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第1章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅠ~

第3話 目が覚めると猫の耳

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 ひどく気だるい意識が暗いまどろみの淵から浮き上がる。
 水面から顔を出すように、目を開けるとぼやけていた視界が鮮明に映り始めた。

 見上げている板張りの天井、ごわごわしたシーツと何だか硬いベッドの感覚。
 どうやら眠っていたらしい。
 そこは簡素な広くない個室で、一つある窓から朝の日差しが入り込んでいた。

「……ん?」

 身体は普通に動くが、何か違和感があった。

 顔、手足、全身に至るまで間違いなく自分のそれなのだが、動かしてみると微妙なノイズが神経に走る。
 わずかなズレのような感覚を全身に感じて、自分の身体なのにそうではない錯覚を覚える。

 成長期の頃、朝起きると身長が伸びていて、骨の成長に筋肉の成長が追いついておらず、身体が硬く感じるあの懐かしい感覚によく似ていた。

──何か動きにくいな……。俺の身体、こんなに重かったっけ……。

 とは思うものの、すぐ慣れるだろうと特に気にはしなかった。
 そんなことよりも。

 自分の眠っていたベッドのすぐ横に、小柄な誰かが立っているのに気付く。
 朝特有のひんやりした冷気がふわっと揺れて、その誰かは無遠慮にずいっと顔を近づけてきた。

「起ーきーろー! いつまで寝てんだー?!」

 子供特有の高い上声うわごえで、あからさまにがさつな感じのそれは少女の声だった。

 息が掛かるほどの目の前に少女ながらに端正なつくりの顔が迫っていて、琥珀色の目をつり上げ、わかりやすくも不機嫌そうにしている。
 少女の様子や起こされ方を鑑みるに、寝坊でもしてしまったのだろうか。

「んんっ……? 耳……?!」

 思わず声が出てしまう。

 少女はは13歳程度の年恰好で、給仕服を思わせる北欧民族衣装風のエプロン姿をしていて、金がかった茶色のボリューミーな髪の毛を後ろで二つに結っている。
 何よりも目を引いたのは、側頭部から頭頂部にかけてひょこっと立っている特徴的な大きな耳だ。

 まるでそれは野生の猫のように高く尖っていて、髪の毛と同じ色のふさふさした毛に覆われた、いわゆるところの猫耳であった。
 がばっと勢いよく上半身を起こし、少女の顔をまじまじと見つめた。

「ようやくお目覚めか~? 居候いそうろうのくせに寝坊なんていい度胸してるよなぁ」

 腕組みをしての、じと目の粘る視線が刺さって痛い。
 その瞳は綺麗な金目、やはり猫を思わせる。

 大きな猫のような耳は、横向きにピンッと張ったご機嫌斜めなイカ耳の形。
 少女の背後に揺れて見えるのは、びっしりと毛の生えた長い尻尾だった。
 自然にふらふら動かしている様子は、本物の尻尾にしか見えない。

「……」

 ただ、頭がぼんやりとして寝惚けていたせいで、無造作に手を伸ばしていた。
 猫の少女のふさふさした可愛らしい獣の耳に触り、手触りの良い滑らかな毛の耳介部分をさわさわとまさぐる。

「あ、やわらかい……」

「ひゃぁっ!? な、なにを触ってんだよッ!」

 猫の少女はぞわぞわっと悪寒を感じたみたいに悲鳴をあげた。

 途端、顔を真っ赤にして怒り出し、ばりばりばりっ、と容赦無く顔面を掻きむしられてしまう。
 その手の爪も耳の特徴同様、猫のように鋭く尖がっていた。

「ぎゃあっ!? ──そ、そそっ、その耳……! だ、誰だっ……?!」

 激痛にようやく意識がはっきりして、改めて目の前の人物を目の当たりにする。
 初対面の女の子相手にあげた声はうわずっていた。

 朝起こしにきたり乱暴な口調で話したりと、少女とは顔見知りのようだ。
 なので、猫の少女は何を言われたのか理解できない風である。

「誰って、そんなの決まってんだろ……。まったく、朝っぱらから何をふざけてんだよ。いきなりあたしの耳をまさぐりやがって、こんにゃろう……」

「ふ、ふざけてない……。いきなり耳を急に触ったのは謝るよ……」

「んん? ──まさか、本当にあたしが誰だかわかんないのか?」

「だ、だから誰なんだよ……?!」

 正直言って、本気で誰だかわからない。
 なのに、少女の側はこちらを知っているようで全然信じてくれない。

 何度かの押し問答の末、猫の少女は驚いた風の表情を見せた。
 耳をピンと真上に立てて目をぱちぱちと瞬かせている。

「……はぁぁ。またかよー……!」

 かと思うと、急な大きなため息を漏らし、頭を掻きながら面倒そうにぼやく。
 
「ちょっと来いっ! 世話が焼けるなあもう!」

 出し抜けに手首を掴まれ、ぐいぐいと引っ張られる。
 見かけによらず力強く手を引かれて、ベッドから無理矢理に降ろされた。
 まったく訳がわからず、ぞんざいな扱いに納得がいかない。

 ベッドの足元に履き物があったので土足の部屋なのかとぼんやり思いつつ、くたびれた革製の袋のような靴に裸足を突っ込む。

 今頃になって気付いたが、麻と思われる簡易なシャツと、同系統の色の同じ素材のズボンを着衣していた。
 ごわごわした感触で、伸縮性を感じられない服である。

──こんな服、持ってたっけ。いや、見たことないな。さっきまで着てた服はどこにいった? というか、いつの間に俺は着替えたんだ……?

