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04 悪循環
しおりを挟むカルヴァンデュ侯爵ことラグアスは、マホガニー製の執務机でデスクワークをこなしていた。
午後三時。ノックが鳴る。
書類に目を落としたままラグアスは「入れ」と告げた。
若きメイド長アルザンヌが紅茶を手に入ってきた。
「ブランデーを垂らしておきましたわ」
「ああ」
「こちらのレモンタルトは私が焼きましたの。ご賞味くださいませ」
「ああ」
目線を上げないラグアスを見詰めて、アルザンヌはやや頬を上気させている。
軽く息を吐いたのは、侯爵の傍に控えていた初老の執事だ。
「メイド長、もう下がって結構ですよ」
見咎められたと思ったのかアルザンヌは少し恨みがましい目で執事を一瞥した。
執事は内心に嘆息を漏らす。
相変わらず書類を向いているラグアスが、ふと思い出したように口を開いた。
「先ほど見慣れん娘を見た」
アルザンヌが意気揚々と答えた。
「母が新たに雇い入れたメイドです。とても素直で良い子ですのよ。少しおっちょこちょいなところはありますけれどそういう子の方が愛嬌もありますし、鍛え甲斐があるというものですわ」
執事が再び内心に嘆息を漏らしていると、ラグアスの目線が静かに上がった。
何故か得意満面なアルザンヌを見るというより、射る。
「屋敷内ではない。見たのは正門だ」
「――え、あ、ああ。いやだわ私ったら早とちりを。失礼致しました。ではきっとお帰り途中の不採用の方ですわね」
ラグアスは万年筆の動きを止め、パタリと紙に寝かせた。
「不採用の理由は?」
「――え? ええ、最初にお会いした女性の方がこの屋敷に相応しいと母は判断したとの事です」
ラグアスと執事の目線が交差する。
執事の方が切り出した。
「メイド長。貴女とお母上がこの侯爵邸をよく纏め、上手く回してくだすっている事を閣下は高く評価されています。ですから、貴女方の仕事に難癖をつけるつもりは微塵もありません」
「まあ、まあ。光栄でございます」
「ですが、少々気になるのですよ。昨今のメイドの離職率の高さが」
「え、そ、それはでも」
「娘たちの根気が足りないのだ、と看護婦長は度々仰る。そして辞められる度に侯爵邸はメイドを募る羽目になる。今回も、前回雇い入れたメイドが半年と持たずに辞めてしまった事による募集でした」
「……私の指導力不足です。言い訳は致しません」
しおらしいアルザンヌの言動をスルーし、ラグアスは厳しく問う。
「今回雇ったメイドが短期間で辞めるような事は無いな?」
「精一杯指導し、そのような事が無いよう気を引き締めて――」
「至極当り前の事を一々宣言しなくていい」
「――申し訳ございません」
さっと頭を下げたアルザンヌからラグアスの目線が外された。
「話は以上だ。下がれ」
そう命じられたのではアルザンヌは下がるしかなかった。
ラグアスに供されたレモンタルトを、初老の執事がはもはもと頬張っている。
嚥下を経て切り出した。
「――看護婦長に家政婦長をさせるのは無理があったようですな」
「ああ」
「しかし大戦のどさくさで邸内の人事がなあなあになってしまったのが原因ですので彼女達を責められません。今のポストを望んだのは当人達でも承諾したこちらに責任があります」
「ああ」
「邸内の配置換えについて一度、家令殿に相談してみましょう。ご多忙な事務方さんを煩わせるのは心苦しいですが、外出の多い我々よりは女衆の事を把握しておられるでしょうから」
「ああ」
ドラゴン大戦の折、主従が領地を留守にしている間に邸内では多少の変化が生じていた。
前任の家政婦長が病に倒れ、当時ラグアスの母親の友人であり専属ナースでもあった看護婦長が急遽その代理を務めた。
結局、前任者が静養の為に田舎に帰ってしまい代理が本務となった。
