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09 夫、ぶれない
しおりを挟む帝国軍がルクニェ王国に侵攻を開始したあの日――。
ラクロは王都までの中継地の一つである地方都市で、潜伏部隊の一部と共に野営していた。
根回しが済んでいた為、街は帝国に協力的で補給要請にも素直に応じてくれた。
野営地として提供された教会の庭を見て回り、ラクロはついでに建物の内部にも立ち入ってみた。
信仰心は無い。気紛れだった。
祭壇に向かう途中で柱に掛けられた小振りな宗教画に目を留める。金の額縁の中、薄布を纏った女神が天上へと昇っていく様が描かれている。
背後から、老いた司祭が「ああそれ」とラクロに声を掛けた。
「傷んでいたのを若いお嬢さんが修復してくれたんですよ」
女流画家らしい。芸術に疎いラクロだが感心した。
知識など無くともこれが大層な絵である事は分かる。こんなものに絵筆を入れた若い娘がいるとは驚きだ。
司祭の半ば独り言つ声がラクロの背に発した。
「シロール様が来てくだすった事は我々には幸運でしたが、彼女には不幸ですからあんまり喜ぶのも不謹慎というものですな」
司祭に振り返り、ラクロは娘の不幸について聞いた。
侵略国に引っ立てられてきた亡国の公女。なるほど不幸だ。宗教画の出来栄えを見た王に徴用され、宮廷画家になったと言う。
相当の美人だと耳にしてラクロの脳内に同情を押し退ける興味と思考が湧いた。
――その娘、私が貰って構わんのでは。
城が落ちれば娘は無職になる。フェリクには婚約者が二人もいる。
別に良いだろうと思った。
漠然と考え始めていた頃だった。嫁を取り、家庭を持つ。
誰もが恐れ戦く厳しい将軍の顔の下でラクロは、娘が手掛けたという女神の絵を見据えながら思い描いた。
美しい娘とベッドを共にする結婚生活。
それは――、
「――天国だぞ」以前、遠征先でフェリクが言い切った。彼はよく自慢話のついでに睦事についてもラクロに語り聞かせた。
「極上の女をゲットせねば何の為の男の人生か。この私を見るがよい。既に二人もの美女をゲットしておる」
「……は」
「つまらん反応をするのでない朴念仁。そなたとて出会ってみれば思い知るであろうよ」
「……出会えば」
「うむ。一目で分かるのだ。ビンビン来るからな」
「…………」
同年の皇子は天才肌だが時に意味不明なので、ラクロはこの時も聞き流した。
ただ「天国」というワードは妙に脳裏にとどまり続けた。
二日後。
軍勢を引き連れて王都に侵攻したラクロは、攻め落とした城内で件の娘がもう三日も投獄されているとの情報を得た。
ラクロの野生の勘が告げた。
誰にも、特にフェリクには先を越されてはならない――。
地下へ伸びる石の階段を三段飛ばしで駆け下り道を急いだ。背中に置き去りにした部下達が「速すぎ」、「人間業じゃない」などと仰天していた。
誰よりも早く鉄扉を前にしたラクロは重い錠を剣で両断し、蹴破った。
牢の中で女神のように美しい娘が横たわっていた。
フェリクの言った通りビンビン来た。
邸宅に引き返した後、シロールはラクロの執務室に通されて応接セットで彼と向かい合った。
紋章について知る事、見た事をラクロに情報共有する。
シロールの話を聞き終える頃には、ラクロは太い両腕を組んだ姿勢で険しい顔つきになっていた。
「由々しき事態だ」
「はい」
神妙に頷いて、シロールはローテーブルの上からハーブティーのグラスを持ち上げる。喋り過ぎて喉が渇いた。
ラクロが低く唸るように重々しい嘆息を吐いた。
「つまり私に施されている紋章とやらが何なのか分からん限り、――君との初夜は永遠に進められんのだな」
「え? ええそうなります」
大柄が項垂れて「なんという事だ、くそ」と独り言つ。
嘗て無い程がっくりして見えるラクロを眺めながら、シロールはちょっと呆気にとられていた。
ラクロにとっての一番の関心事は初夜云々で、自分が亡国の王族かもしれないという可能性は二の次らしい。
話の着眼点は人それぞれだな、と思った。
ハーブティーのグラスを膝に載せ、シロールはがっかり中のラクロに問うた。
「ラクロ様、何か思い当たる事とかありませんか。お小さい頃の記憶とか」
「特に無い。最も古い記憶は帝国の養育院にいた頃のものだ」
「ラクロ様を知るご年配の方とかいらっしゃりませんか」
「女院長くらいしか思い付かん。尤も彼女は故人だ」
手詰まり、とシロールの顔が天井を仰ぐ。
項垂れていたラクロの目線がチラリと上がりシロールを見た。
「紋章とやらは魔力を封じているのだったな」
首を戻してシロールは「はい」と頷く。
ラクロは詰襟の上から首の後ろに手を当てた。
「この封印と関係あるかどうか分からんが十代の頃に妙な事ならあった」
「それは?」
「戦場で死にかけて強大な魔力が目覚めた。その結果敵を殲滅し、生き延びた」
シロールは目を丸めた。
「ではラクロ様が今お持ちの戦闘力はその時からのもので?」
「ああ。そもそも私には魔力など無かった。周囲も私自身も魔法は使えないと思っていたからな」
魔力の有無は軍の入隊テストで必ず判明する。有るものを無いとも無いものを有るとも偽る事は出来ない。
シロールは首を傾げ、推理した。
「命の危機を前にして封印が解けたのでは?」
ん? とラクロも首を傾げた。
「解けていないのだろう。だから初夜が進まんのだろう」
彼はどこまでも初夜に拘り、初夜を中心にこの難題を考えている。
感心のような想念を過らせてシロールは「あ」と閃いた。
「実際解けたのですよ、半分だけ」
紋章は半円の形をしている。
元から半分だけ封印していたのではなく解けたから半分使えるようになったのだ。
どちらにしてもラクロの魔力は半分眠ったままになる。
半円形の謎が解けたところで問題は深みに嵌った。
「半円形が破損状態なのだとすると、やはり現状はマズイって気がします」
シロールは肩を落とし、ラクロは懲りもせず項垂れた。
低い呟き声が床に落ちる。
「どこのどいつだ。人の初夜を邪魔しているのは……」
ぶれない人なんだな、とシロールはすっかり感心した。
ラクロの事を少し誤解していた。
規律遵守の堅物軍人だと思っていたのに独特の感性を持っているし、結構自我が強い。
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