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25 シカらば
しおりを挟む見習い庭師の少年は、噴水公園のゲート脇に椅子を置いて座り、膝の上で宿題をしていた。
バイト中、待ち時間で勉強をしてもいいと言われている。
素晴らしい雇用主であり割のいいバイトである。
去年まで入場フリーだった公園だが領民以外が有料となった。それでゲート係が置かれるようになった。
老朽化していた噴水の彫刻モチーフを「アイアン・シカ氏」の世界観に変えた上でリニューアルオープンしたのだ。
募金を兼ねる入場料に観光客から苦情が出た事は無い。
文句があるよそ者はそもそもカルヴァンデュ侯爵領には来ない。
平日の今日、公園はゆったりとしている。
土日祝日は凄まじい。聖地巡礼の観光客が近隣領から集まる。
長期休暇ともなれば国中、近隣国中から集まる。
侯爵領と王都の新聞でのみ連載されているシカ氏だが、本が出版されて一気に知名度が上がった。
同じ頃「シカ氏の寄金」が始まり、北の同盟国の本格的な復興事業が始動したところでもあった。
ドラゴンの蹂躙を受けた土地は、最低五年、不毛と化す。
植物が育たず動物が寄り付かなくなる。何故かそうなる。
天罰や呪いだという言い伝えが古代からある。
見習い庭師の彼は北の同盟国出身の孤児だが、これには納得がいっていない。
天罰を受けるようなマネを自分や親達がした筈が無い。
呪いだと言うのなら絶対に誰かの悪意だ。
彼の言い分に対し、教師で恩人の侯爵夫人は「そうだね」と強く同意してくれた。
「でも大丈夫。ドラゴンが起きる事はもう無いから」
火口をシールドで覆う作業はドラゴン対策の一環だという噂がある。
国内の火口はカルヴァンデュ侯爵の魔法が塞いだ。
彼が国外に出向く寸前、王女の開発したシールド装置が予定より早く完成した。
お陰で侯爵は任を解かれ、妻との再会が叶った。
一昨年の初冬の結婚式を、彼は想念する。
侯爵邸の庭園を舞台にした披露宴に招かれた。
初めて踏み込んだ庭園という空間に圧倒された。剪定なんて庭師なんて、誰にでも出来ると侮っていた。農作業の延長だと思い込んでいた。
無知を知った。
「人が作る景色ってのは建物だけじゃないぞ、坊主」
ハンチング帽を被った一見呑気そうな中年男が庭の管理責任者だった。
「やってみっか?」と言われて彼は思わず頷き、その場で弟子入りが決まった。元より亡き恩師マリアンヌの影響で土いじりには興味があった。
まずは剪定鋏の達人である今の師に追い付きたい。
師は披露宴会場の樹木をシカ氏の造形に変え、キープし続けている。
場内の造形作家は師だけでは無かった。
王都から派遣されてきた宮廷パティシエが、巨大過ぎるウェディングケーキを作り上げた。金箔のカモ一家の飾りを「パクりです」と示し、夫人を感激させていた。
巨大ケーキを仰いで同郷の何人かが菓子業界に興味を持っていた。
宮廷パティシエを夢見て王都に行く奴とか出るかもしれない。
料理や調度品や服飾品など場内は五感を刺激するもので溢れていた。
だから夫人は自分達を招待したのだ、と彼は悟った。
あらゆる人との出会いの場でもあった。調香師の息子など、老舗サボンショップの一人娘と意気投合してこのほど婚約した。
五年の喪が明けたとはいえ故郷復興の道のりはまだ遠い。
いつか来る帰郷の日を信じて前に進む。
一緒に歩く仲間が大勢いるし、シカ氏やモズ氏が背中を押してくれている。
不安は無い。希望と未来があるだけだ。
ある日の眠りの最中、カモ氏が出てきた。
妻と共に六羽の雛達を引率して道を横断している。
突風が吹いた。
超軽量の雛達が飛ばされた。きゃあきゃあと騒ぎながら道の外にコロコロと転がっていく。
ルピアはカモ氏夫妻と一緒に大慌てで雛達を追った。
雑木林でプチ遭難中の雛を一羽ずつ拾い上げて道に戻す。
六羽揃った。
カモ氏は「やれやれ」と言ってルピアを仰ぎ見た。
「雛には手を焼かされる。少しも目が離せんよ」
六羽もいるから大変だよね、とルピアは頷いた。
カモ氏が出没中であってもこれは単なる夢だ。
霊媒なら妻も雛達も出てこない。
「母上――?」
呼び声に、ルピアはハッと目を覚ました。
上半身で跳ね起きる。北の湖が眼前に広がっている。
湖畔でピクニックをしてラグに寝そべり、そのまま昼寝をしていたようだ。
ルピアの膝に、今年七歳になる息子がそうっと両手を添えた。
幼い顔がそろりと母親を見上げる。
「起こしてごめんなさい」
「ううん。起こしてくれて有難う」
ルピアは笑み、小さな頭を撫でた。
父親譲りの青みがかった黒髪をしているが、その髪質は柔らかい。
折角の親子水入らずの休暇を寝て過ごしたのでは勿体ない。
傍らで本を読む夫の袖を引いて促した。
「何かして遊びましょう」
ラグアスは本を閉じて袖を掴むルピアの手を逆に掴んだ。
