聖女のお世話になりまして

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10 貴女は悪くなかったね

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帝国立海浜公園で、セスラはパラソル下のベンチに座って噴水を眺めていた。
円い噴水の中ではフェリオルが栗毛の幼女と遊んでいる。

聖女のお世話になった幼女だ。

二歳になる一人娘は明るい栗毛を父親から、愛想のいい瞳を母親から譲り受けた。
自宅の庭にプールはあるが幼女には深過ぎるので、晴れた日曜日には親子はこうして海を訪れていた。

着衣をずぶ濡れにした父娘がベンチに引き返してきた。
二歳児がだだっと駆け出して、母親の膝に飛びついた。

「うかあしゃま。うみず」
「お母様ね。難しいならママで良いのに、何故か頑張るね貴女」
「うかあしゃま」
「うんうん、はいお水ね。――ねえもっとゆっくり飲んだら良いよ。そんな男子みたく豪快にいっちゃわなくてもさ。ああ、お父様を真似てるんだよね。貴女は悪くなかったね」

思わず水筒から口を離してフェリオルは「悪いな」と苦笑した。
こちらも水筒から小さな口をぷはっと離して、幼女は一気飲みを終えた。

まあ元気一杯で何よりだ、とセスラは力なく笑む。
初産は大変だった。出血が激しく意識が混濁していた。
渦中なんと分娩室に颯爽と女帝が現れた。予定日を把握していたらしかった。聖女の奇跡を初めて目撃したと言う知り合いの女性産科医は「私空気だった」などと呑気に語っていた。

三人並んでベンチに腰掛けていると、プロムナード(遊歩道)を行き交う顔の中に同じく幼児連れの顔見知りを見付ける。目が合えば互いに「どうも」と会釈を交わした。
このところ知り合う地元民が急増している。
心を許せる知り合いや友人が増えていくというのはセスラにとって新鮮な事だ。なにせ歯科大に入るまでセスラの友人は亡き養父ブロマックしかいなかった。

いつだかフェリオルに確認して、ブロマックが元テロリストだと知った。
予想はしていた。ブロマックはフェリオルらとのツテを持っていた。
セスラの為に傭兵業もテロ業も捨ててくれたのは嬉しい反面、切なかった。

セスラは我が子に目を落とした。
こちらさんは生涯で何人と出会って別れるのかな、と思う。
無垢な瞳で通行人をじいっと見詰めていた幼女は、ん、と何かに目を留めた。
短い指が、オレンジ色のベビースリングを腹に巻いた若い母親を示す。

「あかしゃん」
「ホントだね。貴女より小さいね。可愛いね」
「あかしゃん、きしゃない」

指摘通り、スリングから飛び出た赤ん坊の素足が砂まみれで汚れている。
ビーチで遊んだ帰りなのだろう。
にっこり笑ったセスラは幼女の指先をさっと掴み、下げた。

「指を差して貶さないの。ねえ貴女、人様の事言えないんだよ。サンダルを脱いでみてごらんよ。自分の汚れた足の裏がようく見えるから」
「あかしゃん、きしゃない」
「やめなさいってば、おむつのお嬢さん」

セスラと幼女のやり取りの最中、フェリオルは腹を抱えて笑うだけだった。
彼は大変いい父親だが幼女を叱れないという大きな欠点を持っていた。

ランチを食べた後、親子は午後の時間をゆったりと過ごした。
近場のホテルに宿泊するので慌てて帰る必要はない。

夕日が傾いてきたところで砂浜に下りた。
幼女の体力が続く限り歩く。いっぱい疲れてぐっすり眠ってもらう。

セスラは赤味の強い水平線に目をやる。
海の彼方には故郷がある。
今や女大公が統べる旧王国。王宮で盛大な粛清が行われたと報じられて以来、大きなニュースは飛んでこない。

このまま聖女不在が続くのだろうか。

セスラとフェリオルの一人娘の魔法は風でも火でもない事が既に判明している。
帝国の役人には魔法を調べる魔法というのを持つ者がいる。嘘は通じない。
役人曰く「両親に特殊な魔法が備わっている場合、高確率で子もそう」らしい。尚、特殊な魔法の持ち主は王侯貴族の祖先を持つとの事だ。関心外につき夫妻に調べる気は無い。

より詳しい検査をすれば娘の魔法がどんなものであるのかを知る事が出来るそうだが、急ぎで無し断った。
どの道、五歳を過ぎねば人間は魔法を使えない。

フェリオルは「どんな魔法でもいいが聖女だけは勘弁だな」と軽く言う。
かくいう彼の、見た目年齢偽装の魔法はすっかり出番が無くなった。もうカビが生えているだろうとセスラは思っている。
もしも彼が変身した姿でセスラに嫌な思いをさせていたら、彼の魔法は失われていた可能性があった。あの「ばーか」は結構危なかったって事だ。
可能性の話にフェリオルは笑った。

「まあ消えても構わんけどな」
「同じく」

互いに目的を果たしてこの地に立っている。
これ以上は何も望まない。

ふとフェリオルは、母親と手を繋いだ幼女がふらふらしながら砂地を踏んでいる事に気付いた。「ほらよ」と言って小包みたく小さな体を軽々と抱え上げる。
「あーあ」とセスラは笑った。

「ここでお昼寝しちゃったかあ」
「晩飯前に起こせばいい」

ぐでんと肩に凭れた一人娘を片腕で抱えたフェリオルは、もう片方の手をセスラに差し出した。
セスラはフェリオルの手を掴んで、彼の肩に頭を載せるようにした。

「王国にいる頃は自分が母親をやるなんて想像も出来なかったな」

街で親子連れを見かけても「いいなあ」とも「いやだなあ」とも思わなかった。自分には縁が無いものだと感じていた。
繋いだ手に握力を篭めて、フェリオルはセスラに横目を向けた。

「実際に母親をやってみた感想は?」
「面白いよ。日々変化する可笑しな生き物を観察できるからね」

フェリオルは噴き出し、セスラも笑い出した。

頭上の騒がしい声の所為で幼女の瞳が薄く開く。
ううう、と唸った幼女は起こされた腹いせとばかりに小さな足で父親の脇腹に、がっと蹴りを入れた。

暴れる幼獣としか思えない娘に、親たちは益々笑った。



数年後、二人の娘が持つ魔法は「海中探査」と判明する。
にも拘わらず嘗ての幼女は父親と同じ会社でなく海軍に入り、意気軒昂と海に出ては魔物や海賊を相手に暴れまくる日々を送った。
結婚、出産を経ても海軍を辞める事は無く、あらゆる軍艦で女性初の艦長そして隊司令を務め、軍大学に招聘された事により一旦海を去った。
晩年は海辺の別荘で暮らした。
時折水平線の彼方を眺めて両親の故郷に思いを馳せたりもした。

さよーなら。

最期の想念の後、彼女は百十年という長い生涯を終えた。



南東の大陸では、女帝の死から百年後に再び聖女が生まれる。
北西の大陸でも、女大公の死から五十年後に再び聖女が生まれる。
聖女らはどちらも王族として誕生するが後の人生は大きく異なった。

南東の聖女は女帝という前例に倣い医の道を歩んだ。
北西の聖女は亡国の聖女らと同じ煌びやかな道を歩んだ。
北西では亡国と同じような大陸支配が始まり、そして――――。

大海に隔てられた二つの大陸は互いに干渉しない。
今も昔もそれぞれの道を歩み続けている。






FIN





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