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12 心底不思議
しおりを挟む週刊誌に目を落とし、アンヌは麗しい目元を歪めた。
最近、ユーグの元々薄い反応が更に薄くなったように思う。
王族を軽んじている風ではない。彼は訓練された軍人で、そこらの役人よりも国への忠誠心が強い。
それでも、このしょうもないゴシップを知れば気持ちがざわつくかも。
ドレスは得たけれどつまらない。まだ足りない。負けたくない。
「――仕方ないわね。今日はセクシーな高級ランジェリーを着けて会いに行ってあげましょ」
堅物軍人でも落ちるだろう。そうでなくても彼は相当我慢している筈なのだ。
アンヌは「ふふ」と笑みを零し、筒にした週刊誌をゴミ箱にガンと放り込んだ。
帝都、皇帝大通り、十二番地。
最近ゴシップの紙面が騒がしい。
彼は大物だからなあ、とシャロンは新聞紙を手に嘆息した。
シャロンの実名こそ出ていないけれど知っている人なら余裕で特定出来る。「先々月に西隣の王国から来た、未来の公爵の女性家庭教師」では。
「他に話題無いのかしら……」
世界が平和な証だと喜ぶべきだろうか。
でも「熱愛」は言い過ぎだ。デートはまだ三回しかしていない。それも昼間に人の多い場所へ一緒に出掛けているに過ぎないから、デートと呼べるかどうかも疑わしい。
こんなの誤報だし、デュプレ伯への不敬と取られかねない。
「クロード様の迷惑になってはいけないわ」
一体どこの誰がリークしたのか知らないが、あまりに甚だしく事実を捻じ曲げて報じるようなら新聞社には抗議した方が良い。
踵を返して、リビングルームの窓から直結するテラスに出る。
四歳児と白猫が床板に座り込んで遊んでいた。
互いに「みゃーみゃー」と言っている。最近レオンが極めた技というか芸で、本当に猫と会話が成立しているように見えるのだ。
「上手上手」とシャロンは音を立てずに拍手をした。
「レオンには、猫語が分かる魔法なんて要らないわね」
「うん」
レオンが短い手を挙げて見せると、白猫も同じように前足を挙げる。
レオンは前のめりになって、ピンク色の肉球と掌を合わせた。ふにっとハイタッチが決まる。「本当に猫と兄弟になれそう」とシャロンはしみじみ思った。
ミラベルがリビングルームからやって来た。
「ハーイ、仔猫ちゃん達」
「ミラベルさん。お店を抜けてこられて大丈夫ですか? 次のショーの準備が大変な時期でしょう」
「ここでお茶を一杯飲んでく時間くらいあるわよ」
と、彼が言うのでシャロンはガーデンテーブルに紅茶の用意をした。
席に着いて紅茶を待ちながらミラベルが言った。
「デュプレ伯とはホットな感じね、シャロン」
紅茶のカップを差し出して、シャロンは瞬いた。
「まさか新聞社に変なリークしたの、ミラベルさんじゃありませんよね」
「まさか。でも私じゃなくても誰でも出来るわ」
「ですね」
クロードとシャロンは人目を忍んで会っている訳ではない。目撃者は多いだろう。
「別に構わないじゃない」とミラベルはにんまりした。
「伯爵は貴女にぞっこんよ。結婚は秒読みね」
「またそんな」
「本当本当。うちにドレスの発注が――あ、これサプライズのプレゼントだった」
またシャロンは瞬き、ううんと喉の奥で唸りながら遠くの景色に目をやった。
ちょいとスカートの裾を引かれる。
小さい手を振り返ると、四歳児が猫と一緒にシャロンを見上げた。
「シャロン、プレゼントもらうの?」
「みゃー?」
シャロンは一人と一匹の前にしゃがみ込み「いいえ。何も聞いていないわ」と惚けておいた。
にしても、レオンと白猫のシンクロ率は驚くべき高さだ。
週末。
