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一度戦うと決めたのなら
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整備された獣道という、矛盾した言葉がしっくり来るような街道を歩く。
村を抜けるまでに、数名の村人とすれ違った。
今すぐ引き返して、ここであの二人の為に生きてもいいのではないか、そんな考えが何度も頭をよぎる。
「おーーい!」
聞き覚えのある成人男性の声、該当者は一人だけ。
私は立ち止まらず、陰鬱な気持ちを引きずって歩き続ける。
「おーーーーーーい!!」
止まらない私を非難交じりの大声で呼びながら、彼は私の傍らまでやってきた。
「お前な······ゼェ······絶対聞こえてる······ヒュー···だろ······ゴホォ」
めっちゃ息きれてるやん、と大阪弁でツッコみたくなる姿だ。
私がもう少し優しかったなら、彼の昨日のチョンボが無かったなら、その背中を摩ってやっただろうに。
「何よ。私は今······」
「あの二人はどこだ!?」
「え······!?」
「あの二人が家に居ない。どこにいるか知らないか!?近隣の村に獣人が出た。俺達も避難しないと危ない!!」
私は反射的に走り出していた。
「あ!おい!おーい!!」
分かってる。あの時クルシュが向かったのは、あの場所だ。
私が倒れていた森だ。
「ああ!私の馬鹿······!!!」
お別れが辛くて逃げて!
どうしてあの時、ウィルシェと一緒になってあの子を追いかけなかったのか。
「獣人ですって······?!」
そんなの相手に、変な強盗にビビッて何もできずに殺された私が何をしようと言うのか。
襲ってきた男性を毅然と拒否する事も出来ない私に何ができると言うのか。
左右に飛ぶ景色の向こう、森が見えた。
同時に感じる異臭。
獣臭とは違う。
死骸の匂いに近い。
森に飛び込み、あの場所に立つ。
二人の姿はない。
肩を弾ませながら、周囲を伺う。
「······!」
聞こえた。何かの唸り声。そして子供の悲鳴。
私が行ったところで······一緒に殺されるだけだろう。
でも、それでも。
あの幼い二人が恐怖に押しつぶされそうになっている所に、私が顔を見せてあげれば、心の僅かな部分だけでも救ってあげられるかもしれない。
あの生きながら身体が死体になったのかと思えたほどの、心の死とでも言うべき恐怖を、少しでも和らげてあげられるのなら──。
「ここで死ぬのも、全然アリでしょ!!」
そう心を決めた。
たどり着いた先には一匹の獣人。
その足元に座り込む兄弟。
兄は弟の盾となり、震えながら異形の魔物を睨み、弟は兄にしがみ付きながら双眸を恐怖で見開いている。怪我は……してない。
「ウィルシェ!!!クルシュ!!!」
その背後に立った私は、腹からの声を出し、獣人の背中に叩きつけるように兄弟の名前を叫んだ。
獣人がのそりと振り返る。
豚のような醜い顔で、漆黒の白目の中には深紅の瞳が光り、下顎から鋭い牙が突き上がっている。
その姿勢は極端な猫背で、不気味な視線の高さが私とかち合う。
獣人からあえて視線を外して、兄弟に「声を出すな」と目で伝える。
私は熊に遭遇したことはないけれど、野生の動物と見合った時は視線を外してはならないって言うじゃない?
だから視線をはずせば───獣人がこちらに向かってくる。
「逃げて!!!」
獣人を斬るために全身全霊を注ぐ中から、なんとか「に」と「げ」と「て」の3語を発する余力を捻り出して、腰に構えた日本刀の柄に手を置く。
迫りくる獣人を見ているのに、逡巡、私の眼は別のものを見ていた。
幼い頃の道場風景だ。祖父と、私と、岡崎先輩がいる。
二人そろって怒られているの。
(だって、直之がしつこいんだもん!)
(勝ち逃げするなって言ってるだけだろ!)