「釣りでもするか」
「ならボートに乗りましょう」
息子の目が輝いた。彼はボート遊びが大好きだ。
頬を紅潮させて名乗りを上げる。
「ぼく漕ぎます」
「ううん、まだ難しいんじゃないかな」
唯でさえオールは重い。七歳児の腕力で、大人二人が乗るボートをコントロールするのは不可能だろう。
途端しゅんとした息子を見て、ルピアは考えた。
「そうだ」
片方をルピアが持つのはどうだろう。
この提案に息子は大喜びした。何であれ共同作業というのは楽しい。
妻子の会話の最中、ラグアスは余計な口を挟まなかった。
結末を読んでいる。
彼の読み通り、ボートは前に進まず同じ場所を回り続けた。
ルピアは苦戦と共に思い知った。
「左右の力加減が揃わないと、行きたいところに行けない」
でも息子は回る事を楽しんでいる。
これはこれでありだ、とルピアは納得した。
とはいえ現状では目的地に辿り着けないので、漕ぎ手をラグアスにバトンタッチして釣りポイントに向かった。
ようやく釣り糸を垂らして待つ。
事件が起こった。突風を受けた拍子に息子がロッドから手を放した。
あーっ、と息子と一緒になってルピアは声を上げ、今にも落ちそうなロッドに手を伸ばす――自分のロッドを放り出して。
結果、二つのロッドが水没した。
あー……、と息子と一緒になってルピアは声を落とす。
息子は青い顔で水面を凝視して「全部ぼくの所為だ」と呟いた。
いやいやと否定しかけたルピアを、傍観に徹していたラグアスが手で制する。
息子に対していつかと同じ短い感想を述べた。
「そんな事もある」
ルピアと息子は同時に瞬く。
ラグアスは更に言った。
「不慮の事故により釣り具は失われた。解決策は?」
ルピアは息子を見た。
息子は尊敬と畏怖の対象である父親をじっと見詰め、考えている。
因みにルピアの模範解答は「市場に行って釣り損ねた魚を買う」だ。
息子の出した答えは、こうだ。
「釣りはもう無理なのでボートを漕いで遊びます」
ラグアスは正解とも不正解とも言わず瞑目する。
ただ無表情の中で僅かに唇を動かして「……そうか。また回るか」と呟いた。
懊悩する姿はシカ氏そのもの。
彼の代わりにルピアが息子に言った。
「ボート遊びの続きだね」
「はい。では左をお願いします、母上」
「うん」
三人乗りのボートは結構長く回っていた。
カルヴァンデュ侯爵の嫡男ラグレスは、仲間達と協力しながら海から砂浜に重い短艇を引き上げていた。
十五歳になった今年、王国学院から海軍学校に移った。
ボート好きが高じた。
母のような絵心は無かった。
父の名声が轟き過ぎている陸軍も、憚られた。
訓練艇を仕舞って校舎に戻る。
道の途中、同期が「よう」と横に並んだ。
王女ロコの第一子である彼は、両親と異なる道に針路取った仲間である。
ロコの夫は五人いる。内一人が王子の父親でロコと同じく魔法科学者をしている。分野によってはロコ以上の閃きを持ち、シールド装置の早期設置を成し遂げた人物として知られている。
女王の次に王になる予定の同期の王子はいつも王都から離れたがっていて、王宮や学院を「ヌルい」と倦厭していた。
だから学院を辞め過酷な海軍に行くと告げたラグレスに「俺も」と同調した。
海は、王都から遠い。
「親なんぞ知るか。この俺様が新時代を作ってやるよ」
対抗心を燃やす王子の発言にはラグレスは「んー」と唸ってしまう。
ラグレスに親への対抗心は無い。
ただ、親の威光にあまり肖りたくないだけだ。
継承すべき大きな仕事もある。例えば北の同盟国との友情は絶対に終わらせてはいけない。見立てでは復興完了はラグレスの子の世代になる。
幼少期のラグレスの遊び場は主に孤児院だった。北国出身の友人達やシスター達には散々世話になり、多くを学ばせてもらった。
父以上に心身を鍛えてくれた老執事もラグレスの恩師だ。既に八十を超えている彼だが「百まで兵士であり続ける」つもりらしい。多分やり遂げる。
いつかは海軍での任務を終え、領地に帰る。立派な領主となり恩人らの為に働きたいと思う。
大いに悩んで良いのだとシカ氏から教わった。
適度に適当で良いのだとモズ氏からも教わった。
「シカらば信じる道を行くのだ、雛達よ」
海軍学校に移る前日の朝刊でシカ氏が言っていた。
両親からのメッセージとラグレスは受け取った。
「シカらば信じる道を行こう。雛の僕らはまだ何の役にも立てないから」
肩を叩いたラグレスに王子はきょとんとし、すっと前を向いた。
「実は俺も、あのシカ氏の台詞にシビれた」
「シカ氏じゃないと言えないよな。雛ごときじゃ言えないもんな」
「渋いよシカ氏は。いいなお前、シカ氏が親で」
ラグレスは苦笑した。
「シカし、キツい――――」
FIN
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