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15 同じにおい
しおりを挟むマリアンヌが検死解剖されると知り、アルザンヌは人知れず焦っていた。
大丈夫大丈夫、と自分に言い聞かせる。
「……保存されてない現場なんて最早調べようも無いし証拠のブツも無い。アイツは自分で転んで頭を打ったの。間抜けな事故だったの。私は悪くない」
罪の意識を払いのける。
早朝の澄んだ空気の中、孤独な作業に専念する。
証拠にはならないが「動機」になりかねないブツを隠蔽している。
シカの絵が貼り付いた大量のサボンだ。
惜しんでいる場合ではない。殺人犯にされてしまう。
修道院からやや離れた位置にある雑木林を手早く掘り、在庫を埋める。
ワゴンは既に北東の花屋の元に送り返した。
北東のマルシェでは大勢の客と接してきたが、そもそも新参のアルザンヌの面は大して割れていない、筈だ。
領都の住宅地傍にはほとぼりが冷めるまで近寄らない。主婦どもはきっとアルザンヌの顔を覚えているだろうから時間をかけて売り子を忘れてもらう。
昨日の夕方、北東の駐屯地から急報が届いた。
母が行方不明だと言う。無断欠勤が続き、兵士らが宿舎を訪ねてみると部屋は無人だったそうだ。荷物はあるのに。
「知らないわよ」とアルザンヌは苛立った。
母どころじゃない。今は自分の身が危うい。
「飲み屋をほっつき歩いてどっかで酔って寝てるのよ。大人なんだし、その内勝手に帰って来るでしょ」
このクソ忙しい時に人騒がせな――。
三日後、土地の持ち主は雑木に火を放った。
領主が恵んでくれる魔法の火を使えば安心安全の焼畑農業が行える。
隠蔽物に火の手が迫る。
ほとぼりが冷めたら掘り返される予定のサボンは、浅い土中で身を潜めていた。やがて草木と共に発熱し、発火した。
煙の中に濃い香りが入り混じる。
香りを含んだ煙は風に乗り、孤児院の方に流れて行った。
庭でフットボールをしていた男子達はシスターに促され、一旦ゲームを中断して校舎の中に入る。
途中、一人が煙い空を振り仰いだ。
優れた嗅覚が記憶を呼び覚ます。
彼の父親は調香師で跡取り息子だった彼も訓練を受けていた。
一度嗅いだにおいは忘れない。
三年前にも嗅いだものと同じにおいを嗅ぎ分ける。
産地は知らないけれど同じ材料を同じ配合で作った何かである事は間違いない。
妙な気がしつつも同郷の仲間達と共に煙をやり過ごす。
後で先生に話してみよう、と思った。
初秋の王都。
五日間に渡る大型連休が明け、貴族の男子達が名門寄宿学校に登校した。
「どこ行ってた?」
「帰郷ついでにルグラン子爵領に寄ってカモ氏の聖地巡礼」
「お前あの変な鳥好きだな」
「死んだじい様と言動が被るんだよ」
男子の二人組に更に一人が加わる。
「今はシカ氏の時代だろ」
「お前まさか英雄の領地に」
「たった五日じゃ無理だって。冬季休暇で行く」
「お前んとこと領地真逆だろ。移動距離凄そう」
「その価値はある。シカ氏のモデル、侯爵らしいぞ」
「マジか。ドラゴンと戦うシカを想像したわ」
「噴くよな。英雄の好感度上がったし」
ドラゴン大戦後、カルヴァンデュ侯爵は英雄以上に恐怖の軍人として知られるようになった。
現地の町と村を犠牲にした冷血漢との事だがどう考えても可笑しい。破壊者はドラゴンなのであって侯爵ではない。
彼の参戦は後半から。既に犠牲は出ていた。町だか村だかは彼が到着した時には壊滅していたのではないのか。
きっと侯爵を批判し、全ての犠牲を彼の所為にしたがっている奴がいた。戦場を知らず、犠牲ゼロで戦争が終結出来ると信じている夢見がちな奴だろう。
批判に対し、侯爵は反発も自己弁論もしていない。
ごちゃごちゃと語らない姿勢に彼の本質を視る。
「渋いよな、侯爵」
シカ氏みたいだと思う。
うんうんと頷き合う三人の背中に「何の話い?」と声が飛んできた。
三人は同時に振り返って、同時にテンションを下げる。
「……別に」
「なんだよ。公爵領のお土産あげないぞ」
「……どっちでも」
「なんだよ。ぼくのおじい様を誰だと思ってるんだよ」
「……誰でも」
三人の早足が離れていく。
十歳になる公爵の孫は慌てて同級生達を追った。
最近こういう事がよくある。ハブられそうになる。
なんだよ、としつこく訊くと一人が首で振り返った。
「シカ氏の話だから。きっとお前は興味無いよ」
公爵の孫はきょとんとした。
シカ氏とは新聞漫画のキャラクターの事らしい。
漫画家は女流で、王宮を追放された元侍女だと言う。
「女史を追放したの、お前だって聞いた。最悪なんだけど」
同級生から身に覚えのない事を突き付けられ彼は焦った。
城や屋敷の大人達に訊いて回る。
言葉を濁す者が多い中、冴えない研究者の父だけが答えてくれた。
「石を投げただろう、池のカモに。それを侍女に咎められ叩かれた。まさか忘れているなんて……」
項垂れる父を見ても、彼は納得がいかなかった。
覚えていない。
困惑する彼を母が「こーら」と優しく窘めた。
「未来の公爵が小さな事を気にしないの。カモなんてどうでもいいし漫画なんてくだらないわ。何よこの変なシカ。こんなの読んでたら馬鹿になるわよ」
「……は、はい」
でもシカ氏ファンの同級生は学年トップなのだけれど。
連休明けのこの日。
王国の象徴サングロリアン王宮に「古代」の研究者が呼び出された。
気弱そうな眼鏡の男に、ロコは白い目を注ぐ。
王女を前に、フルク・モレイヤ教授は直立不動になっている。
古株公爵の娘婿。覇気が無く、妻に頭が上がらない夫の見本だ。
鬼嫁に虐げられる夫は家でも蔑ろにされている。
父親として、カモを虐待する我が子を叱る事も出来なかった。
内心白けたところでロコは本題を切り出した。
「今からお前に、様々な事柄をあげ連ねる。古代に該当するものがあれば申せ」
眼鏡のフレームを指で押し上げ、フルクはロコを真っ直ぐ見た。
「怪しい事件が発生しているのですね」
お、とロコは少しばかりフルクを見直す。
得意分野の事になると察しが良い。
情報を与えてみると、フルクは顎に手を当てた。
「――、いかにも古代っぽいと言えますが断言は出来かねます。古代の分析はとにかく困難です。世界は広く、あらゆる民族のあらゆる文化に溢れています。異国の古代ともなると未だ神秘の域を出ません」
「やはりデータ不足だな」
ロコは手にしていた扇子をパチリと畳んだ。
「モレイヤ教授、特別調査チームに参加し指揮を執れ。事の真相を解明せよ」
フルクは深く一礼し了承の意思を伝えた。
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