親友は砂漠の果ての魔人

瑞樹

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ムー大陸編

59ムー大陸との別れ

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「とうとう元の体に戻ったよ」

 最後の治療から戻ったアルハザードの抜けるように涼やかな声が弾んでいた。

「今の顔も魔術を使っていない素の顔なんだよ」

 心なしか魔術で普通に見せている時よりも、くっきりとした端正な顔に見える。

「体も脱いで見せようか」

「いや、それはいいよ。でも、良かったね。わざわざ一万年も時間を溯って来たかいがあったね」

「全くだね、ようやく、ようやく望みが叶ったよ」

「ようやく現代に帰れるね」

「ああ、黄金人はしばらく経過を観察したいと言っていたけど、そんな必要はない今夜にでも帰れるよ」

 この島の悲劇を見ずに済むだけでもほっとする。

「そうなるといいけどね」
「だって今夜にでも帰るんでしょ」

「それはこいつ次第だからね」
 アルハザードは足元で丸くなっている邪神を指差した。

「今日もこいつにヒラニプラの神が会いに来るみたいだね」

 夕食後にワインを飲んでいると、アルハザードが涼やかな声で言った。現代に帰る準備はいつでもできている。後は邪神がその気になってくれるだけだ。

「でも、もうすぐ帰るんだから、今からあの神様に会っても仕方がないよね」

「こいつにはこいつの考えがあるんだろう、人間には考えも及ばないような」

 できることならば、この島に何事も起こらないうちに現代に帰りたいのだが、邪神にそのつもりはないのだろうか。

「もうすぐ来るよ」

 アルハザードの言葉が終わらないうちに、邪神の丸まっていた壁際に白い霧が現れた。

 邪神が面倒くさそうにゆっくりと四本の足で立ち上がった。

「来たようだね」
「また相談かな」

「いや、相談ではなく、今日は報告のようだね」

 邪神は今日は真面目に受け答えをしているようだ。

「何か変わったことでもあったのかな」

「あったというよりも、これから起こることについてらしいね」

「やっぱり、この島にとって良くないこと」
「そういうことになるかな、神谷はあまり深く考えないで、僕の側から離れないようにしていたほうがいいよ」

 考えるつもりがなくても、強烈なものを目にしてしまえば、考えない訳にはいかない。人間には感情というものがあるのだから。

「神谷は感情のスイッチをオフにすることはできないのかい」

「そんなことできるはずないじゃないか」

「ふーん、それならば仕方がないね」

 魔人には感情のスイッチをオフにすることなど雑作もないことのようだ。

「さあ、準備はいいかい、といってもギタラのケースを背負うだけか」

 アルハザードに言われてギターのケースを背負った。後は心の準備だけだ。

 邪神の前から白い霧が消えた。

「ヒラニプラの神様がいなくなったみたいだね」

「あの神は今ラ・ムーに会いに行っている。ラ・ムーも礼拝日でもないのにいきなり神が降臨して驚いていることだろう」

「降臨というと、最上階のあの部屋に」

「そうだ、あの部屋だ。今金の像にあの神が入った、王宮には予めその旨を伝えてあったのだろう、ラ・ムーが神を待っていたようだ。会話が始まっている、極めて深刻な」

 頭の中にラ・ムーの映像が浮かんだ。

「すぐに来いと言ってるみたいだね」

 同じ映像を受け取ったであろうアルハザードが呟いた。

「行ってもいいけど、結果は変わらないよ」

「でも、呼ばれてるんだから、行かない訳にはいかないだろう」

「呼ばれているから行かなければならないなんて、そんなに律儀にしていたら、砂漠では命がいくらあっても足りないよ」

 ここは砂漠ではないし、そんな所に住む予定もないのだ。

「まあいい、最後にこの国の王に挨拶をするのも悪くはないかな、行ってみよう」

 二人で階段を上って最上階までやって来た。心なしか階段が揺れている気がする。

「気のせいではないよ、地震が起こっているんだ。今は小さいけど、やがて立ってもいられないような大きなものになる」

「それもその神様の教え」 

 アルハザードの肩の上に乗っている邪神を指差した。

 ラ・ムーは礼拝室の奥に一人座り、黄金の像と対峙していた。

「では、はやり、あの者たちは……」

 黄金の像が何と答えているのかは分からないが、どのようなことを話しているのかはラ・ムーの表情から窺い知れる。

 ラ・ムーが二人に気がついた。

「そなたたちは、やはり海を越えて来た者ではなかった、時を越えて来た者だったのだな」

 アルハザードは何も答えなかった。神谷ももちろん答える言葉が見つからなかった。

 床が大きな音を立ててきしんだ。祭壇に居並んでいる黄金の像が揺れている。今までにこの島で感じたことのない大きな地震だ。

 ラ・ムーは立ち上がろうとしたが、揺れのために椅子から腰を上げることができない。それを尻目にアルハザードは平然と立ち尽くしていた。

「さて、神谷、僕たちは行こうとするかな」

 神谷も椅子に手をついたまま動けないでいる。

「そなたたちは、このまま行ってしまうというのか」

 ラ・ムーが大きな声で叫んだ。

「僕たちがここにいても何もできませんよ」

「しかし、何とか力を貸してはくれぬのか」

「僕に何ができるというのです、僕にできることは精々黒鳥を退治し、黒色人と闘うことくらいです。このような大きな規模の災害の前には無力です」

「だが……」

 ラ・ムーの言葉が途絶えた。黄金の床はますます激しく揺れている。

「我が神よ」

 ラ・ムーが椅子に手をつきながらようやく立ち上がり、神の像に手を伸ばした。その像の口がゆっくりと動いた。

「ラ・ムーよ、これは定めだ。私にもどうすることはできない。もちろん、その者たちにもだ。全てを受け入れるのだ。今日、ヒラニプラの、そしてムー大陸の歴史が終わる」

「そのような、神よ、私たちをお見捨てになるか」

「全ては定めだ、定めなのだ」

 ヒラニプラの神はあくまでも「定め」と繰り返している。「報い」と言わないところがせめてもの慈悲なのだろう。

 アルハザードの肩から駆け下りた邪神が姿を現した。子猫の姿が次第に大きくなり、姿はそのままに大型犬ほどの大きさになった。そのエメラルド色の目が光り、神谷の体が宙に浮き上がった、周りの空気が透明なゲル状の物体へと変わる。息は自由にできるが、言葉を発することも体を動かすこともできない。

 アルハザードが邪神の頭に手を置いた。

 魔人と邪神の体が宙に舞い、神谷の体もその後に続く。王宮が足の下に見えた。黄金の建物が次第に崩れていく。

「神谷はこの先は見ない方がいいよ」

 アルハザードが神谷の体を覆っているゲルに触れた。ゲルが徐々に黒っぽい色になり、完全に視界が塞がれる刹那、アルハザードの顔が切り落としのものになっているのが見えた。

「これは、何ということだ」

 完全な暗闇の中でアルハザードの声が聞こえた。

「これは、元に戻ったはずの体があーっ」

 アルハザードの絶叫と共に、大きな轟音が耳をつんざき、神谷の意識は途絶えた。
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