上 下
15 / 25

15 同じにおい

しおりを挟む



マリアンヌが検死解剖されると知り、アルザンヌは人知れず焦っていた。
大丈夫大丈夫、と自分に言い聞かせる。

「……保存されてない現場なんて最早調べようも無いし証拠のブツも無い。アイツは自分で転んで頭を打ったの。間抜けな事故だったの。私は悪くない」

罪の意識を払いのける。
早朝の澄んだ空気の中、孤独な作業に専念する。

証拠にはならないが「動機」になりかねないブツを隠蔽している。
シカの絵が貼り付いた大量のサボンだ。
惜しんでいる場合ではない。殺人犯にされてしまう。
修道院からやや離れた位置にある雑木林を手早く掘り、在庫を埋める。
ワゴンは既に北東の花屋の元に送り返した。
北東のマルシェでは大勢の客と接してきたが、そもそも新参のアルザンヌの面は大して割れていない、筈だ。
領都の住宅地傍にはほとぼりが冷めるまで近寄らない。主婦どもはきっとアルザンヌの顔を覚えているだろうから時間をかけて売り子を忘れてもらう。

昨日の夕方、北東の駐屯地から急報が届いた。
母が行方不明だと言う。無断欠勤が続き、兵士らが宿舎を訪ねてみると部屋は無人だったそうだ。荷物はあるのに。
「知らないわよ」とアルザンヌは苛立った。
母どころじゃない。今は自分の身が危うい。

「飲み屋をほっつき歩いてどっかで酔って寝てるのよ。大人なんだし、その内勝手に帰って来るでしょ」

このクソ忙しい時に人騒がせな――。



三日後、土地の持ち主は雑木に火を放った。
領主が恵んでくれる魔法の火を使えば安心安全の焼畑農業が行える。

隠蔽物に火の手が迫る。
ほとぼりが冷めたら掘り返される予定のサボンは、浅い土中で身を潜めていた。やがて草木と共に発熱し、発火した。
煙の中に濃い香りが入り混じる。

香りを含んだ煙は風に乗り、孤児院の方に流れて行った。

庭でフットボールをしていた男子達はシスターに促され、一旦ゲームを中断して校舎の中に入る。
途中、一人が煙い空を振り仰いだ。
優れた嗅覚が記憶を呼び覚ます。
彼の父親は調香師で跡取り息子だった彼も訓練を受けていた。
一度嗅いだにおいは忘れない。
三年前にも嗅いだものと同じにおいを嗅ぎ分ける。
産地は知らないけれど同じ材料を同じ配合で作った何かである事は間違いない。
妙な気がしつつも同郷の仲間達と共に煙をやり過ごす。

後で先生に話してみよう、と思った。



初秋の王都。
五日間に渡る大型連休が明け、貴族の男子達が名門寄宿学校に登校した。

「どこ行ってた?」
「帰郷ついでにルグラン子爵領に寄ってカモ氏の聖地巡礼」
「お前あの変な鳥好きだな」
「死んだじい様と言動が被るんだよ」

男子の二人組に更に一人が加わる。

「今はシカ氏の時代だろ」
「お前まさか英雄の領地に」
「たった五日じゃ無理だって。冬季休暇で行く」
「お前んとこと領地真逆だろ。移動距離凄そう」
「その価値はある。シカ氏のモデル、侯爵らしいぞ」
「マジか。ドラゴンと戦うシカを想像したわ」
「噴くよな。英雄の好感度上がったし」

ドラゴン大戦後、カルヴァンデュ侯爵は英雄以上に恐怖の軍人として知られるようになった。
現地の町と村を犠牲にした冷血漢との事だがどう考えても可笑しい。破壊者はドラゴンなのであって侯爵ではない。
彼の参戦は後半から。既に犠牲は出ていた。町だか村だかは彼が到着した時には壊滅していたのではないのか。

きっと侯爵を批判し、全ての犠牲を彼の所為にしたがっている奴がいた。戦場を知らず、犠牲ゼロで戦争が終結出来ると信じている夢見がちな奴だろう。
批判に対し、侯爵は反発も自己弁論もしていない。
ごちゃごちゃと語らない姿勢に彼の本質を視る。

「渋いよな、侯爵」

シカ氏みたいだと思う。
うんうんと頷き合う三人の背中に「何の話い?」と声が飛んできた。
三人は同時に振り返って、同時にテンションを下げる。

「……別に」
「なんだよ。公爵領のお土産あげないぞ」
「……どっちでも」
「なんだよ。ぼくのおじい様を誰だと思ってるんだよ」
「……誰でも」

三人の早足が離れていく。
十歳になる公爵の孫は慌てて同級生達を追った。
最近こういう事がよくある。ハブられそうになる。
なんだよ、としつこく訊くと一人が首で振り返った。

