結婚式をやり直したい辺境伯

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23 作業帽

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警報の発令から二時間が経過した。
迷子は迷子のまま。
六歳の男児。漁師の父親が出した露店を手伝っていた彼は、買い物客が棚に置き忘れていったシガレットケースに気付いた。

「おれ届けて来るよ、とうちゃん」
「警らの兄ちゃんにでも渡しとけよ」
「お客さんがすぐ見つからなかったらそうする」
「通りの外には出るな。さっきの客といい今日は島外の人間が多い。用心しろ」
「はあい」

忘れ物を手に男児は駆け出し、人混みの合間に消えた。
小さな背中を見送った十分後、父親は「遅い」と思ったがまだ心配はしなかった。
観光客で賑わう道は思うように捜せも進めもしないだろう。
更に十分後、さすがに「変だな」と思った。
隣の露店の家族に「ちょっと見ててくれ」と店番を頼み、周囲を捜した。

「誰かうちの坊主を見かけなかったか。今日は白いキャップを被ってた。海軍の古い作業帽でさ……」

機関士だった曾祖父の形見だ。中央に大きな錨の刺繍が入っていて、今現在は支給されていないから同じ帽子を被っている者はいない。
しかし誰に訊いても男児を見たという情報が得られず、漁師は焦った。
丁度通りかかった警らの兵士にいきさつを説明し、訴えた。

「という訳だからさ、何とか言う警報鳴らしてくれよ」
「どっかで遊んでるだけでは?」

漁師は兵士に掴みかかった。

「店番投げ出して遊び惚けるクソガキじゃねえよ!」
「ちょ、お父さん落ち着いて」
「早く港を封鎖しろよ! 誘拐だったらどうしてくれる!」
「分かっ、分かりました。すぐ上に確認しますから」
「下っ端じゃ時間食うだろ! 閣下どこだよ!」
「艦の行き先というのは軍機でしてお教えは――」
「待てよ待てよ、奥様がいるじゃねえか! 奥様だ奥様!」
「ちゃんと対応しますからそんなに騒がないで――」

でも騒いだ甲斐があって警報は発令された。
どうせ遊んでる、どうせ迷子、という呑気な予想はこの二時間で裏切られた。
フェスの会場を中心に領都を捜索するも見付からず、その範囲は外に通じる港に広げられた。
同時進行で、北部にも目が向けられた。
観光とアトラクションを兼ね馬車トラムが大忙しだったし、トラムの両脇でも馬車の往来があった。山に行けない事は無い。とはいえ通学の無い日曜日に子供が一人で馬車に乗れば相当目立つ。山側の人口は海側の半分にも満たない。
ただ今日は、余所者が山村をうろついていてもそれ程不審に映らない。留守の家も多い。
念の為、人員を割いて山狩りも行われる事になった。



報告を受け指示を出したラルカは、捜索本部たる公爵邸で難しい顔をしていた。
ずっと脳内にある引っかかりの正体が、分かりそうで分からない。
特にこの緊迫した状況下では思考が落ち着かない。

正門前に出した横長のテーブルに、メイドコンビがコーヒーとシナモンロールを用意している。捜索隊への支援だ。軍民問わず島の全員で男児を捜している。

男児が迷子になった可能性も、本人の意思で行方を晦ませている可能性も有り得ない。なら事故か、もしくは攫われた事になる。
そうなると怪しいのはシガレットケースの持ち主だ。父親曰く、島外の人間。

「男? ――いや女ですよ。地味な感じの。チューリップを逆さまにしたような帽子を深く被っててグラサンもかけてて、だから人相はよく分からんです。体格は普通だった、かな。上着の丈が長くて、人混みで引っ掛けそうだなって心配したんですよ」

忘れ物の主の情報を聞き、ラルカは余計に疑った。
男児は気が利いて心根も優しい。女性が困っていたらきっと助ける。
「足を挫いちゃって」とか何とか言って肩を借り、捕まえるのは容易だ。
少なくともラルカならやれる。捕獲というのは力ではなく要領で――。

ここで引っ掛かりを覚えた。何か閃きかけた。
思考の最中に「奥様」と呼ばれてハッとする。
幕僚が来てくれた。彼の作業服姿に思わず笑みが零れる。

「大将、有難うございます」
「礼など……。子供は発見出来ておりません」

無念も心痛も同じくだ。
こういう時頼りになるウッドラングが今もダウンしているから、少しばかり心細かったラルカは幕僚に救われる思いがした。
「面目ありません」と幕僚は濃紺色の作業帽を下げて見せた。

「総力を上げ目撃情報を掻き集めておるのですが成果に繋がらず」
「島と言っても広いですし、特に今日は島の人口が三割増しですから」
「チューリップハットの女性が見当たらんのはやはり気になります。単に宿に戻って部屋で寝ているだけの、無関係な人物かもしれませんが」
「そちらの確認はされて?」
「宿屋に聞き込みを実施中です。女性の一人旅は目立ちますんでチェックインしとるなら記憶に残るでしょう」

ラルカは閃きを得た。

「そうです」
「は?」
「私は単身島に来ました。二ヶ月半、大陸横断の一人旅です」
「なんと豪胆な……」
「普通こんな事しないですよね」
「若い娘さんは恐らく……いや男でも」

自分ならやれる、だから見落とした。

「一人で来た訳がありません、――アレクサンドラが」

同行者がいた筈だ。どこに消えた。
そうか。ビラは同行者の仕業だ。犯人を突き止めるまでも無い内容ゆえに調査をしなかった。違う。調査に及ばない嫌がらせをワザとしたのだ。

――見落としが過ぎる!

やはりラルカは参っていた。
自分をコントロール出来ていなかった。

怪しい人間が島に潜伏している。まさか誘拐騒ぎも同行者が関与しているのか。
観光客に紛れて良からぬ企てをしているなら止めなければ。
島への攻撃は許さない。妊婦であっても容赦しない。海軍の尋問にかける。
決意と共に、ラルカはアレクサンドラの居座る客間に急いだ。

部屋に向かう最中、邸内で悲鳴が上がった。
アレクサンドラの苦悶する声だ。邸宅中が仰天し、みんな揃って駆け出した。

彼女は、部屋の絨毯に仰臥していた。
床に広がった赤いドレスのスカートは明らかに染料と異なる赤色に染まり、テカテカと光っている。
出血している。自らの血で汚した絨毯に白い頬を押し付け、妊婦はうわごとのように言った。

「助けて……赤ちゃんが、死んじゃう……」

ラルカは、家政婦長と先を競い合うようにして部屋に飛び込んだ。





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