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37. うん。えーと。あ、いや、そうじゃなくて。ん?えーと、どゆこと?
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盲目という神秘性に人々は毒されている。雨海柊という男は、瞳や肌の色素が薄く、儚げで両性具有的な魅力を有していた。一見して盲目であることを悟られないように、彼は母親から健常者の所作を叩き込まれていた。そのため、視線のやり方や顔の向きなど、健常者のそれに近しいものがあった。ただ、それは真似事でしかなく、そこには努力では如何ともしがたい違和感があった。それにやはり眼球そのものが不自然だった。それは一対の硝子玉であるように見える。そんな彼は、庵の兄弟であるらしい。そして私は、庵の兄弟ではないらしい。それが何を意味するのか、私はわかっていなかった。
「うん。えーと。あ、いや、そうじゃなくて。ん?えーと、どゆこと?」と27歳の私は言う。
「その写真は、三兄弟で写った唯一の写真だよ」と父は言った。
「えーと。庵と周と柊が兄弟ってこと?」
「生物学上はそうなる。色情狂だったベイカー・アレンの子供達だ。母親はみんな違う。生物学上で庵は、俺の弟で、樹の叔父だ」
5歳の庵も、10歳の庵も、15歳の庵も、19歳の庵も、叔父という言葉から想起される架空の中年男とはかけ離れていた。
「でも、僕と庵は兄弟として育ってるから、生物学上がどうとか関係なく、兄弟なんじゃない?実の父親でも、父親の資格がない人間なんて山ほどいる。生物学上で父親だからって、みんな父親になれるわけじゃない。養父が血の繋がりがない養子の父親になれないわけじゃない。だから、生物学上で父親であるかどうかなんて、意外に重要じゃないのかもしれない。歳の離れた弟なんて息子みたいなものだし、血の繋がりはあるわけだから」と音符でデクレッシェンドが指定されているみたいに語尾が消え入るのを感じながら私は言う。何をこんなに言い訳を紡ぐみたいに喋り続けているのだろうか。
「その通りだと思う。ただ、お前の母親にとっては、状況が違っていた。庵について、俺は彼女にひどい仕打ちをしてしまった」
私が生まれた一年後に、庵が生まれ、その半年後に柊が生まれた。
柊はある女性とベイカー・アレンとの子だった。周からの経済的援助を受けつつも、柊の母親は先天性の盲目であった柊を愛し、育て上げた。
庵は娼婦とベイカー・アレンとの子だった。その娼婦が生み、育てられず放棄した「捨てられた子」だった。彼女は育児ノイローゼとなっており、庵は満足に食事すら与えられていなかった。周が理由を問い詰めると、その娼婦は「言うことをきかなくて、キモチ悪い」「異物としか思えない」と吐き捨てた。優しい周は弟を保護したいと切実に私の母親を説得して、庵を保護することにした。
「俺の身勝手で庵を息子としてうちで育てることになった。訊かれないうちは庵が弟であることは言わないでおこうと決めて、彼を養子として迎え入れた。だけど、お前の母親が庵を愛するには、努力が必要だった。俺にとっては庵は歳の離れた弟だが、彼女にとっては血の繋がりのない他人の子だった。そんな他人の子をいきなり我が子と同じように愛せと言われても、無理な話だった。癇癪持ちで暴れ狂う庵と大人しくてとろけるように笑ってる樹と比べることも多かっただろう。彼女は樹をとても愛していたが、庵をうまく愛せなかった。彼女は優しくて繊細な女性だった。だから、庵が可哀想だと彼を愛すことができない自らを嫌った。どれほど愛そうとしても、努力ではどうしようもなかった。未熟な自分が恥ずかしいと彼女は言っていた。母親がたとえどんな子供でも愛すことができるのは、血の繋がりのためなのかもしれない。俺はきっと庵か彼女を選ばなければならなかった。それは彼女の最後の望みだった。でも、どちらを選ぶこともできなかった。答えを保留したまま暫く経って、このままこの葛藤は自然消滅するかもしれないなんて甘いことを考えていたら、静かに限界が訪れて、彼女は家を出た。ほとんど失踪に近かった。俺は両方を選んだつもりでいた。でも実際には両方とも選べていなかった。その後、何度か話し合いをしたが、結局離婚することになった」
「庵は知ってたの?」
「知っていた。彼が10歳のときに訊かれた」