夜会に誘う手紙と共にクロードからのドレスが届けられた。内側に見慣れたブランドタグが縫い付けられているのを認めて、シャロンは苦笑した。
月末には聖人の祭日がある。その日、邸宅では毎度ショーの打ち上げと称してガーデンパーティーが開かれると言う。主催者のサディは今回、ブランド関係者だけでなくご近所も招待した。
白猫とその飼い主も招かれる。邸宅の裏庭に隣接する高級アパルトマンで一人暮らしをしている高齢女性だ。朗らかで優しい彼女は祖父母のいないレオンの「おばあちゃま」でもある。
「あと、デュプレ伯も招待しといたから」
ニヤリとサディに告げられて、シャロンは苦笑するしかなかった。
日曜日。
シャロンは、クロードと共に帝都動植物園に来ていた。
巨大な鳥籠の中に再現された南国の水場にフラミンゴの母子が佇んでいる。
母子を指差してシャロンは言った。
「あのお洒落な鳥さん、先週のショーで老舗さんが新作のモチーフにしていたそうですよ」
「ピンク一色ですね」
「ふわふわの雛は既に美脚が始まってます」
いつまでも眺めていられる景色を堪能しつつゆっくりと通路を進む。
「その老舗は」とクロードが切り出した。
「王国公爵殿のお陰で作品の幅が広がったと聞きます」
「そう、なのですね」
「デザイナー氏は本物の景色を見て感涙したとか」
「そう、なのですね」
シャロンはぽうっとした遠い目でふわふわで美脚の雛を眺めた。
「すみません」とクロードが苦笑気味に告げた。
「彼の話はお嫌でしたか」
「いいえ。どうかお気遣いなく」
「私は所詮無骨な田舎軍人ですから、女性に対して無神経な言動をしてしまうかもしれません」
「そんな事はありませんよ」
首で背後のクロードを振り返ってシャロンは微笑んだ。
自分の欠点を口に出せるだけで充分気遣いが出来ている。それにクロードは本人が言う程無骨でも田舎軍人でもない。
日曜日の今日、麻のジャケットをさらりと着こなしている。胸元のポケットチーフ使いはラフで、返って洗練さが際立つ。
男女に共通し、お洒落というのは急には出来ない。
シャロンの母はこう言っていた。年頃になったら化粧とピンヒールに慣れておきなさいと。母の死後、シャロンは彼女の言い付け通り、土日祝日はしっかりとメイクをしてピンヒールを履いて出掛けるようにしていた。
ヒールは特に、慣れておいて良かったと夜会の際に実感した。履き慣れていないと膝が曲がってしまうのだ。十代の令嬢で何人もいた。スカートの下に隠れていても曲がっていると分かる。人体の構造上、誤魔化せないと見て学んだ。
社交慣れしているクロードに、無骨さなど感じない。
二十八歳。一度の離婚歴がある。相手の女性は非常に浪費家で奔放が過ぎた為、やむを得ず別れる事になったとクロードから聞いている。
「どんな浪費でも一向に構わんのです」と彼は語った。
「金なら私が命懸けで幾らでも稼げますから、宝石やら別荘やらを無断で買い漁っても責めません。しかし信頼を裏切る事は――許せない」
これほど大らかな夫を裏切る妻とは一体どんな女性なのかと、シャロンは心底不思議でならなかった。
ミラベルの顧客リストに名前があるとかで、少しだけ彼も前妻を知っていた。
「ブルネットの美人よ。長身で女優みたいなオーラがあったわ。毎回同伴する恋人、いえ愛人? が違ってて、モデル体型のハンサム君ばっかり連れ歩いてたわね。がっちりとした体格のデュプレ伯とは正反対の」
夫が長期任務で戦地にいる最中、妻は地方の領地を抜け出して都会で散財し、若者達と遊び惚けていた。
話を聞いた際、シャロンは前妻という人に批判の念より圧倒されてしまった。
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