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10 大欠伸

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森のガーディアンたるシカ氏は「帆船アパルトマン」の大家でもある。
入居者は船の仕事を手伝いコミュニティに貢献する。
熊のママさんは魚を釣ってご近所にお裾分けをしている。
娘のコグマちゃんは帆を広げ――ようとして今朝は畳む。

「わー、強風だねシカ氏。見て見て、鳥達が雲と共に流されてくー」
「後で回収に行こう」
「なんで無理して飛ぶかなー、彼ら」
「翼があるからだ」
「飛ばないと命にかかわるー?」
「日々の鍛錬が大事なのだ」
「空中アクロバットは一日にしてならず、だねー」
「シカり」

朝刊を開いた花屋の店主は「何だかんだ続いとるな、この変な漫画」と思った。
そこに来客があった。



日曜日。
ルピアは、四大湖中最大を誇る北の湖を訪れていた。
行楽客で賑わう南と違いこちらは人気に乏しく、閑散としている。岸辺に集る小型漁船の数は多い。美味い魚が獲れる漁場らしい。
北国から飛来する鳥達の越冬地でもあると言う。
ラグアスが北の湖の観光開発を行わなかった理由だ。

「人間だけの土地、などと驕るなと亡き父から教わった」

湖面を見詰めるラグアスの横顔に、ルピアはうっとりと見惚れた。
「さすがですシカ氏」と言いかけて堪えた。

湖畔の芝生にラグを広げ、二人はピクニックを始めた。
ルピアの「飲食店も良いですが自家製フィッシュ&チップスはいかがですか」という申し出にラグアスが頷いてくれた。
ラグに並んで座り、食事とワインを片手にルピアはスケッチブックを、ラグアスは文庫本を開いていた。
ティータイムまでのんびりと過ごし、帰路に就いた。

領都に戻る馬車に揺られてルピアは描き上げたスケッチブックを眺めていた。
不意に思い出した。

「そうでした。先日父から手紙が来まして、王都に戻るようにと」

横からスケッチブックを覗き込んでいたラグアスは、軽く見開いた目でルピアを凝視した。

「――戻るのか」
「はい。なので一週間ほどお休みを頂きます」
「一週間? 一時帰宅か」
「はい」

ルピアが首でも頷いて見せると、ラグアスのやや張っていた肩が落ちた。

「家族のイベントか」
「母の命日が近いのです」
「ではこちらで馬車を手配し、交通費を負担する」
「そんな、私用の帰宅ですし」
「我が侯爵家では当然の福利厚生だ」
「なんて手厚い。うちも見倣わなくては……」

家ごとに待遇って全然違うなあとルピアは感心し、また思い出した。

「そう言えば私に縁談が来たとか」

今度こそラグアスは目に見えて瞠目した。
ルピアは苦笑した。

「東隣の伯爵家の方だそうです。在学期間も被らなかったので面識は全くありませんけど、とりあえずご挨拶してきます」
「――――」

ラグアスは無言のまま、ゆっくりと正面を向いて姿勢を正した。
今日は軍服ではなく休日に相応しいリネンのジャケットを着用している彼だが、言動は平日通り硬い。骨の髄まで軍人だ。
伝えるべきを伝えてルピアもスケッチブックに向き戻った。

領都内に入り、侯爵邸の近隣エリアが近付いてきた。
突然ラグアスがその重過ぎる口を開いた。

「今からお前に勝手な事を告げる」
「え?」

車窓を眺めていたルピアは首でラグアスを振り返った。何の予告だろう。
ルピアを見下ろし、ラグアスは言い放った。

「愛している。妻になって欲しい」

はっきりと聞こえたのにあまりにも唐突だった所為でルピアは「え?」と訊き返してしまった。
ラグアスは視線と顔を正面に戻した。

「以上だ。一考を頼む」
「え、――え? あ、はい」

混乱しつつもルピアは頷いた。
胸中は「え?」を繰り返していた。



六日後の土曜日の朝。ルピアは迎えの馬車に乗り込んだ。
座席シートの上に花が一輪置かれているのに気付く。
オレンジがかった珍しい黄色の薔薇で花弁がプリーツみたく波打っている。
トゲの無い茎には青色のリボンが掛けられ、カードが添えられていた。
強めの筆圧で「行き帰りの道中、重々留意の事」とある。

ルピアは感嘆を漏らした。
上官じみたメッセージに独自性を感じた。



王都、サングロリアン王宮。
王国が誇る美貌の鬼才、第一王女ロコは無聊を強いられていた。
最近、各国の王子や高位貴族の令息達が引っ切り無しに王宮を訪ねて来る。
見合いだ。
五人ほど有力株をキープしたものの思った以上に退屈している。
中でも今テラス席で向かい合っている相手は最もつまらない。
哀しいかな自国民で、四大公爵家の一員たる三男坊である。
自信満々に切り出された。

「隣国に三年間留学しておりました」

ロコは白けた。
王国周辺国は文化も風土も大して違わず公用語も共通する。
首都圏なら不便は無い。留学という言葉はオーバー。普通の転校で良い。
国内のド田舎にショートステイした方が異文化を味わえる、という論文をロコは学生時代に出した。
この三男坊はそれを読んでいない。話も盛り上がらない。

「もうよい。帰れ」
「え? しかし私が立ち上げた新商会のお話がまだ」
「私は国内外の商才溢れる連中を三百人近く知っておるが、全員に共通するのは老舗でありながら常に新しいという点だ。しかも半数以上が平民だ」
「実は私も斬新なアイディアで――」
「お前自身が古いわ。この意味が分かるまい? 帰って閉店セールでもせい」
「――――」

去る客を、ロコは大欠伸で見送った。
新しい紅茶を持って古株の侍女がやって来た。

「手厳しいことで、ロコ殿下」
「国産令息の品揃えが悪い。国の先行きが不安になってきたわ」
「またそんな。さっきの彼、美男子で秀才ではありませんか」
「王侯貴族たるもの美しく賢くあって当たり前だ。最低限のスペックにプラスし、スペシャルな価値が無くてはならん」
「手厳しい」

侍女の嘆息を無視してロコは両手を天に突き上げ、背伸びをした。

「暇だー。やはりルピアがおらんとつまらんなー」

侍女が瞬いた。

「殿下、ルピアなら王都におりますよ」
「なに?」
「昨日子爵邸に入るところを見かけた者がいます」

ロコは椅子を倒して立ち上がった。

「呼び出せ。未来のスーパー女王ロコ様が呼んでおるとな」
「無茶はいけません。ルピアの都合もあるでしょう」
「なら都合を聞いて来い。私が退屈で死んだらお前の所為だと言え」
「……ルピアも大変ね。あっち行ったりこっち行ったり」

何を隠そうルピアを南の侯爵領に向かわせたのは王女だ。
表だって助け舟を出すのが憚られる時期だった為、ナンパな近衛兵に言付けた。
救済以上にロコは面白がっていた。

「変人同士を引き合わせたらどんな化学反応が起こるのかと思ってな」
「一番の変人がそれを言……なんでもございません」

余談だが、ロコとラグアスの縁談が持ち上がった事は一度も無い。
戦力が偏る懸念があった。
ロコは軍人ではないが膨大な魔力を有するちょっぴりマッドな魔法科学者で、兵器開発にも携わっている。
ちょっぴり危険人物だ。



翌日。
子爵領に向かうルピアの馬車に、急遽王女の一行が加わり車列を成した。

「どうにも退屈で死にそうだったのでな。カモ氏の聖地巡礼を兼ね、お母上の墓参りに付き合ってくれるわ」
「……どうも、ロコ殿下」





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