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12 どなたかいるようです
しおりを挟む結婚後、レンヌの仕事は主に后教育だった。
持ち前の頭脳と根性とパワーで乗り切っている。
教育係を兼ねる侍女の一人がぴしゃりと言った。
「パワーは要らないです」
「あ、はい」
来月、東方から使節団がやって来る。
東の島国と正式に国交を結ぶ事がこのほど帝国議会で決定した。
特別なゲストらをもてなす大任が皇后としてのレンヌの初公務となる。
レンヌは胸を躍らせた。
「なんかこう腕が鳴ります」
「鳴らさない」
「あ、はい」
レッスン中は氷像のようなこの侍女、職務後に大変身する。
「ではあ城下に行ってえネコちゃんの飴ちゃんを買ってきまあすうう」
「…………」
彼女は無類の猫好きらしい。それにしても凄い猫撫で声だった。
レンヌの背後にサオールがそろりと歩み寄った。
「彼女、二重人格じゃない」
「スイッチが完璧なんだよ……」
凄すぎて見倣えない。
側近侍女らは、半数以上が厳しいキャラ人員で構成されている。
これは侍従長の人事による。
「お友達だらけでは緊張感が無さ過ぎてレッスンに身が入らんでしょう、女子は」
女子を蔑視しての発言ではない。彼はただ、女姉妹に囲まれて育った為に女子という生き物を熟知しているのだ。
実際に彼の配置は的確だった。
ティータイムを終えると、サオールは城下のタウンハウスに帰っていく。
既に婚約者である伯爵の家で暮らしている。
未来の伯爵夫人としてやるべき事も学ぶべき事も多いだろうに新米皇后のレンヌにつき合ってくれている。
レンヌはとても申し訳ない。
でもサオールは「城の事を知ってて損は無いわ。自分の子供が将来出仕するかもしれないでしょ」と笑うばかりだ。
夕食の席に着いたレンヌは、ほぼ半日ぶりに顔を合わせた上座の主に相談を持ち掛けた。
「サオールのお子さんの就職先はお城でお願いします」
「お前気が早いな」
やや呆れ顔をしたアルディエスは何やら閃き、意味深な笑みを浮かべた。
「他人より自分の子供の心配をしろ」
意図を悟り、レンヌは上座にじろりと目線を流した。
「セクハラ禁止です」
「次の週末が待ち遠しいな」
「もう口利きません」
「分かった悪かった。機嫌を直せ。コネ入社させてやるから」
食卓の外側に控え立つ給仕が胸中に、いやコネ入社って……と呟いた。
食後、レンヌはバスルームで湯を浴びて扉一枚挟んだ隣の夫婦の寝室に向かった。
アルディエスがベッドの端で胡坐を掻いて待っていた。
「ん」と手を差し出して呼ぶので、レンヌは首を傾げながら彼の手を取る。
引き寄せられてシーツの上に引き倒された。
素早く組み敷いたレンヌにアルディエスは口付ける。左右から唇を合わせて促す。
早くもうっとりする頭の隅でレンヌは考えた。
まだ週末じゃない。明日もレッスンがあるので夜更かしは困る。
「……朝寝坊出来ないのですが」
「俺もだ。だからほどほどにする」
「……そもそも何故今晩」
「急にムラムラ、いや結局はお前を愛しているからだ」
愛していると急にムラムラするらしい。
未知の感覚だ、と想念しつつレンヌはうっとりと目を閉じた。
彼はちゃんとレンヌを気遣い、労わってくれた。お陰でレンヌは夜更かしも朝寝坊もしなくて済んだ。
三日後、ふと異変に気付いた。
「お腹の中にどなたかいるようです」
朝。起きぬけにレンヌが告げると、アルディエスは上半身で跳ね起きた。
「身籠った、という事か」
「はい」
肯定を受けて彼の脳内は忙しく想起している。三日前の晩。色々と早い。
「もう分かるとは」
「気の流れが変化してますし二人分に増えてます」
「気――、って凄いな」
「はい」
アルディエスは呆気に取られている。
レンヌはちょっと心配になってきた。
「まだ欲しくなかったですか?」
「そんな訳あるか」
即答と共に呆けるのを止めたアルディエスは、レンヌの体に両腕を回して自分に引き寄せた。
「有難うな、レンヌ」
「はい」
「どんな子供に会えるか楽しみだ」
レンヌは肩を揺すって笑い「はい」と答えた。
