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スラムの王

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ドニとジャンに案内されたのは、南スラム区画にある、朽ちて捨てられた邸宅を利用したアジトだった。
「なるほど、それで一人でここに?」
南スラムのボスは、二十歳前後の男。浮浪児の集団とは言え、それらを束ねてスラムの一角に君臨する人物であり、それなりの雰囲気を持っていた。
私はドニとジャンの二人と共に、彼の5メートルほど手前に立っている。
ボスはベッドに胡坐をかいて座っていて、頬杖を突いた姿勢を崩さないまま、切れ長の目が私に向けられている。
彼は裸で、脇には二人の裸の女が寝ていいて、昼間っからお楽しみだったようだ。
バサバサの銀の髪で、細身だけど引き締まってるアスリートのような肉体。イケメン不良先輩として一部の女子がファンクラブを作っていても不思議じゃない程度に見た目もいい。
注目すべきはそこじゃなく、武器を手元に置いていない事。
私が3歩も前に出れば、彼は勝機を失うでしょう。
二人の間に、何か仕掛けでもない限りは。
可能な限り平和的な交渉を望む私は、間合いを詰めることをせず、あえて刀に手をかけない。
「そう。フェリクスっていう男の子がここに来てない?彼がそんな子を見たって教えてくれたんだけど」
私はドニをちらりと見る。
ボスは何かが可笑しかったらしく、肩を震わせ笑いをかみ殺した。
「なあ。アンタは相当に強いんだろうが、正面から乗り込んでくるってのは浅はか過ぎないか?」
「どうして?私別に喧嘩をしに来たわけじゃないもん」
「俺達はザクセンの鼻つまみ者の無法集団だ。獣以下のな。相手が気に入らないと言うだけで、それが老人でも赤子でも殺す。そんな俺らのアジトに、女がノコノコとやってきた。子供を探してると言う」
彼は丁寧に状況を説明してくれる。
「うーん。そのノコノコやってきた女が気に入らない?」
「気に入らないね」
「それは、女の癖に、貴方達を前にどうして怯えてないのかとか。つまりそんな感じ?」
「まあ、そうだな」
男は薄く笑っている。
「その女は、貴方は獣じゃないから理性的に話し合えると思ってるのよ。それってムカつくこと?」
彼は表情を変えず、頬杖を突いた姿勢を崩さず、こちらを見ている。
私は両手を広げた。
「ここは君の城。手下が何人いるかもわからない。その女に多少の腕の覚えがあったとしても、多勢に無勢で襲われたならとても太刀打ちできない。悲鳴を上げても誰にも届かないし、誰も助けに来てくれない。まあそんな死地には無策で乗り込まないよね」
私は薄暗い廃屋内を見回してから、ボスに視線を戻す。

「でもね」

「もしかしたらその女の知ってる子が、そこで酷い目にあってるかもしれないの。だから足を運ぶのよ」

私の抗弁は終わり、ボスが口を開く。
「そう聞くと、まあそこまで怒る事もないのかもしれん」
彼はベッドから立ち上がると、ジャケットを羽織った。
細身の割に逞しい男性のソレが、ブランと揺れる。
ジャケットを羽織る前にズボンを履いて……。
「だが、俺はお前が気に入らない」
正面切って、イケメンから「お前が嫌いだ」と言われると結構凹むものがある。
「じゃあ、好きになってよ」
「なるかアホ」
物凄い冷ややかな目で早口気味に差し込まれた。
「君がスラム全土の王様になる手伝いをしてあげる、と言っても?」
「······それにはちょっとばかり興味がわいた。だが、アンタにそんな力があるようには見えないぜ」
「証明させてよ。そしてそれが出来たならフェリクスを返して」
二人の視線がぶつかり合う。
「フェリクスかどうか知らんが、そのガキは、俺達のシマで仕事をした。露天商から、こんなものを盗んだのさ」
彼は一歩前に出て、ジャケットから何かを取り出し、私の前に放り投げた。
カツンと音を立てて床に転がったのは……木製の、櫛だった。
「もう両腕は折らせてもらった。お前の腕が立つなら、返してやっても……」
頭に血が上った私は、彼がスラムの王を気取ったセリフを言い終える前に、踏み込んでいた。
「!!」

(今日は剣の極意を教えよう。正しき心で、正しきを成す。それだけだ)

私の剣は彼の首を撥ねる既の所で留る。
いえ、薄く彼の首から血が流れてる……。
「おいおい。マジかよ……アンタすげぇな」
南スラムのボスは、額に汗を浮かべつつ、驚嘆の口笛を吹いた。彼の銀の髪が、剣圧で舞い上がり、そしてまたふわりと定位置に戻る。
「……まるで見えなかったぜ。俺の負けだ。首を飛ばさないでくれて、ありがとよ」
私は黙って剣を引き、彼は、ガキを連れてこいと手下に命じた。
「これで貸しも借りもなしか。アンタのいう事を素直に聞いて、力を貸してもらえばよかったかな」
彼が私になげる言葉を他人事のように聴く。
怒りに任せて人を殺そうとしてしまった自分に恐怖し、身体が震える。
あの一瞬、私は命の事なんて何も考えていなかった。
無理やりに剣を止めたことで、肘から先がズキンズキンと強めに痛む。
握力が消えて、刀を落とした。
「ん?」
ボスは刀を拾いあげて、凶器と私を交互に見る。
「お前、アレか。人を殺したことがないのか」
人を殺す。その言葉の響きに、膝からも力が消える。
「おっと」
ボスは崩れた私を軽々と抱き留めた。
彼の指がしなやかに動き、震えて顔を伏せる私の顎をツイと持ち上げる。
自分自身に怯えている顔を、見られた。
「それだけ凄い技が、人を殺さずに身につくものなんだな」
彼は呆れ半分、感心半分といった表情で、刀を私の腰布に下げる。
「……人を殺すために、修練したんじゃないもの」
私の身体はまだ震えている。
「力は使ってこそものだ。使えない力なんて、ナンセンスだぜ」
彼は私から離れ、ベッドサイドテーブルの水差しを取り、多分彼自身が日常的に使ってる器に中身を注いで、私の手に押し付ける。
ふわふわとして上手く力が入らない両手で、それを呷った。
熱が喉を下って胸に広がる。
「……お酒じゃない」
「俺たちの資金源の一つさ。まあまあイケルだろう?」
彼は私の手から木製グラスを奪い、残りを一気に飲み干し、空になったそれを後ろに放り投げた。
「今回は、虎の尾を踏んだ俺達が悪いのさ。まあちょっとおかしな虎のようだが」
私は虎か。
「命を救われた礼に言っておくぜ。アンタがどれほど腕が立とうが、そんなんじゃ死ぬぞ」
「ガキを連れてきました!」
部下の声が響く。
力なく視線を動かすと、粗暴な男が、ぐったりとした子供の首根っこを引きずるように立っていた。
子供は自分の脚で歩けないほどに衰弱している。
ダランと垂れた金髪の頭。
痛みに汗ばむ小麦色の肌、
息苦しそうに細かく上下している胸。
残酷にも肘から砕かれ、恐らくもう完全に元には戻らない、腫れあがった両腕。

櫛を、盗んだために。
私が、髪を梳いてと言ったから───。
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