 頭の中がすっきりしないまま木製のドアが開かれて、簡素なベッドの個室から猫の少女に連れ出されていく。

 部屋の外は左右に続く廊下で、正面の手すりの向こう側は吹き抜けの広い空間になっており、階下にはたくさんの食卓や椅子が規則正しく並んで見える。
 どうやらここは大きな建物の中のようであった。

「ママーッ、大変ーっ! まただよーっ!」

 手すりに身を乗り出し、吹き抜けの階下を見下ろして猫の少女が叫んだ。

「はぁい、どうかしたー?」

 すると、食欲をそそる美味しそうな香りが漂うなか、おっとりした感じの女性の声が返ってきた。

 猫の少女にまた手首を掴まれ、そのまま左手方向の廊下の突き当たりにある階段を一緒に下りる。

 建物は二階建で、一階部分は飲食店、二階部分は宿屋のようである。
 ファンタジー世界によく見られる酒場兼宿屋の様相である。

「あら、おはよう。昨日はよく眠れたかしら」

 一階に降りると少女の母親と思われる女性が、厨房から出てきて笑顔を浮かべた。
 やはり獣っぽい耳と尻尾といった猫の特徴を兼ね備えている。

 薄いアンバー色のディアンドルによく似た衣服を着ていて、娘と同じ色の長い髪を後ろで一つ括りにしている。
 母親という割には見た目は随分と年若い感じで、何よりスタイルが抜群だ。

 前開きの襟ぐりのボディスに強調されて、大きな胸の谷間がくっきりである。
 ただ、温和そうな雰囲気と母性的な魅力が、扇情的な印象を打ち消して上品さを感じさせる。
 端的に言って、凄く美人のママであった。

「ちょっとママ、聞いてよ!」

 ずい、と前に出てうんざりした風の視線をこちらに寄越す猫の少女。
 そして──。

「ミヅキったらまた記憶喪失になったみたい! いったいもう何度目だっての!」

「まぁ、大変。ミヅキ、身体の具合は大丈夫? どこか痛んだり、気分悪くなったりしてない?」

 猫の少女に名前を呼ばれた。
 母親のほうも心配そうに名前を口にした。

「おお……!」

 瞬間、頭のもやが掛かったぼんやり感は消え去った。
 目の前の猫っぽい親子はもちろん、自分を取り巻く状況を正しく認識できた。
 少し発音は違ったが、呼ばれたその名は間違いなく自分のものである。

「俺、ミヅキ……!」

 記憶が鮮明になり、急速に頭の中を巡り始める。
 さっきまで仕事帰りのアパートの一室で夕緋と夕食を共にしていた。
 忘れ物のストールを届けようと外に出たところまで覚えている。

 しかし、そこからの意識や記憶がすっぽり抜け落ちていた。
 途中で気絶でもしたのだろうか。
 気が付くと何故か、この猫親子の元で目覚めの時を迎えたようである。

──何がどうなってるんだ……? ここはどこで、この猫耳親子は誰なんだ……?

 いや、目を覚ましたのかどうかはまだわからない。
 意識がはっきりしたまま夢を見ている事だって有り得る。

 そもそも、いつの間に自分は眠ってしまっていたのだろう。
 少なくとも最後に覚えている記憶は布団の中ではなかったはずだ。

「あ、えぇと、お、おはよう、ございます……」

 とりあえず口をついて出たのは、自分に掛けられた挨拶と心配してくれていることに対しての返事であった。
 身体の違和感のせいか、改めて喋った声は自分のものではないように感じる。

「記憶喪失かどうかは、よくわかりません……。身体は大丈夫、です。……多分」

 おずおずと答えると猫の母親は一瞬きょとんとした表情を見せた。
 と、すぐにまた柔らかく微笑みを浮かべる。

「あら、ミヅキ。顔がしゃんとしてるわ。……もう大丈夫なのかしらね」

 ミヅキの目の色を確かめて安心した様子で、彼女は自分の名を告げる。
 もしかしなくても、それは何度目かになる自己紹介の挨拶だったのだろう。

「私はパメラ。この宿、『冒険者と山猫亭』の店主です」

 目を細めてにっこりと笑う。
 猫の少女の母親はパメラ。

 この建物は宿屋だったようだ。
 その名前もいかにもファンタジー世界に登場しそうなものであった。

 母のパメラがそうしたのを見ると、ため息混じりに猫の少女も同じようにミヅキを見上げて言った。

「はぁもう……。あたしはキッキ。このパメラママの娘でこの店で働いてる。何回やるんだよ、この自己紹介……」

 げんなりした様子の少女はキッキ。
 整った顔立ちは美人の母親譲り。
 しかしてその気性はすこぶるお転婆のようだ。

 但し、ミヅキはそんなことよりも──。
 二人の存在そのものが気になって気になって仕方がなかったのであった。
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