私が連戦連勝して、先輩が拗ねて、勝つまで勝負しろと喚き続け、無視したら髪を掴むとか道着を引っ張るとか、そんな仕返しをしてきた。
それに怒って私も乱暴な剣を振るって······。
暫く二人とも道場から締め出された。
岡崎は勿論悪い。でもお前も剣を粗末にした!と、なんなら私の方がガチ説教された。
二人で謝って許してもらうまで、何週間もかかった。
(剣は心なり。剣は相手を斬るものじゃない。自分自身を斬るものだ)
(え。それ自殺ジャン!)
(おじいさま。無視して続けてください)
(ははは。自分の中の悪い自分を斬るんだよ。悪い心。悪い動作。考えてごらん、試合でもそうだ。勝とうと意気込めば妬みが生まれる。負けたくないと思えば嫉妬が生まれる。心悪くなり、身体が悪くなり硬くなり、正しい所作で剣を振るえなくなる。するとどうだ。技を誤って試合に負けてしまうじゃないか)
(ううー。まあでもそれならまあなんとか、いや、でもな~)
(おじいさま。無視して続けてください)
(今日は剣の極意を教えよう。正しき心で、正しきを成す。それだけだ。全てが正しく行われたなら、剣なんて危ないものは必要なくなるんだよ)
(え。剣がいらなくなったら先生が失業しちゃうジャン!)
(直之はさっきから屁理屈ばっかり!!)
(ははは。そうなったなら、喜んで道場を畳むとしようか)
獣人の爪牙が眼前に迫りくるこの瞬間も、私には何が正しいのかはわからない。
でも今は、ここで死んでも二人を守るために戦うべきだと思った。
一度心に決めたのなら。
戦うと、そう決めたのなら。
私の剣は相手を斬るのにあらず。
私の中の怯えを斬る。
斬るために剣を振るうのにあらず。
正しい所作を行った結果、剣は振るわれるのみなのだ。
正しき心で、正しきを成す。
鞘から抜き放たれた剣が奔った。
村を抜けるまでに、数名の村人とすれ違った。
今すぐ引き返して、ここであの二人の為に生きてもいいのではないか、そんな考えが何度も頭をよぎる。
「おーーい!」
聞き覚えのある成人男性の声、該当者は一人だけ。
私は立ち止まらず、陰鬱な気持ちを引きずって歩き続ける。
「おーーーーーーい!!」
止まらない私を非難交じりの大声で呼びながら、彼は私の傍らまでやってきた。
「お前な······ゼェ······絶対聞こえてる······ヒュー···だろ······ゴホォ」
めっちゃ息きれてるやん、と大阪弁でツッコみたくなる姿だ。
私がもう少し優しかったなら、彼の昨日のチョンボが無かったなら、その背中を摩ってやっただろうに。
「何よ。私は今······」
「あの二人はどこだ!?」
「え······!?」
「あの二人が家に居ない。どこにいるか知らないか!?近隣の村に獣人が出た。俺達も避難しないと危ない!!」
私は反射的に走り出していた。
「あ!おい!おーい!!」
分かってる。あの時クルシュが向かったのは、あの場所だ。
私が倒れていた森だ。
「ああ!私の馬鹿······!!!」
お別れが辛くて逃げて!