両手で腹部に触れる。外からではいつもと変わらない。
だけど確かにここにいる。
瑞々しい芝生の上を、四歳の女児がてーっと駆けて行く。
女児の後ろを二歳の男児らがたったかてってけ付いて行く。
先行者が早過ぎて後続二人は追い付けない。
広大な中庭を駆ける幼児らを眺め、レンヌは苦笑した。
レンヌには男女一人ずつ子供がいる。たったか走っている男児が我が子で、てってけ走っている男児は親友の子だ。
第二子を宿したサオールが産科にいる間、彼女の長男を預っている。
レンヌは、男児二人組に声を発した。
「男子達、無理しないように。そのお姉様は韋駄天の化身だから」
レンヌの言葉に、傍らのアルディエスが噴き出した。
ラグに仰向けで寝転び腹筋を波打たせている。
「そいつあれだろ、足の速い神」
「神様をそいつ呼ばわりしてはダメです」
「東は神だらけだな」
「色んなものへの感謝の気持ちに溢れているんです」
日曜日の午前中。
庭で過ごすのがすっかり習慣になった。
二人のラグの背後には巨大な噴水があって夏でも涼しい。白い円形の石を三段重ねた設計はケーキに似ていて子供達のお気に入りだ。
城の敷地内には十四の噴水がある。
庭園の一部が去年から一般向けに開放され、二つの噴水も公開された。
土日祝日には小さな露店が軒を連ね、飲物や土産物、そして飴細工が売られる。
二年前、東の島国との国交二周年を記念するイベントが城の内外で催された。
ナチュラパークで開催された「東の物産展」の大盛況はまだ記憶に新しい。
「おにぎり」が大ヒットした。
ヒットを受けて城下に専門店がオープンし、去年の冬には城の庭に期間限定「焼きおにぎり」ショップが出て、老舗のフリッツ(フライドポテト)屋台と人気を二分していた。
東からの留学生も受け入れが始まっている。
今のところ希望する貴族の子供のみだ。東の貴族の中にも魔力を持つ者がいる。同じ世界の人間だからあって当然だが、彼らの魔法文化は乏しい。使う事も調べる事もしないから持っている事を知らずに生涯が終わる。
「気、もある事だし別に必要無かったんだろうな」
アルディエスの意見にレンヌは頷いた。
去年やって来た留学生第一号の黒髪男児は、すぐに魔法のコツを掴んでささやかな火を発した。気では有り得ない現象に彼は大層はしゃいでいた。
かといってレンヌみたく副作用で気が使えなくなる、なんて事は無かった。
幼少期にマスターする事が大事なようだ。
黒髪男児の魔力量は少なく魔法も小さい。でも彼には気と体術がある。
アルディエスは思案した。
「戦術の幅が広がるのは良い事だ。ただ、気は魔法と違い習得に年月を要する。修行とやらも相当厳しいと言うし、誰でも使えるというのは間違いだな」
レンヌはアルディエスの袖を引いた。
「陛下。武力に変える事前提のお話しになってます」
「武力だろう?」
「本来気を用いて戦う相手は他の人ではなく自分です」
「……いかにも僧の技だ」
魔法文化の中で「気」を理解し、活用するのは難しい。
と、思っていた。
皇帝の長女は四歳ながら気のコントロールが上手い。
去年、郊外の離宮を訪ねた彼女はちょっぴり元気のない従兄に遊びがてら気を教えてやった。
嘗ての皇太子は禅にハマった。元々静かな時間を好む彼の性に合った。体術は無理だったものの彼はやがて気の流れを感じ、制御する術を得た。
すると、元々薄かった残穢がより薄くなっていった。自力で穢れを払っている。
更に――宮廷占術師は驚くべき発見をした。
彼は密かに皇太子の残り少ない寿命を占っていた。
結果が変わった。年数が倍以上延びた。
朗報を伝えるや先代皇帝夫妻は泣き崩れ、誰かや何かに対して深く感謝した。
レンヌはアルディエスに言った。
「殿下には気の才能があったんです。ご本人が思うよりもずっとずっと才能豊かな方なんです」
「……そうだな」
過去は変えられなくても未来は変えられる。
気の可能性も魔法の可能性も、まだまだ先がある。
四歳の女児がてーっと駆けて来る。
女児の接近を認めてレンヌは頬を緩めた。
――特攻来る。
放っておいた。
彼女の狙いはレンヌの隣に寝転がる大柄の主だ。
