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16 オーシャンドラゴン
しおりを挟む王都のサロンで貴婦人達が優雅なひと時を過ごしている。
「――、これ地方版の新聞?」
「うふー。わたくし侯爵領に別荘を持ってましてー」
「自慢はいいから! 読ませて」
「お勧めしません。新キャラとかいて展開進んでますのー」
「え、誰。クマの女の子? かわい」
「うふー。実はシカ氏、帆船アパルトマンの大家さんですのー」
「ガーディアンと二刀流とか聞いてないわよ!」
「南の湖がお家のモデルだそうでー」
扇みたく新聞で扇ぐ得意げな一人に四人の女達が集っている。
古株公爵の一人娘であるモレイヤ夫人は、空騒ぎを前に閉口していた。
「ねえ、皆さん……」
「シカ氏のモデルなら情け深い人ね、侯爵は」
「今度うちの庭でパーティーを……」
「私も別荘欲しいわ。でも観光開発は最小限なんだっけ」
「ぜひ皆さんをご招待……」
「ログハウス建てようかしら。自分でノコギリ使って」
「…………」
夫人をほったらかしにして五人は盛り上がり続ける。
いつもなら話題の中心になる夫人は途方に暮れた。
除け者にされた気分だ。
「何なのよ……」
急報を受け、アルザンヌが北東に戻って行った。
山中で彼女の母親の遺体が発見された。
行方不明の結末は悲劇となった。
シスター達はアルザンヌを憐れんだ。
「痛ましいわ。お気の毒に」
「哀しい事って何故か続くのよね」
シスター達に頷いたルピアは、もうアルザンヌは修道院に戻ってこないような気がしていた。
ボランティア活動を終えナースに復帰する。
根拠は、部屋に残された松葉杖だ。足は良くなったようだ。
授業を終え、帰り支度を始める。
夕食の用意された食堂に向かう子供達と廊下ですれ違った。
幼い顔がにまにまして別れの挨拶代わりにルピアをからかう。
「侯爵様によろしくー」
「明日は遅刻かなー?」
住み家がバレて以来この調子だ。
子供達を追い立てつつルピアは校舎を出た。
噴水の公園を突っ切って侯爵邸の敷地に入る。
エントランスで執事に鉢合わせて挨拶を交わした。
「お帰りなさいませ」の後、執事は続けた。
「夕食の前に執務室へ。閣下がお待ちです」
「分かりました」
長い廊下を直進してルピアは巨大な両開きの扉を前にする。
不意に、左側の扉が開かれてノックしようとした手が空振りした。
空振りの手を掴み、ラグアスは「入れ」と軽く顎を振る。
ルピアは暫く目を丸めていた。彼は相当耳が良い。
応接セットで向かい合い、検死結果を教えてもらう。
ラグアスは書類の束をローテーブルに置き、人体の図を示した。
「背の方を見てみろ。死斑が妙だろう」
ルピアは身を乗り出して図を覗き込んだ。背中の中央から斜め下に走る線に注目する。死の直前に受けた衝撃の痕跡らしい。
例えば、細腕の人間に背後から襲われたらこんな痕が付くだろうか。
確かに奇妙だ。
「奇妙と言えば」
焼畑の日、男子の一人が故郷でも嗅いだというハーブ系の香りの話を思い出す。
ラグアスにも話してみた。
「事件とは無関係だと思いますけど」
「関連はともかく。遠方で生じた偶然の一致というのが気になる」
北の同盟国は大陸北の沿岸部に位置する。侯爵領とは二つの領と一つの国を隔てており、大陸縦断に相当する程の距離がある。
太い両腕を組んだラグアスは喉の奥で唸った。
「不自然は軽視すべきではない。その調香師の子供、他には何か言っていなかったか」
「確か、故郷の港町でハーブの香りがする人とよくすれ違っていたと。それも季節労働者ばかりだったみたいです」
「外国人が来ていたのか」
「もっと北にある半島国から来る方々だとか。丁度収穫の時期で。でも、――」
ルピアは少し口籠り、やや上目遣いでラグアスを見た。
「それからすぐ、ドラゴンに町が襲われたそうです」
「なに?」
ラグアスが眉根を寄せる。
ルピアも自分で口にしておきながら困惑した。
突飛だった。急に話が変な方に飛んだ。
ドラゴンという言葉は、インパクトが強い。
ドラゴンは生物の形をした天災だ。
生態はほとんど分かっておらず謎が多い。
何故急に人の世にやって来るのか。何故人里を襲うのか。
少ないながら、分かっている事もある。
ドラゴンが現れる際には付近の山が爆発を起こす。
故にドラゴンは噴火で眠りを妨げられ、怒り暴れていると考えられている。
しかし噴火自体は自然現象なので止められないし予測も難しい。
人の側からすれば、とても理不尽で迷惑な存在と言える。
またドラゴン出現の前兆として、鳥が一斉に逃げ出すと言われている。
調香師の息子も海鳥の大群が移動するのを目撃した。
三百年ぶりのドラゴンは海底から来た。
前例のない、オーシャンドラゴンだった。
陸地以外からも出て来るなどとは誰も想像していなかった。
史上類を見ない海のドラゴンだからこそ討伐は嘗て無い程の困難を極めた。
憚られる思いに駆られながらも、ルピアはラグアスに問うてみた。
「海から来た敵に対抗するのは相当のご苦労でしたよね」
ラグアスの瞼が細められ、瞑目する。
静かな声音が告げた。
「私は、炎を使う」
「存じ上げております」
英雄の魔法は有名で子供でも知っている。
ラグアスは「炎の海」という尋常でない魔法を作り出す。
最大火力の十数発で以て広大な森が灰になるとされている。
類似する魔法兵器は存在するが、身一つで実行可能なラグアスの方が戦場では脅威となる。人間故の体力切れが唯一のハンデだ。
「真の脅威は私ではない」とラグアスは低く言う。
「オーシャンドラゴンには刃も火器もほとんど通用しなかった。奴は全身を硬い鱗で覆っていた」
鱗は、最強の鎧だ。その強度は深海の水圧に耐え得る。
海のドラゴンは何もかも陸のドラゴンとは異なっていた。
翼を持たず爪も牙も小さく退化し、地上での動きは鈍くドラゴンの代名詞である火も噴かない。
巨大という点を除けばそれほどの脅威とは映らなかった。同盟国の軍隊も「これならすぐに片付く」と初めは楽観視した。
甘かった。
刃も火も効かないオーシャンドラゴンは縦横無尽に地上を歩き回り、強靭な四つの足と尾で重量任せに敵を踏み潰す。それで事足りる。
特別な武器は何も必要ないのだ。
「シンプルな敵ほど厄介なものはない」
一度目覚めたドラゴンは動きを止めて休憩はするが、眠らない。
昼夜問わない消耗戦を強いられ軍隊は心身共に疲弊し、壊滅に追い込まれた。
ラグアスが戦地に入った時、どこが町で村で森で道なのか区別が付かなかった。
平らな焼け野原が広がるだけで人がいた痕跡など残っていなかった。
ここが地獄だ、と思った。
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