「シカ氏の話だから。きっとお前は興味無いよ」

公爵の孫はきょとんとした。
シカ氏とは新聞漫画のキャラクターの事らしい。
漫画家は女流で、王宮を追放された元侍女だと言う。

「女史を追放したの、お前だって聞いた。最悪なんだけど」

同級生から身に覚えのない事を突き付けられ彼は焦った。
城や屋敷の大人達に訊いて回る。
言葉を濁す者が多い中、冴えない研究者の父だけが答えてくれた。

「石を投げただろう、池のカモに。それを侍女に咎められ叩かれた。まさか忘れているなんて……」

項垂れる父を見ても、彼は納得がいかなかった。
覚えていない。
困惑する彼を母が「こーら」と優しく窘めた。

「未来の公爵が小さな事を気にしないの。カモなんてどうでもいいし漫画なんてくだらないわ。何よこの変なシカ。こんなの読んでたら馬鹿になるわよ」
「……は、はい」

でもシカ氏ファンの同級生は学年トップなのだけれど。



連休明けのこの日。
王国の象徴サングロリアン王宮に「古代」の研究者が呼び出された。

気弱そうな眼鏡の男に、ロコは白い目を注ぐ。
王女を前に、フルク・モレイヤ教授は直立不動になっている。
古株公爵の娘婿。覇気が無く、妻に頭が上がらない夫の見本だ。
鬼嫁に虐げられる夫は家でも蔑ろにされている。
父親として、カモを虐待する我が子を叱る事も出来なかった。
内心白けたところでロコは本題を切り出した。

「今からお前に、様々な事柄をあげ連ねる。古代に該当するものがあれば申せ」

眼鏡のフレームを指で押し上げ、フルクはロコを真っ直ぐ見た。

「怪しい事件が発生しているのですね」

お、とロコは少しばかりフルクを見直す。
得意分野の事になると察しが良い。
情報を与えてみると、フルクは顎に手を当てた。

「――、いかにも古代っぽいと言えますが断言は出来かねます。古代の分析はとにかく困難です。世界は広く、あらゆる民族のあらゆる文化に溢れています。異国の古代ともなると未だ神秘の域を出ません」
「やはりデータ不足だな」

ロコは手にしていた扇子をパチリと畳んだ。

「モレイヤ教授、特別調査チームに参加し指揮を執れ。事の真相を解明せよ」

フルクは深く一礼し了承の意思を伝えた。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

裏切りの公爵令嬢は処刑台で笑う

千 遊雲
恋愛
公爵家令嬢のセルディナ・マクバーレンは咎人である。 彼女は奴隷の魔物に唆され、国を裏切った。投獄された彼女は牢獄の中でも奴隷の男の名を呼んでいたが、処刑台に立たされた彼女を助けようとする者は居なかった。 哀れな彼女はそれでも笑った。英雄とも裏切り者とも呼ばれる彼女の笑みの理由とは? 【現在更新中の「毒殺未遂三昧だった私が王子様の婚約者? 申し訳ありませんが、その令嬢はもう死にました」の元ネタのようなものです】

追放された悪役令嬢はシングルマザー

ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。 断罪回避に奮闘するも失敗。 国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。 この子は私の子よ!守ってみせるわ。 1人、子を育てる決心をする。 そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。 さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥ ーーーー 完結確約 9話完結です。 短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。

逆行令嬢は聖女を辞退します

仲室日月奈
恋愛
――ああ、神様。もしも生まれ変わるなら、人並みの幸せを。 死ぬ間際に転生後の望みを心の中でつぶやき、倒れた後。目を開けると、三年前の自室にいました。しかも、今日は神殿から一行がやってきて「聖女としてお出迎え」する日ですって? 聖女なんてお断りです!

それじゃあエルガ、後はお願いね

みつまめ つぼみ
恋愛
 アルスマイヤー男爵家の令嬢ユーディトは、突然聖教会から次期大聖女に指名される。断ることもできず、彼女は一年間の修行に出ることに。親友のエルガに見送られ、ユーディトは新たな運命に立ち向かう。  しかし、修行を終えて戻ったユーディトを待っていたのは、恋人フレデリックと親友エルガの結婚という衝撃の知らせだった。心の中で複雑な感情を抱えながらも、ユーディトは二人の結婚式に出席することを決意する。 サクッと書いたショートストーリーです。 たぶん、ふんわりざまぁ粒子が漏れ出ています。

最悪なお見合いと、執念の再会

当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。 しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。 それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。 相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。 最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。

王女殿下の秘密の恋人である騎士と結婚することになりました

鳴哉
恋愛
王女殿下の侍女と 王女殿下の騎士  の話 短いので、サクッと読んでもらえると思います。 読みやすいように、3話に分けました。 毎日1回、予約投稿します。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

転生した元悪役令嬢は地味な人生を望んでいる

花見 有
恋愛
前世、悪役令嬢だったカーラはその罪を償う為、処刑され人生を終えた。転生して中流貴族家の令嬢として生まれ変わったカーラは、今度は地味で穏やかな人生を過ごそうと思っているのに、そんなカーラの元に自国の王子、アーロンのお妃候補の話が来てしまった。

処理中です...