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06 半人前の薬師
しおりを挟む自宅に入って真っ先に閃いたのは朝食を取る事ではなく薬を呑む事だった。
キッチンのテーブルにバスケットを置き残して、ルルエは地下の「ラボ」に駆け込んだ。机の引き出しから掌サイズのサプリケースを取り出す。
中身はアフターピルだ。
数種類の薬草を用いてルルエが自分の魔法で調合した。レシピの確立している薬であれば、半人前薬師のルルエでも作り出せる。
魔法調合による薬は製作可能な人間が限られており量産が難しい。その代わり服用による人体への負担は皆無に等しい。依存性も出難い。
少し前、女性に対する許されざる凶悪事件があったという新聞記事を読み、何となく準備しておいた。
ひょっとしたら誰かに必要になるかもしれないと思った。
――まさか自分が必要とするなんて。
一錠ごとグラス一杯の水を飲み干して、ルルエは溜め息を吐いた。
この分では通常の避妊薬も要る。
レクシーは今晩迎えをやると言っていた。
ベッドの用事に付き合えという意味に他ならない。
無事に対応を済ませたルルエは、一階のキッチンに戻ってやや遅めの朝食にありついた。
バスケットからいそいそとレモンカードマフィンを取り出してかぶり付く。これは絶品だ。南部産の紅茶にもよく合う。
レモンの風味に浸りながら考えた。
困った事になった。
ルルエはレクシーとの不健全な関係など望んでいない。
しかし残念な事にレクシーがルルエに望んでいるのは肉体関係であり愛人関係だ。それ以外の何者でもない。
「――開戦するからな」
どこまで本気なのだろうか。
今現在、レクシーが所属する獣人国の艦隊はサレイユ王国の海域を縦横無尽に航行している。港に停泊中の軍艦が何隻いるのかなど知る由もないが、例え一隻からでも砲を向けられれば間違いなく大変な事が起こる。
王都は港街でもある。国家の中枢たる王城が砲の射程内にあるのだとしたら非常にまずい。
一撃が致命傷に成り得る。
本来喜ぶべき再会でとんだ事態になった。
あの大人しくて可愛かったミュウが傍若無人な軍人に変貌を遂げていた。
――愛人、かあ。
本当に困った。
レモンカードマフィンは絶品だし、二食分ほど食費が浮いたのは助かったけれど。
食後、軽くシャワーを浴びて掃除と洗濯に取り掛かる。
人を雇う余裕はないので家事は自力だ。
毎月の年金は、その大半がラボの維持費に消えている。
ラボではビッティ島の固有種を栽培している。
ゲッカイワゴケソウという花を咲かせる珍しい新種の苔だ。
学生時代、父が岩礁で発見した。
採取した苔を国に持ち帰り、父はずっと苔を育成していた。
「月光で光合成して、月下で花が咲くんだよ」
イワゴケソウは日光の下では生長を止める。
その為ラボは地下にある。室内は常に月光を再現した魔法灯で照らされており、水槽内に砕いた岩を配置して岩肌にイワゴケソウを這わせている。苔は年々増え、今や水槽の列が壁みたく部屋を埋め尽くしている。
持ち帰った当初、観賞用だった父のイワゴケソウは開戦直前に事情が変わった。
夏季休暇で島を訪れた父は、本家ビッティ島のイワゴケソウがほとんど死滅しかけている事実に直面した。
「落雷が岩場に何度も直撃したんだ」
前年は異様に嵐の多い年だった。
小さ過ぎる島は自生する苔を守れなかった。
群島の誰にも気付かれなかったのは無理もない。ビッティは島とは名ばかりのほぼ岩山であり離れ小島であり、無人島なのだ。
自宅でイワゴケソウを量産し、本家に帰す救済案を父は検討した。
しかし間もなく開戦した事で救済案は棚上げになった。
誰も彼も他国の苔になど構っていられなくなった。
――でも終戦した今もみんな他国の苔に興味が無い。
地下の水槽を眺めながらルルエは項垂れた。
仕方がない。
珍しい品種ではあるけれど、それだけなのだ。
見た目は地味で観賞用としてはイマイチだし食べて美味しい訳でもない。
かといって栄養があるとか薬になるとか美容に良いとか、味以外の取り柄すらも無い。
この取り柄の無さがいつもプレゼンのネックになる。
セールストークが出来ない。
遠洋たるビオドラ群島への輸送には途轍もない費用がかかる。
設備が要るからラボごと運ぶようなものだ。
大型船をチャーターしなくてはならない。
更に大型船を運用する為に多くの船員を雇わなくてはならない。
大型船の船長のギャラというのがまた、凄まじい。
それにどうやら父の意志「本来あるべき自然へ帰す」は理解され難い。
半人前のルルエが訴えるから余計に説得力に欠けるのだと思う。
絶滅危惧種の苔を守るのは父でなければならなかった。
父の発見であり、父の宝なのだから。
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