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19 揉み合い
しおりを挟む意外なところから、謎の新規サボンショップの売り子の正体が判明する。
新たな教師として孤児院にやって来た主婦に、調香師の息子が反応した。
「あれ? 先生からハーブ系の匂いがする」
「良い香りでしょう。家を出る前にシカ氏のサボンで手を洗ったの」
「何それ意味が分からない。ルピア先生は石鹸の匂いを知らなかったんだよ」
「それこそ意味が分からないわ。シカ氏の商品を作者本人が知らないなんて」
「は?」
「え?」
双方で瞬き合った後、住宅地に家を持つ主婦は告げた。
「でも売ってたの、あの人よ。名前は知らないけど美人の、侯爵邸のメイドだか看護婦だか」
仰天した調香師の息子は、教室を飛び出して侯爵邸に走った。
北の湖に着いたルピアは困惑していた。
馬車内でほとんど口を利かなかったアルザンヌが湖の畔を彷徨っている。
「アルザンヌ先生? お魚の市場はあちらのアーケードの中ですよ」
「舟はどこ。舟は……」
ルピアはぽかんとして、感心に似た感情を過らせた。
「す、凄い。ご自身で釣ろうとなさってるんですね」
舟を求めてうろうろしていたと知り、一緒になって探す。
丁度岸辺に戻って来た漁師がうろつく二人組に気付いた。
「姉ちゃん達。舟のレンタルはあっちだよ。釣り具は持って来たのかい」
「いえ装備ゼロです」
「なら一緒に借りたらいい。――まさか初心者じゃないだろうね?」
問われてルピアはアルザンヌを振り返る。
虚ろな顔のままアルザンヌは漁師に答えた。
「舟は使える。東の湖の傍で生まれ育った」
「そりゃ結構だ。ゆっくり楽しみな。こっちは中々の大漁だったよ」
漁師と別れて、二人は湖を四半周してレンタル小屋に向かった。
子爵邸の庭の池ではよく釣りをしていたルピアだが、舟に乗っての釣り経験は無かった。
慣れた手つきでオールを漕ぐアルザンヌに感心しながら湖を進み、勧められたポイントを目指す。
漕ぎ手のアルザンヌは「まだ先。あの辺り」と独り言つ。
ルピアは周囲の景色を見渡した。
「やはりこの森を臨む湖は美しいですね。天国みたいな風景です」
不意にアルザンヌが反応した。
「天国は、無理よ」
「え? 無理って?」
「自殺したら天国は無理」
ルピアはぎょっとした。
まさか、と思った。
「あの、ひょっとしてお母様の事を誰かに聞かれたり?」
「母は関係ない」
妙にハッキリと言い切られ、今度はぽかんとする。
相変わらず虚ろな目をしたアルザンヌは、徐々に舟の速度を落としていく。
ポイントが近付いてきたようだ。
「自殺してもしなくても、どうせ行き先は同じよ」
「え、――え? 何です?」
「私は地獄行き。私は人殺し」
「ちょっといきなり何を」
「マリアンヌを押したのは私。血溜まりが広がるのを笑って見てた」
「――――」
ルピアは言葉を失う。衝撃の中で閃くものがある。
アルザンヌはルピアの思考が纏まるのを待つ事無く呪文のように言った。
「もういい。どうでもいい。私には何も無い。お母様は死んだ。閣下はアンタに取られた。誰も私を必要としてない。終わりよ。全部終わらせるしかない」
そして茫然とするルピアに構う事も無くオールを投げ出した。
立ち上がって湖面を凝視する。
次の行動が読め、ルピアは反射的にアルザンヌに飛びついた。
「待って待って待って」
「邪魔よ。私は行かなきゃいけないの」
「行ってはダメです。とにかく待って待って」
「行かないと。潜って行かないと」
「ダメダメダメ」
ボートの上で揉み合いになる。
グラグラとボートが揺れ、ばしゃばしゃと煩い水音が立つ。
飛び込みたがるアルザンヌを、体格の劣るルピアが止め続ける事は出来ない。
腕力がダメなら手段を変える。
大声だ。
「誰かー! たーすけてー!!」
漁場に場違いな喚き声が響き渡る。
作戦は功を奏し、風下で停船していた漁師が騒ぎを聞きつけ「なんだなんだ」と異常事態に駆け付けてくれた。
結局、ルピアもアルザンヌも湖にダイブした。
小舟で揉み合えば当然そうなる。
事故現場に急行した三隻の漁船がずぶ濡れの娘二人を引き上げた。
大人しく救助されるルピアと違い、アルザンヌは救助の手を拒み、とにかく潜水したがった。
「行かなきゃいけないのよ! この下よ! 死にたいのよ!」
あんまりな事を言うものだから、漁師の一人が彼女に手刀を見舞って眠らせた。
陸に上がった一行は、湖畔の施設内にある医務室に向かった。
ルピアもアルザンヌも手当てを受け、体を拭かせてもらう。
簡易ベッドで眠り続けるアルザンヌの濡れた服を着替えさせながら、ルピアは思考を弄んでいた。
本人が言うように、マリアンヌを手に掛けたのはアルザンヌで間違いないと思う。
根拠はマリアンヌの背中に残された死斑だ。細腕のように見えたあれは松葉杖の柄に違いない。照合すればきっと合致する。
背後から杖ごと体当たりした。動機は不明だが怒り任せに衝動的にやった。
アルザンヌから脱がせたワンピースを畳む途中、硬い感触が指に当たる。
ポケットを探って、ルピアは黒っぽい鉱物を掌に出した。
所々に削った痕跡がある。顔料の材料のように見えた。
着替えを済ませてから一時間ほどしてラグアスの駆る馬が表に到着した。
数時間ぶりに顔を合わせたラグアスは医務室に駆け込むや、ルピアを両腕で掻き抱いた。
「無茶をするな」
「お供えのお魚を買いに来たつもりがとんだ事になりました」
この一件を機に事件の捜査は一足飛びに最終局面を迎える。
不正販売どころか殺人事件をも超越する、恐るべき真相に辿り着くのだ。
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