19歳の庵が渡米する前、ベイカー・アレンの左脚のアキレス腱が断裂されるという事件が起こった。紙やすりでひたすら擦られて、アキレス腱は摩耗しやがて断裂した。庵が血塗れの紙やすりを手にそこらを徘徊している姿を全身白の使用人が目撃したことにより、犯行は庵によるものであることが判明した。それは純粋な暴力性の発露ではなく、色情狂だった父への復讐だったのだろうか。下半身不随で痛覚もなく歩けもしない脚のアキレス腱を紙やすりで長時間を費やして切断するという復讐に、記憶障害で忘却を約束された復讐に、何か意味があったのだろうか。
「僕を生んだことへの復讐だよ」と動機を尋ねられた庵は言った。
「うん。えーと。あ、いや、そうじゃなくて。ん?えーと、どゆこと?」と27歳の私は言う。
「その写真は、三兄弟で写った唯一の写真だよ」と父は言った。
「えーと。庵と周と柊が兄弟ってこと?」
「生物学上はそうなる。色情狂だったベイカー・アレンの子供達だ。母親はみんな違う。生物学上で庵は、俺の弟で、樹の叔父だ」
5歳の庵も、10歳の庵も、15歳の庵も、19歳の庵も、叔父という言葉から想起される架空の中年男とはかけ離れていた。
「でも、僕と庵は兄弟として育ってるから、生物学上がどうとか関係なく、兄弟なんじゃない?実の父親でも、父親の資格がない人間なんて山ほどいる。生物学上で父親だからって、みんな父親になれるわけじゃない。養父が血の繋がりがない養子の父親になれないわけじゃない。だから、生物学上で父親であるかどうかなんて、意外に重要じゃないのかもしれない。歳の離れた弟なんて息子みたいなものだし、血の繋がりはあるわけだから」と音符でデクレッシェンドが指定されているみたいに語尾が消え入るのを感じながら私は言う。何をこんなに言い訳を紡ぐみたいに喋り続けているのだろうか。
「その通りだと思う。ただ、お前の母親にとっては、状況が違っていた。庵について、俺は彼女にひどい仕打ちをしてしまった」
私が生まれた一年後に、庵が生まれ、その半年後に柊が生まれた。
柊はある女性とベイカー・アレンとの子だった。周からの経済的援助を受けつつも、柊の母親は先天性の盲目であった柊を愛し、育て上げた。
庵は娼婦とベイカー・アレンとの子だった。その娼婦が生み、育てられず放棄した「捨てられた子」だった。彼女は育児ノイローゼとなっており、庵は満足に食事すら与えられていなかった。周が理由を問い詰めると、その娼婦は「言うことをきかなくて、キモチ悪い」「異物としか思えない」と吐き捨てた。優しい周は弟を保護したいと切実に私の母親を説得して、庵を保護することにした。
「俺の身勝手で庵を息子としてうちで育てることになった。訊かれないうちは庵が弟であることは言わないでおこうと決めて、彼を養子として迎え入れた。だけど、お前の母親が庵を愛するには、努力が必要だった。俺にとっては庵は歳の離れた弟だが、彼女にとっては血の繋がりのない他人の子だった。そんな他人の子をいきなり我が子と同じように愛せと言われても、無理な話だった。癇癪持ちで暴れ狂う庵と大人しくてとろけるように笑ってる樹と比べることも多かっただろう。彼女は樹をとても愛していたが、庵をうまく愛せなかった。彼女は優しくて繊細な女性だった。だから、庵が可哀想だと彼を愛すことができない自らを嫌った。どれほど愛そうとしても、努力ではどうしようもなかった。未熟な自分が恥ずかしいと彼女は言っていた。母親がたとえどんな子供でも愛すことができるのは、血の繋がりのためなのかもしれない。俺はきっと庵か彼女を選ばなければならなかった。それは彼女の最後の望みだった。でも、どちらを選ぶこともできなかった。答えを保留したまま暫く経って、このままこの葛藤は自然消滅するかもしれないなんて甘いことを考えていたら、静かに限界が訪れて、彼女は家を出た。ほとんど失踪に近かった。俺は両方を選んだつもりでいた。でも実際には両方とも選べていなかった。その後、何度か話し合いをしたが、結局離婚することになった」
「庵は知ってたの?」
「知っていた。彼が10歳のときに訊かれた」
19歳の庵が渡米する前、ベイカー・アレンの左脚のアキレス腱が断裂されるという事件が起こった。紙やすりでひたすら擦られて、アキレス腱は摩耗しやがて断裂した。庵が血塗れの紙やすりを手にそこらを徘徊している姿を全身白の使用人が目撃したことにより、犯行は庵によるものであることが判明した。それは純粋な暴力性の発露ではなく、色情狂だった父への復讐だったのだろうか。下半身不随で痛覚もなく歩けもしない脚のアキレス腱を紙やすりで長時間を費やして切断するという復讐に、記憶障害で忘却を約束された復讐に、何か意味があったのだろうか。
「僕を生んだことへの復讐だよ」と動機を尋ねられた庵は言った。
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