更に看護婦長の娘、メイド長アルザンヌは空席だったポストを埋めた。前任の家政婦長がメイド長を兼任していたのだ。
アルザンヌは元々軍のナースで大戦時もラグアスの軍隊に参加していた。ところが王国軍の後方支援部隊が合流するやお役御免となった。
ラグアスから離れたがらない彼女に、戦時下では侯爵付きの軍人に化ける執事は言い渡した。
「戦力外の貴女がいたのでは閣下の足手纏いです」
「閣下の身に万一の事があった場合に備えて私がお傍にいないと!」
「医療スタッフは充足しています。王国軍の医療魔法は世界最高水準であり外科は最新魔法テクノロジーです。彼らについて行けますか?」
「――――」
こうして、瑕疵が無いにも拘わらずアルザンヌを追い払ってしまった手前もあり、彼女のメイド長立候補を撥ねつけるのは憚られた。
そしてなあなあ人事が完成した。
タルトを完食した執事は、今度はラグアスに供された紅茶をぐいと煽った。
ちょっとブランデーが多過ぎるなあと思いつつ飲み干す。
「ご馳走でした」
ラグアスは忠臣を見る。
タルトもブランデーもさして好物ではない。
アルザンヌに告げないのは彼女がウェイトレスでも妻でもないからだ。
「面倒を掛ける、中佐」
「なんの。しかし、――私は大佐です。大戦後に退役して一階級上がったともう何べんも言っとります」
「昔の呼び名が離れん」
「最近どっちでもどうでも良くなってきました。待遇が大佐なら文句なし」
「そうか」
短いやり取りを経て主従はそれぞれの仕事に向き戻った。
アルザンヌは苛立ちを籠めて絨毯を踏み付ける。
母が冴えない小娘ばかりを選び過ぎた所為でメイドが育たないし持たない。
悪循環はラグアスの目を引いてしまった。
彼の気を引かない人選だった筈が裏目に出ている。
――自重するよう母に念を押さなくちゃ。閣下に見限られては元も子もないわ。
とはいえ、ラグアスは母娘に借りがあるからクビだけは無いだろう。
ドラゴン大戦での留守中、病床にある彼の母親を看取ったのは母娘だ。
帰還後、彼は看護婦母娘に「感謝している」と告げた。
アルザンヌとしては感謝よりも愛が欲しい。
冷徹な彼は他者を寄せ付けず、中々心を開いてくれない。
――でもそういうところも素敵。ふふ。私だけは理解していますよ閣下。
ガチャン、と陶器の割れる音がしてハッと室内を振り返る。
新たに雇ったメイドが早速やらかした。
愚鈍そうな丸顔が蒼褪め、床に散らしたフルーツと皿の破片を見詰めて立ち尽くしている。
「だ、か、ら、」とアルザンヌは目元を引き攣らせた。
「不安なら一気に運ぶなって言ったでしょ」
「も、申し訳――」
「横着するから失敗するのよ。自分のドン臭さを――」
言いかけて止める。またすぐ辞められては困る。今はダメだ。
「もういいわ。片付け――はいいから貴女は何も触らずじっとしてて」
「……申し訳、ありません」
涙ぐむ新米をしっしっと手で追い払い、アルザンヌは片付けにかかった。
何でこの自分が、とは思うが他のメイドに押し付けるのも今は控えた方が良い。
ほとぼりが冷めるまで辛抱する。
それにしても母は見事に使えない娘を選んでくれた。
不器用過ぎる。縫い物も下手で野菜を切るのも下手。出来る事が無い。
――この私を見なさい。美人でナースとしても優秀で刺繍の腕はピカ一。外国の孤児どもに教えてやるの勿体ないくらいよ。閣下へのアピールでなきゃ、誰が教えるもんですか。
思った以上に孤児どもは使えない。
アルザンヌの有能っぷりを声高に叫び、ラグアスの耳に届けない。
――どいつもこいつも使えないんだから。
週一の刺繡教室なんて面倒臭いもの引き受けるんじゃなかった。
シスターをなんとか言い包めて、辞めたい。
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