昼寝中のアルディエスは仰向けの顔の上に開いた本を載せ、長い脚をラグからはみ出させ芝生に投げ出している。
靴を脱いだその大きな裸足の前で女児は踏み切り、「とーう」と高く跳躍した。
そして皇帝の腹にドーン。
胴体着陸を受け、無防備を晒していたアルディエスは「うぐ」と呻き、飛び起きた。
「おま、――吐くわ!」
「きたな」
「お前の所為でな」
「吐くならこっち、向かないで、ください」
「おま、――」
姉の特攻成功を見て、弟が呑気な顔でぱちぱちと拙い拍手を送っている。
お友達はおろおろしている。彼はとても優しい。
期待通りの光景にレンヌは笑った。
笑わせてもらいたいので毎回女児の突撃を止めない。
やがて女児は遊び疲れ、特攻時のうつ伏せ姿勢のまま父親の腹の上でうとうとし始めた。
「くそ」とか何とか言いつつもアルディエスは大人しく娘のベッドに徹している。
女児の眠気につられて男児らも仲良くラグにひっくり返る。
レンヌはパラソルを一つ追加して昼寝組の為に日影を増やした。
恨みがましい目で、アルディエスがレンヌを見上げた。
「お前な、止めろよ」
「貴方のお姫様です。受け止めてください」
「くそ。とんでもないじゃじゃ馬に育っていやがる」
レンヌは笑って同意した。
口には出さないけれどレンヌもアルディエスも予感している。
次に帝冠を受けるのは――皇女。
第一子とか勉強が出来るとかではない。
器が違う。
皇女は従兄や弟達の面倒をよく見ている。
もう人の面倒が見られる。
女教師から「天才です!」と褒め称えられた際にはこう返した。
「わたくしの、師はあなた」
ごく自然に相手を立てた。
女教師は感激し「永遠の忠誠を誓います!」とか言っていた。
皇女は先陣を切って駆け抜けていく。
人と国を動かすパワーを感じる。
「適性は、確かにな」
晴天に向かってアルディエスは半ば独り言つ。
肩越しにレンヌが振り返ると静かな目線を合わせた。
「クソガキだが情け深い。その美徳が足を引っ張る」
有史以来、帝国に女帝の時代は無い。
未踏の頂きは、華やかな舞台で済まない。
あらゆる決断の日々が始まる。
政治、経済、そして軍事――ここで大量の命のやり取りに直面する。
戦争でも裁判でも死の決定を下す。
どちらにせよ支配者が「殺し」を命じ、敵、味方、善人、悪人、全ての死の責任を負う。そういう宿命だ。
皇家の伝統に則り、皇女も陸海いずれかの軍隊へ行くだろう。
戦場は訓練の場となる。綺麗事は通用しない。
心身の瞬発力を高め、殺させて殺す。
判断を誤れば味方が全滅する。負ければ国が亡ぶ。
「耐えさせねばならんのか、小娘に」
国と歴史と民と財産。軽い荷物が一つも無い。
レンヌはパタンと背中から倒れてアルディエスの隣に寝転がった。
父親の腹から垂れた小さな足を指で突く。幼児は全身ぷくぷくしている。
アルディエスは、自分の娘が甥と同じ苦痛を強いられる事を懸念している。
それはレンヌも同じだ。
「でもこの子は一人じゃありません」
全部一人で背負うことは無い。
家族や仲間を頼ればいい。優しく真面目な皇太子はちょっと遠慮が過ぎたのだ。
皇女はきっと遠慮などしない。
「だって皇帝に特攻する子ですよ」
アルディエスはうっかり噴き出した。
腹の動揺に合わせて女児も揺れるが眠りは深い。
どうにか大笑いを堪え、アルディエスは首を横に倒して皇后を見た。
「俺とした事が過保護過ぎたな」
「ご心配は当り前です。陛下はいいお父様です」
「特攻されてるけどな」
レンヌも大笑いを堪える羽目になった。
晴天に見下ろされる中、二人して笑いを堪え続ける。大人たちの苦労も知らずに小さい三人はすやすやと寝ている。
大波をやり過ごして息を吐くと、アルディエスはラグに置かれたレンヌの片手を掴み取った。
「なんとか家族全員でやって行こう」
「はい」
「家族を増やすか。今晩お前が透ける下着で登場すれば容易く――」
レンヌは繋いだ手に握力を籠める。
「セクハラ禁止です」
みしり、と指の骨が軋んでアルディエスは息を呑んだ。
FIN
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