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04 隔たり
しおりを挟む島に嫁いで一週間が経過した。
ラルカは連日の島歩きで、領地の産業や地形を概ね頭に入れた。
帝国の北西を極める寒冷地なだけあって春先でも風が冷たい。けれど特殊な島の環境が豊穣も齎している。
領民らの気質も大らかだ。海でも街でも山でも「可愛い奥様が来てくれたなあ」と喜ばれた。
その後「てっきり……」と続くのだが。
何年か前に帝国内でヒットした新聞の連載小説の影響らしい。
午前十時十五分。
テラスのテーブルに開いたハードカバーを読み終え、ラルカはコーヒーカップに手を伸ばした。
件の小説の感想は「朝刊でこのドロドロ展開は凄いな……」だ。
作中、悪女と薄幸令嬢が登場する。罰の為、虐待の為、それぞれ極寒の僻地に送られるという描写があった。
この小説の影響で、ラルカは「何かしらの問題により国から追い出された令嬢」のレッテルを貼られたようだ。
「皆さんのご期待に添えませんで」
問題は、小説の令嬢らでは無く領民らの認識だ。
自らを「世界の果ての田舎者」と称しやや卑屈傾向にある。そして世界の果てだから罰や虐待の場にされても仕方がない、などと考えている。
「卑屈は戴けません」
島にはキレイなコーヒーとシナモンロールを楽しむ独自のブレイクタイムが根付いている。アフタヌーンティーよりもカジュアルな生活習慣だ。
帝国を北に行くほどコーヒーの消費量が増し、紅茶を上回る。因みにラルカの祖国ではティザン(ハーブティ)が飲み物の主流だった。
それぞれが素晴らしい。
ラルカの自論では全人類が田舎者だ。全分野で最先端という国は無い。
例えば、祖国の王都が年二回発信する流行ファッションは都市から都市へとリレーされ、大陸全土に行き渡るのに三ヶ月近くかかる。
タイムラグによって世界一の大都会、帝都ですら最新から半月ほど「遅れている」のだ。
領内で気になる点は他にも。
島は主に南部の漁村と北部の山村で構成されている。
この南北に、隔たりがある。
領都は島の南寄りで港から近い。軍港も漁港も島の南側に集中し、島外の船の出入りもあって本土の港町と比べて活気も規模も遜色ない。
一方、山麓に拓けた北部の海沿いはほぼ断崖絶壁で、氷河期の姿を残す高山を背に森林地帯が広がっている。雄大な自然の恩恵の下、村では農耕、酪農、畜産、林業が盛んに行われている。
飢えとは無縁の暮らしがある。
「でもクソ田舎なんで食いもん以外なんもねえっす。わはは」
巨大キュウリを片手に笑った農夫に、ラルカはただ頷いた。
領都の北を流れる小川を渡った先は荒野で、農夫の言う「なんもねえ」土地が暫く続く。踏み固めた道を進むとやがて畑と牧草地が広がり、森と山を臨む村や集落が見えて来る。
島内の子供達は、五歳から十三歳までの間で領都の学校に通う。
山村に住む子供の通学時間は片道平均、約二時間。
遠いと言うか長い。移動時間の長さは大問題だ。
大人達も月に何度かは領都を訪れ、海の幸や本土から入荷された生活必需品などを購入している。
領都の日曜市場では山や畑で採れた物や作った物を販売もする。
ピクルスを売る露店の店主(キュウリ農家と同一人物)は言った。
「売れ行きはボチボチっすねえ。俺らが作ってるもんなんて普通の食いもんだし、本土の船が同じもんいっぱい運んで来るっすから」
農家の話の中にラルカはネックを見付けた。
山側の住人は海の商品を買うのに、海側の住人は山の商品をほぼ買わない。
交通の不便も手伝って双方は隔てられ、格差が生じている。
何といっても山村の農家は取引すべき相手に作物を卸していない。