どうしてあの時、ウィルシェと一緒になってあの子を追いかけなかったのか。
「獣人ですって······?!」
そんなの相手に、変な強盗にビビッて何もできずに殺された私が何をしようと言うのか。
襲ってきた男性を毅然と拒否する事も出来ない私に何ができると言うのか。
左右に飛ぶ景色の向こう、森が見えた。
同時に感じる異臭。
獣臭とは違う。
死骸の匂いに近い。
森に飛び込み、あの場所に立つ。
二人の姿はない。
肩を弾ませながら、周囲を伺う。
「······!」
聞こえた。何かの唸り声。そして子供の悲鳴。
私が行ったところで······一緒に殺されるだけだろう。
でも、それでも。
あの幼い二人が恐怖に押しつぶされそうになっている所に、私が顔を見せてあげれば、心の僅かな部分だけでも救ってあげられるかもしれない。
あの生きながら身体が死体になったのかと思えたほどの、心の死とでも言うべき恐怖を、少しでも和らげてあげられるのなら──。
「ここで死ぬのも、全然アリでしょ!!」
そう心を決めた。
たどり着いた先には一匹の獣人。
その足元に座り込む兄弟。
兄は弟の盾となり、震えながら異形の魔物を睨み、弟は兄にしがみ付きながら双眸を恐怖で見開いている。怪我は……してない。
「ウィルシェ!!!クルシュ!!!」
その背後に立った私は、腹からの声を出し、獣人の背中に叩きつけるように兄弟の名前を叫んだ。
獣人がのそりと振り返る。
豚のような醜い顔で、漆黒の白目の中には深紅の瞳が光り、下顎から鋭い牙が突き上がっている。
その姿勢は極端な猫背で、不気味な視線の高さが私とかち合う。
獣人からあえて視線を外して、兄弟に「声を出すな」と目で伝える。
私は熊に遭遇したことはないけれど、野生の動物と見合った時は視線を外してはならないって言うじゃない?
だから視線をはずせば───獣人がこちらに向かってくる。
「逃げて!!!」
獣人を斬るために全身全霊を注ぐ中から、なんとか「に」と「げ」と「て」の3語を発する余力を捻り出して、腰に構えた日本刀の柄に手を置く。
迫りくる獣人を見ているのに、逡巡、私の眼は別のものを見ていた。
幼い頃の道場風景だ。祖父と、私と、岡崎先輩がいる。
二人そろって怒られているの。
(だって、直之がしつこいんだもん!)
(勝ち逃げするなって言ってるだけだろ!)
私が連戦連勝して、先輩が拗ねて、勝つまで勝負しろと喚き続け、無視したら髪を掴むとか道着を引っ張るとか、そんな仕返しをしてきた。
それに怒って私も乱暴な剣を振るって······。
暫く二人とも道場から締め出された。
岡崎は勿論悪い。でもお前も剣を粗末にした!と、なんなら私の方がガチ説教された。
二人で謝って許してもらうまで、何週間もかかった。
(剣は心なり。剣は相手を斬るものじゃない。自分自身を斬るものだ)
(え。それ自殺ジャン!)
(おじいさま。無視して続けてください)
(ははは。自分の中の悪い自分を斬るんだよ。悪い心。悪い動作。考えてごらん、試合でもそうだ。勝とうと意気込めば妬みが生まれる。負けたくないと思えば嫉妬が生まれる。心悪くなり、身体が悪くなり硬くなり、正しい所作で剣を振るえなくなる。するとどうだ。技を誤って試合に負けてしまうじゃないか)
(ううー。まあでもそれならまあなんとか、いや、でもな~)
(おじいさま。無視して続けてください)
(今日は剣の極意を教えよう。正しき心で、正しきを成す。それだけだ。全てが正しく行われたなら、剣なんて危ないものは必要なくなるんだよ)
(え。剣がいらなくなったら先生が失業しちゃうジャン!)
(直之はさっきから屁理屈ばっかり!!)
(ははは。そうなったなら、喜んで道場を畳むとしようか)
獣人の爪牙が眼前に迫りくるこの瞬間も、私には何が正しいのかはわからない。
でも今は、ここで死んでも二人を守るために戦うべきだと思った。
一度心に決めたのなら。
戦うと、そう決めたのなら。
私の剣は相手を斬るのにあらず。
私の中の怯えを斬る。
斬るために剣を振るうのにあらず。
正しい所作を行った結果、剣は振るわれるのみなのだ。
正しき心で、正しきを成す。
鞘から抜き放たれた剣が奔った。
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