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08 ただの興味

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一人の教室で、ルピアは小テストの採点をしていた。

小さい孤児達は各々の寝室ベッドでお昼寝、大きい孤児達は近隣農家の畑を手伝いに出かけている。
孤児達の引率は新任の女性が務めてくれている。採用面接の当日にルピアと顔を合わせた、侯爵邸の元メイドだ。優しい彼女に孤児達は早速懐いている。

開いた窓から甘い香りが漂って来た。キッチンのシスター達がフランボワーズのジャムを煮ているようだ。
ルピアの集中が切れる。丁度採点が終わったので問題なし。

「今日のおやつは何かな何かな」

口ずさみながらテスト用紙を机上に揃え置く。全体的に中々の出来だ。

今のルピアはボランティア改め派遣教師である。
めでたく侯爵家に採用された。ルピアのタダ働きを知り、ラグアスが正式に雇ってくれた。
彼は寛大で誠実な領主だ。王都での評判と違い、冷たくも恐ろしくも無い。

一つだけルピアには気掛かりがある。侍女をクビになった理由を彼に話しそびれている。面接が無かった為に機を逸した。
因みにシスターと孤児達には会ったその日に告げてある。

「公爵の孫をビンタして城を追い出されまして」

この事実を踏まえ、シスターにはボランティア参加の可否を問うた。
シスターは、他のシスター達ではなく孤児達に意見を求めた。
孤児達の意見は非常に興味深いものだった。
男子の意見はこうだ。

「えー。ビンタ一発で済ませたんだー」
「甘い甘い」
「俺のとうちゃんなら鉄拳制裁だよ」
「カモと同等かそれ以上の恐い目に遭わせなきゃダメじゃん」
「池に突き落とせば良かったんだよ」
「やっつけないと反省しないよ、乱暴者って。またやるよ」

女子の意見はこうだ。

「公爵の孫、心配だね……十歳にもなって」
「カモに石投げて喜べるって大丈夫? 世の中が変な風に見えてない?」
「親がケンカばっかりしてるのかな。それで荒んでる」
「ちゃんと教えてくれる大人がいないんだよ。放置されてるんだよ」
「環境が悪いのは子供にはどうしようもないね」
「親にビンタすべき」

男子はともかく女子の意見には、ルピアは同意と反省を得られた。
そんなルピアにシスターは頷き「じゃ早速よろしく」と教科書を押し付けた。
なあなあも良いところだった。



三日前に時間を遡る。

北東の駐屯地に行け、と命じられて看護婦母娘はぽかんとした。
元来表情の乏しい家令は、今日はまた一段と淡々とした口振りで言い渡す。

「これは閣下直々の人事だ」
「そんな、急に」
「北東は兵員数に対して少々医療スタッフが不足していた。貴女方はナースなので丁度良い」

堪らず「何が丁度良いのよ!」と看護婦長が声を上げた。

「侯爵邸の仕事はどうするの! 私達がいなきゃ困るでしょう」
「ヒアリングしたメイド諸君曰く別に困らんそうだ。貴女方がいない方が伸び伸びと仕事に取り組めると喜んでいた。――失敬」
「あいつらは大して仕事出来ないわよ!」
「貴女方が来る前から問題なく邸内は回っていた。元に戻るだけだ。空いたポストは勤続年数の長いメイドらに埋めてもらう。貴女方は心置きなく異動してよし」
「何なのよ! 一体どういう事なのよお!」

喚く母親の傍らでアルザンヌは固まっている。
母みたく「どういう事なのよお!」とは訊けない。
何かとんでもない証言が返って来たら最悪だ。聞きたくない。
家令の話から、使用人達が遠慮なく母娘の所業を暴露しているのは明らか。
これまでの好き放題が知られている。古株の女衆には化粧品や菓子を与えて手懐けたと言うのに、とんだ裏切りだ。

異動命令を下しているのだから当然ラグアスも把握している。本当に最悪だ。
なんとか挽回したいアルザンヌは家令に弱弱しい目を向けた。同情を引く作戦に出る。

「ひ、酷いです。みんなして私達親子を嵌めようと」
「そう来ると思った」
「え」
「可能性として有り得ると思うか? 邸宅中の使用人達が結託して大奥様を看取られた恩人である筈の貴女方を嵌める。何の為に?」
「ね、妬ましかったんですよ。大奥様の友人である母や有能な私が来て」
「だから、有り得ると思うか? 新人や他部所の男衆までもが貴女方を妬むなどと。皆それほど暇か?」
「――、――」

言葉に詰まった。
家令は白けた。

「ところで最新のメイドが辞職を申し出た」

看護婦母娘は揃って息を呑む。あれ程気を付けたのに何故、と顔に大書する。
家令はまた白けた。

「向いていないから、だそうだ。面接の際にちゃんと希望を伝えたそうだ。不器用で気が利かない自分が邸内の仕事をするのは不安だと。庭や畑で使って貰いたくて来ただけだとね」

母娘の顔には血の気が無い。
紙か、と家令は発声せず呟いて言った。

「的外れな採用の一方で怠った面接があるな? お陰で侯爵邸はまたもメイドの募集をかける羽目になった。全く。何がしたいんだ貴女方は。ああいや、答えなくていい。とにかく異動は決定事項だ。二日以内に北東へ発つ事。――くれぐれも北東諸兄に迷惑をかけないように。迷惑をかけるくらいなら辞めてよし」

早口の後、家令の早足は離れていった。
母娘は悪夢の只中にいて動き出せない。そこへ女衆がそろーりと顔を出した。

「これ、貰った物。未開封のは返すね?」

変な笑みと共に返品を済ませると、連中はまたそろーりと立ち去った。



ビジネス街に停めた馬車の中から、ラグアスは人と馬の行き交う通りを眺めていた。

向かいにある新聞社にルピアが入っていくのを見たのだった。
足取りが軽かった。原稿料が貰えるのかもしれない。
昨日の朝刊に孤児院の記事が出ていた。

「お洒落なネームプレートはシカ氏印。子供達や近隣住民に大人気!」

孤児院の知名度を高め理解を得たい、とルピアは話していた。
故郷の養育院でも似た取り組みをして寄付を集め、遂には橋まで架かったそうだ。

ラグアスはシートに置いた資料の束を一瞥する。
今朝方ルピアに関する調査報告書が届いた。
王国学院を次席で卒業した優等生は王女の親友で侍女だった。
十歳になる公爵の嫡孫を引っ叩いてクビになるまでは――。

解雇理由について王宮に問い合わせたらすぐに返答があった。
城では有名な一件らしい。ルピアにも孫にも大して同情の声は集まっておらず、どっちもどっちという冷めた見方が多かった。

公爵の孫の所業を知り、ラグアスはルピアの怒りを理解した。
彼女にとってカモは愛護の対象であり亡き母親との思い出の象徴だ。そこに飛礫が投げられては平常心ではいられなかっただろう。

彼女は以前にも新聞に連載を持ち、カモの漫画を描いていた。
ラグアスが戦場にいた頃と時期が重なる。
故人の母親に絵の手ほどきを受けたルピアは父親の書斎に入り浸り、解剖学などの本を通じて画力と感性を磨いた。
独学の末カモの漫画が誕生し、シカの漫画が後続している。

彼女の作品から豊かな才能と他者への思い遣りが伝わる。

ラグアスは車窓に目を戻す。
ルピアはまだ出てこない。ラグアスの用事は終わっている。
このまま待つ。
彼女と話がしたい。人格を疑っているからではない。最初から疑ってなどいない。
ただの興味だ。
ラグアスを恐れず直視する彼女の瞳が気になっている。





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