亡国公女の初夜が進まない話

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22 新婚夫婦のその後 前

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午前中、シロールは二階の私室でイーゼルに載せた絵画と向き合っていた。
視界の端で庭先に降り立った巨大な影を捉える。

「ドラゴン便」が帰ってきた。
ドラゴンの長い鼻先がバルコニー窓からぬうっと入って来て、紅い眼球で室内のシロールを窺っている。
その犬のような態度にシロールは微笑んだ。椅子から立ち上がって犬っぽいドラゴンに歩み寄る。

「おかえりなさい」

硬い皮膚で覆われた鼻の頭を撫でてやると、ドラゴンはぐるぐると喉の奥を鳴らして瞑目した。シロールに恩義を感じ、すっかり懐いてくれている。
ラクロはよく「構う事は無い」とシロールを窘める。ドラゴンと妻が睦まじくするのは面白くないらしい。

先週、彼は多忙の合間を縫ってフェリクとの約束通り自らの魔力を半分にした。
半分封印したのではなく二分にした。
ラクロから分離した魔力は、皇帝から与えられた魔剣に移された。ラクロの魔力に耐え得る鋼の刀身に見えない図案が刻まれ、封印の下でテンペストがスタンバイの状態で眠っている。
解除を受けると、ドラゴンが目覚めるのだ。

解除の作業は毎度シロールが行っている。
封印可能なラクロだが解除は出来なかった。本人曰く「不器用だから」らしい。
ならばとシロールは当初の予定通り旧公国に帰郷し、秘密部屋の古文書を漁った。怪しすぎる呪術師に教えを乞うなんて選択肢はなかったから、自力で解除の術を紐解き、そして割合呆気なく成功させた。

封印と解除が揃った事でドラゴンの存在は許された。
用途は輸送に限定されたが充分だった。

ドラゴンはあらゆる輸送の助けになっている。
人間から財宝まで何でも運ぶ。
シロールが帰郷する際も背中に乗せてもらった。空飛ぶドラゴンのお陰で往復八日の強行軍が日帰り旅行で済んだ。

つい先日も北の難民という名の盗人一味を隣人たるボレイル辺境伯領に引き渡したところだ。ついでにラ・ルベル商会一行も南から北へスピード連行した。
空飛ぶコンテナに詰め込まれたセシリア始め罪人たちは、道中大絶叫だったそうだ。

犯罪者たちは隣国の法で厳しく裁くとの事だが、ラクロは農村に実害が出たとして相手方に賠償を求めた。
どうやらボレイル辺境伯という人は、敢えて難民らの狼藉を見逃していた疑いがあるらしい。人道支援を「感謝する」と言った割に管理が杜撰過ぎ、復興も遅い。だから不審者が通行出来る程治安は乱れ、犯罪が起こった。

「やはり面白くなかったのだろう」とラクロはボレイル辺境伯の心理を読んだ。
なぜ恩人に害をなそうと思うのかシロールには全く理解出来なかった。

そのボレイル辺境伯は、ラクロの要求と抗議に対して一切反発しなかった。
蒼褪めて、脳震盪になるほど首を縦に振って同意し「今後は誠心誠意仕事します」とまるでなっていない敬礼をして見せた。
ただでさえ大陸屈指の戦闘力を持つ隣領の若い辺境伯がドラゴン連れでお宅訪問をすれば、そうなる。



シロールへの挨拶を済ませると、ドラゴンはまたどこかに飛び立っていった。
何かお使いを頼まれているのだろう。
庭先でマリィが「いってらっしゃーい」と空に手を振っていた。

港町に置き去りにされていたマリィと護衛官らは、シロールから二日遅れで「ただいまー」と辺境伯領に帰ってきた。
とんだ無駄足に付き合わされたというのに皆気にも留めず、マリィなど「閣下のイメチェン良いですね」と呑気に笑っていた。

イメチェンもといブラウンだったラクロの瞳は紅く発色している。
もう隠す意味は無いし、自分の外見に興味の無い彼はシロールに判断を仰いだ。

「君はどちらがいい」

シロールはにっこりと微笑んだ。

「どちらも。ですが紅い瞳、素敵ですね。見詰められるとどきどきします」
「――紅いままにしておく」

ドラゴンもご主人様とお揃いの方が嬉しいだろう、と思ったのは内緒だ。

イーゼルの前に座りなおして作業を再開させる。
傷物にされた巨匠の風景画の修復だが絵筆は使わず、足された残念な色を慎重に削り取っている。可能な限り修復して、いつか故郷に返還される日までこの辺境で預かる。

ラクロは亡国の財産を使って、売り払われた略奪品の買い戻しに尽力している。
これが思った以上に捗っている。なんと所有者の多くは「保護」の目的でルクニェ王家から買い取ったらしく「無償でお渡しします」とまで言ってくれている。

公国の文化が他国からも愛されていた事実を知って、シロールはかなり久しぶりに泣いてしまった。
泣き出した妻にラクロは驚き、しゃくり上げる肩を両腕で掻き抱いた。
「普段我慢しているからだ」と窘め、口付け、それから微笑みを浮かべた。
初めての表情を、この日互いに見た。

買い戻しにさして金銭が必要無いと判明し、シロールはラクロに提案した。

「分散した旧ゴルダナの方々を辺境にお呼びしてはどうでしょう」

王子の呼びかけなら集まるのでは、と思った。
現在の生活が気に入っているのならいい。けれど、慣れない土地で苦労している人がいるかもしれない。離れた仲間たちに会いたいかも。

幸い、辺境伯領は辺境なだけあって土地が広い。新たな住宅地を拓ける。
広大な農地とダイヤモンド鉱山を持ち、最近ではドラゴンが西の山中で魔鉱石の鉱脈を嗅ぎ当てた。天然資源の宝庫は裕福で、働き口には事欠かない。
シロールの話をラクロは一旦保留にした。

「帝国中枢に上げてから決める」

まさか王国復活やら反乱やらを疑われたりはしないだろうけれど勝手は憚られる、との事だった。

余談だが、帆船の絵の本物はラ・ルベル商会が所有していた。
本店の店舗に堂々と飾られていたものを辺境伯軍が乗り込んで行って回収した。
持ち帰った絵は、南の港町マルベルのカフェ店主に渡した。彼はオークションで大枚をはたいた真っ当な購入者であり詐欺被害者だ。画家のコレクターでもある。
元は略奪品と知って店主は恐縮していたが「これもまた運命ですよ」とシロールは笑った。

「お嫁に出したとでも思えば良いのです」

シロールの例えに、ラクロは「分からん」と首を傾げた。





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