飲食店だ。早く安く大量仕入れが可能な本土の業者には太刀打ち出来ないからと、最初から諦めている。
「諦める必要はありません」
同じ島内。陸運は海運に勝る。絶対に。
彼らは自称「普通の食いもん」を売り込んでいない。商売が受け身で生産は消極的。自宅と村内で小さく完結している。
港のバーやレストランもまた、山村の食材を把握していない。
とても勿体ない。
「双方を橋渡し致します」
辺境伯夫人なら当然やるべき仕事だろう。
テーブル上の小さな呼び鈴を軽く振って鳴らす。
アラサー執事ことウッドラングが颯爽とやって来た。
「奥様、何か」
執事の顔を見上げてラルカは「あら」と瞬いた。
彼の唇の端に砂糖が付いている。
「ウッドラング少佐、コーヒーブレイク中にごめんなさい」
「食いかけのシナモンロールの事はお気になさらず」
「どうぞかけてください。こちらのカルダモンロールも、良ければ」
「いえそんな。――有難く」
素直にパンを頬張り始めたウッドラングに笑み、ラルカは「はもはもしながらお耳だけお貸しください」と前置きをして幾つかの思い付きを告げた。
ラルカの話を聞き終えたウッドラングは、丁度パンを嚥下して深く頷いて見せた。
「領民の為にそれほど多くを考えてくだすったとは。感服です」
「ここに来てまだ何も成しておりませんので」
「……それは閣下が帰って来ない所為ですよ」
面目ない、と何故か彼が頭を下げ、ラルカは首を横に振った。
「色々と事情がおありなのでしょう」
複雑そうな顔でウッドラングが「……そうですね」と唸るように漏らした。
この一週間、一度も帰宅していないカークをラルカは想起する。
幸い彼は大変な美丈夫なので顔を忘れる心配は無い。
夫が不在では妻の務めを果たせない。
せめて夫人の務めを果たしながら夫の帰宅を待ちたいと思った。
同じ頃、カークは本土西部寄りの寄港地にいた。
前日の夕方に艦を降り、馴染みの店で士官らと飲み明かした後、店からほど近い宿で朝を迎えた。
爆睡の最中ノックが鳴った。
「提督」
涼やかな呼び声がカークの意識を浮上させた。
大欠伸を一つ挟んでドア越しの相手に返す。
「……入れよ」
鍵など掛けていない。陸の上には大して大事なものは無いから家でも宿でも掛ける習慣が失せている。
ゆっくりとドアが開き、細い爪先が部屋に踏み入った。
「失礼致します。おはようございます」
赤いドレスを纏った美女が、カーテンの引かれた薄暗い室内で微笑む。
「昨晩は遅くまでお仲間さん達とお楽しみでしたわね」
「お前店にいたのか」
「提督がお呼びくださるのをお待ちしてましたのよ?」
「酒席にいた連中の大半が既婚者だったからな。さすがに娼婦は呼べん」
カークの何気ない一言に、女の美しい眉が僅かに上下した。
「皆様、随分と真面目でいらっしゃるのですね。なんだか窮屈そう」
「窮屈が好きなんだよ、堅物どもは」
「提督は違うでしょう?」
計算高く首を傾けた女を一瞥し、カークは長い片腕を突き出した。
「ああ違う。だから朝っぱらでもやりたい事をやる」
呼び寄せた白い手を引いて女をベッドに押し倒す。
女は楽し気に声を上げた。
「提督の豪胆なところ、大好き」
女の上に載り、カークは低く告げた。
「俺はお前を好きじゃない」
好きなものも大事なものも海にしか無い。
突き放すカークの言動に女はめげず「いけずです」と微笑んだ。
この女は色気と品があり、なにより利口だ。弁えている。
他の女みたく妻や愛人にしろと言い寄らない。高価な物品も強請らない。
金で成立する肉体関係だけがある。
面倒を嫌うカークには具合が良い。
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