき。

 アイアノアはそこで一息をつき、小さく両手を前に広げる。
 すれば、何も無い空中に金色の眩い光を呼び出した。
 それを見たミヅキの胸は、どくんと鼓動を高鳴らせる。

「──これなるは、太陽の加護」

 小さな太陽そのもののそれは、アイアノアが授かった太陽の加護。
 彼女はその光に何の希望を抱いているのだろうか。

「この加護の力は、私とエルトゥリンが使命を果たすために授かった奇跡です。私たち姉妹の使命は、加護の力を用いて選ばれし勇者に尽くし、勇者と共にパンドラの地下迷宮を踏破して、大いなる災禍を防ぐ一助となること。そうした経緯の下、私たちは神託の使命に従い、ミヅキ様と一緒に使命を果たすために遠路はるばるとこの地へ訪れた次第なのです」

 緑の瞳を瞬かせ、加護の光に照らされるアイアノアはミヅキを見つめ直した。
 澄んだ曇りのない視線で、表情柔らかく微笑んでいる。

「危ないところでしたがパンドラでミヅキ様と巡り合って、加護を通じて魔力を同調させたときに私は確信を得ました。迷宮の奥底から激しく湧き上がる魔の奔流の渦の中心にて、ミヅキ様は確かな存在をお示しになっておられました。この御方こそ使命の勇者に間違いない、そう思わせてくれるほどに」

 アイアノアとミヅキに天授された加護。
 太陽の加護と地平の加護が同期し、一つとなったことで彼女は確信した。

 即ち、ミヅキこそが神託とパンドラに選ばれし勇者であると。
 但し、その説明では何故ミヅキが勇者として選ばれたのかまではわからない。

「そ、それに、ミヅキ様と加護の力を合わせていると……」

 と、何かを思い出したみたいに、アイアノアはもじもじと身体をくねらせる。
 太陽の加護の明かりに照らされた彼女の顔は、かぁっと赤くなっていた。

「私の胸はドキドキと高鳴って、身も心もとろけてしまいそうなほどでした……。あまりの心地よさに、意識が絶頂に達してしまうかと……。ふわぁぁん……」

 おかしな声で鳴くと、ぽやんとしたうっとり顔をだらしなく緩ませる。
 よほど魔力の巡りに気分を良くしていたみたいで、口から滑り出る台詞は無自覚にいかがわしい感じなのであった。

「あ、あの……。だ、大丈夫……?」

「……ふぁっ!? しっ、失礼致しましたっ。お見苦しいところをお見せして申し訳ありませぇんっ」

 ハッと我に返り、慌てふためきつつアイアノアは加護の光をふっと消した。
 部屋には再び月明かりの暗さが戻る。

「と、とにかくですっ。選ばれし勇者がミヅキ様であるのに間違いはありませんが、ミヅキ様が選ばれたのが何故なのかまではわかりません。それこそ運命のお導きとしか……」

「ふーん、そっか……」

「ただ私は、ミヅキ様はお生まれになったときから勇者としての宿命をそのお身体に宿されていたのだと思います。あれほどの絶大な魔力の付与術を発動させたことと、パンドラとの高い親和性は、後から備わるようなものではありません」

「生まれたときから、ねぇ……」

 とろけた様子はなりを潜めたが、アイアノアの満面の笑顔はキラキラ輝いたままである。
 ミヅキが間違いなく選ばれし勇者であると信じて疑わないのだろう。

 しかし、ミヅキ自身にはどうして自分が勇者なるものとして生まれたり、選ばれたりしたのか心当たりはない。
 無作為に誰でも良かったのか、何か選抜基準でもあったのか。
 或いは──。

──俺の意識が入り込んだかもしれない、俺によく似たこの身体の持ち主が、選ばれた勇者の条件を満たしているのか? 考えられるのは──。


『自分に酷似した身体の持ち主が勇者で、ミヅキはそれに憑依している』
『ミヅキ自身の意識が勇者で、現実世界より対象の身体に召喚された』


 思案顔のミヅキは、得体の知れないこの身体のことを思う。
 自分の身体なのに自分の身体ではないような違和感は今も払拭できていない。

 常軌を逸した付与魔法等の加護の力を持ち、魔力行使の際には回路模様のような光が浮かび上がる不思議な身体。

 前者のこの身体が勇者のものなのだとした場合、何故ミヅキの意思が入り込んでしまっているのかは謎であり、後者の場合にしてもこれまで現実世界で生きてきた自分が先天的に勇者であったことになってしまう。

 いくら何でもそんな馬鹿なと思った。
 今更でも夢で済ませてくれたほうが現実的である。

──勇者に選ばれるような特別なことなんてあったっけなぁ……。俺が故郷を離れて暮らすことになったあれくらいしか思いつかんけど……。

 思い返せば、確かに一般的でないこともあるにはあった、とは思う。
 ただ、それと自分が勇者に選ばれたことに関係があるとは到底思えなかった。

「失礼ながら、ミヅキ様は記憶喪失であられるとか……」

 考えに耽るミヅキの顔を横目に、アイアノアが出し抜けに言った。
 パメラに聞いたのだろう、ミヅキがこの宿に辿り着いた経緯である。

「パンドラの外で意識を失われて、一糸まとわぬ生まれたままのお姿で倒れられていたところを、このお宿の方々に助けて頂いたのでしたよね。パメラさんとキッキさんには本当に感謝です」

──もう、裸だったことは言わんでくれぇ……!

 アイアノアにまで真顔で素っ裸だったのを言及され、ミヅキはもうげんなりだ。
 ミヅキが行き倒れていた経緯はおそらくそれで間違いないのだろうが、今朝以前の記憶が無い以上、事実かどうかは自分ではわからない。

 少なくともパンドラの外で行き倒れていて、しかも全裸で記憶喪失だったというミヅキは昨日までの自分ではない、と思う。
 会社での勤めを終え、自宅アパートで夕緋と二人で楽しく夕食を一緒にして、また次の日もそれを繰り返すのが自分であったはずだ。

 これが本当の異世界転移だというなら、そのあたりの事情を理解しなくてはならないのかもしれない。

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